プールに遊びに行く土曜日の前日、その夜。
私の携帯には須藤くんからの着信があった。
仕事が終わった直後なのもあってリラックスするのに紅茶を淹れながら、耳と肩とで上手く携帯を掴む。
「こんばんは、須藤くん」
『……よぅ。悪りいなこんな時間によ』
須藤くんの口調は静かなものだった。
「全然大丈夫だよ、でもどうしたの?」
続く言葉はなかなか聞こえてこない。
私は深読みをすることなく、やかんをコンロ上に戻して紅茶のパックをちゃぷちゃぷと出し入れする。
そうしている間に須藤くんの気持ちが固まったのか、大きく深呼吸したのが画面越しに伝わってくる。
『―――直前で悪いんだけどよ、ひまり。櫛田と一緒に明日のプールはドタキャンしてくれねぇか?』
それは清隆くんからもすでに言われていたこと。
だけど知らない風を装い、私は話を促す。
その後に聞こえてきたのはやっぱり、池くんと山内くんが盗撮を企てているから、というものだった。
「そのことなら大丈夫だよ。止める方法があるし」
『ほ、ほんとか?』
「うん、私のこと信じられない?」
うぐっと呻くような声が私の耳に届く。
私は紅茶をこくりと飲み、小さく笑った。
「だから大丈夫。明日、楽しみにしてるね?」
『……おう! じゃ、じゃあ、また明日……な?』
「うん、また明日。おやすみなさい須藤くん」
それを最後に、通話が途切れる。
どこかで須藤くんから連絡が来るとは思っていた。
それが直前になったのは、きっと伝え方をどうしようかと悩み続けていたから。なにせ内容が内容だ。さっきも歯切れが悪い様子だったし、苦悩していたのが想像に難くなくて、私は心が温かくなる。
入学当初からその片鱗は感じ続けていたけど、不器用ながらも感じられる優しさは、彼の美徳だった。
*
翌朝の天気は快晴、プール日和だった。
といってもこれから向かう施設は授業で使ったプールとは当然別で、屋内に設備されている。だから天候はあまり関係ないんだけど、外が暑いほうが、なんとなくその落差で気持ちよくなれる気がする。
もちろん、だからといって暑い場所に居たいわけでもないから、私たちは寮のロビーで待ち合わせた。
私がエレベーターを使って下に降りると聞き慣れた声がころころ笑っていて、そっと曲がり角から様子を伺うと、櫛田さんと清隆くんが先にいる。
そこに割って入るように、私は足を早めた。
「おはよっ、櫛田さん。それに綾小路くんも」
それで気付いた2人が体の向きを変える。
綾小路くんはいつも通りシンプルな服装。
一方で櫛田さんは、少しフリル感のある可愛げなミニスカートに、上も肩出しと露出の多いスタイル。
「おはよう、嬉野さん。まだ池くんたちは来てないけど、もう綾小路くんのこと上の名前呼びなんだね」
「あはは……最初からそう呼んでないと口が滑っちゃいそうで。変な誤解されても綾小路くんに悪いし」
なので心の中の声も綾小路くんで統一だ。
ややこしいけど、仕方ない。
「それよりさっきまで何の話をしてたの?」
私が話を切り返すと、櫛田さんはにやっと笑う。
「やっぱり、気になっちゃう?」
「……別に?」
「あはは、気になるって顔に書いてあるよ」
その指摘に慌てて手鏡を取り出す―――なんてベタな展開はないものの、図星をつかれて私は固まった。
一方の綾小路くんは肩を竦め、小さく息を吐く。
「からかいすぎだ、櫛田」
「ごめんごめん。でも嬉野さん可愛いから、ついいじりたくなっちゃって。気を悪くさせたら謝るけど」
私は首を横に振った。
憎らしいことに、櫛田さんのいじりは不思議と嫌な気持ちにならない。櫛田さんもきっとそれを分かっていて敢えて踏み込んでいる。絶妙な距離感だ。
不利を悟った私は今の会話をなかったことに。
「それで、何の話をしてたの?」
「嬉野さんが今日はどんな私服で来るかなって話をしてたんだよ。ね? 綾小路くん」
「まあ、そうだな」
「ちなみに綾小路くんの好みは露出控えめだって」
「強いて言えば、な。その人に合っていたらいい」
その言葉に、私は自らの格好を見返す。
ボトムスは下のほうがふわっと広がったスリムジーンズで、トップスはフリルの層が重なった袖無しの白いブラウス。暑苦しくなく、露出も控えめ……。
私はぶわっと顔を熱くしながら少し背ける。
そこに追撃するように櫛田さんは言葉を続けた。
「ちなみにどう? 嬉野さんの私服は」
「? ああ、似合っていると思うぞ」
それはたぶん嘘偽りのない感想で。
私は全神経を集中させて崩れそうになる表情をなんとか保ち、いつも通りの笑みを返すことに成功する。
「ありがとう。綾小路くんも似合ってるよ」
幸いにもちょうどその時、現れた須藤くん。
彼は爽やかな笑みを浮かべて私に手を挙げた。
