第1話
高育の教師の朝は早い。生徒たちがまだ起き抜けの時間に出勤し、彼らは1日の業務に向けて動き始める。
授業の準備に始まり、提出された課題の確認、各クラスの状況把握。一般的な高校と異なるこの学校では教師たちに求められる仕事も多岐にわたる。
そんな彼らが最後に行うのは理事長による朝礼。
普段であればつつがなく進行するものだが、夏休み明け1日目の今日は、普段とは少し様子が異なっていた。
「皆さん、おはようございます」
職員室に穏やかな声が響く。
声の主は、教職員たちの前に立つ一人の男。
月城常成。
高度育成高等学校において、理事長代理という臨時の役職に就いた人物である。柔和な笑みを浮かべるその姿は、一見すると人当たりのよい紳士そのもの。
だが謹慎前の坂柳理事長が忠告を残したことにより、教職員の胸の内には一定程度の警戒が芽生えている。
月城はそれに気付きながらも触れずに話を続ける。
それは改めての理事長代理としての挨拶から始まり、校内設備に関する連絡事項や、今後の授業日程についての確認。生徒たちの近況についても簡単な報連相がなされ、議題は順調に消化されていく。
最後に残されたのは体育祭の話題。
この学校では例年、夏休み明けに1ヶ月ほどの練習期間を生徒に与えたのち、体育祭が開かれる慣習がある。
これは当然、普通の体育祭ではない。高育らしくクラスポイントの変動がある重要なイベントだ。それ故に当日の運営体制や役割分担、細かいルールの確認などが、朝のホームルーム前までも行われる。
とはいえ、教職員にとってこれは慣れたもの。
問題は最後に待ち構えていた。
「なるほど。準備は順調に進んでいるようですね。皆さんの尽力には、心から感謝しております」
労いの言葉に、何人かの教師が軽く頭を下げる。
「ですが―――」
そこで月城は、一度言葉を区切った。
ぐるりと職員室を見渡す。
「少々、ルールが緩いのではないかと私は思います。クラスポイントの変動も個人へのペナルティも限定的。これでは生徒たちが平和ボケしてしまいます」
その発言に凍りつく教師陣。
役人である月城ほど、彼らは生徒たちの退学を割り切ってなどいない。その温度差を感じてか、それに対して挙手をした教師の表情は芳しくなかった。
「……それは、退学者を出せ、ということですか?」
捻り出された反抗の意に、月城は目を細める。
その面持ちが穏やかなままなのが逆に恐ろしい。
「いえいえ、そこまでは申しませんとも。退学者は出ないに越したことはない。そこは私共も同じ考えです。ですがここまで平穏無事を保っている1年生の様子を見るに、冷や水をかけた方がいいでしょう」
「……具体的にどのようにするのでしょうか」
「体育祭に先立ち、1週間後に特別試験を設けるのはどうでしょうか? ああ、ご安心ください。必ず退学者が出るような厳しい試験ではありませんし、先生方に準備の手間はそれほど取らせませんから」
その返答を、教師たちは動揺をもって迎える。
そんな中で一際険しい表情の男がいた。その男は立ち上がるや否や発言の許可を乞う。その余裕ない態度を、月城はまた柔和な態度で受け入れた。
「どうされましたか? 1年Aクラスの真嶋先生」
「ひとつ、確認したいことがございます。今のお言葉……その試験の実施は、決定事項なのでしょうか?」
そうであって欲しくないと、真嶋は思う。
だがその一縷の希望はすぐに打ち砕かれる。
「そう受け取ってもらって構いません。すでに書類も用意していますから、今日の朝のホームルームでは、その通りに生徒たちに伝えてあげてください」
その言葉通り、月城は足元の鞄から4枚の紙取り出すと、1年生の担任を代表する真嶋に渡す。彼はその用紙に目を落とすなり、眉間に皺を寄せた。
「この学校は今、転機に立たされています。先生にとっては知る由もないことでしょうが、この学校に投じた資金に比して成果が少ないのですよ。であればこれまで通り学校を運営するわけにもいきません」
「しかし……」
「ご不満は後でいくらでも聞きましょう。ですがもう時間です。教師が遅刻なんて生徒に示しがつきません」
月城が壁にかけられた時計を指差す。
朝のホームルームが始まる8時半まであと僅か。
従来の高育の方向性には理解があるからこそ、遅刻が厳禁であることを示されれば抵抗の余地は無かった。
「最後に、他学年の先生方も他人事とは思わず心構えを作るようにしてください。以上。朝礼を終わります」
こうして、重い沈黙のまま教師たちは散開した。
*
1年Dクラスの朝は騒がしい。
入学直後のように所構わずじゃないけど、ドアを開けると色んな声がわっと聞こえてくるのは相変わらずだ。
その様子を微笑ましく思いながら櫛田さんやここちゃんたちと挨拶を交わしていると、ドタドタという足音を立てながら、2人の生徒が近付いてくる。
