《茶柱佐枝の独白》
―――満場一致特別試験。
その文字が目に入った瞬間、思わず呼吸が止まった。
何かの間違いではないか。
理事長代理による当てつけか。
そんな馬鹿げた考えが頭を過ぎる。
しかし何度確認しようとも、手元に用意された書類の束の途中に記された、題名が変わることはなかった。
忘れもしない。
いや、忘れられるはずがない。
あの日、私たちの3年間を終わらせた試験なのだから。
あれから何年が経っただろうか。
高校を卒業し、大学を出て、私はもう過去となった何かに縋り続けるように、教師としてここに戻ってきた。
あの日の光景は昨日のことのように思い出せる。
教室を満たしていた重苦しい空気。
刻一刻と減っていく残り時間。
私に向けられたクラスメイトたちの視線。
そして――。
『佐枝、俺のことは気にするな』
あいつの声が、今も耳から離れない。
どうして、そんなことが言える。
どうして、そんな簡単に自分の未来を諦められる。
私には理解できなかった。
いや、理解したくなかったのだろう。
あいつが退学すれば、私たちはAクラスに手が届く。
たった一人を犠牲にするだけで、残された全員が報われる。ほぼ確約された将来を手に入れることができる。
私以外は、それを正しい選択だと信じていた。
……違う。
私だって分かっていた。
何がクラスにとって正しい選択なのか。
自分が何をするべきなのか。
そんなことは、誰に言われるまでもなく理解していた。
たった一度。
たった一度だけ、指を動かせばよかった。
それだけで、私たちの未来は変わっていたはずなのに。
結果として、私は全てを失った。
Aクラスへの道も。
仲間たちからの信頼も。
そして、恋人としての関係も。
……馬鹿な女だ。
何度、そう自分を罵ったことだろう。
あの時、私が賛成していれば。
あの時、私が感情を押し殺していれば。
そんな後悔を、数え切れないほど繰り返してきた。
だが。
もし、もう一度あの日に戻れたとして。
私は本当に、賛成のボタンを押せるのだろうか。
「…………」
答えは出なかった。
何年経っても、私はあの日から一歩も進めていない。
そんな私の前に、再びこの試験がやって来た。
クラスポイントを選ぶか、仲間を選ぶか。
同じ設問が試験概要の一部に記されている。
とはいえ―――卒業間近だったあの時とは違って、今は夏休み明け。まだ2年半も残されているのだから、私の生徒たちは悩むことなく仲間を選べる。
……はずだった。
「なんだ、これは……」
概要を理解した私は、職員室で狼狽の声を漏らす。
これは以前と同一のものではない。
もはや満場一致特別試験とは名ばかりの、別の何か。
何度読み直しても攻略法が見つからない。
誰かを退学させるための試験が、そこにはあった。
*
結局、特別試験について新しい情報が明かされることはなかった。
そのまま一日が過ぎ、二日が過ぎる。
体育祭の準備は着々と進んでいたし、授業もいつも通りだった。休み時間では池くん山内くんが騒いで、堀北さんが呆れ、私はそれを微笑ましく眺める。
何も変わらない日常。
けれど教室の片隅には、確かに見えない何かが居座っている。
そして―――迎えた、試験当日。
クラスが騒がしいのはやっぱりいつも通りで、そんな中で私は、さすがに緊張を隠せずに席に着いていた。
すぐ近くからは案じるような視線が向けられる。
「……不安なの? ひまちゃん」
「そう、だね。詳しくは言えないけど不安だな」
「…………そっか。じゃあ、頑張らないとだな」
ここちゃんは意気込むようにそう呟く。
私の手がぎゅっと力強く握られた。
少しずつ、少しずつ、試験の始まりが近付いてくる。
鼓動が早まるのは抑えようがない。
それでも、ここちゃんの温かみが私を勇気付ける。
「―――みんな、ちょっといいかな」
その声に、賑やかな教室がふっと静まりかえる。
みんなの視線が席を立ち上がった私を見た。
「もうすぐ、特別試験が始まる。みんなのことは信じてるけど、私は怖がりで……情けないリーダーだから、先に伝えたい。……聞いてもらえないかな?」
そのお願いに真っ先に反応したのは、須藤くん。
彼は私を元気づけるようにニッと笑う。
「情けなくなんかないぜ。ひまりがいなかったら俺たちはここまで来れなかった。だよな? 寛治、春樹」
池くんと山内くんもすかさず同意の声を出す。
