「私達には親がいないからさ、助け合って生きていかないとね」
ある日の夏、川遊びをする俺を眺めていた姉さんがそんなことを言っていた。
キラキラ輝く水の中ではしゃいでいた俺は、どこか遠くを見るような瞳の姉さんの方へ顔を向ける。
「でもさ、お父さんとお母さんってどこにいるのかな?」
単純な疑問だった。
俺達のいた施設は身寄りのない子が集められていた。
だから親がいない、顔も知らないなんてことは当たり前のことだった。
それでも、子どもには親がついてくる。
親がいないと子どもは生まれないから、だから自然と親についての興味は湧いて出てくる。
俺は物心つく頃には姉さんしかいなかったから、尚更だ。
「う〜ん……私にも分かんないな……」
誤魔化している……訳では無さそうだった。
これはあまり深く考えてもしょうがないことなんだと、子どもながらに理解をした。
理解をして、蓋をして。
遠くの見えない親よりも、今この手を握ってくれる姉を、何よりも大切にしようと心に刻んだ。
「ミナト……あなたも男だからさ、大事な人は守れるように強くなるんだよ?」
優しく撫でられた感触は、今でもずっと残っている。
「……姉さん」
突如として目の前に現れた姉さんの姿に、俺は度肝を抜かれる。
それと同時に、それが京羅にとって最前の策だということも理解が出来た。
やられた……人質って訳か……。
「……商品だぞ。棚から手元へ引き寄せる。それだけの話だ」
京羅の声には塵を払うような無関心さしかなかった。
姉さんの喉元に添えられた刃が、その無慈悲さを何よりも雄弁に語っている。
「クソ……!」
京羅の指が、姉さんの喉元を無機質になぞる。
冷たいサーベルの切っ先が、その白い肌をいつでも裂ける距離で静止していた。
直ぐにでも殺れる……そう言わんばかりに。
「ミナト……!」
悲痛な姉さんの言葉が耳に届く。
久々に聞く声がこんな痛々しいものになるなんて……。
ギリっと奥歯を噛み締める。
どうする……どうする……どうする……?
現状だと京羅への対抗手段が無いに等しい……。
ならこのまま指をくわえて見てるのか……そうじゃないだろ……!
「効果的面だな。いささか大人げないかもしれないが、君は強い。刳雲の力を使いこなしている」
京羅の口元から血が滴り落ちる。
こいつだってダメージを受けている、後がないんだ。
だからこんな手段を取ってきたんだ。
「ハクリもそうだ、まさかあいつが"蔵"への干渉が出来るとは」
「姉さんを放せ……」
「冷静さを欠いているか、無理もない」
……やるしかない。
玄力を解放して、一瞬で京羅を斬る。
姉さんを傷付けないように、背後に回ればあるいは……。
「君はもう、私の掌の上さ」
瞬間、足場が消失した。
力の入れどころを失った俺の体は途端に自由落下を開始する。
「チィ!」
咄嗟に刀を壁面へ突き立て、無理やり体を跳ね上げる。
ハクリが送ってくれた刀はそのまま蔵の床の中へ沈んでいった。
これで丸腰……状況は依然として悪いままだ。
「袋のネズミだな、侵入者には相応の姿というか」
絶えず浴びせられる京羅の攻撃を躱しながら、同時に思考を回す。
どうしたらこの状況を変えられる?
どうしたら京羅の手から姉さんを救出することが出来る?
俺一人で……ここにいる人たちを救うことが出来る?
動けば動くほど体力は減り、思考に回す酸素が少なくなってくる。
京羅の猛攻を捌きつつ人々の奪還の手立てを考える。
早く何か方法を……さもないと俺が潰される……!
