『出かける時は行ってきます、帰ってきたらただいまを言うんだよ』
『ご飯を食べる時はいただきます、食べ終わったらごちそうさま』
『朝起きたらおはよう、寝る時はおやすみなさいを傍に居る人に言ってあげなさい』
こんなありふれた日常の常識。
姉であり母親代わりでもあった姉さん。
姉さんが嫁いでいった後でも、教えは心に刻まれていた。俺の人生の指標だった。
今の俺が剣を握る理由……。姉さんを漣家のイカれた祭典から救い出す……。
ずっと追い求めていた人が、いま俺の目の前に現れた。
「姉さん……」
ポツリと零れた、まるで吐息と聴き違えるほどの小さな音だった。
視界が揺らぐ。手が……足が小刻みに震える。
目の前の光景を脳が理解しようと急速に回転を始める。
だけど、脳みそが現状を理解するより早く、俺の体は勝手に動いていた。
「姉さん……!」
自然と足が動き、手を大の字に広げて姉さんを包み込む。
しかし、訪れると予想していた感触は無く、俺の腕はみっともなく空を切った。
なんだ……これ……。確かにそこに姉さんが居るのに……。体をすり抜けた……?どういう……。
「
「プレビュー……?」
京羅の言葉に疑問符を浮かべる。京羅はいま映像という言葉を使った。
つまり、いま目の前に見えている姉さんは、本物じゃないということか?
蔵の中の物を映すチカラ。京羅には──漣家の蔵の管理者にはそんな権限が与えられるのか。
「こちらも大事な商品なんだ。盗人相手においそれと見せびらかす訳にはいかない」
怪しげに京羅の口角が上がる。俺の反応を見て楽しんでいる目だ。
そんな京羅の態度に沸々と怒りが湧いてくる。
「つまり、今この場に本物のブツは無いってことやろ?長居する意味無いわ、退くで」
後ろから柴さんの声がする。確かに彼の言う通りだ。
ハクリの協力のおかげで漣京羅にここまで接近することが出来た。
京羅の蔵についての詳細を、少しでも掴むことが出来ただけでも儲けものだ。
そして現状、真打や姉さんを取り戻す術は無い。
それなら、確かに今ココは退いた方が良いという風になる。
プレビューとやらで映された姉さんと目を合わせる。
こんなに近くにいるのに、手を伸ばせば触れられる距離にいるのに。
俺と姉さんが繋がることは無い。
俺の目には姉さんが写っているが、姉さんの視界に俺の姿は無い。
自然と奥歯に力が入ってしまう。
このままでいいのか──?
このまま何もせず、ただハクリやヒナオさんが居る場所に戻るだけでいいのか?
──悲しい瞳をした姉を放っておく弟が、どこにいる?
「攻守交替だ」
その時、京羅の部屋の扉が勢いよく開け放たれた。
次の瞬間、目の前に現れた3人の人物。
左目を前髪で隠した女の人。
髪をお下げにした大柄な男。
そして、俺やチヒロとあまり年齢が変わらないくらいの少年。
「人の家に土足で入り込んだんだ。せめて土産くらい置いていけ」
瞬間──衝撃のようなもので窓から外へ弾き飛ばされた。
景色が広がった事を認識しつつ、身体を捻らせ地面に着地。
割れた窓ガラスの破片が辺りに散らばっている。
ここは……漣家の無駄に広い庭だ……。
(何だ……?何が起きた……?)
直前の出来事に頭が追いつかない、気付けば外に放り出されていた。
いや、あの3人のうちの真ん中にいた俺と同い年くらいの子ども。
アイツが俺に向けて何かをしていた気がする。
ハッキリとか見た訳では無いが、手印のようなものを作りそれを俺に向けていたような。
思考を巡らせていると、目の前に降り立って来る1つの影。
それが先程、俺に見えない何かをぶつけてきた張本人だというのはすぐに分かった。
「人の家に入る時は靴くらい脱げよ。親に教わらなかったのか?」
両手に刀を持つソイツは、ゆっくりと俺の方へ近付いて来ていた。
「生憎、親の顔とか知らない
「あぁそういう……。納得……」
「そっちこそ、人を窓から突き落としちゃいけませんって親から習わなかったのか?あのヒゲに」
「お前は人じゃない。ただの害虫だ」
「良い価値観持ってんな。洗脳教育ってやつか?」
地面を蹴るタイミングは全くの同じだった。
戦いによーいドンなんてものは無い。
如何に相手に実力の差を分からせ、戦意を削ぐことが出来るかだ。
ぶつけ合わせた刀同士が火花を散らす。
相手は二刀流、対してこちらは愛刀が一本。
傍から見たら二刀流の方が手数が多く有利に見える。
が、それには明確な弱点も存在する。
振り下ろされた二刀を椿姫で薙ぎ払う。
すると、それぞれの手に握られた刀はいとも簡単に宙へと吹き飛んで行った。
「……ッ!?」
「ちゃんと握れよ。手にのりでも付けといた方がいいんじゃないの?」
二刀流の弱点、それは刀を片手でしか扱えないこと。
両手で持つ場合とは違い、握る力も振るう速度も通常の半分。
いくら玄力によるバフがあったとしても、ベースの所で差が出てくる。
手数の多さは確かに魅力的だ。だがそれ以上にデメリットが大きい。
