その後は淡々と朝のホームルームが終わり、茶柱先生が教室を去っていくと、Dクラスは喧騒に包まれた。
みんなの反応はおおよそこんなところだ。
まずひとつは、詳細が明かされていない特別試験を不安がるもの。だけどこれは少数。私たちDクラスは今までの試験を無事に乗り越えてきている。その影響もあって、どこか慢心があるのは否めない。
もうひとつは、1週間後に迫りくる特別試験のことは置いといて、体育祭の実施に一喜一憂する声。みんなにとっては身近で想像がつきやすいためだろう。この手のイベントや運動が得意な生徒と、逆に苦手な生徒とに、教室の空気はほぼ二分されている。
そんな中、私は月城理事長代理の意図を考えていた。
特別試験の実施は1週間後だと明確に決まっていて、茶柱先生の口振りによるとその内容も決まっている。
なのに詳細が明かされることは無かった。
一方で、実施することだけは律儀に伝えられた。
「ちょっといいかしら」
そんなことを考えていた私の背中に、堀北さんの声がかかる。同時に平田くんたちも近付いてきていた。
私は壁にかけられた時計を確認する。
1限目が始まるまで5分ほど。話し合いをするには短すぎる時間だけど、少し意見を交わす程度でも損はない。
「どうしたの? 堀北さん」
「分からないことがあるのよ。特別試験の詳細は明かさず、存在だけは明かされた。何が目的なのかしら」
「僕も同じことが気になっていたんだ」
「奇遇だね、私が考えてたのも似たようなものだよ」
1週間で特別試験の対策をしろと言うなら、1ヶ月後の体育祭について詳細含めて先ほど明かされたように、今回の特別試験についても説明されるはず。
身体能力を競うものか、学力を競うものか、はたまた無人島や船上試験のようにそれとは別の能力を求められる可能性も十分ある。内容が分からない以上は対策のしようがない。じゃあ逆に、対策を求められているわけじゃないと考えるのが自然だろうか。
「新しくできたって先生は言ってたから、傾向も分からない。完全にお手上げって言いたいところだけど……」
無理矢理言葉を繋げながら、私は続きを考える。
だけど数秒程度で学校側の真意に迫れるはずもなく、私が頭を振ったその時、脳裏にちりと電流が走った。
「……だとしたら気分悪い、ね」
思わず口に出たその言葉。
それを疑問に思ったのか櫛田さんは首を傾げた。
「気分悪い? どういうこと?」
「……あは、ううん。こっちの話だから気にしないで。ひとつ私が思いついたこととしては、試験当日に詳細が明かされて、やっと意図が分かるとかかな」
「つまり私たちは、その日を待つしかないのね」
「だからって受け身でいる必要はないんじゃないかな。効率は悪いけど、普段より勉強に時間を割いたり、体育祭の練習ついでに運動したり。少しでも1週間後に備えることが僕たちにできる全てだよ」
平田くんの提案に、側で聞き耳を立てていた軽井沢さんが賛成の声をあげる。これを意識的にやっているのかどうかは分からないけど、おかげ様で周囲の女子たちも次々と反応してくれてありがたい。
「じゃあ今のところは、そういうことでみんなお願い」
最後にクラス全体に聞こえるように私は口を開く。
一方、私の脳裏ではある考えがチラつく。
最初に考えていたことの延長だ。
みんなには分からない裏の事情を私は知っている。
月城理事長代理は以前、私が大人しくホワイトルームに向かえば無関係な生徒を退学させずに済むと私を脅した。その言葉を思い出すと、この1週間の猶予には試験としての意味はないのかもしれない。
……じゃあ、どんな意図があるのかというと。
もはや直接的に脅すことはせずに、間接的に、自主退学のための猶予を私に与えているつもりかもしれない。
そう思ってしまうのは、私の考えすぎだろうか。
*
昼休みが終わって午後になると、今日は通常の時間割とは異なり5限と6限が連続してホームルームになっている。これは私たちだけでなく全学年共通のようで、運動着に着替えてから先生の案内に従い体育館へ向かうと、少しして全校生徒が一堂に会した。
当然だけど、体育祭は全学年で行うイベント。
他の学校と違うのは今年の体育祭は学年を跨いだ紅白戦のようなルールになっていることで、この場はその話し合いのためにと用意されたものらしい。
なおADクラスが赤組、BCクラスが白組だ。
3学年が集まると話をするのもひと苦労ということで、私は堀北会長の手招きを受けて小走りで向かう。
「よっ、久しぶりだなひまり」
「……ご無沙汰してます。南雲副会長」
Aクラスということは、当然南雲先輩もいる。
私は思わず口をへの字に曲げた。
「おいおい、そんな嫌な顔をするなよ。俺だって傷付く心はあるんだぜ? それに俺がひまりに何かしたか?」
「……確かに、悪評を耳にする程度ですけど」
「だろ? だからまあ、一旦は肩の力抜けよ」
そう言われて、はい分かりましたと警戒を解けるほど甘い考えは私には無い。
