生徒会室での審議が終わり、みんなが出払って私と会長で後片付けをしている頃には、昼休みも終わりかけだ。
緊張の糸が解れ、どっと疲れが押し寄せてくる。
今頃は堀北さんが結果どうなったかをクラスのみんなに伝え、須藤くんがなんとか罰を免れたことに喜びを分かち合っているところだろうか。その場に混ざれないことを残念に感じながらも、私は会長に向き直り頭を下げた。
「色々フォローしてくださりありがとうございました」
「そう畏まらなくていい。むしろ大変だっただろう。慣れない仕事、生徒会としての立場と友人としての立場との板挟みにかなり苦しんでいる様子だった」
「……そう、ですね。かなり大変でした。……あの、会長から見て、私の仕事ぶりというか手腕はどうでしたか?」
「文句のつけようもない、と言いたいところだが、色々無理をしていたんじゃないか。顔に疲れが残っている。しばらく生徒会の仕事は免除するからゆっくり休むといい」
堀北会長は微笑みながら、書類を纏める。
ありがたい気遣いだ。
ここ1週間の影響で、本来の仕事にも遅れが出てる。もらえた休暇でしっかり取り戻せるといいなと私は思う。
「ありがとうございます。……ふう。机、片付け終わりました。何か他にお手伝いすることありますか?」
「いや、大丈夫だ。こちらもじきに終わる。嬉野は一足先に教室に戻るといい。クラスメイトが待っているだろう」
「ありがとうございます。では、お先に失礼します」
そう言って生徒会室を出ると、周りに人気はない。
私は手鏡を取り出して自分の顔を見た。
……確かに、酷い顔だ。でも取り繕えないほどじゃない。鏡の中の私ににっと笑いかけ、私は元に戻った。
「何をしているんだ?」
「うわわっ?!」
突然の声に、慌てて手鏡を隠す私。
振り返ると綾小路くんがそこにはいた。
「い、いたの、綾小路くん……」
「驚かせて悪かった。一番の功労者を置いていくのは悪いと思ってな。隠れて待っていたんだ」
「……そっか、ふふ、ありがと。じゃあ行こっか」
私が教室に向けて歩き始めると、綾小路くんもついてくる。
「今回の事件、まさかたった1週間で龍園の配下を懐柔するとはな。見事な手腕だった」
「ありがと。でも偶然が重なった結果だよ」
小宮くんたちが私の悪口を言っていなければ、彼らの罪悪感は大したものにならなかっただろう。一之瀬さんとの出会いがなければ龍園くんを引き離すのに苦労しただろうし、昨日、龍園くんが自らDクラスに出向こうとしなければ、彼の私に対する警戒はもう少し高かったはずだ。
「それも実力の内だ。特に昨日の機転は見事だった。挑発に挑発で返して警戒を招く必要は無いからな。だがどういうカラクリだ? 恐怖の表情は演技できても、お前レベルになると瞳孔まで自由自在に操れるものなのか?」
「あはは、まさか。それは無理だよ。だからちょっとした裏技を使ってね。ここは意識的に、私自身のトラウマを無理矢理こじ開けて、私の体に恐怖を呼び起こしただけ」
俳優さんや女優さんが人によっては悲しい出来事を思い出して涙するように、恐怖を思い出して、あとはその感情に振り回されることなく乗りこなしただけに過ぎない。
「それは……あまり良くないんじゃないか?」
「まあねー。悪夢で魘される頻度はしばらく増えるかも」
「お前はもう少し自分を労った方がいいと思うぞ」
「仕事には支障無いし大丈夫だよ。でも心配してくれてありがと。……っと、この話はみんなには秘密だよ?」
口元に人差し指を当て、私はにっと笑う。
相手が綾小路くんだから嘘偽りなく答えたけど、同じことを他の子にも言ったらどんな顔をされることか。
綾小路くんは真面目に頷き、私はまた笑った。
良かった。私は今も全然普通に笑えてる。
それからとりとめのない話を続けてると、廊下の奥に、1年Dクラスの表示が見えてくる。
まだ扉の目の前でもないのに池くんの笑い声が聞こえてきて、私は和やかな気持ちにさせられる。今日のDクラスは須藤くんのこともあってかいつもより数段騒がしい。
扉を開けると、ワッと耳に届く声量があがる。
「ただいまー。池くん、廊下まで笑い声聞こえてるよ」
「ギャハハ! だってよ、須藤のやつ、ひまりちゃんがなかなか帰って来ないからって教室歩き回ってんだぜ?」
「ばっ……! てめぇ、寛治ィ……!」
「ひいいっ! ま、待てって、暴力反対!」
「あははは、元気があっていいことだね」
「そうだな」
私は肩を竦め、須藤くんと池くんの取っ組み合いを横目に苦笑いしながら腰を下ろす。すると、席の遠い綾小路くんと入れ替わる形で、平田くんが目の前にやって来た。
「お疲れ様、嬉野さん。今回の件、結果的にどうなったかは堀北さんと櫛田さんから聞いたよ」
「平田くんもお疲れ様。ようやく荷が降りたって表情だね。ここ最近、平田くんあまり眠れてないように見えたから。あんまり無理はせずに、今日はゆっくり寝てね」
