それから1時間弱かけて高円寺くん事件の収拾を終えた私は、そのまま食堂で夜ご飯をとることになった。
堀北さんたちとは解散してここちゃんたちと合流。
頑張った自分へのご褒美として豚カツを注文した私は、それを口いっぱいに頬張って恍惚と息を吐いた。
「ん〜〜っ、美味しい……っ」
そのままお味噌汁に口をつけると、豚の脂が中和されて、白味噌の甘い味わいが疲れた全身に染み渡る。
無人島試験と比べたら大したことは今のところしてないとは言え、高円寺くんのせいで苦労することになったのに変わりはない。思わず気を緩めて愚痴をこぼしていると、ここちゃんがふわりと笑った。
「はい、良かったらこれも食べて」
器用に箸を操り、私のお皿に一切れの豚カツが置かれる。慌てて戻そうとする私をここちゃんが制した。
「ひまちゃん頑張ってるから。それに本当に美味しそうに食べるから、もうちょっと見てたいな」
「そ、そう? ありがとう……」
これ以上断るのも悪くて私は大人しく受け取る。
私の隣では、胸焼けした表情で東さんが天井を見上げていた。その正面のみーちゃんも苦笑いをしている。
「東さん脂キツいの?」
「……いや、別にそういうわけじゃないんだけどさ。その、嬉野さん……ううん、ごめんなんでもない」
「……? そう?」
「あはは、私もお腹いっぱいになってきたな」
生温かい目を浮かべる櫛田さん。
私もどういう話の流れなのか気付いてないわけじゃないけど、当のここちゃんは割と無意識だ。さっきの言葉の意図を追及して恥ずかしい思いをさせるわけにもいかず、私は好意に無頓着なフリを続ける。
そんな私の思惑を知ってか知らずか、食事を進める私を、ここちゃんはにこにこと見つめてきていた。
その最中、食堂の列から聞き慣れた声が届く。
「ごめんお待たせー」
何人かの女子生徒を抜かして、先に並んでいた佐藤さんや松下さんの後ろに着く軽井沢さん。その肩を、むっとした表情で抜かされた女子生徒が掴む。
「ちょっと、抜かさないでよ」
「はあ? こんなことで怒んないでよ」
「何それ、順番抜かしちゃだめですよって小学校で習わなかったの?」
「全っ然、意味わかんないんだけど。友達に列並んでもらうくらい誰でもやってるくない? ねえ佐藤さん」
「そ、そうだね。そんな怒ることでも……」
軽井沢さんのキラーパスに佐藤さんが間に入るも、相手の女の子はイライラした表情のまま彼女に詰める。
「……怒ってる子、誰さん?」
私は声を潜めて櫛田さんに問いかける。
「えっと、確かCクラスの真鍋さんだったかな。仲裁に行くの?」
「うん。ちょっと様子を見てくるよ」
「わ、私も行こっか?」
「ううん、ここちゃんたちは座ってて。1人で十分」
立ち上がると、私は彼女たちの前に歩み寄る。
それに一番最初に気付いたのは松下さんだ。
「あ、嬉野さんだ。やっほー」
「こんばんは松下さん。それに軽井沢さんと佐藤さんも。騒いでたから見にきたんだけど、大丈夫そう?」
「聞いてよ嬉野さん。あたしは列に並んでもらってたのに合流しただけなのにさ、この女が順番抜かすなっていちいちうるさいんだけど。どうにかしてよ」
人を小馬鹿にする態度に、更に苛立つ真鍋さん。
私は困り眉のままその顔を見る。
ただ正論を言うなら、軽井沢さんが悪いだろう。友達と合流したとはいっても順番を抜かしたことには変わりない。だけどそのくらいのことは軽井沢さんに限らず日常茶飯事だと思うし、それに目くじらを立てる真鍋さんの態度に、私は少し違和感を覚える。
単に我が強いタイプか、または過去に、私の知らないところで一悶着あったのか。あるいはその両方か。
そのことにも配慮して話す必要がありそうだ。
「ごめんね間から。真鍋さん、でよかったかな?」
私は列を崩さないよう彼女たちに促しながら、最大限に双方の顔を立てつつ、事態を穏便な収束に導く。
これ自体は特に難しいことじゃない。
ただ最後まで真鍋さんが軽井沢さんに向ける敵意は薄れず、私の頭痛の種が今まさに増えようとしていた。
だけど過去に何があったのか今聞ける話でもない。
そのため話を終えると、それ以上は特に追及することなく、私はここちゃんたちが待つ席へとすぐ戻った。
*
そんな中食事を終え、食堂を出たのが20時過ぎ。
別室の東さんや森さんとも途中まで一緒に廊下を進み、別れたあと、私は思い出したように声をあげた。
「……あ。飲み物、買い忘れちゃったね。みんなの分も買ってくるから先に部屋戻っててもらえる?」
「そんな、私が買ってくるよっ」
「良い子は部屋に戻る時間だよ。なんて冗談は置いといて、ついでに櫛田さんと試験のことで話したいことがあるんだ。ほら、私たち同じグループだし」
そうだよね?と櫛田さんに視線を送る。
すかさず櫛田さんは頷き、ここちゃんに微笑む。
