強まる雨を蹴散らしながら、俺は拳を振るう。
戦うには少し手狭な空間。徐々にぬかるみ始めた土壌。武道に通じているほどやりにくいフィールドだが、我流でのし上がってきた俺にとっては、この程度の環境下で普段の勢いが削がれることはねえ。
いつも通りフェイントを織り交ぜた足技に、利き手によるジャブ。終いにはタックルや膝蹴り、頭突きなど、手段を選ぶことなく全てを相手にぶつける。
―――いや、全力を出させられている。
その事実に俺は久しく感じていなかった高揚を覚える。
「チッ、これも捌くかよ」
単純なパワーでは俺が明らかに上回っている。
だがその膂力の差をものともせず、目の前の女―――嬉野ひまりに、俺の攻撃の全ては防がれていた。
俺は今一度距離を取り、再度、攻撃の構えをする。
「……ふう、諦め悪いなあ龍園くん」
「クク、それが俺の戦い方だからな。一度で無理なら二度、それでも無理なら三度でもやり続けるぜ」
その成果は着実に実りつつある。
嬉野は肩で息をつき、顔に疲労を滲ませていた。
一方で俺自身はまだ十二分に体力が残っている。
これは超えられない性差の壁。圧倒的な体力の差に加え、伊吹とやり合ったこと、また終始、こいつは受けしかしていないことが大きな原因だろう。
もしこいつに暴力を振るうことの躊躇がなければ、ここまで泥試合になることはなかったはずだ―――
そう考え、全体重を乗せた拳がついに、嬉野の肩口を掠める。ダメージは少ねえ。だが体勢を崩したところに俺はすかさず鞭のように裏拳を振るう。
「ッく……!」
くぐもった声を嬉野は漏らす。
間に腕を滑り込ませ打撃を防いだか。だが衝撃までは殺しきれず、自ら転がるように俺との距離をとる。
その表情から手に取るように分かる。
俺の諦めの悪さを見誤っていたこと。焦燥。苦痛。
「ちょっとはマシな面になったじゃねえか。そろそろてめぇから仕掛けたっていいんだぜ?」
「……悪いけど、それはしないって決めてるから」
「ハッ―――そうかよ」
そろそろ終わりにしねえとな。
この戦いは手段であって目的じゃねえ。
俺は泥を跳ね上げながら、一気に嬉野との距離を詰める。逃げるように後退する相手の体。だが明らかに、その動きには最初ほどの俊敏さがない。
嬉野の腕を掴むように、伸ばした手がジャージにかかる。
こうなれば俺の独壇場だ。
腕力にものを言わせて相手の体を引き寄せ、一片の躊躇のない膝蹴りを、無防備な鳩尾にお見舞いする。
苦悶を顔に滲ませ、膝をつく嬉野。
まだ闘志は消えちゃいねえが、こうなっちまえばこいつの負けだ。ダメージを負い、体力も尽きかけ、すでにこの盤面を覆す術は残されちゃいねえ。
「おい、伊吹。こいつのジャージの中を探れ」
「……なんか胸糞悪くなってきたな」
「クク、よく言うぜ。てめえも全力で殴りかかってたじゃねえか。それとも私は女だから良いってか?」
「ッ、はいはい分かったわよ……」
女扱いされたのが癪に触ったか。
伊吹は顔を顰めながらも、嬉野に近づく。
だが肝心の嬉野は蹲りながらもその手を拒んだ。
「てめぇも大概、諦め悪い女だな」
「あ、はは……そうだね。龍園くんに負けるわけにはいかないし、やっぱり最後まで足掻かないと、ね」
「あんた正気? 頑張っても、更に体を痛め付けられるだけよ。決着ならもう着いたでしょ。さっさとキーカードを渡してくれたら傷付かないし、私だってこれ以上胸糞悪い光景を見ないで済むんだけど」
「随分と嬉野に入れ込むじゃねえか伊吹」
「……別に、入れ込んでなんかない。けどこいつは、最初から最後まで、あんたにさえ拳を振るわなかった。それが不平等でちょっと気に食わないだけ」
確かに、結局、一度たりとも嬉野から攻撃してくることはなかった。だが不平等だの言えば、性差や体格差、それに伴っての体力差などキリがねえ。