このままじゃジリ貧だ、姉さんが目の前にいる……今が最大のチャンスのはずなのに。
「よく踊るな、弟くんは」
「──気安く姉さんに話しかけるなッ!!」
「若いな」
攻撃の波を掻い潜り、京羅の死角へ。
その脳天に拳を入れ込もうとするも、京羅は邪悪な笑みを浮かべて、思っていた通りの動作をしてくる。
京羅のサーベルが、姉さんの喉に触れる。
それが視界に入ったなら、俺はもう握った拳を解くしかなくなる。
「お利口だな。育成成功……になるのか……?」
「クズ野郎め……!」
伸びてきた構造物が土手っ腹に突き刺さり、大きく吹き飛ばされる。
込み上げてきた血液が口から吹き出してきた。
勢いそのままに地面を擦りながら転がり、鋼鉄の檻に背中をぶつけてようやく止まる。
クソッタレ……京羅め……卑怯な手を使ってくる……。
この間合い、この状況……。
京羅を討つための手札が、あまりに足りなすぎる。
どうにかしてあいつから姉さんを引き剥がさないと。
どうする……。
刀も無いこの状況で……。
「漣家の由緒ある歴史に泥を投げつけてきた。その意味が分かるか?」
京羅の声が響く。
「椿姫だけじゃない。ミナト、君の命も私のモノになる」
「命……」
「代償はそれくらいがいいだろう」
京羅は周りの全てを武器に変換する。
それが蔵の主の特権。
ここがあいつの創り出した空間である以上、この状況は覆らないのか……?
痛む体にむちを打って立ち上がる。
迫って来た攻撃を寸でのところで回避し、その場から離れた。
……よく見ると、俺の周りにはたくさんの檻が並んでいる。
中にいるのは……いわゆる商品になっている人たち……。
その人達が、不安そうな顔で俺達の戦いを見守っている。
「助けなきゃ……みんな……」
Mr.イナズマの顔が思い起こされる。
この中に彼のお姉さんもいるのだろう。
捕まっている人達からしても、ようやく来た助けの手だ。
半ば諦めかけていた心に、希望の火を灯したのは俺か。
ならその責任は果たさないといけない──。
「ちょこまかと……カトンボめ……」
繰り出されてきたのは無数の槍。
鋭利に尖ったそれらが、俺の体を貫かんとばかりに飛来する。
駄目だ……迂回しながらスキをうかがっているだけじゃ京羅の元へは辿り着けない。
「正面突破だ」
地面を踏み締め、迫ってくる攻撃に真っ向から飛び込む。
攻撃や回避にだけ玄力は使われる訳じゃない。
自分の防御力を上げるためにも有効なんだ。
ハクリがいい例だ、あいつは日常的に暴力をふるわれていたらしいけど、無意識の玄力操作で体へのダメージを抑えていた。
そして、常人より玄力量が多い俺なら、防御に回せる玄力もその分多くなる。
「馬鹿の一つ覚えだな、結果は変わらない」
より数を増やして、京羅の攻撃は脅威を増す。
致命傷だけを避けて。かすり傷ならいくらでも受ける。
今は俺のことより姉さんを……あいつの手から解放しないと……!
玄力を回せ、足に、全身に……。
正しい力を……力の使い方を見誤るな……。
選別しろ、何が致命傷になり得て何が致命傷になり得ないのか。
この目で見極めろ……!
攻撃の雨を潜り抜け、再び京羅の眼前に迫る。
伸ばせ……手を……!
姉さんを救う……その一心で今まで戦ってきた……!
その悲願が……目の前に……!
