瞼がゆっくりと開かれる──。
「知らない天井だ」
視界に広がったのは知らない無機質な天井。病室に居ることを理解するのに、数秒だけかかった。
……あれ、俺って確か座村さんに斬られて……。
確かにあの時、俺の体は座村さんにバッサリと斬られた。その後双城のせいで無理やり体を動かしていたけど、傷はかなり深かったはず。なのに、今の俺の体にはダメージや傷は見当たらない。
「あれから何日経った……?」
「1日も経ってないよ」
俺の疑問に即座にレスポンスがあった。ビックリしながら右を見ると、薊さんがこっちを見ていた。
「居たんだ……」
「そりゃそうさ、バカ弟子がまた無茶をしたって聞いたからね。会議も抜けてきた」
「大丈夫なの?それ」
「こっちの台詞です。まぁ見たところ座村のお陰で、体の心配は要らなさそうだけどね」
はぁと薊さんは小さく溜息をついた。あれだけ血を流していたのに、体に特に異常は無い。これは座村さんが何かしらの力を使って治癒をしてくれたんだ……。
「"雀"──飛宗の能力の1つで、対象者の傷を癒す事が出来る。僕が来た時にはもう、君は安らかに寝ているだけの少年だったよ。ぐっすりとね」
「そうだったんだ……」
「そうだったんだ……じゃないよ、全く!僕との約束……忘れたとは言わせないよ……?」
言葉に怒気が孕んでいる……。そーっと薊さんの顔を見ると、青筋がピキピキと立っていた。マズイ……これブチ切れてるやつだ……。
「前にも話したよね?」
「えーと……学費払ってもらってるのにあんまり学校に行けてない話……?」
薊さんの顔に青筋が更に浮かび上がる。
「あぁ今のは冗談……!えっと……実はハクリやチヒロと夜中に出歩いてた事を知ってるとか……」
薊さんの顔が青筋で変形した。凄い……およそ人のものとは思えない……。
「間違えた!──チヒロの車を勝手に運転して壁に激突させた……こと……?」
「今度は身体に教え込む必要があるみたいだね」
薊さんが玄力を解放させる。その絶大な量に思わず圧された。指先から黄色い閃光がバチバチと放たれている。……死んだか?
「──君はどれだけ僕に罪悪感を味合わせたら気が済むのさ」
玄力を鎮めさせて、いつもの優しい穏やかな口調に戻る。
『キミが戦って傷付いたことは、この道に向かって手を引いてしまった僕の責任だ』
少し前、双城と戦った時に言われた言葉が思い起こされる。あの時も病院のベッドの上で説教を喰らっていた。今の薊さんはその時よりも暗く沈んだ表情をしている。申し訳なさが胸の奥から浮かんできた。
「心配かけてごめん……」
「謝って済む問題じゃない。今回は座村が相手だったから生き延びただけだ。これが悪い奴だったら?毘灼のメンバーだったら?君はもうこの世には居なかったかもしれなかったんだ」
何も言い返せない。薊さんはいつも正論を言う。色々な方向へ行ってしまいそうになる俺を、後ろから矯正してくれる。そして俺も、それが正しいことなんだって心底理解している。
だけど……。
「……お姉さんが今の君を見たらなんて言うか。君の保護者として、僕は君のお姉さんに顔向け出来なくなるようなことはしたくない……」
狡いな、薊さんは。俺に対して"姉さん"が効果的だということを知っているんだ。
「僕が導いてあげないと」
「それは違うよ、薊さん」
その返しに薊さんは静かに目を見開いた。
「薊さんの気持ちはよく分かる。けど、このまま刀を置いて全てを無かったことにして生きていくなんてことは出来ない」
……我ながら我儘なガキだと思う。けど、約束したんだ。
「後のことは大人に任せて普通の生活に戻る。それも悪いことじゃない。自分で道を決めて、自分の為に生きていく……。でもそれは、姉さんとの約束を破ることになるから……」
薊さんは静かに言葉を待っていてくれる。
「"自分じゃない誰かの為に"……それが約束なんだ……。刀を……"椿姫"を手放した先の未来には……きっと傍に誰もいないと思うから……」
『この人の為なら頑張れる……そう思える人を。そしていつか……一生をかけて守りたいと思える人を』
姉さんの想いと言葉は、この胸に刻まれている。それを蔑ろにして生きていくなんて出来ない。そんな道を歩いても姉さんは笑ってくれない。
「胸を張って生きられるようにならないと」
人を斬ることは正しいことじゃない。
命を奪う行為を肯定するつもりも無い。
もう俺は人の命を"摘んでしまった"。
だから姉さんと同じ所に行けるとも思っていない。
だから尚更、ここで降りる訳にはいかない。
この手に力が有るなら、それを自分じゃない誰かの為に使う。
使命を全うしないといけない、俺が刀を握る意味を。
姉さんが紡いでくれた意志を。
「……結果は分かってたさ。やれやれ……厄介な子を引き受けたもんだよ……」
薊さんは小さく息をつき、ベッド横の小さな丸椅子に腰を下ろす。
「座村は1人で全てに片を付ける気だ」
俺は黙って次の言葉を待つ。
