酸素は身体の動力源──。
酸素を回さなければ人は動けない。
だから酸素は多く身体に取り込まないといけない。
人がその力を振るえるように。
目の前の悪を討てるように。
肺を大きくするんだ。
空気中の酸素をめいっぱい吸えるように。
呼吸を、正しい呼吸をするんだ。
正しい呼吸をすることで、人の力は何倍にもなるのだから。
玄力を込めた脚で地を蹴り、濤と京羅へ肉薄する。
狙いは勿論、漣家当主ただ1人。
その顔が視界に入るだけで、椿姫を握る手に力が篭もる。
こいつは悪だ、許しちゃいけない奴なんだ。
人の尊厳を足蹴にし、モノ扱いして商品として売りに出す。
まるで動物……家畜のような扱いを他人に強いる……。
そんなこと……──。
目の前に立ちはだかるのは濤唯一の女性、珠紀と呼ばれた女性だった。
玄力を吸収して自分の力にする刀を用いて、俺の方へ向かって来ていた。
再び激突する刃。
コイツの持つ刀にはあまり触れない方が良い。
いくら俺の玄力量が多いからといっても、無限に湧き出てくるモノじゃない。
吸われた玄力が相手の力になるのなら、接触時間は最小限に抑えるべき。
刀をぶつけた直後に手首を捻り、そのまま刃を滑らせる。
受け流すような形で珠紀の刀から椿姫を離し、右脚でその刀の柄の部分を蹴り上げる。
「チッ……!」
「厄介な武器持ってるから」
「そっちから誘ってきたくせに」
「会って話すと幻滅するタイプ。アンタそんな感じだよ」
そのまま珠紀に回し蹴りを繰り出す。
それは上手く腕でガードされたが、勢いのまま蹴飛ばして無理やり距離を置く。
そこで、あることに気が付いた。
視線の先の京羅……奴はこんな緊迫した状況の中、優雅に備え付けられたベンチに座り込んで俺達の戦いを観戦していた。
まるで品定めでもするかのように、自分は観客で俺達とは違う世界の生き物だとでも言うように。
「漣京羅ッ!!」
再び地面を蹴って跳躍。
後から出てきた宗也とかいう男は、柴さんが相手取っている。
もう1人の大柄な男はチヒロが、珠紀はさっき蹴っ飛ばしておいたから考えなくていい。
京羅への障害はもう……無い!!
「さっきからよく吠える」
「お前はクズだ!!私欲の為だけに人の人生を弄ぶ!!人を商売道具にして!!」
「私は商人なんだ。その資格がある」
「それは人が人に一番やっちゃいけないことだろ!!」
怒りが収まらない。
考えれば考えるほど、漣家への憎しみは膨れ上がっていく。
心が黒く染っていく。
そんな状態が長く続くのはきっと良くない事だから。
「アンタは俺が斬るんだ!!今日、ここで!!」
自然と奥歯に力が入る。
姉さんを売り物にして、人を楽しませる道具にしようとしている。
この先、一体何があっても、俺はこの人間を許しはしない。
絶対に地獄へ送ってやる。
「父さん!」
京羅への殺意をより鮮明にした直後、そこにノイズが走る。
漣天理……さっき腕を斬り飛ばした奴だ。
そいつが京羅への道を遮るように割り込んで来た。
コイツもコイツだ、いくら親だからと言って盲目的に崇拝して。
自分がいったい何に加担しているのか分かっていないのか?