「姉さんッ!!!」
「ミナトっ!!!」
姉さんからも腕が伸びてくる。
救わなきゃ……悲しみに取り憑かれたこの人を……。
裏切られ、苦しい思いと深い悲しみに落ち込んだ姉を……。
救い出せるのは俺しかいない……。
「させん……!」
地面が変形し、茨のような形状へ変化する。
それは俺の全身を穿ち貫くように迫って来て──。
「
刹那──上空から降り注ぐ斬撃。
極小サイズで放たれたその技は、俺の周囲に顕現された京羅の攻撃を破壊する。
それだけじゃない、姉さんを掴んでいた京羅へも放たれていた。
絶妙……姉さんを傷付けないようにギリギリのラインで飛んできたその刃は、姉さんと京羅を物理的に距離を取らせることに成功した。
京羅が怯んだコンマ一秒の隙。
俺は無我夢中で姉さんの手を掴み、その細い体を闇から引き剥がした。
同時に天から降りてきた相棒が、京羅へ刀を振りかざす。
「チヒロ……!」
「悪い、遅くなった」
淡々と告げられたその淡白さに内心ホッとする。
けど油断は出来ない、まずは姉さんの身の安全を最優先に……。
「掴まってて」
「え……?うん!」
姉さんを抱きかかえて跳躍。
京羅の相手をチヒロがしている間に、少し離れた所へ降り立つ。
「……ごめん、怖い思いさせちゃって」
姉さんを下ろしながら、最初にかけた言葉は謝罪。
怖い思いをしたんだ、姉さんは下ろすやいなや地面へとへたりこんでしまった。
「久し振りだね、姉さん」
腰を曲げて姉さんと視線を合わせる。
周囲の空気が若干冷たい……懐かしい感覚だ……。
不意に姉さんが体を起こし、俺の体へ抱きついてくる。
余りの勢いにちょっとだけ押されながら、何とかこらえてその身を受け止める。
「私の方こそごめん……!私のせいで……こんな目に……!」
抱きしめられる力が強くなる。
会えなかった時間を取り戻すように。
俺も応えるように、姉さんの体を優しく抱きしめた。
「俺は平気だ。だから謝らないでよ、せっかくの再会が台無しじゃないか」
「それを言うならミナトだって……」
姉さんが俺から少しだけ体を離す。
そのまま両手で俺の顔を優しく包み、京羅の攻撃で切れた頬を薄くなぞる。
「こんなに傷だらけになって……」
「言うことはそれだけ?」
「……大きくなったね。見違えるくらいに」
「成長期だから……。でも他にもあるんじゃない?」
「ふふ……制服、似合ってる」
「おかげさまでね」
姉さんが俺の服装を見て柔らかく笑みを浮かべる。
ずっと見せたかった、姉さんに俺の学生服を。
学ランの下に白パーカーという若干のカスタマイズもしているけれど、立派に学生をやっていることは伝わるはずだ。
「でも本当にびっくり……。まさかミナトがここに来るなんて……。それに刀も使ってたし……何より普通の人じゃ出来ない動きだって……」
「うん、頑張ったんだ……俺……」
視界が滲む。
喉の奥が焼けるように熱い。
何年も、何千回も夢に見た声が、今は鼓膜を震わせている。
「言われた通りにさ、勉強も……。学校にもちゃんと通って……剣術の修行も一緒にやって……。姉さんが売りに出されるかもって話を聞いた時から……ずっと……ずっと……!」
「うん……」
決壊した感情が、行き場を失って溢れ出した。
鼻をつく鉄の匂いも、蔵の冷気も、その瞬間だけは消えていた。
幼い頃、川べりで触れたあの温もりが、今の俺を肯定してくれる。
今まで溜め込んだもの全てが、吐き出されていく。
「おれ……がんばったよ……ねえさん……」
「そうだね……えらいよ……ミナトは……」
優しく頭を撫でられる。
懐かしさと嬉しさと……様々な感情や思いが巡ってくる。
ずっと姉さんと話していたい、このままずっと。
でもそうはいかない。
まだ戦いは終わっていない。
溢れそうになる涙をぐっと堪え、ゆっくりと立ち上がる。
「積もる話は後で沢山しよう。でも今は……」
「お友達を助ける……でしょ?」
「戦いが終わったら紹介するよ。他にも会わせたい人が沢山いるから」
そうだ、姉さんと話は後でいくらでも出来る。
今やるべきことは、京羅を倒してこの楽座市を終わらせること。
救うのは姉さんだけじゃない、他の捕まっている人たちも漏れなく助け出さないと。
「ミナト……頑張って……」
「安全な所……は無いかもしれないけど。でも大丈夫。俺が姉さんを守るから」
