Side: チヒロ
「ミナトは?」
こちらに駆けてきたハクリに、その問いを投げかける。
肩を上下させ、わずかに息を切らしたハクリが苦渋に満ちた表情で口を開いた。
「分かんねえ。別れてからは全然別の方向に行ってたから」
「携帯も繋がらない……。どこに行ったんだ……?」
護衛対象である漆羽さんはハクリが見つけてきてくれた。
あとは全員で合流し、次の目的地へ向かうだけだというのに。
握りしめた携帯電話の画面は、虚しくも呼び出し音を繰り返すだけだ。
おかしい。
いつもなら、俺の着信には誰よりも早く反応するのがミナトなのに。
「もう1人仲間が居るのか?」
その声に思わず顔を上げる。
ハクリの傍らに立つ人物──編笠を深く被り、その隙間から鋭い光を宿した瞳を覗かせている。
「漆羽さん……でいいですよね?」
「OKだ。でも自己紹介は後。追っ手が来てる」
漆羽さんが顎で背後を示す。
その視線の先、ホームの向こうから毘灼が雇ったであろう妖術師たちが、獲物を見つけた獣のような足取りでこちらへ肉薄していた。
「時間が無い。ミナトには後続の列車で追いついてもらおう」
ハクリの提案が今の最善だ。
ミナトには悪いが、今は漆羽さんの安全を最優先しなければならない。
「漆羽さん、これに乗って。次の目的地まで俺達で守ります」
「おし、任せた」
ハクリ、漆羽さんに続いて列車に滑り込む。
俺が列車の扉を潜った直後、プシューという無機質な排気音と共に、外界を拒絶するように扉が閉まった。
〇
使えば使うほど、この刀は身体の一部のように馴染んでいく──。
その"奥行き"に触れるたび、昨日よりも鋭く、昨日よりも重く刀を扱える実感が湧く。
学んだことが血肉となり、技へと昇華されていく感覚。
「鳴」
刹那。
刀身から弾け飛んだ放電が、狭い車内を白銀の閃光で塗り潰した。
焼けるようなオゾンの臭いが鼻を突く。
幸いこの車両に乗客はいない。
手加減という微調整を捨てた雷の奔流が、一直線に敵を貫かんと伸びる。
だが、流石は毘灼の息がかかった手駒だ。
目の前の四人は、網膜を焼くような閃光を紙一重で回避してみせた。
「雷だと……!?こいつの妖術か……!?」
「距離詰めろ、射程外から殺られるぞ!」
「手遅れだけどね」
直線的な通路において、距離を詰めるという判断は正解であり、同時に致命的な悪手だ。
殺意に急かされ、一直線に肉薄してくる術師たち。
「降」
放たれたのは、水の重みを伴う飛ぶ斬撃。
三日月状に奔った二条の刃は、先行する二人の胴体を鮮やかに断ち切った。
窓ガラスに、どろりと熱い赤が飛び散る。
「結」
間髪入れず、足元から絶対零度の波動を走らせる。
逃げ場のない床を伝う氷結が、残る二人の足を瞬時に凍てつかせ、自由を奪う。
「凛」
最後の一撃。
超速の抜刀術。
居合の極致を叩き込んだ瞬間、俺は既に刀を鞘へと戻し始めていた。
遅れて、斬られたことさえ悟らぬまま二人の身体が崩れ落ちる。
「しまった、これじゃ話を聞けない」
愛刀『椿姫』を軽く振り、刃に付着した不浄な血を飛ばす。
静寂が戻った車内で、独りごちた。
毘灼からの刺客。奴らは常に影に潜み、他人の手を汚して目的を遂行する。
一体どれほどの戦力を、そしてどれほどの憎悪を蓄えているのか。
なぜ、あんな連中の元に人が集まるのか。
……理解に苦しむ。
「終わった?」
連結口の扉が開き、右嵐さんがひょこっと顔を出した。
足元に転がる惨劇の跡に、彼女はわずかに目を細める。
「ちょうどね。前の車両に移動しよう、こんな所に居たくない。足元気を付けて」
「は〜い」
血溜まりと亡骸を軽やかな足取りで飛び越え、右嵐さんがこちらへ歩み寄る。
……動じていない。死の臭いに、あまりに慣れすぎている。
それが妖術師という生き方の証明なのだろうか。
「怪我は無い?」
念の為確認する。
「おかげさまで」
そう言いながら、彼女はポケットから柔らかなハンカチを取り出した。
驚く間もなく、それがそっと俺の頬に触れる。
「血、付いてる」
そして慈しむような手つきで、頬の汚れが拭い去られる。
──ほら、そんなに口汚して。拭いてあげるから。
「あ……」
目の前の光景が、セピア色の記憶と重なった。
幼い頃。
まだスプーンさえおぼつかず、食事のたびに口元を汚していた俺。
