《佐倉愛里の独白》
人と話すことが苦手だ。
人の目を見ることが苦手だ。
人と触れ合うことが苦手だ。
そんな私は、いつしか孤立していた。
誰かと誰かが楽しげに話している横で、顔を伏せて過ごす毎日。誰にも話しかけられない。誰からも話しかけられない。だけど孤独を好んではいない。
だから私は、仮面を被ることを選んだ。
ずっと続けるのは難しくても、私は誰かにとっての偶像を演じることで、私の居場所を手に入れた。
それで十分だと思っていた。
私の中の世界は、それだけで完結していた。
普段は変わらず顔を伏せて過ごしていても、私はカメラの前では、みんなと同じように人と触れられる。
そう―――思っていた。学生寮のポスターに入れられた、1通のメッセージカードを目にするまでは。
『今日は暑くてブラ紐が透けていたね』
「ひっ……?!」
悲鳴と同時、私の手から紙が滑り落ちる。
表面には制服姿の私の写真が添えられていた。
その日から、次第に相手の行為はエスカレートしていく。日を追うごとに近くから撮られているように見える写真。枚数も、投函頻度も、次第に増えていた。
だけど……。私に、相談できる人はいない。
私は常に顔を伏せている。周りの人は距離をおいていて、私の恐怖に気づいてくれることはなかった。
そんな私に、ある転機が訪れた。
それは―――クラスメイトの男の子が喧嘩しているのを、偶然見てしまったこと。人気がないからとたまたま訪れた特別棟。そこで私は、目撃者になった。
喧嘩の一部始終を私は見てしまった。
その後、事件が明るみになり、目撃者探しが始まった。目撃者が見つかれば須藤くんは救われる。そして誰かが、本当の私を見つめてくれるかもしれない。
だけど私には、最後に、勇気が足りなかった。名乗り出ることができないまま時間だけが過ぎていった。
「でも……。これが、最後のチャンス……」
時刻は夜の10時を回って、寮の部屋でうずくまりながら、私は私を奮い立たせる。視界の端では、ポストに投函されたメッセージカードが厚みを増していた。
*
今日は佐倉さんの相談に乗る日だけど、放課後、すぐにやることは変わらない。私は櫛田さんや堀北さんたちと役割を分担し、表向きは目撃者探しを続ける。
それは私なりのクライアントへの配慮だった。
入学前は私の元にやってくる子たちの好みに合わせ、室内の温度や匂い、あるいはメロディなど様々な要素をもって相談に適した環境を整えていたように。
目立つことを苦手とする彼女のためには、私が会いにいくことを周囲に悟られないように私は行動する。
そうして、空が茜づき始める頃。
私たちは今日1日の頑張りを労うように、ケヤキモールのカフェに立ち寄ってひと息ついていた。
店内にいる多くは、遊び帰りの生徒たちだろう。この時間になっても席のほとんどが埋まっている混みぶりで、少し離れた席には伊吹さんの姿も見られた。
私たちはドリンクを片手に、席でうなだれる。
少しでも成果が得られるならやりがいがあるものだけど、こうも目撃者が見つからないと疲ればかりが溜まる。さすがの櫛田さんも声に疲労が滲んでいた。
「……はあ、今日もだめだったね」
徒労を強いていることに内心申し訳なく思いながら、私は頷き返す。その横で、堀北さんは多少疲れた様子でありながらも毅然とした態度を崩さない。
「そろそろやり方を変えるべきじゃないかしら。仮に目撃者がいたとしても、事件があってから、もう時間が経ちすぎている。記憶も薄れているはずだわ」
「そうは言っても……他にどうしたらいいの?」
私が疑問を投げかけると堀北さんは沈黙する。
「……あまり、良い案は浮かばないわね。協力してくれると言っていたBクラスはどうなっているの?」
「残念だけどそっちも空振りかな。ところで、発言には気をつけてよ堀北さん。壁に耳あり障子に目ありって言うから。協力関係はおいそれと口にしちゃだめ」
幸いにも、席が離れているため伊吹さんに聞こえた様子はない。周囲の生徒も今の発言を気にしたそぶりはしてないようだけど、次もそうとは限らない。
もしBクラスと協力していることが龍園くんに伝わったら面倒だ。警戒されると私の動きが制限される。
それに今回の事件を抜きにしても、Aクラスを目指すなら、協力関係は明るみに出さないほうがいい。
龍園くんの性格を考えると他クラスと協力しないような気はするけど、万が一がある。もし仮にACクラスが結託するようなことがあれば大きな障害になる。
「ごめんなさい。次から気をつけるわ」
「うん、そうしてくれるとありがたいな。話を戻すけど、櫛田さんと平田くんは他に案はあるかな?」
「……いや、難しいだろうね。そもそも須藤くんが彼らを殴ったことは事実な時点で、情状酌量を狙うしかない。でも一連の流れが録音されてるはずもない」
「私も、平田くんと同じ考えかな。確か監視カメラもなかったんだよね。ずるいよ、こんなやり方」
悔しそうに目を伏せる櫛田さん。
当然、私たちは目撃者を探すしかない。目撃者をでっち上げるのはどうかと私が思ってもない提案をすると、それはリスキーだと堀北さんが却下する。
そうして話が進展するはずもなく、この場はお開きとなった。私たちが席を立ったのと同時刻、雑踏に紛れて、伊吹さんはひと足先にお店をあとにした。
*
ケヤキモールを出た私たちは、カフェでの反省を引きずるように帰路に着いた。夕焼けはすでに色を失いつつあり、街灯がひとつ、またひとつと灯り始める。
櫛田さんと平田くんは、明日からどう動くかを熱心に話し合っている。私はそれに適度に相槌をうちながら、意識の大半を、尾行を続ける伊吹さんに向けた。
彼女を撒くべきかどうか、私は少し悩む。
櫛田さんたちと別れたあとは佐倉さんの部屋に直行する予定だ。けれども、このまま直行すれば、その姿は伊吹さん経由で龍園くんに伝わる恐れがある。それではわざわざ人目を避けてきた意味がない。
(……そもそも、これは龍園くんの差し金?)