その後も応援の声が続いて、私は深呼吸した。
「みんなにはお願いがある。今回の試験、まだ内容は分からない。だからこそ―――もしもの時、自分のことを優先して。私がなんとかしてみせるから約束して欲しい。どうなっても自分を一番に考えて」
それ以外は二の次で良いと私は言う。
これは保険だ。
どんな試験なのかは未だに分からない。試験が始まってから、どれだけ自由に喋れるかも分からない。だからこそ前もって、最低限の方針を伝えておく。
「……分かったよ。僕もそれを肝に銘じることにする」
「それが嬉野さんのお願いなら、……うん。分かった」
「当然ね。あなたにお願いされるまでもないことだわ」
返ってきたのは心強い返事。
平田くんも、櫛田さんも、堀北さんも。
他のみんなの声も私の背中を押してくれる。
綾小路くんは口を開かず、静かに私を見つめてくる。
何かあったらオレが動くと言ってるみたいだ。
その目力に私はつい表情を崩しそうになるけど、迫り来る特別試験に向けてすぐに真剣な姿勢を取り戻す。
その時、教室の扉がゆっくりと開かれた。茶柱先生が入ってくると、みんなの視線が一斉にそちらへ向く。
先生の表情はやっぱりいつもより硬い。
私たちを見ることもなく、まっすぐ教壇へと向かう。
その足音を聞きながら、私は静かに席に座り直す。
ここちゃんも手を離して自分の席に戻った。
「……これより満場一致特別試験の説明を始める。質問は一切受け付けないため、注意して静かに聞くように」
茶柱先生は生徒の顔も見ないまま説明を続ける。
手には1枚の紙。原稿だろうか。
一応、顔は下を向いてはないものの、その瞳はどこか焦点が合っていない。私はその様子を少し心配に思いながらも、黙って先生の言葉に耳を傾ける。
「試験の流れは極めて単純だ。学校側から提出されたお題について回答する。選択式のものもあればそうでないものもあるが、いずれにせよクラス全員で一致した答えを提出するだけでいい。満場一致でない限り次の設問には進めず、満場一致を4又は5回繰り返すか、時間切れによって特別試験を終了とする」
言いながら、先生は袋から1つの端末を取り出す。
「あらゆる不正を避けるため、回答には、これから配布するこちらの端末を使用する。お前らの連絡用端末はこちらで預かるため手元に用意しておけ」
「さて、次に報酬とペナルティを説明する。満場一致特別試験を無事に通過すれば100クラスポイントの加算を、逆に満場一致にならず、時間切れになった場合には100クラスポイントの減算を課す」
それ以上のペナルティの説明は無かった。
私は思わず、気の抜けた声を出しそうになる。
「制限時間は3時間であり、各設問の時間配分や途中の休憩、投票のタイミングなど全て自由だ。極論を言えば設問1つにつき1分で4〜5分で特別試験をクリアすることもできるが、そう簡単にはいかないだろう。最後まで気を抜かずベストを尽くすことだ」
言い終えると、先生は端末の回収と配布に動く。
配られたものは見た目は普通のスマートフォンだ。
「最後に端末の使い方を説明するが、これはやってみた方が早いだろう。ホーム画面左上にはメールアプリと、その右側に投票用アプリのみが存在する。まずは右側の投票用アプリを開いてもらおう」
言われた通りタップすると真っ先に設問が現れる。
例題:この学校で文化祭を開催するか否か選択せよ。
⚪︎開催する
⚪︎開催しない
「これはあくまでデモンストレーションだ。ここでの回答は今後に影響しない。ひとまず全員、開催するを選んだ上で、投票するのボタンを押してくれ」
「40人全員が回答し終えると、数秒のタイムラグがあった後、このように結果が表示される。今回は満場一致のため次に進むのボタンが現れたが、満場一致ではなかった場合、投票の結果が表示された上で投票をやり直すのボタンが同じ場所に現れる」
先生の指示に従って次の例題ではあえて満場一致を避けると、確かにその通りの画面が表示された。
「なお見て貰えば分かる通り、投票は匿名だ。誰が満場一致を妨げているのだと愚痴を言うのは構わないが、恐喝などして匿名を暴く行為は厳禁だ」
破れば試験は即刻中止。
すぐに100クラスポイントが減算されるらしい。
「これが最後の口述だ。今回は時間の都合上、投票アプリに設問がそのまま表示されているが、実際にはその設問を複数の単語や文章に分割した上で数名にメールを送付する。送付された単語や文章を繋ぎ合わせることで設問が浮かび上がるということだ」
