漣家に生まれた時から、いつかは自分の番が来るのだと理解していた。
妖術師として名を馳せてきた漣家は、代々伝わる"蔵"の能力で商人としても名声を集めた。
長年に渡り受け継がれてきた伝統を、譲られた花道を、全うすることが責務なのだと。
多くを語らなかった父親の背から学んだ。
──私は全うした、次はお前の番だ。
あの日の父親の瞳は忘れられない。
期待と、希望と、脅迫を孕んだあの瞳を。
絶やしてはならない、漣の誇りを。
私もやり遂げなければ、歴代の当主がそうしてきたように。
私も……皆と同じように……。
「もうやめたらいいわ、楽座市なんて」
ただ一人だけ、私の腰を折る者がいた。
病院のベッドの上で年々か細くなっていく私の妻だけが、唯一私に己の意見をぶつけていた。
「あなたを愛し、子どもにも恵まれた。感謝はしている。だけど……」
楽座市が私と妻の関係を引き裂いた。
一心不乱に、盲目的に、私は人生を駆けてきた。
一族も大きくなった、子宝にも恵まれた。
守るべき者が多くなった。
引き継いだ伝統と、私の手で守り育てていかないといけないモノを思うと、私だけが下りるなんて選択は取れなかった。
物事は上手くいっていた、順風満帆だった。
それでも……。
「私はもっと、あなたに向き合って欲しかった」
たった一つの妻の願いだけは、叶えることが出来なかったのだ。
そしてそんな妻の最期の言葉が、ずっと喉に突き刺さっている。
末端から温度が逃げていく。
雪に閉ざされるような静かな死が、すぐそこまで来ていた。
膝を着いた石畳に、どろりとした赤が模様を描く。
驚きはない。
ただ、背後に立つ少年の放つ雷の残響が、耳の奥でいつまでも鳴り止まなかった。
「アンタの負けだよ、漣京羅」
今しがた私を斬り伏せた少年の声が、背中の方から聞こえる。
目にも止まらぬ速さで、気付けば体を斬られていた。
まるで雷その物のように感じる程の速度……。
「刳雲は……失われたと思ったが……」
顔を向ける余力も残っていない。
私はゆっくり地面に膝を着いてそう投げかける。
「刳雲は俺の中で生きてる……って双城が言っていた。本当かどうかは分かんないけど、確かに力は使えたから」
「双……城……?」
何故死んだハズの男の名が出てくる……?
それこそ目の前のミナトも、双城討伐の一端を担っただろうに。
「アイツも刳雲の契約者だったから。少しだけ会話が出来たんだ」
「……妖刀に……込められた……意志……か」
似たような感覚を味わっている、今まさに。
真打──勾罪を握ると同時に流れ込んでくるモノがあった。
恐らくそれは剣聖の意志。
私を飲み込まんとばかりに、意識の侵食を図ってくる。
地を這う禍々しい草花。
曲がりなりにも真打を手にした私だから分かる。
これは人の生命を吸う、危険なものだ。
瀕死の今でこそ、より活発に私の身体を侵す。
握り締めた真打から、どす黒い奔流が流れ込む。
それは剣聖の執念か、あるいは漣家が積み上げてきた業か。
視界の端で、禍々しい草花が私の肉を苗床に咲き乱れる。
濤の顛末は知っている。
天理も宗也もやられた。
私だけがのうのうと……生き残る訳には……。
──私は全うした、次はお前の番だ。
脳裏に響く父の声音は、もはや慈しみではない。
逃れられぬ脅迫として私を縛り上げる。
私だけがこの花道を汚したまま果てることなど許されない。
漣の誇りを絶やすな。
その狂気にも似た義務感が、死に体の心臓を無理やり跳ねさせた。
〇
「蔵が崩壊する……その前に捕まってる人たちを助けないと……」
周りの状況を見て冷静にそう判断するのはチヒロだ。
彼の言う通り、京羅の作り出した蔵は崩壊を始めている。
地面はヒビ割れ、空間に歪みが生まれていた。
このままだと長くは持たない……そこにいる誰もがそう感じ取っていた。
「でもどうやって……?」
俺の疑問にチヒロは即座に回答した。
「ハクリに転送してもらうんだ。入ってきた時に確認しておいたんだが、俺やお前の玄力をここにいる人たちに含ませることで、ハクリが外に出せるようになるんだ」
「便利すぎるぜハクリ」
さすが漣家の子だ。
あいつ1人で何人分の働きをしてるんだって話だ。
やっぱりハクリが居てくれて助かった。
「ひとまず俺は捕まってる人たちに触れに行く。そうしたらハクリが順番に転送してくれるはずだ。ミナトはお姉さんの所へ」
「OK」
指で輪っかを作ってサイン。
チヒロの気遣いに感謝しつつ、姉さんの所へ向かう。
大丈夫……だよね?