「妖刀契約者全員を1度殺し、命滅契約を解除させる。殺すと言っても"雀"で治癒すること前提だけどね。だけどそうすることで、剣聖を殺した時に連動して契約者達が死ぬ事を防げる」
「じゃあチヒロは……」
「1回死んで、多分今頃目を覚ましてるんじゃないかな」
「奇妙な人生送ってるね、あいつも」
君が言えたことじゃないよ、と薊さんは付け加えた。
「戦いの場から皆を遠ざけようとしているんだ。剣聖を相手にするとなると……生半可な力じゃ太刀打ちできない。最低でも妖刀の力が無いと。皆もそれを知っているから、だから座村は契約者から妖刀の力を失くさせたんだろう」
「自分1人で戦う為……か……」
──地獄には行くのは俺だけでいいんだ。チヒロもミナトも……全部を忘れて刀を置いてくれればそれで……。
仙沓寺で斬り合った時、座村さんはそう言っていたのを思い出す。自分1人で全てを背負い込むような発言が目立っていた。戦争を経験し、多くの人の死を体感して、何か思う事があったんだろう。あの人は優しい人だから。きっと座村さんも、誰か他の人の為に動いているんだ。
剣聖……この国の英雄……。楽座市で彼が握った"真打"の威力は実感している。京羅があの時どれ程の力を引き出せていたかは分からない。それでもかなりの苦戦を強いられた。それをもし、契約者である本人がその力を奮う事になったら……。
斉廷戦争の裏話は知っている。表向きにはこの国を救ったとされる"真打"は、その力を持って敵国の全てを根絶やしにした。錯乱か、暴走か。最終的に当時の妖刀契約者全員がかりで剣聖を止めた……。
そんな強大な力を持った人を相手に、たった1人で立ち向かうなんて……。
「そんなこと……させてやらない……」
「……ミナトくん」
他者を巻き込まないようにする座村さんの気持ちは分かる。周りの人や大事な人たちに傷付いて欲しくないから。けどそれじゃあ、座村さんが辛い時や苦しい時、誰があの人を助けてあげられるんだ?
「烏滸がましいのは分かってる。それでも、俺は救われたんだ。姉さんに繋いでもらったこの命は、俺も他の人の為に使いたい」
学生風情が英雄に対してこんなことを思うのは、分不相応かもしれない。だからと言ってこのまま何もしなかったら、きっと後悔する。俺にだって出来ることはあるはずだから。
「妖刀の能力が1つだけじゃ心許ないでしょ。"刳雲"が消えた時に一緒に命滅契約は解除されたけど、俺の中にまだ力は残ってる。俺だけなんだ、座村さんと肩を並べて戦える可能性があるのは……」
この時の為だったのかもしれない。俺に力が残されたのは。たった1人で戦いに行く座村さんを助けることが出来るのは、同じ妖刀の力を持つ俺だけ──……。
「調子に乗るな」
「!?」
突如として病室の扉が勢いよく開かれた。肩をビクつかせて目を向けると、そこには傷だらけのチヒロが不満そうな顔で立っていた。
「ミナト……お前だけじゃない……。俺も戦える……」
そう言うチヒロの手には、"淵天"がしっかりと握られていた。
「昔言ってくれたよな。"俺も隣を歩くから"って。あの言葉、そっくりそのまま返してやる」
「……覚えてたか。ま、チヒロがこのまま大人しく引き下がるとも思ってなかったけどね」
「俺の事はお前が1番よく分かってる」
「意味深な発言は控えようか」
頭の片隅で予想はしていた。チヒロも同じ立場なら、同じ事をすると。後ろで頭を抱えている柴さんを見ると、チヒロも折れなかったんだろうな……。
「柴……止められなかったか……」
「人のこと言えへんやろ」
「若さには勝てないな」
「悲しなるからそれ言うの辞めよ」
何はともあれ、早速行動は開始しないといけない。時間はそう多くはない、座村さんのことだから入念な計画を練ってそれ通りに動いているんだろう。
……と言っても、この状況から次は何をしていけばいいのか──。
「──って顔してるな」
突如として頭の上から声が降ってきた。有り得ない方向からの言葉に、すぐさま首を上に向ける。するとそこには、サングラスをかけた少年がこちらを見下ろしていた。
「安心しろ、プランはある。一先ず君らは我々"巻墨"と行動を共にしてもらう」
「巻墨……?」
「そ、昔に座村さんと一緒に行動をしてたのさ」
ニヤリとサングラスの少年はほくそ笑むと、上手に体を反転させ地面に着地してみせた。あれ……この人どっかで見たことあるな……。
「あ!確か仙沓寺にいた人!」
「ご名答、あんま話せなかったけどな」
指をパチンと鳴らしながら、巻墨の少年は言葉を続けた。
「当面の目的は座村さんとの接触……それを達成するためにはまず……」
俺とチヒロは息を飲んで、次の言葉を待った。一体どんな作戦が展開されるのだろうか……。
「女子高生を拉致する!!!」
意気揚々と言い放たれる。
それを聞いて思った。
あ、これ姉さんに顔向け出来なくなるやつだと……。
めちゃくちゃ今更な話ですが、『』で閉じてある言葉は過去の台詞からの引用っていう意味合いです。
ーーを使って表現する時もあります。