ぜひ改めてご一読いただいた上で、こちらお読みいただけると幸いです。
今話から原作第3巻の内容に移ります。
第1話
海はまるで、硝子細工のようだった。
真夏というだけあって燦々と降り注ぐ陽光に、透き通った青い海。太ももを撫でては去っていく潮風の気持ちよさに目を細めつつ、私は恍惚の息を吐く。
「……すごい。海だ」
これまで経験したことのない感動を得たとき、人間というのはどうやら、語彙力を無くすようだ。
私は見えるもの全てに目を輝かせながら、綺麗だの最高だの、陳腐な言葉のみを紡ぐ。横では、それを聞いたここちゃんが私を見ながらくすりと笑った。
「ひまちゃん、そういうとこあるよね」
「誰だってこうなるよ。ここちゃんはあんまり景色とか興味ない? さっきから私ばっかり見てる気がするけど」
「そんなことないよ。気のせい気のせい」
言いながら、ここちゃんのアメジストの瞳は、私を捉えて離さない。その熱心な様子を横目で見て、私は思わず苦笑いしつつも熱くなった顔を手で煽ぐ。
「そんなに見つめられると、恥ずかしいけど」
「……だって、久しぶりだもん。ひまちゃんずっとずっと忙しいって言って、あんまり遊べなかったから」
ここちゃんは頬をぷくっと膨らませる。
「ごめんごめん。本当に、この前までは忙しかったんだよ。でもようやく落ち着くかもしれなくてね。たぶん、これからは遊べる頻度も増えると思う」
「ほんと?! 嘘じゃないよね?」
私が頷くと、すぐに喜色満面の笑みを浮かべるここちゃん。
これでいいのか未熟な私には分からない。
だけどお父さんに自分を大切にしろと言われて、私には休息の時間が与えられて。それをここちゃんのために使ってあげたいと思うぐらいには私はここちゃんに絆されていて、つまり好ましく思ってる。
今後のことは―――あとで考えたらいい。
もし在学中にホワイトルームを閉鎖に追い込めたなら、ここちゃんを拒む理由だってなくなるんだから。
とは言え、課題は山積みだ。
現実問題としてホワイトルームを閉鎖に追い込むためには、まず大前提として、私とお父さんを中心としたネットワークをより強固にする必要がある。
だから本来なら身を粉にして働かないといけないけど、お父さんに言われてしまった手前、それを裏切って休まずに仕事し続けることはできなかった。
それについて、子どもたちに対する負い目や、お姉ちゃんに対する罪悪感が消えたわけでは当然ない。
あくまでお父さんと私の歩み寄りによって、お互いの妥協があって、今がある。勇気を振り絞って和解できました、みたく甘い結末は現実にはない。
一方で、それをいちいち表に出すことはない。
事実として、こうして外に出て、友達と海を見ながら喋っている今を、楽しくないと偽ることもない。
「それにしても、本当に豪勢な旅だよね」
私は思考を切り替えるみたいにそう呟く。
2週間も用意された豪華客船によるクルージング。
景色の良さは言わずもがなで、船内にはダーツやビリヤード、カラオケ、映画など娯楽も揃っている。
そのため暇つぶしに散策してみると、多くの生徒が羽目を外して遊んでいる様子が窺えた。今だって遠くから雄叫びが聞こえてくるのを微笑ましく思う。
「そうだよね。入学してから不安なことが続いてたけど、これなら頑張ってきた甲斐があったな」
「確かに。トラブルの連続だったなあ……」
思い出し、私は遠い目をする。
できればこれからは平穏に過ごしたいものだけど、この学校の仕組みじゃ、そうもいかないんだろう。
*
船の甲板に出て景色を見るのもほどほどに、私とここちゃんは船内に戻ってひとまずカフェへと入る。
まだ朝ごはんを食べたばかりだけど、甘いものは別腹だ。それに朝っぱらから歌ったり遊んだりする元気はない―――そんな子は私たちの他にも多くいるようで、店内は女子によって大盛況といった様子。
「あ、いたいた! こっちだよ!」
そんな中、櫛田さんの声が聞こえた方向に私は目を向ける。あらかじめ席を取ってもらって正解だった。
人と人との合間を縫ってたどり着くと、私たちは腰を落ち着かせてすぐ席に備え付けのメニューを開く。
「席とってくれてありがと、2人とも」
「ううん気にしないで。いい時間を過ごせたかな?」
「それはもう、素敵なひとときだったよ」
私がそう答えると、ここちゃんは顔を赤らめる。
そういう返答を待ってたみたいに櫛田さんはにまっと笑った。
「あとで色々と聞かせてね」
「く、櫛田さん?! 何もしてないからね!?」
「えー、そうなの?」
「ちょっと話しただけだからっ」
ここちゃんはもう限界そうだ。
それを見てごめんごめんと謝る櫛田さん。
誰に対しても優しい彼女だけど、ここちゃんに対しては少し意地悪というか、小悪魔めいたことを言う。
というのも、私に向けられた好意は私じゃなくても感じ取れてしまうほどにあからさまなもので、その進展が気になって仕方ないのが正直なところらしい。
それは同席してるみーちゃんも同様で身を乗り出してエピソードを聞こうとするけど、反応に困った私は話を曖昧に流しつつデザート一覧に目を下ろした。
船内にて用意できる材料は限りがあるはずだけど、ここのメニューは外のお店を凌ぐほど豊富らしい。
「ここちゃんはどれにする?」
私は助け船を出す意図もあって話をふる。
