Dクラスの室温は、いつもより低く感じられた。
黒板に書き留めた選択肢に私は何度も何度も目を通す。
設問2:前回の設問で選ばれたリーダーに対して与えるペナルティを選択せよ
⚪︎次回特別試験への参加禁止(なお、次回特別試験に参加しないことによるペナルティはあるものとする)
⚪︎次回特別試験においてのみ、プライベートポイントもしくはリザーブポイントによって救済される権利を喪失する。同時に退学リスクを倍化させる
意地の悪い試験だと私は思う。まだ試験の折り返しにも立ってないというのに、嫌な2択が押し付けられる。
とはいえ話してみないことには始まらない。
私はチョークを置いてぱんぱんと手を叩いた。
「みんなには言っておくんだけど、私の中で答えは見つかってるつもり。だけどそれは必ずしもみんなの納得のいくものじゃないよねってことも分かってる。だからまずは、みんなの考えを私は知りたい」
努めて明るい声をみんなに聞かせると、教室の空気がほんの少し戻ってくる。私は誰かが自分の意見を言おうとする前に、言葉を続けて流れを仕切る。
「1人ひとりに具体的な考えを聞くのは時間的にも難しいし、すぐに答えられない子もいると思う。なので一旦、どの選択肢がいいか手を挙げられないかな? 選択肢は上か下か、……あるいは試験を放棄するか。とりあえず今から考える時間取らなきゃね」
私は教室の壁にかけられた時計を見る。
まだ、試験が始まって10分ほど。
最初の設問を強引に進めたおかげで時間は潤沢に残っている。この後に2つか3つ設問が残されていることを考えても、ここで45分程度使える計算。
私は時間を測りながら教室全体を見渡した。
「……なあ、ひまり。ひまりの中で答えは出てるって言ったよな。どの選択肢が一番良いのか教えてくれよ」
「ダメだよ須藤くん。私がそれ言ったら少なからず影響されちゃうでしょ。私はそういうのが無い、みんなの意見を知りたいの。その上で時間の限り納得できる道を探したい。これは私自身だけの問題じゃなくて、クラスの行く末を決める設問だからさ」
「んなこと言いやがって、俺は誤魔化されねぇからな。下の選択肢だけは絶対駄目だ。俺は認めねぇぜひまり」
その頑固な声に、私は困った表情をするしかない。
「……先にちょっと謝っておくよ。みんなにはさっき、時間がないからって言ったけどあれは半分本当で半分嘘。ほんとはこういうリスクがあるかもってあの時思って、私の勝手な判断で私を選ばせた」
「……んで、なんで、そんなことしたんだよ」
「私にとってみんなは、大切な仲間だから。だからこうなったことで自分を責める必要なんてないんだよってことを伝えたいな。みんなのせいでこうなったんじゃなくて、私の選択の結果なんだよって」
その説明に、すぐに返ってくる言葉はなかった。
時間はだんだんと過ぎて、私は挙手を募る。
「じゃあまずは、上の選択肢がいいと思う人」
ちらほらと、手が挙がっていく。
中には周りの様子を見ながら手を挙げた子もいたけど、数えたところ、ほぼ過半数の19名がこの選択肢だ。
「じゃあ次、下の選択肢がいいと思う人」
真っ先に手を挙げたのは堀北さん。
次いで綾小路くん、他数名が気まずそうに続く。
「……おい、テメェらなんで下の選択肢を選んでんだ。ひまりに退学して欲しいってか?! ああ゛?!」
「そうとは言ってないわ。嬉野さんならこの程度のペナルティは潜り抜けられる。そう信じているだけよ。あなたは彼女のことを信じてあげないのね」
「るせぇよ、誰にも絶対なんてねぇだろうが!」
ガタンッと、須藤くんが立ち上がり机が揺れる。
私は胸を締め付けられながら間に入った。
「……須藤くん、お願いだからそういうのはやめて。気持ちはすごく嬉しいけど他の子を萎縮させないで。……ごめん、やっぱり匿名じゃないと難しいね。私のやり方がだめだった。……ごめんなさい」
「な、なんでひまりが謝んだよ」
「みんなに納得してもらうためにそうしたかったけど、失敗だったなって思ったから。……どうしたら、みんなに、私の考えを納得してもらえるかな」
私は堀北さんを見て、平田くんと櫛田さんを見た。
「……僕は、やっぱりまずは嬉野さんの考えが知りたい。それに忖度してしまう子も中にはいると思うけど、そこは割り切るしかないんじゃないかな」
「私も同意見よ。こうなったらもう仕方ないわ」
堀北さんは須藤くんを見て、これみよがしにため息を吐く。
須藤くんは怒りを我慢するように肩を震わせた。
櫛田さんも2人と同じ考えみたいだ。
私は頷くと、反対されるのを覚悟して口を開く。
「……私は、みんなに下の選択肢を選んでほしい。理由は…………私なら大丈夫だと思うから。さすがに5倍、6倍みたいになってくると話が変わってくるけど、倍化程度じゃ私にとって脅威じゃない」
言っていて、これは表面的な理由だと自覚する。
決して嘘なんかじゃない。
でも全てではなくて、私は続きを躊躇した。
「他に、理由があるのか?」
それを促すように綾小路くんが声を投げかけてくる。
私は思わず、喉を鳴らした。
緊張で口の中が渇き切っていた。
だけど分かり合うために言うべきだ。
