君のことをもっと教えて   作:花音ゆず

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第15話

 夏の朝の空気は、夕方の名残を引きずるように重く湿っていた。少し遅めの起床を経て身支度をした私がロビーを抜けると、鬱陶しい暑さが身に襲いかかる。

 校舎へと向かうその一歩一歩が鉛のように重く、私は思わずため息を吐いた。ここちゃんとの接し方について、私の中で、まだ明確な答えは出ていなかった。

 

 過去、元ホワイトルーム生の子から好意を向けられたことはあったけど、その子は私の置かれた立場と環境を知っていた。だからこそ対応は難しくなかった。

 だけど今回はそうじゃない。初めてのケースだ。

 慎重に、こういう隙間時間も使って考えていくしかなくて、だから背後の気配に気付くのが少し遅れた。

 

「おはようっ! 嬉野さん!」

 

 背中に飛び込んでくるような元気な声。

 私がびっくりして振り返ると、櫛田さんが笑顔で手を振りながら、私に向かって近付いてきていた。

 

「おはよう、櫛田さん。朝から元気だね」

「それだけが私の取り柄だからねっ。嬉野さんは朝苦手だったっけ? 元気ないように見えるけど……」

「そう? ちょっと寝不足だからかな。最近は猫ちゃんの動画にハマってて、夜更かししがちなんだよね」

 

 呼吸をするように嘘をつく。

 心配をかけたくない、というのもあったけど、朝から暗い話をするのはあまり気分のいいものじゃない。

 

「嬉野さんにもお茶目なところがあるんだね。でも夜更かしはあまりよくないよ? 体調に悪いからさ」

「そうだね。明日からは気をつけるよ」

 

 私が言葉を切ると、ふいに訪れる沈黙。

 普段なら何かしら櫛田さんが言葉を繋げてくれるところ、彼女は真剣になにかを考え込む様子を見せる。

 私は気づかないふりをして別の話を始めた。

 

 

 

 

 

 

 今日の私は少し目覚めが悪かったため、教室に到着した頃には席のほとんどは埋まっていた。後方のドアを開けるとすぐに、元気な挨拶が私を出迎える。

 

「……ひ、ひまちゃん、おはよう!」

 

 緊張した面持ちで近づいてくるここちゃん。

 その健気な様子が微笑ましくて、思わず頬が緩む。私もすぐにあだ名で呼び返すと彼女は顔を赤らめた。

 そんな表情を前に、櫛田さんは訳知り顔で呟く。

 

「そういえば昨日は一緒に帰ってたね」

「うん、2人きりでね」

「もしかして私は今お邪魔かな?」

「ううん、そんなことないよ。ね、ここちゃん?」

 

 私が問いかけると素直に頷くここちゃん。

 そこにみーちゃんと東さんが近寄ってくる。

 いつものメンバーだ。普段から櫛田さんは加わったり加わらなかったりだけど、昨日の出来事に興味津々な様子で朝のホームルームまでその場に残った。

 

 やがて予鈴が鳴ると私たちは各々の席に戻り、その後やって来た先生は粛々と出欠席の確認を終わらす。

 そしてもったいぶることなく話を進めた。

 

「最後に連絡事項だ。須藤の処罰についてだが、その決定を3日後に生徒会主導で再度行うこととなった。今度こそ期限までに必要な証人を見つけることだな」

「3日後、ですか。……微妙な期間ですね」

「不満か? だが現時点で学校側はこれ以上引き延ばす予定にない。昨日までと合わせてちょうど1週間。学年全体に迷惑をかけているのだからこれが限界だ」

 

 私はともかく、周囲をちらりと伺い見ると、堀北さんに櫛田さん、須藤くんの表情はあまり優れない。もちろん平田くんその他の生徒も喜んではいなかった。

 その雰囲気を和らげるべく、私は手を挙げる。

 

「どうした、嬉野」

「現時点で引き延ばす予定にないということは、状況次第ではその決定をまた引き延ばすことができますよね? 例えばその期間をポイントで買えませんか?」

 

 その質問に、みんなは表情を明るくする。

 簡単な話だ。この学校内にあるものは、ほとんどはポイントで買える。それはすでに明らかなこと。

 

「面白い質問だな。答えはイエスだ。ちなみに予想で構わないが、いくらで購入できるとお前は思う?」

「えっと……1万とか?」適当に言うと、茶柱先生の白けた視線に私は貫かれる。そんな安いわけないよね。

「……私は嬉野の推理が聞けることを期待していたんだがな。まあいい。答えは、1日あたりおよそ1,000万prだ。それを高いと思うかどうかはお前ら次第だな」

 

 その返答に、再度みんなの表情が曇る。

 予想を遥かに越えて高額だ。すぐには用意できるわけがない。だけど私は慎重に言葉を選んで返答する。

 

