ペンは剣よりも強し!   作:みかんフレーク

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第26話 残雪

 それは私の人生にとって、光だった。

 

 眩しくて、正視できないほどに、かけがえのないもの。

 

 まだ赤ん坊だったあの子をこの手に抱きかかえた時の、あの重みを今でも指先が覚えている。

 私自身もまだ小さくて、命の重さに振り回されるようにして、必死に抱き上げたっけ。

 

 肺の奥まで凍てつくような、冬の日。

 しんしんと舞い散る雪は、無慈悲に幼い体温を奪っていく。

 ミナトにだけは寒い思いをさせまいと、ボロボロの上着と毛布で、ぐるぐる巻きに包み込んだ。

 

 鼻水すら凍る極寒の中、腕の中のミナトだけが、驚くほどポカポカと温かかった。

 公園の小さな山で雪を凌ぎながら、私は誓ったのだ。

 この温もりを、世界から守り抜くこと。

 この腕の中で無垢に笑う花を、絶やさぬように育て上げること。

 それが、私の生を繋ぐ唯一の「使命」なのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 子ども二人きりでは、飢えに食い殺される。

 私は施設の門を叩き、頭を下げて、私たちを「モノ」として拾わせた。

 私たちを捨てた親を呪う暇があるなら、明日を生き抜く知恵が必要だった。

 

 ミナトにだけは、不自由という檻の中で生きてほしくなかった。

 

 施設の生活は、飢えこそ凌げても、魂までは満たしてくれない。

 普通の家庭という「 "当たり前"から、私たちはあまりに遠い場所にいた。

 

 無学のままで豊かにはなれない。

 

 そう自分に言い聞かせ、私は自分の明日を削って、ミナトの未来を研ぎ澄ませることに尽力した。

 

 ただ目の前の愛しい弟が、幸せな道を歩いて行けるように。

 

 それだけが、私の祈りだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「姉さん……っ!!姉さんっ!!」

 

 そんな最愛の弟が、涙を流して私を呼んでいる。

 

 気が付けば、体は思考より先に動いていた。

 ミナトの背後に迫る死線を、私は身代わりとなって受け止めた。

 肉が裂け、骨を断たれる衝撃。

 地面に叩きつけられた瞬間、視界はどろりとした鮮血に染まっていく。

 

 命の終わりを感じていた──。

 

「……へい……き……?」

 

 声が、震える呼気とともに漏れる。

 喉にせり上がる鉄の味に邪魔をされて、上手く喋れない。

 けれど、意識の芯だけは、氷のように冷たく冴え渡っていた。

 

「すぐ止血するから……!死なせない……こんな所で……!」

 

 ミナトが学生服を脱ごうとする。

 それで私を繋ぎ止めようとする。

 けれど、私は震える手でそれを制した。

 

「ねえさん……?」

 

「汚れちゃう……じゃない……。せっかくの学生服が……」

 

「な……なに言ってんだよ……!そんなのどうでもいいよ……!俺のことなんか気にしなくていいから!今は自分のことを……!」

 

 首を横に振る。

 

「自分のこと……なんかなんて……言わないで……」

 

 時間はそう残されていない。

 伝えなきゃ、この子に。

 会えなかった分も含めて。

 言葉を紡がなきゃ。

 

「私は……ここまでみたい……。だからよく聞いて……」

 

「嫌だッ!!死なせない……死なせないから……!」

 

「聞きなさい、ミナト……」

 

 ミナトの開かれていた口が静かに閉じる。

 涙はとめどめなく流れ続けている。

 

「今日あなたの顔を久々に見られて……嬉しかった……。大きく立派になったあなたを見ることが出来て……。もうそれは叶わないと……思っていたから……」

 

 愛した人に裏切られ、そこから始まった囚われの日々。

 もうミナトには一生会えないのだと思っていたから。

 

「学校にもちゃんと行ってるようで、凄く安心したよ……。……私の言うこと、ちゃんと守ってくれてたんだね……」

 

「うん……。たまに行けない時もあるけど……ちゃんと通ってるよ……」

 

「ふふ……そっか……」

 

 ミナトのことだ、やむを得ない事情で他を優先しなきゃいけない時もあるんだろう。

 それでいいんだ……自分のペースで……。

 

「ここに捕まっていた時……あなただけか唯一の希望だった……。辛くて寂しい日々が続いたけど……あなたの顔を思い浮かべるだけで……」

 