「よっ、ひまり。待たせて悪りいな」
「全然待ってないよ私たちもさっき集まったとこ」
「寛治と春樹はまだ来てねぇんだな」
須藤くんは後ろを振り返ってそう呟く。
私は腕時計を見た。集合時間まであと5分。
「なにか手間取っているみたいだね」
「……だな。今日が終わったら叱ってやるぜ」
「ふふ、頼もしいね。でも2人の企み自体は絶対に成功させないし、一旦は気にせず遊べたら嬉しいな」
「おうよっ! 任せとけっ!」
Tシャツの袖をまくると、彼は鍛えられた力こぶを披露してにかっと笑う。テンションが上がっているのは明らかで、少し可愛らしいなと私は思う。
それから立ち話をすること10分ほど。
やっとのことで集合場所にやって来た池くんと山内くんは、何やら鞄の他に不透明なビニールを持ってやって来た。当然、私はそこに視線を落とす。
「なんか荷物多くない?」
「……あ、や、遊び道具は必要だろ?」
その言い訳に、顔を見合わせる私と櫛田さん。
あからさまな態度に櫛田さんは質問を続ける。
「何を持ってきたの?」
「へへ、それは着いてからのお楽しみだぜ」
その言葉には嘘が無いのが、すごく嫌だった。
*
施設に着くと、まだ時間が早いせいか人はほとんどいなかった。それが池くんと山内くんには都合良いのか、そそくさと更衣室の中に駆けていく。
その後ろ姿に、嫌そうに須藤くんは息を吐いた。
「あれでも一応ダチだしよ。腕力にものを言わせて止めて、怪我させるわけにはいかねぇよな」
「随分と大人しくなったんだな」
「そりゃあ、な。いつまでも迷惑かけてばっかじゃ居られねーだろ。てか綾小路、お前は止めろよな」
「無茶を言うな。オレの発言力は一番低い」
「なんでそれを誇るように言うんだよ……」
困ったようにガシガシと頭を掻く須藤くん。
無人島試験を境に、どちらかというと幸村くんたちと行動を共にするようになった綾小路くんだけど、須藤くんは普通に軽口を言い合える仲らしい。
「じゃあ私たちも着替えてくるね」
微笑ましさを感じながら、更衣室の中に入る。
中は一般的な教室より少し手狭で、壁に沿って私たちを囲うようにロッカーが敷き詰められている。
そんな中で、肝心の盗撮方法だけど……
「真ん中のここから覗くつもりなんだよね……?」
「そうみたい。なんでか知らないけど男子更衣室の通風口と女子更衣室の通風口が繋がってて、そこにカメラをつけたラジコンを送るんだってさ」
「なんか、すごい手の込みようだね……」
「ほんとに、情熱のかけ方が間違ってるよ」
私は大きくため息を吐いて、ロッカーを開ける。
「たぶんそろそろあのラジコンが通風口の真下にくる。その後カメラのアングルを調整するらしいから、それまでは着替えずに適当に時間潰さないと」
「そっか、リアルタイムで見えてるんだもんね」
でも着替えという名目で更衣室に入ってる以上、そこまで長居はできない。アングルさえ決まればそこからは放置で、帰り際に回収をして、寮に戻ったら録画内容を確認する―――これが計画の全貌だ。
やがてラジコンの駆動音が微かに聞こえてくるも、かなり高性能なのか、注意してないと気が付かない。
綾小路くんだけじゃなく須藤くんまで、それを止めるため私に連絡をしてくれたのは本当に幸運だった。
じゃなきゃ防げなかったかもしれない……。
それから少しして、私の携帯に届くチャット。
それが綾小路くんからのサインだった。
「もうアングル調整し終えて着替え始めたみたい。あとは通風口を外して、SDカードを抜き取るだけ」
「このSDカードはどうするの?」
「悪いけど、とりあえず私が預かろっかな。遊んでる最中に変な空気にしたくは無いから一旦ね。帰り際にこれを見せてちゃんと問い詰めるつもりだよ」
彼らの犯行を止められたからといって、それでちゃんちゃんで終わらすには、やってることが汚すぎる。
「さすがに反省してもらいたいね」
「うん、懺悔して欲しい」
私の剣幕に、櫛田さんはくすっと笑った。
それから私たちは水着に着替え、男子たちと合流。
そこから先は―――悔しいことに、普通に楽しかった。
競泳用プールでは須藤くんが圧倒的な泳ぎを披露して、対抗心を燃やした池くん山内くんが揃って惨敗。
流れるプールでは櫛田さんと揃って浮き輪に乗り、それを後ろから押そうとした池くんを避けると、勢い余って転んで彼は波に呑まれていった。
綾小路くんはというと、はしゃぎも無く、かといって退屈そうでもなく誘えば何にでも付き合っていた。
そういった普通の学生らしい遊び。
少し前までは手の届かない場所にあったものが今や手中にあって、途中、泣きそうになったのは秘密だ。
たくさんの感想、高評価ありがとうございます。