昼休み。嬉野さんが生徒会室に向かう様子を見届けた私は、立ち尽くしたままの須藤くんに近づいた。
「……もう落ち着いてるのね」
彼の表情を見て、そう呟く。
須藤くんは目線を廊下に向けたまま動かない。けれど彼は緊張のあまり固まっているわけではなかった。
「さっきまではすげえ焦ってたはずなんだけどな。ひまりと少し喋っただけでスッキリしたぜ」
そう言う須藤くんの顔は真剣そのもの。
入学当初は尖っていた彼もすっかり絆されたものね。私より緊張した表情を見て安心するはずが、予想に反して冷静な様子を私は目の当たりにする。
「それなら良かったわ。緊張のあまり変なことを口走られても困るもの。分かっていると思うけれど、審議の場では自分が不利になる発言は絶対に慎むことね」
「ああ、分かってるぜ。話の途中であの3人がまた煽ってきても、絶対に反応するなってことだろ?」
私は確認の言葉に、無言の肯定を返す。
同じ轍は踏まない。向こう見ずに喧嘩を買わない。それはわざわざ口に出すまでもなく当たり前のこと。
それから、私たちは何か言葉を交わすこともなく、ただ時間が過ぎるのを待った。珍しく静けさが張り詰めた教室は、私の心境に共鳴しているようだった。
*
やがて時間になり、私たちは生徒会室に向かう。
一歩、また一歩と近付いていくにつれ、私は両足が重いと感じた。早まる鼓動。背中を一筋の汗が伝う。
それとは反対に、私の後ろを着いてくる須藤くんと櫛田さんは呑気な話を繰り広げているところだった。
「そういえば、須藤くんはまだ嬉野さんにアプローチしないの? 早くしないと他の子に取られちゃうよ」
「……距離を縮めたい気持ちは山々だけどよ、あいつ放課後は時間なさそうだろ。これじゃ遊びにも誘えねえ。こういうときって、どうするのが正解なんだ?」
「う〜ん、確かに難しいよね。土日でも全然遊んでないっほいし、私が遊びに誘っても断られちゃうもん」
櫛田さんは寂しさを声に乗せてそう言う。
対する須藤くんの言葉には心配が滲んでいた。
「……なんか、チグハグだよな。親切なのに距離があるって。矛盾ってわけじゃないけどよ。俺たちには見えないだけで、実は無理してたりしないよな?」
「その可能性は大いにあるよね。優しかったり、責任感が強い子って1人で抱え込みがちだからさ。そこを解決してあげたらもう少し距離を縮められるかもね」
「なるほどな。サンキュー櫛田、参考になったぜ」
その後、生徒会室を目の前にして、2人はさすがに口を閉ざす。
私は深呼吸をしてドアノブに手をかけた。
けれどそこで、金縛りに遭ったように体が固まる。
「堀北さん……?」
「…………いえ、なんでもないわ。行きましょう」
「なんだよ堀北。俺より緊張してんのか?」
「あなたのせいで面倒事に巻き込まれているのに、随分と上から目線ね。それと緊張なんてしてないわ」
「わ、悪かったって。そんな睨まなくていいだろ」
うろたえる須藤くん。
私が感じていた緊張は、若干の苛立ちと、彼に弱ったところを見せたくないという矜持に追いやられる。
もう一度深呼吸をして、今度は体が動いた。
「失礼します。今日はよろしくお願いします」
「須藤くんと櫛田さん、堀北さんですね。これで全員が揃いました。まずはそちらにお座りください」
嬉野さんの案内に頷き、私たちは廊下側に並べられた席に着いた。隣にはすでに茶柱先生が座っている。
「浮かない顔だな。この3日間の成果はゼロか? それとも、他の理由でもあるのか?」
意地悪な笑みを浮かべて問う茶柱先生。
本当に教師としてはどうかと思うわね。最初から最後まで、担任として生徒に寄り添う態度ではない。
その挑発めいた姿勢に苛立つけれど、私は平静を装ったまま、返答することなく顔を嬉野さんに向ける。
「では早速ですが、今回の事件について、まずはCクラス側が訴えた内容について確認したいと思います」
そうして説明されたのは事件の経緯。
Cクラスの3人は須藤くんによって一方的に呼び出され、暴力を振るわれた。その彼に処罰を求めて審議の場が置かれることになったと嬉野さんは言う。
「これについて、Dクラスから言い分はありますか?」
「大アリだぜ。こいつらは俺が一方的に呼び出したんじゃねえ。逆に俺が呼び出されたんだよ。特別棟にな。その上で、何度も何度もを挑発しやがったんだ」
「では暴行したのは間違いないということですか?」
嬉野さんは、厳然たる視線を須藤くんに向けた。
私は思わず息を呑む。普段の彼女には、言動の端々にどこか甘さが滲んでいた。けれど今は、その一切が剥ぎ取られて、擁護の色は瞳に残されていない。
ただ中立の立場として、彼女はそこに立っていた。
「……ああ、それは間違いないぜ」
「では次にDクラス側の事情説明をお聞きします」
その声に、櫛田さんが席を立って話し始める。
それは須藤くんから聞いたこの事件のいきさつ。
それを聞きながら、Cクラスの3人は何かを隠すように俯いている。一方で教師2人は失笑を隠さない。