私は深呼吸を繰り返してから、本音をこぼしていく。
「……私は、私は……自分がどうなることよりもみんなが退学リスクに晒されることの方が、ずっと怖いの」
あの子たちと違って、みんなは外の世界を知っている。
高育の外にあるものを知っている。
だから高育を退学になった時、ホワイトルームの子たちほど心が追い詰められることはないのかもしれない。
でも私の心は、そんな楽観視を許さない。
「今だって手が震えてる。……もし、上の選択肢を選んで、その試験で誰かが退学のリスクに直面したら、私は頭がどうにかなっちゃいそうだよ。守りたいのに、試験に介入することさえできなくなる」
私は、お姉ちゃんに何もしてあげられなかった。
「じゃあ……試験を放棄するのはどうなの?」
「そ、そうだぜひまり。ならこれがベストだろ」
ここちゃんの疑問に、須藤くんが乗っかる。
私は間を置かずに首を横に振った。
「この試験を突破するのとしないのとじゃ、200クラスポイントの差ができる。そんなのリーダーとして簡単に認められない。みんなの将来が懸かってるんだよ。それを私のせいで棒に振るなんてできない」
「もし今回の試験がAクラスとして卒業できるかどうかを決定付けたとしても、それは嬉野さんのせいじゃないと思うわ。クラス全員に責任があることよ」
「……そうだね、普通ならそれはそうかも」
だけど今は生憎、普通の状況じゃない。
私は本来ならこの学校にいるはずのない部外者で、試験の難化はその私が招いたもの。私はそれについては責任を負うべきで、戦わないといけない。
でもそれをそのまま打ち明けることはできない。
私は……どうしたら理解してもらえるんだろう。
「もう良いだろう堀北ガール。彼女は自分の気持ちを明かしたんだ。君たちはそれを汲んでやればいいのさ」
「そうね、私はそのつもりよ。けれどそれで納得し切れない人も多いわ。嬉野さんがクラスメイトを大切に思っているのと同じで、逆もまた然りだもの」
「チッチッチッ、実にナンセンスな話だねぇ」
高円寺くんは机に足を乗せて組み、笑みを深める。
「考えてみてくれたまえ。Dクラスが持つ395ポイント、そのほとんどは彼女の努力によるものだったはずだよ。それを彼女を守るためとは言え手放そうとは、随分と気前がいいじゃないか君たちは」
「……高円寺くん、それは違う。確かに私は頑張ったけど須藤くんたちが協力してくれたから今があると思う」
「それは君の手として足として、だろう?」
その言葉に、私は咄嗟に言い返せなかった。
痺れを切らした須藤くんが高円寺くんに詰め寄ろうとする。
「だったらテメェはどうなんだ高円寺。テメェこそこれまでの試験で足を引っ張ってきたじゃねぇか!」
「フッフッフッ、その反論を聞くに、話が理解できていないようだねぇ。私が役に立ったかどうかなんて些末な問題さ。君たちが彼女の努力を水泡に帰そうとしていることと、何の関係があるのかね?」
「だからよ! ひまりが退学になるくらいなら、たかが100ポイントくらい―――」
「ではその100ポイントは誰が取り戻すのかな?」
須藤くんの言葉が止まった。
「たかが100ポイントか。どうやら彼には、君が心血注いで稼いだものがそう見えているようだ嬉野ガール」
「そ、そんなつもりじゃ……」
「ようやく話が見えてきたかいレッドヘアー君。君たちは嬉野ガールを守るためだと言って試験を放棄することを正当化しているが、それは現実には彼女の重荷にしかならないのさ。彼女に頼らずAクラスに辿り着ける力が君たちにあるなら、話は別だがね」
その理屈は、私の考えを後押しするものだった。
だけど素直に認めることもできずに私は唇を噛む。
そんな私に縋るような目が向けられる。
「……ひまちゃん。私、足手纏いかな」
「そんなこと―――」
「それを問うのは酷ではないかな井の頭ガール。嬉野ガールは君を足手纏いだと思ってもいなければ見下してもいない。ただ君たちの間にはどうにもならない実力差がある。それが守る者と守られる者という立場を決定づけてしまっているだけなのだからね」
断言されて、ここちゃんの表情が沈む。
違うと言いたい。そんなことないって言いたい。
でも高円寺くんの指摘には隙が見当たらなかった。
私も無意識のうちににそう認識していた。
だから―――どうなっても自分を一番に考えて、なんて当たり前みたいに言えたのだと、今なら理解できる。
「珍しく饒舌だな高円寺。辛辣なことを言えない嬉野の代わりに、憎まれ役を買って出てやったのか?」
「おや、君にはそう見えたかい綾小路ボーイ。だとすればそれは誤解だ。私はただ無駄な時間を過ごしたくないだけさ。実に退屈な試験なのでねぇ、少しでも早く終わって欲しいと思うのは当然だろう?」
言い終えると、高円寺くんは鼻歌混じりに手鏡を取り出す。その視線はもう彼自身にしか向いていなかった。
高円寺のように、現実を見せることで主人公を守りたいと思う仲間の心を挫くことが最短距離を進む方法ですが、それが主人公の性格的にできるはずもなく…。
それが分かっているから高円寺は珍しく口出ししたのかもしれません。