私とホワイトルームを罰する方法   作:花音ゆず

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第24話

 

 時間外なのに理事長が迅速に対応してくれたおかげで、あの男性店員の警察への引き渡しがすでに完了したことを、私は翌日の早朝時点で知らされた。

 私もまだあまり詳しい事情は知らないけど、きっとあの男が佐倉さんを悩ませて怖がらせていたストーカーだろうから、これで彼女の日常生活には安寧が訪れることになる。一方で私と佐倉さんとの禍根は簡単には払拭されず、私は翌日の学校で気まずさを感じていた。

 

 私のあとに佐倉さんが登校してきた時も、教室ですれ違う時も、佐倉さんは私に視線を向けはするものの口は開かない。同様に私から喋ることもない。

 なにせお互いの席が近いのでそんなことが何度もあり、佐倉さんが席を外している間に、その微妙な空気を目敏く感じ取った櫛田さんが心配そうにする。

 

「佐倉さんと、何かあった?」

「……うーん。まあ、少しだけ。でも大丈夫だよ」

「そう? なら、いいけど……困ったら相談乗るからねっ」

 

 そのご厚意をありがたく感じながらも、私から何かすることは無い。さすがに今回は佐倉さんから話しかけて欲しいという考えだ。

 昨夜の佐倉さんからの受け答えを、私はまだ得られていない。どうしてあんな危ないことをしたのか。まだ彼女の口から語って貰えてないし、もう一度、今度は平静を保ったまま言いたいこともある。

 

 だから私は今日の放課後の仕事もずらしてもらい、彼女から連絡がくるのをただ待った。

 

「こういう時、何をしたらいいんだろうね」

 

 もし就活でエントリーシートを書く機会があったとして、趣味の欄に仕事と書きそうなぐらいには、私はこれまでの人生の多くを仕事に捧げてきた。

 他の人はゲームや漫画、あるいは他の人のSNSの投稿を見たりなどして楽しんでいるようだけど、そのいずれも経験値のない私にはそれらを楽しいと思える感性が欠如しているようで、空白の時間が長く感じる。

 

 ただそんな私にとっては幸運なことに、辛抱の時間は実際にはそう長くなかった。具体的には帰宅してから1時間ほどで、1通のチャットが入る。その内容は今から話したいことがあるというもの。私はすぐに了承し、佐倉さんを部屋に招き入れる準備を始めた。

 

 

 

 

 

 

 それから10分ほどで佐倉さんはやって来た。

 制服のまま。佐倉さんも放課後すぐに帰ったはずだし、さっき私に連絡がきた時までの1時間ほど、着替えもせずに私に連絡する勇気を固めていたのだろうか。

 

「いらっしゃい。外暑かったでしょ、ウーロン茶でいいかな?」

「は、はい! あの……お気遣いありがとうございます」

 

 あらかじめ用意しておいたちゃぶ台の前に佐倉さんを座らせると、私は冷蔵庫からペットボトルを取り出し、氷と一緒にグラスに注ぎ入れる。

 それを彼女の前に置くと、琥珀色の液体の中で、まだ四角いままの氷がカランと音を立てた。

 

「はい、どうぞ」

「あ、ありがとうございます……」

 

 佐倉さんは両手でグラスを包むように持ちながら、小さく頭を下げる。

 だけどそれ以上、言葉は続かない。

 

 部屋に流れるのはエアコンの駆動音だけ。

 私は向かい側に腰を下ろしながら、さて、どうしたものかと考える。

 なぜあんな危ないことをしたのか、その部分は佐倉さんから語ってもらいたいけど、昨日の私の対応に非があったのもまた事実。ここはひとまず、

 

「……昨日は、ごめんね」

 

 私は静かに、睫毛を伏せてぽつりと呟く。

 

「感情的に責め立ててしまったこと、まずは私から謝らせて欲しい。佐倉さんの気持ちが落ち着くのも待たずに酷い態度をとって、……ごめんなさい」

「そんな……! 嬉野さんは、悪くないです……。私が、私が、勝手に動いたのが、全部悪くて……」

 

 そう言うと、佐倉さんは口元をきゅっと結ぶ。

 その瞳は深い後悔に囚われていた。

 改めて冷静になってみて、昨日は見えなかった佐倉さんの表情が、気持ちが、今日はよく見える。

 

「……佐倉さん。良かったら、私の身の上の話を聞いてもらえるかな? 少し重い話になっちゃうけど」

「え―――?」

「だめ、……かな?」

「い、いえっ、そんなことはないです!」

 

 その返答に私は頷き、昔のことを思い出す。

 ぽつりぽつりと、まるで堪えきれなかった涙が滴り落ちるみたいに、言葉を選びながらも私は語る。

 

「うちはお母さんが他界して、お父さんと私、お姉ちゃんの3人暮らしでね、私が幼稚園に入る前くらいまではお父さんが男手ひとつで育ててくれてね」

 