「ご説明ありがとうございます。では争点となるのは2箇所ですね。どちらが呼び出したのか、それから、須藤くんを挑発したのが事実であるかどうか。その内容を含めて根拠をお示しいただけますか?」
それに対する答えは、無言だった。私たちはまだ少しの手掛かりも見つけられていない。目撃者がいない時点で、須藤くんを擁護するのは無理がある話。
私と櫛田さんは口を閉じ、感情に任せて反論したいはずの須藤くんさえも肩を震わせながら黙り込む。
張り詰めた空気が部屋中に満ち満ちている。それを刃物で切り裂くみたいに、茶柱先生は小さく嗤った。
「なるほどなるほど……、薄々そうじゃないかという気はしていたが、やはり証拠はなしか。本当に期待外れだなお前たちは。堀北の顔色が悪いのも納得だ」
心底面白がっているような口振り。
最初から別に期待なんてしていなかったでしょうに、先生は落胆の表情を薄っすら顔に貼り付ける。
その薄ら笑いが須藤くんのこれまで堪えていた苛立ちに火をつけるのに、あまり時間はかからなかった。
――ガタン。
椅子を乱暴に引く音が、すぐ隣で響く。
「……おい」
低く唸るような声。青筋の浮き上がった額。
反射的にまずいと思う間もなく、彼は手を―――
「―――須藤くん。着席してください」
「っ?!」
その手を、嬉野さんの声が止めた。
相変わらず色のない口調。それが彼女の口から発せられたものだと解するのに、私は時間を要する。
……生徒会役員として中立であるべき。
そんな考えが彼女をそうさせているのだとしても、能面のようにのっぺりした表情に怖気が立つ。
「……わ、悪い…………」
「茶柱先生も話の進行に関係のない言葉は慎むようにしてください。お分かりいただけますよね?」
「……すまなかった」
「では話を再開させていただきます。Dクラス側からの証言はないようですが、Cクラス側から、須藤くんの主張が間違っているとする証拠はございますか?」
嬉野さんが今度はCクラスの3人に視線を向ける。
まさか両者に証拠を求めるとは思っていなかったのか、彼らは狼狽した様子でそれぞれ顔を見合わせた。
それを見た男性教師がフッと笑って手を挙げる。
「やれやれ、被害者が証拠を提示しなければならないのですか? Dクラスに肩入れしすぎでしょう」
「そうでしょうか? 両者に証拠を求めないのなら、先に相手を訴えた方が有利になる。それこそ不公平だと私は考えていますが会長はどう思われますか?」
「その考えを支持しよう。今のところ、お前がどちらか一方に肩入れしているようには見えないからな」
「ということですので坂上先生。ご理解ください」
一糸乱れぬ姿勢を前に、苛立ちを募らせる坂上先生。けれど声を荒げることなく言葉を続ける。
「では申し上げますが、先ほどの一幕が答えではないでしょうか。須藤くんの喧嘩っ早さは身に染みて理解しましたよ。暴行に躊躇が全くないようですね」
その指摘と同時、嬉野さんの視線が、今度は私に飛んでくる。
反論しないと―――。
そう思い、私はついに手を挙げた。
「……捉え方の違いですが、彼が怒ったのは煽られたから、……という見方をすることもできます。今回も怒った理由は茶柱先生が煽ったことにあるはずです」
「理由ですか。確かに見方によっては、この事件でも煽られたから怒った―――つまりDクラス側の主張を補強することができる。とは言えこれは直接の証拠になり得ません。両者、他に証拠はございますか?」
再度、生徒会室に沈黙が降りる。
「……では、誰も証拠を提示できなかったということで、現在明らかなのは須藤くんが3人へ暴力を振るったという点のみになります。これを踏まえ、学校側も交えて生徒会役員で協議することになります」
「今すぐに結論は出さない、ってことか?」
「はい。少し、憂慮事項がありますから、慎重に話を進ませていただこうと思います。判決は後日、改めて全員に通達いたします。先生方には少し残っていただきますが、これで解散です。今日はお疲れ様でした」
憂慮事項? 気になるけれど、嬉野さんは判決を引き延ばすつもりと言っていた。それ関連かしらね。
ともかく、これで一度、肩の荷が降りた。
私は緊張を解きほぐすように息を吐く。
「帰りましょう、須藤くん。櫛田さんも。今日の放課後からはまた目撃者探しを再開するわよ」
「……悪いな。俺のせいでそこまでさせて」
「仕方ないわ、Aクラスに行くためだもの。こんなところで躓いているわけにはいかない。だって―――」
「だって?」
「……なんでもないわ。無視してちょうだい」
喉元まで迫り上がった言葉を押し込めるように、私は手のひらを口元に押し当てる。
その代わりに、私はちらと視線を向けた。
生徒会長は優しげな表情を浮かべ、仕事を終えた嬉野さんを労っている。嬉野さんは先ほどまでの様子から一転し、朗らかな笑みを生徒会長に向けていた。
―――それはまるで、私とは正反対に。
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