それを、いつも笑いながら拭いてくれていた──。
「……?どした?」
右嵐さんの姿と、死に別れた姉の面影がダブって見える。
反射的に、頬に添えられた彼女の手を、そっと握りしめていた。
「え?え?何これ、新手のナンパ?」
「……姉さん」
「ね、姉さん……?」
違う。
目の前にいるのは他人だ。
けれど、どうしてだろう。
この人の振る舞いのどこかに、姉さんの温もりを感じてしまう。
「よ、よく分かんないけど……」
右嵐さんは困惑したように目を泳がせた。
だが、次の瞬間には柔らかな笑みを浮かべ、空いた方の手で俺の頭を優しく撫でる。
「守ってくれてありがと」
その言葉に、胸の奥に澱んでいた何かがスッと軽くなるような気がした。
〇
「そっか、楽座市で……」
あの日、あの地獄のような競売会場で起こったことを、右嵐さんに話した。
思い出すだけで心が軋むような出来事を他人に伝えるのは、相応の勇気がいる。
けれど、彼女は茶化すこともなく、静かに俺の言葉を受け止めてくれた。
「……辛い経験をしてきたんだね」
その真っ直ぐな肯定に、どれほど救われただろう。
同情が欲しいわけじゃない。
ただ、自分の中に溜め込んだ毒を、誰かに分け与える場所が必要だったんだ。
姉さんと重なる彼女の笑顔。
その安堵感に甘えた自分を思い出し、急激に顔が熱くなる。
「あ、あの……さっきは変なこと言ってゴメン……」
「ん?変なことって?」
「いや、その、姉さん……って呼んじゃったこと……」
羞恥心で消え入りたくなる。
知り合ったばかりの女性を、よりによって「姉さん」だなんて。
こんなのチヒロやハクリに知られたら、一生の笑い草だ。
恐る恐る視線を上げると、そこにはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべた彼女がいた。
「ふ〜ん……私のこと、そういう風に見てたんだぁ……?」
「ち、違う! 別にそんなつもりじゃ……!」
「ほれほれ。いいんだぞ? 甘えたくなったら、いつでもお姉ちゃんって呼んで?」
肘で脇腹を小突かれる。
……やってしまった。とんでもない弱みを握られた。
楽しそうな彼女の横顔を、恨めしげに見つめることしかできなかった。
各車両を確認しながら前方へ進んだが、結局、漆羽さんらしき姿は見つからなかった。
「くそ、空振りか……」
「ごめんね、私のせいで」
「いや、右嵐さんのせいじゃない。とりあえず、元の駅に戻ろう」
タイミング良く、列車がホームに滑り込む。
向かいのホームの列車に乗れば、チヒロたちと別れた駅まで引き返せるはずだ。
「私は、ここから先の駅で降りるから」
「え……そうなの?」
「うん。別の場所にちょっと用があってね」
さらりと告げる彼女の言葉に、胸の奥で小さな寂寥感が広がる。
もう少しこの人と話していたかった。
そんな子供じみた願いを、口に出せるはずもない。
「そっか。それじゃあ、今日はお別れだね」
「だね。強く生きるんだぞ、少年」
ヒラヒラと手を振る彼女の姿が、閉まるドアの向こうへと消えていく。
俺は彼女が見えなくなるまで見送り、逃げるように向かいの列車へ乗り込んだ。
「……あ! 貸したお金、返してもらうの忘れた!」
気づいた時には、列車は既に夜の闇を切り裂いて走り出していた。
〇
Side:ハクリ
漆羽さんと合流した俺とチヒロは、仙沓寺行きの列車に揺られていた。
ミナトという欠員を出してはいるが、チヒロは「あいつなら心配いらない」と断言していた。
確かに、あいつの実力と判断力なら、どんな困難も乗り越えて後から追いついてくるだろう。
──で。問題は、目の前の漆羽さんだ。
一言で言うなら、この人は「ヤバい」人だった。
「まさか、また六平さんのために戦えるなんてな……!」
最初に会った時は落ち着いた雰囲気だったのに、チヒロの顔を見た瞬間、その目はかっ開かれ、異様なまでの熱を帯び始めた。
チヒロの一挙手一投足を食い入るように見つめ、果てには『淵天』を赤子のように抱きかかえて撫で回す始末。
その間も、目は一瞬たりともチヒロから逸らされない。
「俺は六平さんが世界一カッコイイと思ってるんだ」
「はぁ……」
その瞳は、憧れの英雄を語る少年のように輝いていた。