そうだとするなら、少し杜撰な気がする。
私が龍園くんの立場で、もし伊吹さんを尾行役にするなら、昨日の時点で私に会わせることはしない。
昨日は龍園くんの手足として動いていた彼女が、今日は偶然にも後ろを歩いている。なんて、警戒を招くのが必然で、わざわざ尾行をする必要性を感じない。
強いて言えば、圧力をかける目的だろうか。
尾行されていたら迂闊に行動できなくなる。
あるいは伊吹さんが独断で動いてる線も全然ありそうだけど、判断材料が少なく、確率的には半々だ。
(どちらにせよ、やることは変わらないかな?)
私は尾行の無視を選択する。
変に撒けば、余計な警戒を買う恐れがある。
問題はこの後だ。一旦は私の部屋に戻ってもいいんだけど、せっかくならこの状況を利用しないとね。
情報の取捨選択を済ませ、私は背後の伊吹さんに気付かないフリを続けながらみんなの会話に混ざる。
やがて寮にたどり着くと、私たちはそのままエレベーターを待つ。まだ下の階に来ていないのを見るや否や、伊吹さんは階段で上の階に移動するみたいだ。
私は気にせず、10階のボタンを押す。
それを目敏く見つける櫛田さん。
「あれ? 嬉野さんって、12階じゃなかった?」
「そうだよ。でも今日はちょっと予定があって」
「予定って言うと……あ、井の頭さん?」
「正解。よく分かったね」
「たまに遊びに行ってるから。他にもDクラスの子は何人かいるけど、嬉野さんなら井の頭さんかなって」
櫛田さんはニヤッと笑いそう言った。
「もしかして、進展がありそう?」
「ヒミツだよ。でも最近は仲良くできてると思う」
「それなら安心だよ。しばらくの間、井の頭さんと嬉野さんがギスギスしているように見えたからね。もちろん嬉野さんなら大丈夫だろうとも思っていたけど」
安堵の表情で、胸を撫で下ろす平田くん。
私は彼にも心配をかけてたことを申し訳なく思いながら、先に平田くん、それから櫛田さんを見送り、最後に堀北さんと別れを告げて10階に降り立つ。
井の頭さんの部屋に行くのは初めてだ。
少しばかりの緊張と共に、辺りを警戒する。どうやら伊吹さんはこの階にいないみたいだけど―――。
そう思った矢先、私は視線を感じる。
いる。確実にいる。尾行に気付いてないフリを続けるため私からは見えないけど、階段で上がってきた伊吹さんが、物陰から私を見ているのがわかる。
(どうして私が降りた階が分かったのかは……)
つまりは、こういうことだろう。
女子の階層は7階から始まるため、まずは7階に向かう。そこで誰も降りてこなかったので8階に向かい、9階で櫛田さんが降りたのを見て、10階に駆け上がる。
あまりに無理矢理な尾行に私は笑いそうになる。
だけど伊吹さんが根性でここまで辿り着いてくれて助かった。これで龍園くんの油断を更に誘えそうだ。
*
時刻は午後7時半前。
尾行を終えた伊吹澪は自身の部屋に引き返す。
嬉野ひまりが入っていった部屋の番号。それを入学時、つまりは入居時のデータベースの検索にかければ、彼女が誰に会いにいったのかすぐに分かった。
(井の頭心、ね。こんな時間に何してんだか)
よほど仲が良いのだろうと伊吹は思う。
と同時に、胸の中にある気持ちが渦巻く。
―――気に入らない。
昨日の、龍園を前にした嬉野の態度。自身が屈した龍園に対して、強そうに見えない嬉野が、臆することなく振る舞ったことが伊吹は気に入らなかった。
ただそれだけの理由で、今日、伊吹は動いた。
そう―――この尾行は伊吹の独断だった。
人気がないのを見ると、彼女はスマホを取り出す。
数コールの後、画面越しに聞き慣れた声が届く。
『こんな時間に何の用だ、伊吹』
「一応、共有しておこうと思ってね。さっきまでほら、Dクラスの、嬉野ひまりを尾行してたんだけど」
『あ? 俺はんなこと頼んだ覚えはねえぜ』
「勝手にやったことだから。感謝してよね。私のおかげで、あいつが警戒に値しないって分かるんだから」
そうぶっきらぼうに吐き捨てると、伊吹は今日の成果を報告する。放課後の嬉野の動き、その全てを。
「最初から最後まで、尾行してる私に気付いた様子はなかった。とんだ間抜けだよあいつ。わざわざあんたが警戒するほどの相手じゃない」
『……勝手な真似をしやがる。まあいい。おめぇにしては悪くない働きだからな、今回は見逃してやる』
次からは許可を取れと、龍園は言外に伝える。
「分かってるわよ。じゃあもう切るから」
『ああ』
通話が切られる。
伊吹は今日1日で溜まった疲れを逃すように、ため息を吐いた。しかし徒労に終わらなかったこと、嬉野が警戒に値しないと伝えられたことで、溜飲を下げる。
物陰から、その様子が見られているとも知らずに。
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