流行らない理由だ。
身体を捻ってガラ空きの胴体に回し蹴りを喰らわせる。
ミシミシ……と鈍い音が聞こえた、クリーンヒットだ。
そのまま脚を振り抜き思いっきり蹴っ飛ばす。
受身はちゃんと取れるようで、手のひらと足裏を地面で削りながら勢いを殺していた。
距離を取ることに成功した。
奴に武器は無い、絶好のチャンス。
得意分野に持ち込んで一気に勝負を決めてやる。
椿姫を鞘にしまい抜刀術の構えを取る。
腹の中央から捻出する玄力を、椿姫全体に包み込むように流し込む。
すると、俺の体と椿姫が一つになったような感覚がしてくる。
双城との戦いで掴んだこの感覚──。
忘れないようにする為に戦いの後、体が治ったら直ぐに反復練習を行った。
妖術も勉強と同じだ。
覚えたことを繰り返すことで体に、頭に物事を浸透させる。
何度も、何度も、何度も。
この身に感覚が宿るまで。
『出来るようになるまでやるんだ。そしたら出来るようになる』
……薊さん。俺の師匠はいま思えばかなりの脳筋だ。
だがしかし、その教えは俺の力となっている。
薊さんの教えがあるからこそ、悪と戦うことが出来ている。
「何だ……この異常な量の玄力は……!」
だから、目の前の仇を蹂躙することが出来る。
「
玄力の爆発。
目に映る景色が高速で後ろに流れて行く。
狙いは一つ。目の前の敵の命。ただそれだけ。
刹那の一閃は的確に相手の身を斬る。
しかし、狙いが外れ椿姫が斬ったのは左腕だった。
いや、狙いが外れたんじゃない。
驚異的な反応速度で俺の斬撃を躱したんだ。
それでも、腕の一本が赤い鮮血と共に空へと浮かぶ。
「ぐっ……あああああ……!」
「俺は努力の仕方を知っている。お前たち漣家の全部を壊す為に、俺は生きてきた」
痛みに悶える表情。
千切れた右腕を……正確には二の腕辺りを抑えながら渇いた叫びをあげている。
いい気味だと思った。
「天理ッ!!」
上の方から高い声が聞こえる。
見ると、さっき部屋に入って来た3人組の中の1人──左目を前髪で隠した女が、俺達の方を見てそう言った。
天理……たったいま腕を斬り飛ばしたコイツの名前か……。
次の瞬間、さっきまで俺達がいた漣京羅の部屋から黒いシルエットが飛び出して来た。
金魚の玄力反応を示したソレを見て、チヒロが来たのだと認識する。
それを追うように出てくる濤の残りの2人。
京羅の姿は見当たらない。
「大丈夫か?ミナト」
「見ての通りさ」
「ならいい」
相変わらず簡素なやり取りだ。
見たところチヒロに目立った外傷は見当たらない。
まだまだやれそうだ。
そこで俺はあることに気が付く。
「柴さんは?」
チヒロの傍にいた柴さんの姿が見当たらない。
まだ部屋の中にいるのだろうか?
「柴さんはヒナオさんの所に行ったよ」
「……ってことは、向こうで何かあったってことか」
「こっちは任せろって言っておいた」
やけに自信満々な表情でチヒロは言った。
一体どんな根拠があるのやら、という感じだけども。
「ミナトと俺ならやれる」
「間違いないね」
つまりはこういうことなんだ。
チヒロは妖刀使い。実力としては妖術師の中でも上の方だ。
そんな奴が味方にいるのなら大変心強い、例え相手が漣家の親衛隊だろうがなんだろうが負ける気がしない。
それに相手はあと2人だ。
「真ん中の若い奴の腕は斬っといた。あれで戦うのはだいぶしんどいと思うよ」
「そうか。──他の2人はかなり力を持ってるが捉えられない程じゃない。厄介なのは、あの当主の支援だ」
「当主の支援?」
聞くとチヒロが濤の方を指さす。
見ると、濤の奴らがいる周りにポコポコと黒い泡が湧き出ていた。
なんだアレ。
「"蔵"の能力だ。武器を自由に出し入れして振るってくる」
「そゆことね。なかなかに汎用性の高い技じゃないの」
チラリとチヒロ達が飛んできた、漣京羅の部屋を見上げる。
そこには蔵を発動させている証拠として、左目に妖しげな仮面を顕現させた当主が、俺達を偉そうに見下ろしていた。
余裕綽々な顔しやがって。
今すぐにでも引きずり下ろしたいところだったが、今は目の前の2人に集中しなくては。
漣家の上澄み……当主を守る為の実力者。
4人いると聞いていたが、後の一人が見当たらない。
どこが別の場所にいるのか。
それでも、あの天理って奴との交戦である程度の実力は計れた。
問題無く、全員斬り殺せる──。
蔵から持ってきた武器を構える濤の2人。
それに対して淵天と椿姫を握りしめる。
「思ってたより頭冷えてるな」
チヒロの言葉に鼻で笑う。
「なわけ。アイツら全員漏れなく殺すから」
漣家の人間は全員許してはおけない。
漣京羅は当たり前として、自分達の利益や立場の為に罪の無い人たちを犠牲にする。
その現実を容認して、誰かが傷付いているのを知っていながら陽の下を歩いている。
そして何より姉さんの自由を奪った。
「泣いて謝っても許さない」
いま俺の中に在るのは、殺意という歪んだ原動力だけだ。