 あの暗い地下で、あなたの顔を思い浮かべるだけで、私は「人」でいられた。

 あなたが生きているという事実だけが、私の魂の錨だった。

 

「──姉さん!!」

 

 口から鮮血が溢れ出す。

 ああ……こんな姿……ミナトには見せたくなかった……。

 ミナトの最後の記憶に残る私が……こんな血だらけの姿じゃ……。

 

「だから今日……助けに来てくれて……本当に救われた……。心が救われたの……また……ミナトに会えたから……大事な弟が来てくれた……から」

 

 そう……。

 大事な……大事な弟……。

 

 思い出が蘇ってくる。

 

 寒い冬の日に伝わってきた温もりがあったこと。

 施設の人に教えて貰いながら、オムツを変えてあげたこと。

 この手に抱きながら、ミルクを与えたこと。

 

 全部、全部昨日の事のように覚えている。

 

「本当はもっと一緒にいてあげたいけど……それは叶わないみたい……」

 

「そんな……そんなこと……!俺は……!」

 

「だから……私の想い……全部あなたに送るね……」

 

 初めてご飯を食べさせた時のミナトの表情。

 転んで膝を擦りむいた時に、痛くて悲しくて私に抱きついていた時の感触。

 学校のテストでいい点を取った時の嬉しそうな顔。

 

 忘れてない……ずっと私の心に刻まれている……。

 

「ミナト……あなたは優しくて強い子だから……誰かを想って生きなさい。自分じゃない誰かの為に……そんなことが出来る人は、そうそういないわ……。でも……あなたなら出来る……私の弟なんだから……」

 

 震える指先で、ミナトの頬をなぞる。

 私の血が彼の顔を汚していくけれど、構わなかった。

 彼が握り返してくれた手の温もりが、あの日、雪の中で感じたものと同じだったから。

 

「自分1人だけの為に生きるのは、きっといつか限界が来る……。周りを見た的に誰も居ないなんて、そんな悲しいことになって欲しくないから……。だから……常に誰かの傍に居てあげて……」

 

 他の子と喧嘩をして傷の手当をしてあげたこと。

 気付けば身長を追い越されていたこと。

 ふとした気遣いに胸が暖かくなったこと。

 

 この子との記憶の全てが、大切な宝物。

 

 ──姉さんが選んだ人なら、きっと間違いは無いよ。俺は大丈夫だから。だから姉さんも、そろそろ自分の幸せのことを考えてよ。

 

 施設を出ていくことをミナトに伝えた時のことは、今でもよく覚えている。

 ミナトは快く送り出してくれたけど、私は知っているよ。

 一瞬だけ寂しいそうな瞳をしてたこと。

 姉さんは気付いてたよ。

 

「大切な人を作るのよ。いっぱいじゃなくていい、この人の為なら頑張れる……そう思える人を。そしていつか……一生をかけて守りたいと思える人を……見つけて……」

 

 呼吸が浅くなる。

 視界の端から、色が失われていく。

 

「もっと一緒に居たかった……!あなたの為に何かをしてあげたかった……!親が居なくて寂しい思いもいっぱいさせちゃって……ごめんね……!あなたが誰かと幸せになるまで近くに居てあげられなくて……ごめんね……」

 

 謝罪なんてしたくなかった。

 けれど、溢れ出した本音は、呪いのようにミナトに突き刺さる。

 死んでいく私の言葉が、これからの彼の人生を縛り付ける鎖になることを知りながら、私は愛を紡ぐことを止められなかった。

 

 泣かないで、ミナト。

 最後に私に見せてほしいのは、絶望に歪んだ顔じゃない。

 あなたが笑うだけで、私の地獄はすべて報われるのだから。

 

 それが例え……呪いの言葉になってしまったとしても……。

 

 寂しい……辛い……そんな思いが胸の中を渦巻く。

 でも駄目だ、弱音なんて吐いちゃ。

 そんな悲しいお別れは嫌だから……。

 

 泣いてるミナトを見たくない。

 出来れば笑っていて欲しい。

 最後に笑った顔を見せて欲しい。

 最後に映る景色は……笑顔であって欲しいから……。

 

「何言ってんだよ姉さん……。姉さんはもう、沢山のことを俺にくれたじゃないか……」

 

 ミナトの両手が、私の冷えていく手を包み込む。

 