一般教養を学んでは……いないだろうなきっと。
もし学んでいたら俺の前に立ちはだかることなんてしないハズだ。
「行かせるか!!」
「これだから学校に行ってない奴は……!」
天理の排除、俺の脳はその一点に集中する。
凛で斬り抜けようとも思ったが既に身体は動いている、今から刀を納めて抜刀術の構えを取るのはナンセンス。
脚の使い方を模倣するんだ──。
凛の時の脚の使い方を。
それを抜刀状態の時に転用。
構えは違っても動作を行う身体は同じ。
身体の使い方は染み付いている。
瞬間、生み出される超速。
辺りの景色を置き去りにし、天理へ急接近。
その身を袈裟斬りにし、速度は殺さぬまま京羅の元へ。
「京羅!!」
「やれやれ、まるで狂犬じゃないか」
不敵に笑う漣家当主。
いつまでも余裕の消えないその表情に、そろそろ嫌気が差す。
頼む、椿姫。
今この瞬間、コイツを斬る力を。
俺に力を貸せ。
何も無い空間から突如滲み出てくる黒い泡沫。
また"蔵"の中から何かを出すつもりだ。
けど問題は無い、何が出てこようとこの"椿姫"で──。
……──冷たい。
椿姫を握る俺の手に、そんな感覚が走った。
地面が抉れる程の脚力で大地を蹴飛ばす。
刀を横に構えて敵の頸を刎ねる動きを。
乗せろ……この一撃に……。
そして断ち切れ……憎しみで染った日々を……。
今日で終わりにするんだ、刀を振るう日常を。
その先に見える大切な人達との人生を──。
俺は掴む──。
「思い通りには成らない」
京羅の呟きと同時に激しく沸き立つ黒い泡。
転移されてきたソレは、椿姫と京羅の頸の間に割り込むように現れる。
「全てお前の仕業だろう、伯理」
「──!?」
突如として目の前に現れたのはハクリだった。
しかも椿姫の通り道に。
まるで自分の盾にするかのように。
父親が自分の息子を。
このまま斬るか……?
一瞬そんな考えが頭によぎる。
ハクリも漣家の一員。
俺にとっては倒すべき敵……。
ならここで京羅ごと斬るのも……。
『なんにも悪いことしてない人が悲しい思いをするのは、絶対にいけないと思うから!』
『俺はハクリを信じる』
その時、思い起こされるハクリとチヒロの言葉。
漣家に侵入する前に交わした会話の中で、ハクリが嘘を言っているようには到底思えなかった。
ハクリも楽座市がいけないことだって、1日でも早く終わらせないといけないものだって心の底から思っている。
そして、そんなハクリを信じるとチヒロが言い切ったのだから。
「……ッ!!ミナト……!」
「……ほう、もしやと思ったが踏みとどまるか」
椿姫がハクリの首筋に伝わる寸前で、俺は手を止めた。
京羅を斬る事のできる最大の好機。
それでも……一緒にハクリを斬ることなんて……俺には出来ない……。
その時、いきなり身体が後ろに引っ張られた。
カッターシャツの襟の部分を掴まれ、そのまま勢いよく後方へ投げ飛ばされる。
天理と珠紀の2人が、京羅から距離を取らせる為に俺の首を引っ張ったのだ。
地面を滑りながら体勢を立て直し、再び京羅の方を向く。
「ハクリ……」
「ハクリくんまでこっち来たんか」
チヒロと柴さんも俺の方へ寄って、目の前の状況に唸る。
こっちは3人、対して向こうは濤の4人に加えて京羅もいる。
そしてたった今呼び出されたハクリ……見たところ蔵の能力で転送されてきたようだった。
「蔵に登録した物はいつでも出し入れが出来る。漣家の子どもたちは、生まれた時にその登録を済ませてある。何かあった時に身を守れるように。まぁ当の本人は気付いていなかったようだが」
京羅がチラリとハクリを見やる。
出し入れの自由……蔵の管理者で所有権を持っているのなら納得のいくチカラだ。
「父さん……!」
「さて、交渉といこう。伯理を返して欲しくば、こちらの要求を飲んでもらいたい。大切な情報源なのだろう?そちらにとっても……。それに、君たちにとってこの出来損ないは信頼に値する人間のようだしな」
……出来損ない、か。
自分の子どもを人質に……かつそんな物言いに青筋が立つ。
ハクリは妖術が使えない、それは漣家にとって面汚しと言われているようなものだ。