「うん、ありがとう。ただ今日の放課後は、実は須藤くんたちと櫛田さん、堀北さんで祝賀会を開かないかって話をしたところでね。よかったら、嬉野さんもどうかな?」
その話に目を丸くする私。
聞き間違いじゃなければ、今、堀北さんもいるって言ったよね?珍しいこともあるなって、明日は槍でも降るんじゃないかと失礼なことを考えながら申し訳なくなる。
「ごめーん、放課後はやっぱり忙しくって」
「そ、そっか……。うん、分かった。強要することでもないしね。もし行きたくなったらいつでも言ってよ」
「ありがとう。祝賀会、みんなで楽しんでね」
平田くんは少しだけ、何か言いたげな顔をした。
だけど結局、何も言わずに頷いた。
私はその様子に気付かないふりをした。
―――これでいい。
私にはそんな場所、やっぱ似合わないもん。
*
放課後。帰りのホームルームが終わるとすぐに、私は席を立ち、ここちゃんたちと挨拶を交わして廊下に出る。
結局、昨日の朝以降は、佐倉さんから話しかけられなかったけど、接触を焦っても仕方ないし私も忙しい。昨日は綾小路くんの監視で佐倉さんの身の回りに不審な影が無かったようだし、今日は綾小路くんが祝賀会に参加する関係でその辺を見られないとは言え、佐倉さんとは連絡先を交換してるから彼女の位置情報はいつでも確認できる。
とりあえずはその辺りに注意を払っておけば大丈夫だろうと考えて、私は帰宅後すぐにパソコンを立ち上げる。
まずはカウンセリング前にお父さんからのメールと、添付されていた報告書をチェック。私があまり仕事をできない間はお父さんが補完をしてくれて、それは完璧ではないけど、極端にメンタルが不調になった子はいないようだ。
心の中でお父さんにありがとうを言いながら、それでも実際に仕事を再開しないことには、楽観視できないと考える自分がいる。逸る気持ちをできる限り押さえつけながら、報告書をチェックし終えた私は通信アプリを開いた。
今の時刻は午後4時前。
ここから1人あたり30分の面談を10人分、間に少し休憩を挟みながら行っていく。それが全部終わった頃には午後9時を回り、そこでやっと夜ご飯を食べられるだろうか。
そんなことを考えながら、久しぶりの仕事を前に、私の中のスイッチが切り替わる感覚に身を委ねた。
*
5人目の面談が終わり、相手の子がアプリから退出する。
これでようやく半分。私はふうっと息を吐きながら伸びをして、体の凝りをほぐした。仕事の進め方については鈍っていないけど、以前より体力が少し落ちてる気がする。
しばらくはより、体調管理に気をつけないと。
そんなことを思いながら学校支給の端末の電源をオンにすると、2通の連絡が入っていることに私は気がついた。
「ん、綾小路くんから……と、佐倉さん?」
綾小路くんから届いていたのは写真だ。
どうやら今も祝賀会を楽しんでるみたいで、無表情の綾小路くんと仏頂面の堀北さんの背景には、須藤くんたちや平田くん、櫛田さんが笑い合ってる様子が写っている。
それを微笑ましく思いながら佐倉さんとのチャットを開くと、どうやらいつのまにか電話をもらっていたらしい。
どうしたんだろうと思いながら、私は折り返しの電話をする。耳に入るは初期設定のままの呼び出しメロディ。だけど待てど暮らせど、佐倉さんが電話に出る様子は無い。
「……お風呂にでも入ってるのかな」
そんなことを考えながら、念の為、位置情報を確認。
佐倉さんの居場所は―――、居場所は…………。
「っ……?! これは、どこに……?」
時刻は19時前とは言え、夏だからまだ日は沈んでいない。
とは言えこの時間に外出するなら考えられる用事はコンビニでの買い物程度。でも佐倉さんの位置情報を見るにコンビニからは遠く離れ、そこはケヤキモールの端っこだ。
「あの辺りは特に何もなかったはずだけど……。そういえば、写真取るのが趣味だっけ。ちょうど夕焼けが綺麗だしここならいい感じの写真が撮れるとかなのかな……?」
そう考えながらも、妙に胸がざわつく。
私は再度、佐倉さんに電話をする。
1回、2回、3回―――。何度かけても応答は無い。位置情報が見れる時点で端末を寮に置いてってるはずも……。
そう考えた時、私はあることを思い出す。
「っ……! 違う! 佐倉さんのカメラは今、修理に出してる―――。代わりにこの端末で写真撮ってるなら電話に出ないはずないし、家電量販店もこの時間は―――」
調べてみて、やっぱり営業時間外だ。
ケヤキモール自体はまだ空いてるけど、元々の来客数が少ないお店は、外の店舗より閉まるのが早い傾向にある。
「……これ以上、考えてる時間は、無い。……かも」
お父さんに面談の時間を調整して欲しい旨の連絡を入れながら、私は部屋を飛び出す。早鐘を打ち始める鼓動。薄暗くなり始めた空と鴉の鳴き声が、やけに不吉に感じた。