ここちゃんはこれ幸いとしばらく悩むと、1つのケーキを指差した。生クリームが添えられた、アールグレイのシフォンケーキ。確かに美味しそうだ。
「櫛田さんとみーちゃんは? もう決めてる?」
「えっと、ケーキはいいかなって……。最近あんまり動いてないから食べる量見直さないといけなくて」
そう言うのはみーちゃん。
運動が苦手なのと、基本的にはインドアな子なので確かに積極的には動いてないけど、華奢な印象は今も変わらないし食べてもいいんじゃないかと私は思う。
とは言えこういう時、あんまり無理に勧めるものでもないので私は頷き、手を挙げて店員さんを呼んだ。
私が選んだのは苺のショートケーキ。
付け合わせにブラックコーヒーを注文する。
続いてここちゃん、櫛田さん、みーちゃんという順でそれぞれ注文すると店員さんは一礼し去っていく。
「あとでここちゃんのも少し食べていい? 私のもあげるからさ」
その提案に、ここちゃんは快く頷いてくれる。
今日からの予定だけど、お昼前には無人島に着き、最初の1週間はそこのペンションで過ごすとのこと。
それまではまったりした時間を過ごせそうだ。
*
夏休みに入り、始まった豪華なクルージング。
その想像を超える豪勢っぷりにオレはかえって違和感を覚えながら、透き通った赤紫色の液体が入ったグラスを傾ける。最初に感じたのは柘榴の甘み。だが生姜の後味がさっぱりとしていて悪くない味だ。
ここは船内のダーツ備え付けのバー。
バーと聞くと未成年お断りなイメージがあるが、実際にはそうとも限らないようで、オレが今飲んでいるのはノンアルコールのカクテル。それはモクテルと総称されており、近年はむしろ、酒が苦手な大人や未成年にターゲティングした店が増えているらしい。
とは言え、1人ならオレはここに来ていない。
オレは、オレをこの場に誘ってくれた隣の男に目を遣った。
「どうかしたかい?」
「いや、なぜ平田がオレを呼び出したのか分からなくてな。これから何を話そうかと考えていたところだ」
その言葉に、平田は目を丸くする。
「用がなかったら誘ってはだめかな?」
「……いいや、そんなことは無いが」
平田とは友達、とオレは思っているが、須藤や池・山内ほど普段から行動を共にしているわけではない。
こいつはクラスの、特に女子に人気だからな。
女子が平田に話しかけているところに割って入るほどの勇気はオレにはない。また最近、平田は軽井沢という女子と付き合い始めたとの噂を耳にした。尚更、ここで油を売っている場合ではない気がするが。
「ごめん、意地悪な言い方だったね。強いて理由を言うなら……嬉野さんに仲良くしてやって欲しいっていうお願いをされたからだけど、嫌だったかな?」
「嬉野が? いいや、むしろ嬉しい限りだ」
「それは良かった。あ、誤解のないように言っておくと、嬉野さんからお願いされなくても、僕はどこかで君と話しておきたいと思っていたんだ。普段学校で過ごしている中で話せる機会は限られてるから」
聞いてるオレが気恥ずかしくなってしまうことを、臆面もなく、むしろ爽やかに言ってのける平田。
こいつが人気なのも頷ける。
もしこの密会がばれたとして、それを妬ましく思った女子から刺されるんじゃないかと怖いほどだが……
「っしゃー! 俺の勝ちだ!」
背後から聞こえてくる勝利の咆哮。どうやら山内が池と須藤を抑え、ダーツで1位を勝ち取ったようだ。
お洒落なバーの雰囲気が崩れてしまうため三馬鹿もいることは頭から消し去っていたが、こいつらのおかげでオレの身の安全は保証されているのは安心だ。
ちなみに早朝のこの時間、このバーを利用しているのはオレたちのみなので、迷惑は恐らくかけていない。
オレの目の前でグラスを磨いているマスターも、時折り店の外を気にしながら三馬鹿のはしゃぎ具合を微笑ましげに見ているので、しばらくは大丈夫だろう。
「……だが、こういう時、何を話せばいいんだ?」
オレは思ったことをそのまま口にする。
普段三馬鹿と行動を共にする時も、オレから話題を振った試しはない。友達のはずだが空気みたいなものだ。たまに話を振られて反応を返す程度で、それで十分楽しめていたオレにとってこれは難題だ。
「難しいことを言うね。基本的にはこう、これを話そうとは意識せずに喋っているんだけど」
「……なるほど」
平田からしたら、コミュニケーションは呼吸のようなもの。その方法を説明するのは難しいらしい。
このままではいけない―――。そう思ったオレは、約10秒もの間、考えに考え抜いた渾身の話題を振る。
「平田に意見を求めたいんだが」
「意見? うまく返せるかは分からないけど、なんでも相談してよ」
頼りになる男の言葉にオレは頷く。
「……このクルージング、おかしいと思わないか?」
それは最初は、小さな違和感だった。
だがこうして船内で過ごすにつれて、それはますます大きくなっている。
2週間もの長期間に及ぶ、豪華客船による旅行。それに加えて、無料で用意されている娯楽施設の数々。
いくらオレたちを労うために用意されたものであり、いくら政府主導の学校であっても、オレたち学生に振る舞うにしてはあまりに不釣り合いに感じる。
これと全く同じ感覚を、オレたち1年生は入学してから1ヶ月の間に、嫌というほど味わってきたはずだ。
そしてその結末は―――。
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