「姉さんが居たから今まで生きてこられた。姉さんが居たから大事な友達にも巡り会えた。全部姉さんのおかげなんだよ。姉さんが俺と生きてくれたから、俺は寂しくなんか無かったよ」

 

 ああ……この子は……本当に……。

 

「姉さんがくれた物は、全部俺の中にある。……心配しないでよ。ちゃんと……ちゃんと生きて……!」

 

 本当に……優しい子……。

 

「幸せになるから……!姉さんに心配させないくらい、胸張って前向いて生きていくから……!だから……だから……!」

 

 記憶と現実が重なる。

 どれだけ時が経っても変わらないモノがある。

 目に映る弟の笑顔は……あの頃のままだった……。

 

「ありがとう……あなたが俺の姉さんで……本当に良かった……」

 

 その言葉に心が暖かくなる。

 失われていく体温とは裏腹に、じんわりと染み渡るものがあった。

 思いやり……この子にはそれがちゃんと備わっている。

 

 本当にいい子に育ってくれた。

 

「私も……あなたが弟で良かった……。ありがとう……私を姉にしてくれて……」

 

 ──思い残すことは無い。

 

 心は、驚くほど静かだった。

 死という淵に立ちながら、陽だまりの中にいるような心地よさ。

 怖くない。痛くない。

 ミナトがここにいる。

 私の愛したすべてが、目の前で生きている。

 

 ミナトが近くに居てくれるから。

 

 ミナトが手を握ってくれているから。

 

 ミナトが笑っていてくれるから。

 

 ミナトが生きていてくれるなら……それだけで充分だ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ずっと愛してるよ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞼が落ちる。

 

 心臓の鼓動が、遠い雷鳴のように小さくなっていく。

 

 けれど、ミナトの掌の熱だけは、暗闇の先まで私を導いてくれた。

 

 短い人生だった。

 

 けれど、後悔なんて、どこを探しても見当たらない。

 

 ミナトの未来が、光に満ち溢れることを。

 

 あの子が守り抜く世界が、少しでも優しいものであることを。

 

 悲しみを残してしまうかもしれないけど、この子なら強く生きてくれる。

 

 そう信じている。

 

 だから後は見守ろう。

 

 空の上からこの子の未来が良いものになるように祈ろう。

 

 ミナトの未来が光満ち溢れる、幸せなものになるように。

 

 それが姉である私の最後の願いだから──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『おねえちゃん!!ボクね、おねえちゃんを守れる強い人になる!!』

 

『あら、カッコイイこと言ってくれるね。将来が楽しみだ』

 

『おねえちゃんは今までボクを守ってくれたから、今度はボクがおねえちゃんを守るよ!!』

 

『そっか……優しい子だね……ミナトは……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 些細な欲から始まったこの伝統は、長年に渡り人々を熱狂させ、悲しみを振り撒いてきた。

 

 繰り返される悲しみの連鎖を断ち切る為に。

 

 もう二度と幸せを奪われないようにする為に。

 

 刀を振るった。

 

 連綿と受け継がれてきた楽座市は、当主の死を以て終わりの時を迎える。

 

 帰ってきた自由と、その裏側に残された大きな傷跡。

 

 一生消えることのない傷を背負い、俺は歩んで行く。

 

 それが残された俺に出来ること。

 

 自分じゃない誰かの為に生きる。

 

 そしていつの日か……幸せを……。

 

 一生をかけて守りたいと思える人に出逢うまで……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほら起きなさい、いつまで寝てるのよ。学校遅刻するわよ」

 

「う〜ん……もう朝か……」

 

「夜更かしなんてしてるからよ。知ってんのよ、昨日遅くまで起きてたこと。部屋の電気ずっとついてたでしょ」

 

「それもあるけど……。最近変な夢見るんだよね……」

 

「あらそう大変そうね──。てかアンタのスマホさっきからずっと鳴ってるわよ」

 

「え、うそ。うわやっば……今日朝早い日だった……!友達からめっちゃメッセ来てる!ってか家の前に居るって!もう出なきゃ!」

 

「あっ……!こらイヲリ!!お弁当!!」

 

 最近夢に見る、小学校の時の記憶。

 

 よく一緒に遊んでいたあの男の子の名前が。

 

 ずっと思い出せないでいた。




ぼんやりとこういう展開になるんだろうなと思いながら、ここまで書いてきました。
救えなかった命はありますが、生きる糧は残されています。
少年が刀を握る意味は、1人の少女に託されました。

次から新章です。
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