プールに遊びに行った翌週、そのお昼前。
予定より少し早くケヤキモールに向かうと、待ち合わせの相手はとっくに集合場所で右往左往していた。
近くのベンチは空席のまま。
そこに座って待ってくれてても良かったのに落ち着きなく動いているあたり、緊張してるのかもしれない。
……そう分析している私のほうにも緊張はある。
普通に考えて、これはデートだからだ。
相手が同性であることは全く関係ない。
男の子だろうと、女の子だろうと、好意を寄せてくれている子と2人っきりで向き合うのは初めてのこと。
学校から一緒に帰るだけとはわけが違う。
だからこそ今日の服装は先週以上に迷ったし、今だって、どうやって声をかけようか悩んでいる私がいる。
でも遠巻きに立ち止まってるわけにもいかない。
私は勇気を出して、手を軽く振りながら駆け寄る。
「お待たせ! ここちゃん」
振り返ったここちゃんは、ぱっと顔を輝かせる。
いつもより気合いの入ったお化粧。少し大人びた服装。柑橘系の香水の香りが風に乗って鼻腔をくすぐる。
「おはようっ、ひまちゃん」
「うん、おはよう。待たせちゃったかな?」
「全然。さっき来たとこだよ」
言いながら、ここちゃんは髪の毛を人差し指に巻き付ける。
「今日はいつもと雰囲気が違うんだね」
「……変、かな?」
「ううん、似合ってる。また一段と可愛いよ」
その言葉に嘘偽りはない。
それが伝わったのか、ここちゃんは頬を朱く染めながら私の手を取って、もう片方の手で前方を指差す。
「今日は私がリードするからっ」
「ありがとう。楽しみだな」
「うんっ、最初は映画観に行くのでもいいかな? もうチケットは取ってるからそのまま入れるはずだよ」
慣れてる様子でここちゃんは私を先導する。
私はと言えば記憶の限り、映画を観たことはない。たぶん小さい頃にお父さんが連れてってくれたことはあるんだろうけど、逆に言えばそれっきり。
だからどうしたらいいか全然分からなくて、そんな私を、ここちゃんは迷いなくエスコートしてくれる。
「ちなみに、今日はどんな映画なの?」
「天気の子だよっ。最近話題になってるからさ」
天気の子、私でも耳にしたことはあった。
有名な映画監督の最新作だったはずだ。
通路の壁にずらっと並べられたキービジュアルを眺めていると、ちょうどその作品のものを私は見つける。
……よかった、ホラーじゃなさそうだ。
そのことに私はまず安心した。
そうとは知るはずもなく、ここちゃんは私の手をうきうきな様子で引っ張っていく。そのいつも通りの可愛らしさを見て、私は思わず表情を綻ばせた。
*
2時間近い映画を見終えて、シアターを出る。
周囲では同じ上映回を見ていた人たちが、思い思いに一緒に来た人たちと感想を交わしていた。
面白かった。映像がすごく綺麗だった。最後のあそこが良かった―――そんな声が聞こえてくるも、どこかエコーがかかったように私には感じられる。
私は無意識のうちにその流れに乗って歩きながら、何度も何度も、映画の内容を頭の中で反芻していた。
天気を晴れにする力を持った女の子。
その力には当然ながら代償がある。そして最後には―――自分さえ犠牲になれば世界は元通りになる。
『その身をホワイトルームのため捧げてもらえたら、私も無関係の学生を退学させずに済むのですが?』
「…………」
脳裏に蘇った声に、無意識に右手を握り締める。
フィクションと重ね合わせるなんて自惚れだ。
私は天気を晴れにできないし、私がどうなろうと東京に雨が降り続けるわけでもない。
ただ人よりホワイトルーム生に寄り添えるだけ。ただ、ホワイトルームの関係者というごく狭いコミュニティには、適任が私しかいなかっただけ。広い世界を見渡せばより優れた人なんてたくさんいる。
だけど…………
今この場では、自分一人がいなくなれば、それで丸く収まる。誰も私のせいで退学になることはない。
「―――ちゃん」
もし。
もし、私が大人しく従うだけで全部終わるなら。
みんなを守る意思を固めたはずでも、ほんのちょっとした隙間にそうした雑念が入り、意識を侵食する。
「ひまちゃん?」
「……え?」
すぐ隣から聞こえた声に、私はようやく顔を上げた。
ここちゃんが心配そうに私の顔を覗き込んでいる。
「どうしたの? さっきから何回か呼んでたんだけど……」
「あ……ごめん。映画のこと考えてた」
嘘ではない。
でも本当のことでもなかった。
「もしかして、面白くなかった?」