「……ごめんね、伊吹さん。でも私は最後まで抗うよ。もうちょっとで勝ち筋が見えてきそうなんだ」
「あ? 勝ち筋だと?」
考えてみたが、そんなものは1つとしてねえ。
伊吹も嬉野の妄言に眉を顰める。
だがそんなことは気にしないとでも言うように、嬉野は立ち上がり、俺の手の届く範囲まで歩み出る。
「……なんのつもりだ?」
嬉野はもう、構えさえしていない。
俺がもし力を振るえばそこから逃れる術などあるはずもなく、容易にその意識を刈り取れることだろう。
「やっぱり、疑問なんだ。龍園くんがこんな大掛かりな舞台を用意した理由が、私には分からない」
「は? だからそれはキーカードのために……」
「うん。でも、龍園くんは私がリーダーだっていう確信があるんだよね? じゃなきゃ首根っこ捕まえて、私から無理にキーカードを奪う発想にならない」
その疑問は全うなもの。
これがもし、俺がリーダー当てをするためだけであれば、わざわざこうする必要もなかっただろう。
それほどの確信が俺にはある。
だが葛城は実物を見せてやらねえと信じない。そのためにわざわざ、キーカードを奪取する必要があった。
「まあこれに対する答えは、私の中で出てるんだけどね。葛城くんと組んだことの影響なんでしょ?」
「……つい今、分からないって言わなかったか?」
「あはは、その様子だと当たりっぽいね。分からないって言ったのは嘘じゃないよ。うん、ついさっきからかな、やっぱりおかしいなって思ったんだ」
「何がおかしい?」
考える前に、俺は反射で聞き返す。
その直後―――嬉野は妖しく微笑んだ。黄金色の瞳が、辺りが暗闇だからこそ、より異質に輝きを放つ。
「私がリーダーだと確信したのはどうして?」
「……候補は4人。てめえと須藤、山内、池のな。だがDクラスはどこよりも早く洞窟を占領した。あれだけの早さ、身体能力が高くねえと不可能だ。この時点で山内と池の奴は候補から完全に除外される」
「それで?」
「あとの2択は―――ま、勘ってやつだ」
「……そうだね。そう言うと思ってた。私もそうだろうなと思って、さっきまで気にも留めてなかったよ」
それはつまり、今は違うということ。
俺は冷や汗が背中を伝ったような錯覚に陥る。
確かに俺は勘だけで決めつけたわけじゃねえ。
実際には、嬉野の作戦、それを読み取った俺が嬉野の性格なら誰をリーダーにするか考えていった結果だ。
「もう1つ、違和感があってね。私が拠点をたくさん確保するために動いてたのは龍園くんも知っての通り。それを受けて、龍園くんはどう思った?」
「なに?」
これ以上は危険だ―――。
頭の片隅で警鐘が鳴り響く。
だがその本能に反して、俺は嬉野に聞き返した。
「馬鹿だと思った? それとも、気付いた?」
「…………」
「あは、答えられない? うん、そうだよね。龍園くんはルールの穴を突く人だ。私の作戦が低リスクハイリターンなことに、気付かないわけがない」
「ちょっと、どういうこと? 私にも分かるように説明しなさいよ」
「簡単な話だよ。ルール上、正当な理由がないとリーダーの変更は認められない。それは裏を返せば正当な理由さえあればいい。例えば―――そう、リーダーがリタイアすれば、権限は他の子に委譲される」
その発言に、伊吹は目を見張る。
「ちょ、ちょっと待ってよ。それってつまり、今ここであんたのキーカードを見ても、この後あんたがリタイアしたらリーダーはまた分からなく……」
「その通りだよ伊吹さん。リタイアによるペナルティはマイナス30pt。逆に言えば、30pt以上の拠点ボーナスを稼げば、余裕で元がとれるんだよね」
これが作戦の根幹だと嬉野は言う。
と同時に、伊吹は俺に不安げな顔を向けた。
「あんた、このことは?」
「安心してよ伊吹さん。龍園くんは途中でちゃんとこの抜け穴に気がついてる。そうだよね? 龍園くん」
それは確信めいた質問。いや、もはや確認だった。