「確かに高いですが、もしそれを使わずに退学になってしまうなら、その退学を打ち消すのに必要なポイントは2,000万でしたよね。それと比べたら……」

「そういう捉え方もできるだろうな。お前らは嬉野を見習うべきだろう。先の決定を聞いてぬか喜びしなかったのは良いことだが、時にはポジティブに考えることも大切だ。暗い気持ちで物事に挑んで状況が良くなることはないからな」

 

 珍しく、私たちにアドバイスを送る茶柱先生。

 櫛田さんたちはそれを驚きつつも頷いて受け止める。

 

「もう質問はないな? そろそろ夏休みだが、この学校はこれまでを乗り切った生徒たちのためにクルーズ旅行を予定している。それを励みに頑張ることだな」

「はっ?! クルーズ旅行、って船っすよね?!」

「そうだ。すでに豪華客席を予約しているぞ」

 

 その発言に、黄色い歓声があがった。

 さっきまでの真剣な空気はどこへやら、ほとんどみんな、分かりやすく喜びの表情を浮かべている。

 中でも池くん山内くんの叫びは大きく響いた。

 

「まじかよ! おい健、聞いたか?! 豪華客席だってよ! てことは海! 水着! もう分かるな?」

「な、なんだよ池……水着がどうしたんだよ」

「はあっ?! 分からないのかよ健! 桔梗ちゃんと、お前のひまりちゃんの水着を見れるんだぜ!」

 

 ……うーん、聞かなかったことにしよう。

 池くん山内くんに向けて女子からの非難が飛び、こころなしか同情のこもった視線が向けられる。

 

「な、なんだなんだこの熱量は……」

 

 茶柱先生さえも引き気味な言葉を隠せずにいた。

 

 

 

 

 

 

「さて、今日からの方針だけど」

 

 茶柱先生が教室を去り、1限目までのわずかな時間を利用して、私たちは教室の後方に集まっていた。

 ここにいるのは私と堀北さん、櫛田さん、平田くん、それから須藤くんと綾小路くん。綾小路くんは堀北さんに無理矢理連れて来られたらしい。どうして。

 

「まあ、特に変えようがないよね。目撃者探しの継続。須藤くんを擁護するにはそれしかないと思う」

 

 事件解決の手立てが他にあることは口にせず、私は実直になすべきことを提案する。

 早くみんなを安心させたい気持ちはあるけど、急いては事を仕損じる。それに確実な解決策というわけでもないから、何重にも保険をかけるのは当然だ。

 

「そうね。現場には監視カメラもなかったもの。事件を直接見ていなくとも、特別棟に向かう様子を誰かが見ているかもしれない。それに賭けるしかないわ」

「僕はもう一度、部活の先輩にも聞いてみるよ。あとは学校の掲示板も使ってもう一度情報を募集しよう」

「私も他クラスの友達に協力をお願いしてみるねっ」

「ありがとう。私も今日からは、放課後の予定を空けておこうと思う。なりふり構っていられないからね」

 

 そう言うと、みんな一様に驚いた表情を浮かべる。

 

「闇雲に目撃者を探しても見つかるとは限らないけど、いいのかい? 無理に予定を空けなくても……」

「あはは、この期に及んで私だけ昼休みしか協力できませんなんて、私の立つ瀬がなくなるからさ。分かってる。今更だと思うかもしれないけど、最後まで全力を尽くさないと、きっと私は後悔するだろうから」

「……そうね、今更ではあるけれど、いいんじゃないかしら。嬉野さんには他の方面で頑張ってもらったもの。期限を引き延ばせたのはあなたのおかげだわ」

 

 その慰み言に、私はほっと胸を撫で下ろす。

 学業と仕事の両立は難しい。今回だっていざこざを起こさないための苦渋の決断で、だからこれまでの姿勢を責められなかったことに、臆病な私は安心する。

 

「ありがとう、そう言ってくれると救われるよ。須藤くんはもう少し辛抱しててね。私たちで、絶対に、須藤くんを擁護できる証拠を見つけてみせるから」

「……ああ。悪いな。ここまでさせちまって」

「申し訳なく思う心があるなら、せめて大人しくしていることね。形だけの反省に意味はないわ。次も怒りを抑えられないなら、私は付き合ってられないわよ」

 

 まだ堀北さんの頭には、須藤くんを切り捨てる選択肢が残っている。それを暗に示された須藤くんは、苦虫を噛み潰した様子で、けれど反発はせず頷いた。

 助け船を出したい気持ちもあるけど、飴だけ与えても状況は好転しない。厄介な問題だと思いながら時計に目を向けた私は、一度話を打ち切ることにする。

 

「私からも須藤くんに思うことはあるけど、とりあえず、話は一旦終わりにしよっか! 先生が来ちゃうからね。みんなには苦労をかけるけど4日間頑張ろう!」

 

 そうして、私たちの悪あがきが始まった。

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