今度は必ず……。
決意を新たに駆け出す。
視線の先ではチヒロが京羅を追い詰めている。
京羅の傷は浅くない、動き過ぎればしんどくなるのは確実だ。
そこを二人がかりで仕留める。
チヒロと京羅の戦いに割り込むように、京羅へ飛び蹴りを決め込む。
サーベルでガードされてしまったが、そのまま押し込むことで京羅の身を少し遠ざける。
「もういいのか?」
チヒロが言う。
「良くは無いけど、お前も放っておけないでしょ?」
「過保護だな……。けど、生きてて良かった」
「死ねないよ、こんな殺風景な所じゃね」
「同感だ……。あとこれ、大事なものだろ」
チヒロから何かが差し出された。
出てきたそれに俺は目を丸くする。
「チヒロ……これどこで拾った……!?」
「ああ……ちょっと奥行ったら置いてあったからさ。ミナトの大事な物だから取っといた」
「そ、そんな軽々しく……」
少しだけ俺の手から離れていたそれは、手放す前と何ら変わらぬ姿でそこにあった。
チヒロから差し出されたそれを受け取る。
……ああ、やっぱり馴染むな。
「感動してるとこ悪いが、どうやら向こうさんも本気を出してきたみたいだ」
チヒロがピッと指をさす。
瞬間、膨れ上がる玄力濃度。
大気がピリつくのを感じる。
「何かビリビリする……こんなの初めて……」
「刳雲に裏切られたのか?」
「んなこたない。もう無くなっちゃった」
「じゃあ拾っといてちょうど良かったか」
「ホントいい仕事してくれたよ」
「お喋りはその辺にするんだな……」
京羅の声が、地の底から響く。
京羅が変貌を遂げようとしている。
その手には見たことの無い刀が握られていた。
「"真打"……」
「アレが……」
玄力の可視化……溢れ出るエネルギーがこの世に顕現し、決して映ることのないそれが実体を帯びて目の前に現れる。
『かつての斉廷戦争を終わらせた圧倒的な力。人の理を超えたモノだったから、六平はその力を封印した』
薊さんの言葉を思い出す。
過去に起きた戦争を終結へと結びつけた力。
その一端がいま、目の前に……。
溢れ出す赤黒い玄力が、血の蝶となって空間を埋め尽くす。
滴る雫が地面を叩くたび、禍々しい植物が芽吹き、蔵の空気を侵食していく。
圧倒的な破壊の気配。
「実演だ。他人の敷地に無断で踏み入る貴様らには、客付けの為の餌になってもらうとしよう」
尚も止まらない玄力の増加。
冷や汗と鳥肌が止まらない。
これが妖刀……これが真打……。
人の手に余る物なのか、これは。
「大丈夫だミナト、俺がいる」
ふと、隣に立つチヒロがボソッと呟いた。
「……急にどうした?」
「いや、不安そうな顔してたから。ビビってるんじゃないかなって」
「……正直怖いよ。だってあの玄力量、フツーじゃない。それに見るからにヤバそうだし」
「お前は1人じゃない」
チヒロが言い切る。
度胸があるって言うのか……変に自信に溢れているというか。
いつもと変わらない表情で、同じテンション感でチヒロは言葉を連ねた。
「柴さんが、ハクリが。他の皆もそうだけど、全部繋がってるんだ。皆の力でここまで来た。皆がいたからお前もお姉さんと再会出来た」
「……」
「1人でなんて戦わせない。俺にはお前がいるし、お前には俺がいる。ハクリだっているんだ。これだけ揃ってて何を怖がってる?」
「……うるせーな」
自然と口角が上がる。
勝手に決めつけやがって。
でも、何故だか安心する。
隣にチヒロがいることで、どんな不安も吹き飛ばすことが出来る気がする。
──ミナト、頑張って。
それに、さっき姉さんから貰った言葉が俺の心の真ん中にある。
その何気ない言葉が俺の背中を押してくれる。
ひとりじゃないと思わせてくれる。
それだけで力が湧いてくる気がした。
ゆっくりと鞘から刀身を抜き出す。
白く眩しく光るそれも、何だか新鮮に感じる。
神経を玄力が駆け巡り、刀と己の境界が溶けていく。
俺と刀を繋ぎ合わせて1つの形にしてくれる。
離れていたのはたった数日……だけど数年振りに会うような……そんな感覚……。
まるで魂の欠片が戻ってきたような感覚だ。
「
「
「力を示せ……
三つの玄力が激突し、蔵の空気が爆ぜる。
姉さんも救った、椿姫も取り返した。
後はもう、この血塗られた歴史に終止符を打つのみ。
呪われた連鎖を断ち切る、最後の戦いが始まる──。