 それはお姉ちゃんがホワイトルームに入る前の話。

 もはや記憶としてはほとんど残っていない、だけど確かに、3人で同じ場所を共有した最後のひととき。

 

「でも私が幼稚園に入る直前くらいに、お父さんの仕事の都合で色々あって、私はそのままお父さんに育てられたけどお姉ちゃんはある施設に入ったんだ」

 

「……私は何も苦労を知らずに、お父さんの寵愛を受け続けて、たぶん毎日が楽しかった。たぶんっていうのは、なにせ昔の話だからあんま覚えてなくて、だけど苦労した記憶もないから本当に幸せだった」

 

「最初はお姉ちゃんと離れ離れになったことに泣いてたらしいけど、でも酷い話でさ、そんなのは私の中では次第に過去の話になっていったんだと思ってる」

 

 それは、自然なことではあるのかもしれない。

 早い人でも物心つくのは1歳半〜2歳。幼稚園に入る3歳までのごく短い間しか、お姉ちゃんとは一緒に過ごしていない。幼稚園卒業までの方がずっと長い。

 

「だから私は、何も知らなかった。お姉ちゃんが私と違って酷い環境に置かれてたこと。ずっと辛い思いをしてたこと。全部知らないで楽しく暮らしていた」

 

 そんな私が憎いという話は、一旦横に置いておく。

 

「……それを知ったのは、私が8歳になってすぐ。帰ってきたお姉ちゃんは身も心もズタボロで、……私が何かする間もなくお姉ちゃんは自殺を図った」

 

 ひゅっと、息を吸う音が正面から聞こえた。

 私は努めて冷静なまま、言葉を続ける。

 

「幸い、……一命は取り留めてね。……ううん、幸いって言っていいのか分からないけど、お姉ちゃんは結局、植物状態になって、今も病院で眠っている」

「っ……」

「暗い話をしてごめんね。ただその上で、私が言いたいのは、……残された人は自分を責めるんだ。どうして気付いてあげられなかったのか。どうして私だけがのうのうと生きてるのか。私が気付いていたら……なんて、仮定の話ばかり、ずっと考え続けてる」

 

 そう言って、私はひと呼吸置いた。

 動かなくなったお姉ちゃんを見たあの時のことは、今でもトラウマとして私の胸に刻まれてて、努めて冷静になろうとしても語尾の震えまでは誤魔化せない。

 

「私だけじゃないよ。他の人も、きっとそう。もし昨日、私が間に合わなかったら。もしそうなったら、後悔に苛まれる人は私以外にもいたと思う―――」

 

 自分のことで精一杯な子に、こんな話をするのは酷かもしれない。だからそれを考慮してとは言えない。ただそれでも、そういう人がいるのは知って欲しい。

 その思いは、……ちゃんと伝わっただろうか。

 半分くらいは衝動的に話したことだ。伏せていた目をあげて、私は恐る恐る、佐倉さんの様子を伺い見る。

 

 からんと、角の少し溶けた氷が回る音がした。

 

「……私、嬉野さんに、気遣ったつもりだったんです」

「私に?」

「……はい。嬉野さんは、いつも放課後忙しくしてるのを知っていたから……。迷惑をかけたくなくて、それに、嬉野さんが須藤くんのことですごく動かれてたのを見て、私も頑張ってみようかな、って……」

 

 それは、佐倉さんが昨日あの場に向かった理由だった。

 

「私ならできるって、そう、思ってたわけではなかったですけど、でも今から考えたら、……甘く見すぎてたなって。そのぐらいのことしか考えてなくて、結果的に迷惑をかけてしまって、それで、それで」

 

 一筋の涙が、佐倉さんの頬をつうと伝う。

 私はちゃぶ台の下でぎゅっと手を握りしめる。

 なんとなく、そうじゃないかという気はしてたけれど、いざ彼女の口から直接聞かされると、胸が痛かった。

 

「ご、ごめんなさっ……私っ、全然、それしか考えてなくって、……嬉野さんを不安にさせて……っ」

 

 そこからはもう途切れ途切れな言葉で、堰を切ったように涙を流す彼女の隣に、私はそっと座り直した。

 もう―――大丈夫だと、そう感じる。

 きっとこれからは、相談してくれるって。

 

「……佐倉さんに怪我がなくて、ほんとに良かった。ありがとう、今日この場に来てくれて。ありがとう、私に気持ちを打ち明けてくれて。……それからごめんね。私も、佐倉さんの気持ちを全然考えてなくて」

 

 最後にそう言うと、私はただ静かに、佐倉さんの背中をさすり続ける。

 グラスの中の氷はもうほとんど溶けてなくなり、まるで涙みたいな結露が机を濡らしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




これにて暴行事件編は完結です。次回から間章に移ります。
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