南雲副会長に個人として恨みつらみがあるわけではなくても、今まで何人もの生徒を退学に追い込んでいるという悪評だけで、私としては気が抜けない。
まあそれはそれとして、確かにわざわざ反感を買う必要もない。私が一度は崩した表情を表面上は取り繕うと、南雲先輩は満足した様子で小さく頷いた。
「じゃあ始めるか。進行は任せますよ堀北会長」
「ああ。では早速だが、今年の体育祭は例年とは少し異なる点がある。嬉野と坂柳には何のことか分かるか?」
話を振られて、坂柳さんは私に視線を寄越してくる。
この場の発言は私に譲ってくれるようだ。
「1年生だけクラスポイントに影響がないことですか?」
「その通りだ。聞いた話では、1年生のみに課せられた1週間後の特別試験との釣り合いを取るためだったか。だが俺たち2、3年生のクラスポイントには大きく響く。手を抜こうなどとは思わないことだ」
「もちろんです。クラスのみんなにもそう伝えます」
言ってしまえば、体育祭のほうは、1年生にとってはほぼ娯楽のようなもの。本気でやらないこともできるけど手を抜く理由も無いし、手を抜いて先輩方の足を引っ張るのは、この先得策とは言えない。
体育祭がそうであるように、今後、学年合同のイベントがある可能性もある。恩を売るというと嫌な感じだけど、良好な関係を築くに越したことはない。
それは好戦的と聞く坂柳さんも同様の考えなのか、特に反対することはなく堀北会長の言葉を受け入れる。
「いい返事だ。紅白戦のような形で行われる体育祭だが、競技のほとんどはクラス単位で競うことになる。ここからは学年別に話し合うもよし、自クラスの作戦会議に移っても構わなければ何もせずとも良い。何か分からないことがあれば俺たちを呼んでくれ」
その言葉を最後に、堀北会長を含めた先輩方は勝手知ったる様子で、それぞれのクラスへと戻っていく。
堀北会長と南雲副会長がいるんだからすごい作戦が出るかもと期待してたのが馬鹿みたいだけど、よくよく考えたらそれは当然だった。今回は味方でも次が味方とは限らない。クラスの得意不得意などの情報を共有するのは、後に自分の首を絞めかねない。
私たちにできるのはお互いがベストを尽くすこと。
だからこその先ほどの忠告だろうと私は思う。
「それじゃあ、私たちも戻ろっか」
坂柳さんの頷きを見て、私はクラスのみんなが纏まっている方を向いた。
杖をついている坂柳さんの足取りは早くないけど、彼女の性格的に、変に気を遣われたくは無さそうだ。Aクラスのみんながいるところまで隣で付き添うことはせず、私は私でみんなの元に戻ろうとする。
その時、坂柳さんの一声が私の足を止めた。
「これから少しお時間よろしいですか?」
振り返ると、彼女の不敵な笑みが私を射抜く。
小柄な身体を支える杖とは裏腹に、その瞳には揺るぎない自信が宿っていた。
「2人で?」
「ええ、2人で」
「……もしかして、特別試験のこと?」
「察しが早くて助かります」
私は周囲を見回す。
人が多い分、周りは色んな人の話し声で満ち溢れている。小声で話す分には特に聞かれることもないだろうと思って、私は少しだけならと承諾した。
「月城理事長代理は随分と慎重に動かれていますね」
「慎重に? まあまあ大胆じゃない?」
「確かに一見すると、大胆な変更です。例年このような形で特別試験が捻じ込まれることは無かったでしょう」
私は続く言葉に耳を傾ける。
「ですがやろうと思えば、体育祭をより厳しいものにすることもできたはず。しかし実際には新しい特別試験でクラスポイントに上下がある分、体育祭はクラスポイントへ影響を与えるものでは無くなった」
「先生たちの反発を見越して、って感じかな」
「そうでしょう。無理に動けば現場からその動きを疑問視する声が出ます。だからこそ、いきなり退学者が続出するような試験は作りにくいはずですよ」
確かに坂柳さんの推理は理に適っていそうだ。
月城理事長代理と言えど万能な立場じゃない。
坂柳さんのお父さんが簡単に謹慎させられてしまったように、職権濫用にもある程度限度はあるのだろう。
とはいえ、高育の育成方針に疑問が呈されている現状、厳格化の方面について多少の無理は働くはず……。
「……まあ、悲観的に考えてたらキリがないね」
「ふふ、その通りです。少し安心されたようですね」
その指摘に、思わず私は自分の顔に触れた。
不安を表情に出した覚えはない。そのはずだけど。
「表情には出ていなくても、あなたの性格や事情を知っていればどんな気持ちでいるかは簡単に推測できます。あなたも仕事でよく使う手法でしょう」
「…………ありがとう。気を遣わせちゃったかな」
「いえいえ、お気になさらず。退屈な学生生活だと思っていましたが少し楽しみもできたのです。どうか、このような横槍で潰れないようお願いしますね」
……どうやら、私と戦いたいだけだったらしい。
そのためには月城理事長代理は邪魔ということ。
例えば、試験結果を改竄したりなんかされては興醒めだと―――坂柳さんの瞳はそう語るように細められた。