「桔梗ちゃん!」
「ひまりちゃん!」
「一生のお願いだ! さポイントを貸してくれ!」
涙目で端末を見せてくる池くん山内くん。
その画面には、雀の涙のpp残高が表示されていた。
私は呆れながら櫛田さんと視線を交わす。どっちが先に口を開くか。まずは私が疑問をそのまま口にした。
「えっと、まだ月初めのはずだけど?」
「こ、これには深いわけがありまして……」
急にしどろもどろになるおバカ2人組。
その後ろから覆い被さるように、須藤くんが近付いてくる。そして怖い笑顔で、2人の両肩に手を置いた。
「騙されんなよひまり、それに櫛田も。こいつら新作のゲームに有り金全部注ぎ込んだだけだからよ」
「どうしようもないほど馬鹿なのね」
ちょうど登校してきた堀北さんも貶してくる始末。
池くん山内くんのライフはもうゼロだ。
とはいえ敵ばかりじゃない。そんな彼らにも真っ先に手を差し伸べようとする優しい子が私の隣にはいた。
「でも……貸さない、ってわけにはいかないよね」
困り笑いを浮かべながら、櫛田さんはそう呟く。
垂らされた蜘蛛の糸に2人は当然飛びついた。
「そ、そうだよな?! 桔梗ちゃんマジ天使!」
「……まあ、ね。実際ポイントには余裕あるし……」
櫛田さんの出した答えに、私も渋々肯定する。
無人島試験、それから船上試験を経て、私たちDクラスが毎月受け取ることのできるppも増えてきている。
具体的には、毎月39,500ppだ。
Cクラスでも65,000pp、ABクラスに至っては10万前後あるのと比較すると少ないものの、家賃や水道光熱費を生徒が負担しなくていいこの学校なら上手くやり繰りすれば十分に文化的な生活ができる。
「甘いぜひまり。こいつらには一度地獄を見せねぇと」
「須藤くんの言うことも尤もだけどね、道端の雑草でも食べて体調崩されたら困るし、最低限は助けるよ」
「……嬉野は池と山内をなんだと思ってるんだ?」
「え? さすがに雑草は食べないかな?」
私が大真面目風に返すと、綾小路くんは苦笑い。
悪いけど盗撮の件はまだ根に持っている。
でもそれはそれ、これはこれだ。
「ってことだから池くん、山内くん。今すぐに1ヶ月分のポイントをどんって貸すわけにはいかない。ちゃんとその日に必要な分だけ申告すること! そしてちゃんと返す計画を立てること! 良いかな?」
「……分かったぜ。元はと言えば俺が悪いしな」
先に折れたのは池くん。
続く形で、山内くんは天を仰いだ。こっちは反省してなさそうだ。私は額を抑えながら櫛田さんに向き直る。
「えっと、櫛田さんには―――」
「それ以上は言わないで。一度乗り掛かった船だもん。もし嬉野さんが断りたくても私も一緒にお金出すよ」
「……ありがとう。正直、1人で賄えるか不安で」
その本音に、ウインクを返してくる櫛田さん。
私もよく分からないまま片目を閉じた。
そうこうしているうちに時間は過ぎていき、予鈴が鳴ると、私たちはそれぞれの座席へと散り散りになる。
話し声も気持ち抑えられ、周囲の子たちと話すこと5分弱。
時間ギリギリに現れた先生の表情は険しいものだった。
「……先生?」
教壇に着いても、すぐには言葉が発せられない。
訪れる静寂。
何か異質な空気。
明らかに、良くないことが起きる前触れ。
これから恐らく、特別試験が控えているのだ―――と、私たちが察するのにそこまで時間はかからなかった。
私は相応の覚悟をもって先生の顔を見つめる。
みんなには知る由もない裏の事情。
月城理事長代理が早速何か動いたものと推察できる。
必然、机の下では拳に力がこもる。
「……すまない、少し時間を無駄にしたな」
「そんなやべーことなのかよセンセー」
「どうだろうな。これが杞憂であることを私は願っている、……が、兎にも角にも説明しないことには始まらないか。お前らには悪いが早速悪い知らせだ」
両手を教卓に置き、茶柱先生は教室を見回す。
「例年、当校では夏休み明けに体育祭が行われる。今からおよそ1ヶ月後だな。十分な準備をしてもらうため、それまでの間には何もないはずだった」
「……まるで何か新しくできたような言い方ですね」
「その通りだ。今日からちょうど1週間後、特別試験を実施する。詳細は当日に説明させてもらう。以上だ」
たったそれだけ。
どんな試練が待ち構えているのかと背筋を正してみたら、何も詳しいことが分からず肩透かしに遭う。
……これは、どういうことなんだろう。
そう思ったのは私だけじゃないはずだけど、茶柱先生はその疑問をスルーするみたく言葉を続けようとする。
「次に体育祭についてだが―――」
「ま、待ってください! ……それだけですか?」
「ああ、今はそうだ。お前らには悪いが、当該特別試験について質問に回答する権利さえ私は有していない」
その表情は、先生も本意ではないと言いたげだった。