「……こんなこと聞くのもアレなんですけど。疑ったりは、しないんですか?」
チヒロが恐る恐るといった様子で尋ねる。
「疑う?」
「はい。俺が神奈備の人間じゃないかもしれないとか、父の息子だという証拠がないとか……」
チヒロの不安は理解できる。漆羽さんは追われる身だ。
初対面の俺たちを、即座に味方だと判断する合理的な材料はない。
気を緩めた瞬間に、喉元を掻き切られる可能性だってあるはずなのに。
「何をモサモサ言っとるんだ。君たちのどこに敵だと疑う要素がある? 俺の目はそんな節穴じゃないぞ」
だが、漆羽さんは絶対的な確信を持って言い切った。
「その目、その声、その出で立ち。……どこをどう切り取っても六平さんだ。魂が語ってる」
「あの……息子です……」
「そんなこと分かってる……本当に……久し振りに会えた気分だよ……」
漆羽さんの眼差しは、痛いほどに温かかった。
「一応、護衛はもう一人いるんです。ミナトっていうやつで」
「さっき言ってた、はぐれた子だな。大丈夫なのか、その子は?」
「大丈夫です。ミナトは──『刳雲』の力を使えますから」
その言葉に、漆羽さんは一瞬、言葉を失ったように見えた。
「……驚いたな。今の契約者ということか?」
「……まぁ、そんなところなのかな」
チヒロと顔を見合わせ、首を傾げる。
真実は誰にも分からない。ミナト本人ですら。
『命滅契約』を結び、楽座市で猛威を振るった『刳雲』は、あの戦いで確かに消滅したはずなのだ。
ミナトの体内に、その残滓を刻みつけたまま。
「ミナトから連絡だ。……どうやら後続で追っかけてくるっぽいな」
「お、やったな」
「『刳雲』の子か……会って話してみたいな。どんな子なんだ?」
漆羽さんの質問に、俺は腕を組んで考える。
「うーん……ガリ勉、ですかね。刀を握ってる時間と同じくらい、ペンも握ってるっていうか」
「へぇ。……そうか。彼は『戦い』ではなく、『生きていくこと』をちゃんと見据えているんだな」
「……そうかもしれません。あいつ、お姉さんとの約束をずっと守ってるんです。学校のみんなに遅れを取らないようにって、毎日必ず机に向かってました。……それは、これからも変わらないんだと思います」
亡き姉との約束。
それが、ミナトを繋ぎ止めている楔であり、誇りなのだ。
「……ひとまず仙沓寺へ向かいます。そこにはもう一人の契約者、座村さんがいる。神奈備の護衛も厚いはずです」
「座村さんか。懐かしいな……。分かった、命、預けさせてもらうぞ。……あぁ、言っておくが今の俺は妖術が使えん。刀も鈍りきってる。正直、足手まといになるかもしれないぞ」
「正直なご報告、ありがとうございます」
「大丈夫ですよ。いざとなったら、『威葬』しますから」
軽口を叩き合っていると、不意に車内に停車のアナウンスが流れた。
列車が緩やかに、駅のホームへと滑り込んでいく。
異変に気づいたのは、扉が開く直前だった。
ホームに設置されたベンチ。
そこから滴り落ちる、おびただしい量の鮮血。
乱雑に積み上げられた、物言わぬ人体。
日常の風景の中に、あまりに無機質に「死」が陳列されていた。
それでも、列車はシステム通りに扉を開く。
プシューという排気音が、やけに虚しく響いた。
「ハクリ……」
「おう。漆羽さんは任せて」
チヒロが静かに刀を抜き、立ち上がる。
その紅い瞳は、車内へ踏み込んできた薄桃色の長髪の男を射抜いていた。
「初めましてかな? 六平千鉱」
「御託はいい。……かかってこい」
宙を舞う金魚。
それは、凄惨な殺し合いの幕開け。
──君は『蔵』を使いすぎた。しばらくは妖術を控えた方がいい。
柴さんの忠告が頭をよぎる。
指先が、わずかに震えていた。
けれど、自分の身の可愛さが、大切な友人を一人で戦わせる理由にはならない。
──最善はハクリを信じることだから。今までも、そしてこれからも。お前がいて良かったと俺はもう思ってるよ。
あの日もらった言葉が、俺の原動力なんだから。
チヒロは前方の長髪を。
俺は席から立ち上がり、後方の妖術師集団へと相対する。
俺だって戦うんだ。
同じ覚悟を背負わなければ。
「背中は任せろ、"相棒"」
「頼むぞ"天才"」
そうさ、俺は漣家の子。
かつては恨んだこの遺伝子を、今は友達の為に使うんだ──。