「そういうことみたいだから、先に部屋で休んでていいんだよ。それより2人は飲みたいものあるかな?」
「えっと、それなら、お茶お願いしてもいい?」
「……私も、みーちゃんと同じのがいいな」
「りょーかい。そしたら行ってくるね」
あからさまにしょぼんとテンションを落としたここちゃんを置いて、私と櫛田さんは手を振って道を戻る。
「ごめんね、こんなことに付き合わせちゃって」
「ううん、気にしないでっ。自販機までそんなに遠くないし、それより私に話したいことっていうのは……」
「櫛田さんなら察しがついてるかもだけど、ここちゃんのことだよ。試験のことで話したいっていうのはここちゃんを納得させるための建前でさ、騙すような形で悪いんだけど、相談したいことがあるの」
私はぎゅっと手に力を入れて櫛田さんを見た。
帰ってくるのは頼もしいぐらい真剣な栗色の瞳。
「―――実は私、気になってる人がいる、かもで」
「ええっ?!」
唐突な告白に、櫛田さんは驚いて目を見張る。
私は慌てたように言葉を付け足した。
「あ、あくまで、かもだよ? 私でも分かってないっていうか整理がついてないっていうか……別に、実際には、ただの勘違いかもしれないし……」
「そ、そうなんだ。でもいつそう思ったの?」
「ふとした拍子に、……かな。意識的に止めてるつもりなんだけど、気付いたら目で追ってることが……」
「うん、それかなり好き寄りだと思うよ?」
ツッコミ気味に櫛田さんはそう言った。
私は図星をつかれてむぐっと唸る。
「ちなみに、言えたらでいいんだけど相手は誰なの?」
「…………綾小路くん」
「綾小路くん? 確かにかっこいいと思うけど……」
櫛田さんの頭上に疑問符が浮かんだ。
彼女だけじゃない。私以外の子にとって、綾小路くんは、たまに発言する程度のクラスメイトでしかない。動機が見えないのも当然かもしれなかった。
「り、理由はなんでも良くって。とにかく好きかもしれないの! ただ―――その、ここちゃんから寄せられてる好意も、ちゃんと受け止めないとで。それに須藤くんからも好意を寄せられてるからさ」
「……なるほど。どうしたらいいか分からない?」
その指摘に私は深く頷きを返す。
以前の私だったら道はひとつだった。
私が幸せになっていい道理は無いし、そのためにここちゃんを傷付けていいはずも当然ない。そもそも仕事があって、恋愛にうつつを抜かしてる場合じゃあないから、告白をどう断るかで悩んだはずだ。
だけど私は少なくともお父さんには赦された。
自分が幸せな道を掴み取ることに納得し切れてはいないものの、自分の気持ちを顧みる猶予が生まれた。
とは言え立場上、私は綾小路くんの先生なんだという変なプライドもやっぱりあって、そういう事情ががんじがらめになって私の心に食い込んでいる。
その事実をある程度は受け止めて櫛田さんに相談する冷静さはあるものの、私の中で答えは出ていない。
「うーん、そうだなあ……。難しい問題だよね」
歩きながら、考え込む様子を櫛田さんは見せる。その横顔にはどこか嬉しそうな表情が隠せていなかった。
それを横目に、私は内心、安堵する。
これはただの衝動的な恋愛相談じゃない。
櫛田さんが溜め込んでいる可能性のある鬱憤、それを晴らすための自己開示も大きく兼ね備えた行動だ。
基本的に櫛田さんのような子はクラスの中心に位置していて、友達から相談を持ちかけられることが多い。
実際に私が頭角を現すまではそうだった。
だけど私の働きがDクラスのみんなに認められ始めてからというもの、私はその役目を奪いかけている。
相談というのは持ちかけられる側には負担でもありながら、その人のアイデンティティにも繋がるもの。
私は必要とされてる、頼られているという感覚。
相談を請け負うことで発生する負担の量や、相談を持ちかけてくる相手との関係性によっては変わってくるものの、相談を受けることで心が充足されていく感覚を味わったことがある人は多いはずだ。
そうした機会の減少はストレスに繋がりかねない。
これまで頼られることが多かった人なら尚更のこと。
そのストレスをある程度緩和すべく、無人島試験の時然り、意識的に相談を持ちかける必要が私にはある。
とは言え当然全ての開示はできないし、だからこの相談によって私の悩みが解決することに期待はしてない。櫛田さんのケアをできればそれで十分だ。
「……そうだね。どうするのが正しいっていうのは無責任に言えないけど、私ならまずは、この選択をしたらどうなるか―――っていうのを考えるかも」
言いながら、向けられる視線は真剣そのもの。
少なくとも、私がただ衝動的に相談を持ちかけているわけじゃないことに気付いている様子はなかった。
ひまりは櫛田が何らかの事情を抱えていることには気が付いています。
具体的な事情までは未だ知りません。
※暴行事件編17話参照