怪我とかしてないよね……?
「ミナト!」
その呼び声のする方へ顔を向ける。
そこには俺に手を振る姉さんの姿が。
良かった、思ったより元気そうだ。
「無事!?怪我は無い!?」
「うん、何とか」
姉さんに駆け寄り肩に手を置く。
うん、特に大きな傷とか怪我は無さそうだ。
「ほんと……良かったよ……」
視界が滲む。
目に溜まった涙が頬を伝って少しだけ流れ落ちてきた。
ほんの少しの安心が、その感情を湧き立たせている。
抑えきれない感情が胸の辺りで爆発しそうになっていた。
「助けてくれてありがとう……ミナト……」
姉さんの細い腕に優しく包まれる。
差し出された姉さんの腕は、記憶の中よりもずっと細く、頼りなかった。
その温もりに触れた瞬間、張り詰めていた糸が切れ、視界がぶわっと滲む。
ああ……ずっとこうしていたい……。
やっと……やっと姉さんに再会出来たんだ……。
今まで溜め込んできた想いも、話したいこともいっぱいある……。
でも今はまだ楽座市の最中。
敵の本拠地に居るんだ。
だからこの気持ちは、後にとっておくんだ。
全てが終わった後に、同じ時間を過ごせばいい。
これからはずっと一緒に居られるんだから。
「ごめん姉さん、浸るのは後だ」
「……そうだね。あなたにはやれることがあるもんね」
ポンポンと背中を叩かれ、俺達はお互いの体を離す。
「友達を手伝ってあげて」
「うん……!捕まってる皆を外の世界に連れ出してあげないと!」
そうと決まれば俺もチヒロと同じように、俺自身の玄力を捕まっていた人達に含ませないと……。
何はともあれ上手くいって良かった……。
京羅は倒したことによって、今後の楽座市も開催することが出来ないハズだ。
その時、不意に立ちくらみのようなものが訪れた。
視界が歪み、足元がふらつく。
「……おっと、玄力を使いすぎたかな」
咄嗟に踏ん張って体勢を直した。
まぁ今日は戦ってばかりだったから、体も限界が来ているんだろう。
いくら玄力量が多いからと言っても無限では無いんだよね。
戻ったらヒナオさんに何か作ってもらおうかな。
そうだ、姉さんの好物でも作ってもらおう。
ずっと監禁生活を強いられていたんだ、姉さんには美味しい物を食べてもらいたい。
それじゃあ早く皆をこの"蔵"から出してあげないと──。
「
狂気は消え失せてなどいなかった。
一族への想いが、継がれてきた矜持が、死に近付く体に最期の力を与える。
思い描いていた未来、約束されたはずの明日、心に灯した希望の光。
追い求めていた眩しく輝くこれからの道を断ち切るかのように。
斬撃は胎動する……──。
音はなかった。
ただ、目の前の景色が、真っ赤な線によって上下に分かたれた。
僅かに残っていた京羅の玄力が、真打の黒い波動と混ざり合い、一筋の凶刃と化す。
咄嗟に俺を突き飛ばし、身代わりに立った姉さんの背中。
舞い上がる鮮血が、スローモーションのように視界を焼き尽くす。
伸ばした手は、空を切った。
「……ねえ……さん……」
目を疑った。
頭が理解を拒んだ。
しかし目の前の光景は現実を突き付けてくる。
僅かに感じた京羅の玄力反応。
彼から放たれた一振りの太刀筋は。
ようやく救われたと思っていた姉さんの体を、いとも簡単に斬り裂いた。