不安そうに聞かれて、私は慌てて首を横に振る。
「違うよ。むしろ逆。初めて映画館でちゃんと映画を見たけど、すごく面白かった」
「ほんと?」
「うん。ここちゃんが選んでくれて良かった」
ほっとしたように表情を緩めるここちゃん。
その顔を見ていて、さっきまで考えていたことが、少しだけでも馬鹿らしく思えてくれたら良かったのに。
「……ひまちゃん?」
「ううん、なんでもない。それよりお腹空かない? 私、映画に集中してたらちょっとお腹空いちゃった」
「あ、私も! 実はお店も調べてきたんだ。予約もしてるから、ひまちゃんが良かったらもう行こっか!」
「ほんと? じゃあそうしたいな」
再び私の手を取って歩き始めるここちゃん。
私はその手を、いつもより強く握り返した。
*
そこから、映画の話が出ることはなかった。
代わりに愛くるしい動物のショート動画を一緒に観たり、今日のこれからの予定について話したり。その過程でここちゃんが今回のデートにかけた熱が伝わって、それが恥ずかしくもあり嬉しくもあり。
だから時間が過ぎていくのはやっぱり早く、初めてのゲームセンターに行ったり、プリクラを撮ったり。有名なブランドでお揃いのアクセサリーを見繕っている間に、空はもうすっかり茜づき始めていた。
名残惜しそうにケヤキモールを振り返るここちゃん。
私も釣られて、その広大な敷地を見た。
今日1日だけじゃ行けなかった場所はたくさんある。だけど卒業までの時間はまだ潤沢に残っている。叶うなら今後も、同じように遊びに行って、色んなここちゃんを知りたい。そう、思わされた1日。
「……ひまちゃん」
ぽつり、とこぼすようにここちゃんが呟く。
「な〜に?」
返事はない。
私は足を動かして、ここちゃんの前に立った。
「どうしたの?」
「……ひまちゃん、今日は楽しかった?」
「楽しかったよ。ここちゃんは?」
「私も楽しかった。……でもね」
言葉が途切れる。その表情は暗く沈んでいた。
瞬間、生暖かい風が私にまとわりつくように吹き付ける。私は思わず目を細めた。その直後だった。
「おや、嬉野さんではありませんか」
「っ……?!」
忘れることなんてできるはずもない。
その声に振り向くと、月城先生が近付いていた。
突如現れた見知らぬ人にここちゃんは困惑を浮かべる。
「あのっ……どなたですか?」
「これは失礼いたしました。私は夏休み明けにこの学校の理事長代理として着任致します月城と申します」
薄っぺらい笑みを貼り付け、月城先生はそう言う。
その紹介に少し安心した表情を浮かべたここちゃんだけど、私はここちゃんを背に庇う形で睨みつける。
「どうして、ここに」
「どうして? ああ、驚かせてしまったようですね。今回は着任前に下見をと思って参りました。すると偶然にも特別試験でご活躍された嬉野さんをお見かけしましたので、ついお声がけしてしまったんです」
それは嘘だと私にはすぐに分かる。
そんな暇な人じゃないだろう。ここの敷地内のことなんて、政府の中核に携わるような人であればわざわざ足を運ばずとも分かること。敷地内の様子なんて無数にある監視カメラを見ればそれで済むこと。
監視カメラを介して私の居場所は分かっていて、偶然を装って会いにきたと考えた方がよほど合理的だ。
月城先生は私から視線を逸らし、背後のここちゃんを見ると少し口角を上げる。他の人が見れば微笑に見えるその表情は、私には挑発の類いに見えた。
「随分と仲の良いご様子ですね。我々大人にとっては大変微笑ましいことですが……この学校の生徒としての自覚を持ち、節度を保つことはお忘れなく」
「……言われなくともそのつもりです」
「おや、これは失敬。年寄りになると老婆心からついつい出てしまうものでして。どうかご放念ください」
そう言って、月城先生は私たちに背を向ける。
どうやら話はそれだけらしい。
その後ろ姿が見えなくなるまで再度睨みつけると、私はここちゃんの手をとって、寮に向かって歩き出す。
「わ、わっ! ……ひまちゃん?」
「そういえば、ここちゃん。さっきの続きは……」
月城先生のせいで会話が途切れたところだ。
促すと、ここちゃんは笑みを作って首を横に振る。
その表情は、どこか寂しげに感じられた。
「ううん、なんでもない。忘れてひまちゃん」
「でも……」
「なんでもないったらないの。でも1つだけ聞きたいな。さっきの人……ひまちゃんとどういう関係なの?」
その質問に、私は返事ができなかった。