最後の説明も、難しいものではなかった。
だけど何のために?という疑問が浮かび上がる。
一度は気を抜きかけたものの、1週間前に試験が行われることのみ告知があったことといい、今回の回りくどい設問の出し方といい、不可解な点は残されている。まだまだ油断するわけにはいかない。
「最初に伝えた通り、質問は試験終了まで一切受け付けない。疑問があれば生徒同士で解消するようにしろ。―――ではこれより、特別試験を開始する」
それが皮切りだった。
私たちが持たされた端末から一斉に通知音が響く。
設問を構築するための単語や文章が全員に送信されたのかと思ったけど、どうやらご丁寧に、先ほどの説明がほとんどそのままメールで送られている。
私のところにはそれ以外のメールは送られてきておらず、設問のための単語や文章もまた見当たらない。
そんな中、1人の男子生徒の声があがった。
「お、文章ってこれのことか」
それに続く形で他にも報告があがる。全員で6人。
私はひとまず立ち上がり、みんなの注目を集める。
「じゃあまずは設問を確認しよっか。どうするのがいいかな」
「順番に言ってもらって、それを黒板に書き留めてはどうかしら? 大きく書けば全員から見やすくなるでしょうし、設問を再構築しやすいはずよ」
「確かにそうだね。ありがとう、堀北さん」
私はすぐに黒板前に移動し、チョークを握る。
そのままメールに添付された文章を書いていくと、特に詰まることもなく、最初の設問が明らかになった。
設問1:自クラスのリーダーの氏名を平仮名で記述せよ。
「これは……どういうことなのかしらね」
「そのままの意味じゃねえのか? ひまりで決まりだろ」
「須藤くん、堀北さんが言いたいことはそういうことじゃないと思うよ。確かにDクラスのリーダーは嬉野さんだと僕も思う。ただ特別試験にしてはあまりに簡単すぎるし、出題の意図が読めないと思う」
堀北さんと平田くんと言わんとすることは尤もだ。
可能性としては設問の再構築を誤ったか、あるいはこの出題が次の設問に影響を与えるか。何度頭を捻ってみても前者ではないから恐らく後者だろう。
「…………」
だとすると、悪い予感が頭の中に立ち昇る。
さっき説明されたペナルティは試験の合否に携わるものでしかない。つまりは設問の選択肢でペナルティを選ばせるのは、さっきの説明と矛盾しない。
かなり性格の悪い試験だ。
もしここで私以外の子をリーダーとして挙げたら、次の設問でその子を追い詰めることになるかもしれない。
それが分かると尚更、私は他の子を推挙できない。
これを馬鹿正直にクラスのみんなに説明してしまうと、意見が割れて無駄に時間を消費してしまう。須藤くんやここちゃんは特に私の代わりになることを買って出てもおかしくないし、それは避けたい。
「自分から手を上げるのはこそばゆいんだけど、みんな異論なければ私の名を書いてもらえないかな? この後どんな設問が待ち受けているか分からない。3時間の制限は長いようで短いかもしれないし、推理しようのないことで時間を浪費したくはないかな」
「異論無いねぇ。早くこの退屈な試験を終わらせたまえ」
真っ先に反応したのは珍しく高円寺くん。
これは私が察した設問1の意図にも勘付いていそうだ。
わざわざ反対する理由なんて彼にはない。
平田くんたちはまだ疑問に思っているようだけど私の説得にも利があるため、反論もなくすぐに投票に進む。
結果は―――満場一致。
全員が次に進むのボタンを押すと、またメールが届く。
今度は私にもワンフレーズが届いていた。
先ほどより大人数にメールが届いていたものの、前後の文脈から設問を再構築するのに時間はかからない。
「えーっと、つまり……」
設問2:前回の設問で選ばれたリーダーに対して与えるペナルティを選択せよ
⚪︎次回特別試験への参加禁止(なお、次回特別試験に参加しないことによるペナルティはあるものとする)
⚪︎次回特別試験においてのみ、プライベートポイントもしくはリザーブポイントによって救済される権利を喪失する。同時に、退学リスクを倍化させる
明かされた内容は、私の推測を裏切らない。
私たちの教室は重い沈黙に覆われた。
今回少し長めでお送りしました
感想お待ちしております!