負けを悟った俺は思わず天を仰ぐ。
「は、はあ? 分かっててなんでこんな……。全然意味分からないんだけど! あんた説明しなさいよ」
「知らねえな。言われて初めて気付いたぜ」
「大丈夫、これも簡単な話だよ伊吹さん。龍園くんは最初はリーダー当てを狙ってた。だけど私の動向を見てルールの穴に気付いた。じゃあリーダー当てなんて実質不可能じゃんって結論になるでしょ?」
「……それは、そうでしょ。無意味よ無意味」
「そう。だから龍園くんは考え方を変えたんだよ。リーダー当てが無理なら、リーダーを外させればいい」
その後も嬉野は端的に説明していく。
そのために用意された舞台がこの場所だと。
俺はルールの抜け穴に気付いていながら、キーカードを奪う。一見すると、荒唐無稽に思えるその作戦。
だがそこに本当の意図が詰まっている。
「私から見たら、龍園くんはキーカードを奪うのに躍起になっている。……つまり?」
「あ―――。そういう、こと?」
「気付いたみたいだね。これは龍園くんが仕組んだ巧妙なミスリード。龍園くんはルールの抜け穴に気付いていないのだと、私に思い込ませるためのね」
その推理は全てが正解だった。
俺の舌打ちを、嬉野は笑って受け流す。
「昨夜の尾行で、私は金田くんがリーダーだと分かった。でも私はこの抜け穴を知ってるから当てないつもりだったんだ。ただ龍園くんがこの抜け穴に気付いてないのなら、話は全然変わってくるよね」
「……やっと話が繋がりました。龍園氏のミスリードに騙されたままなら、嬉野氏は僕をCクラスのリーダーとして当てようとした。ですが実際には、龍園氏は僕をリタイアさせ、嬉野氏のリーダー当ては失敗する。これが龍園氏の筋書きだったのですね」
それもたった今、ご破算になったがな。
リーダーを当ててマイナス50ptのペナルティを与えるのではなく、リーダーを外させて、マイナス50ptのペナルティを与える。それが俺の策略。
ここまで大掛かりな舞台はブラフに過ぎねえ。
「チッ、興醒めだぜ。こうも完璧に見抜くかよ」
「私も途中まで騙されてたから危なかったよ。龍園くんの罠に嵌ってまんまと金田くんを指名するところだったけど、ギリギリまで考えてて良かった」
「……なんなの、龍園も、あんたも―――」
呆れた表情で、伊吹は顔を見てくる。
本当に最悪な気分だぜ。途中まで順調に進んでいたはずが、最後の最後でちゃぶ台ひっくり返しやがって。
俺は嬉野に背を向け、一歩を踏み締める。
「俺はリタイアするぜ。企みを暴かれた以上、この島で俺ができることはないからな」
「は、はあ?! 私らはどうすんのよ!」
「勝手にしろ。じゃあな」
そう言い残し、歩き出す―――その直後。
「待ってよ」
嬉野が俺を呼び止め、隣に並んできやがる。
「まだ何かあんのか」
「とーぜん。やること、まだ残ってるでしょ。こんなところで諦めるだなんて龍園くんらしくない」
「あ? 拳で決着つけろってか?」
「あはは、それは勘弁。もーさっきからずっと、龍園くんにやられた場所が痛くて痛くて。泣きたいぐらい」
肩を落とし、自らの鳩尾をさすってみせる嬉野。
だが途端にまた目の色を変えて俺を見る。
「なんて話は置いといて、真面目な話、まだやることは残されてるよ。だって葛城くんって今のところルールの抜け穴に気付いてないでしょ? だったら今から私と組んで、葛城くんを嵌めに行かない?」
悪魔のような提案と同時、嬉野は笑いながら自らの名が刻まれたDクラスのキーカードを取り出し、俺の目の前にチラつかせる。その意図を理解した瞬間、俺もまた笑みを抑え切れずにその手を取った。
一応からくりについて分かりやすく書くことを心がけましたが、説明が上手くいっていないと感じた部分がございましたらぜひ教えていただきたいです。できる限り改善します。
感想も引き続きお待ちしております。