「ハクリ……」
京羅の隣で尻もちをつき、肩で息をしながら状況に流されるしかないハクリを見やる。
そんな彼の喉元に、京羅は
「要求って何だ?」
「ミナトくん、君のその刀だ」
京羅が一点を指さす。
その矛先は俺に向けられていた。
いや、正確には俺の手の中にある椿姫……。
「君の刀とこの役立たず……物々交換といこうじゃないか」
「何が物々交換や……」
商人らしく取引……とでも言うつもりか。
ハクリをモノ扱いしているのにも腹立つが、その交換条件がこの椿姫……。
チヒロとチヒロの父親──国重さんによる共同製作の業物。
そんな大切な代物を手放すなんてこと……。
「猶予は無いぞ、応じないなら伯理の頸を刎ねるだけだ」
「クソ……!」
ハクリか、椿姫か──。
重大な選択を強いられている。
軽い気持ちでどちらかを捨てるなんてことは出来ない。
「ミナト……俺を……俺のことは気にするな……」
「駄目だ!ハクリ、お前がいなきゃ俺達はこいつらに勝てない……!」
「でも、刀……」
目に涙を浮かべながら、ハクリが呻く。
人の命か、自分の刀か。
選ぶのは、選ぶべきなのは。
後ろにいるチヒロに顔を向ける。
ほんの数秒、チヒロは俺の目を見てからコクリと首を縦に振った。
それを見て、俺の決意は固まる。
椿姫を鞘に戻し、腰から引き抜く。
俺は椿姫を、ゆっくりと地面に置いた。
「交渉成立だな」
京羅の声が、漣邸の庭に響いた。
〇
「え、じゃあいま"椿姫"持ってないの!?」
ヒナオさんの驚愕の声が轟いた。
場所は変わって喫茶ハルハル。
漣邸から柴さんの妖術で帰還した俺達は、ひとまずの休息をとることにした。
チヒロとハクリは、別室でシャルの治療を受けているところだ。
「うん。ほら見て、鞘ごと綺麗に持ってかれたよ」
「見て、じゃねーわ!あんたアレ大事なやつでしょーに!」
ヒナオさんからチョップが浴びせられる。
ごもっともである。
ごもっともだから、何も言い返せない。
「俺達にとってハクリの命は、想像以上に重かったってことだよ」
「そりゃあ人の命と比べちゃったら……」
ヒナオさんが用意してくれた紅茶を喉に流し込む。
独特な風味が口内から鼻腔をくすぐった。
「でもさ、椿姫が無いならあんたどうやって漣家と戦うの?もう近いんじゃないの?楽座市」
「鋭いねヒナオさん。記念にミナトポイントを贈呈しよう」
「こっちは真面目だっちゅーのに……!」
ヒナオさんが拳を作り始めた。
これ以上ふざけるとロクな目に遭わなそうだ。
「大丈夫、ちゃんと代役は立ててあるから」
「代役……?」
俺の言葉にヒナオさんが首を傾げた。
ずっと大事に使ってきた"椿姫"は、京羅の手に渡ってしまった。
椿姫も商品として競りに出すのか、それともただ単にコレクションとして保有しておくのか、はたまた別の目的があるのか。
いの一番に思ったのは、何で淵天じゃなく椿姫を選んだのかだ……。
仮に楽座市の商品として売りに出すのであれば、名の知れた妖刀の方が価値は付けやすい。
それなのになぜ……?
いや、どうせ考えても答えは出ない。
この問題は後回しだ。
俺はカウンター下から1本の鞘を取り出して、ヒナオさんに見せる。
「なぁにこれ?」
「見たら分かるよ」
そいつをテーブルに乗せて、鞘からゆっくりと刀身を抜き出す。
その形状を見て、ヒナオさんは目を丸くしていた。
「ミナトくん……これって……」
「流石にその場に捨て置くことは出来ないからね。ちゃんと回収しておいたんだ」
先の双城戦でチヒロが折った刀。
切っ先は既に無いが、それでも刀身の6割程はまだ残っている。
失った椿姫の代わりには打ってつけの代物だ。
「俺は
まだ
妖刀……この世に7本しかないうちの一振り。
その威力は身を以て知っている。
あの双城のように、いや双城以上に使いこなしてみせる。
だから……──。
「俺に応えてみせろ」
刳雲の柄をグッと握る。
椿姫を取られても、俺の心は折れちゃいない。
妖刀"刳雲"の力で、必ず姉さんを救い出してみせる。
楽座市の日は、もうすぐそこまで迫って来ていた──。