ヤマブキシティの繁華街を少し外れたビルの三階に、その部屋はあった。入口にイーブイを模したマークが描かれた部屋だった。
その部屋の奥に入ると、そこは真ん中にデスクが置かれた小さな事務所になっていた。奥の窓際にも大きなデスクが置かれている。デスクの向こう側には、部屋の入口に背を向けて背もたれの高い椅子が置かれていた。
事務所の真ん中には、ミナトとクチートが少ししゅんとした様子で立っていた。
ふたりの向かい側には赤茶色の髪をツインテールにした少女が立っている。
少女は腰に手を当てて言った。
「まったく……今回の依頼は締切間際の漫画家さんの原稿を編集部に届けることでしょ?」
「うん……そうだったかも」
とミナトは言った。
「でもさ、ツキホ。漫画家さんは喜んでくれたよ」
「でも編集部は喜んでないわ。一体どうして! あなたたちは! 漫画原稿を届けるだけの依頼なのに、ビルの窓は壊す、道路にヒビは入れる! おまけに編集長の顔面にタイヤ痕を付けるなんて結果になるのよ!」
「ちなみに修繕費は……」
と、部屋の隅にある椅子に座っていた少年は電卓をいじりながら言う。ややはね気味の黒髪をウルフカットにした少年だった。
「ざっと……こんな感じだな」
「えぇっ、こんなに! そんなぁ、サクヤぁ……」
「ま、見ての通り、今回の依頼料は全部パーだな」
「これで私たちもこれから毎日毎日、もやし生活ね……。ポケモンたちのご飯もグレードダウンしなきゃいけないわ」
「クチ!」
クチートがショックを受けたような顔をした。
「でも……ジュンサーさんだって、泥棒逮捕に協力したこと……喜んでくれたし……」
「ジュン……サー……さん?」
ツキホがその言葉を繰り返した。
「うん、そうなんだ。帰り道に編集部とは違うビルの窓を割っちゃったのは、突然泥棒に遭遇したからで……」
「ど、どうしてそのことを黙ってたのよ!」
「どうしてってそれは別に訊かれなかったからで……」
「あぁ、ジュンサー様!」
ツキホは両手を胸の前で組み合わせた。
「また始まった……」
サクヤはため息をつく。
「ジュンサー様に協力してたのなら話は別よ。あぁ、憧れのジュンサー様。この街の平和を守るヒーロー!」
「駄目だなこいつも」
サクヤは言う。
「まぁとにかく、所長の判断をあおごうぜ。どうしますか? 所長」
サクヤは大きなデスクの向こう側にある背を向けた椅子に呼びかけた。
椅子がゆっくりと回転した。そこに座っていたのは人間……ではなく、首からドッグタグをぶら下げたイーブイだった。
「ブイ」
イーブイはデスクの上に前足を置いた。そこには「ポケモンサービス」のチラシが乗っていた。
「うん、所長は新しい依頼を受けるためにチラシを配ってこいって言ってるぜ」
「相変わらず……なんでわかるの?」
ミナトは言った。
「『ポケモンサービス』でーす! お困りのことがあったらなんでも依頼してくださーい! 便利屋やってまーす!」
ミナトはヤマブキシティの広い通りで「ポケモンサービス」のチラシを配っていた。クチートもその隣で周囲をキョロキョロと見回している。
「何? 便利屋さん? でもあの子可愛い!」
ミミロルを連れた十六歳くらいの少女の一団が目の前を通り過ぎていった。
「か、可愛い……?」
ミナトはそれを聞いて顔をひきつらせる。
「クチー!」
突然、クチートがその少女たちの一団に大顎を向けて威嚇を始めた。
「で、でもあのポケモン、ちょっと怖いかも……」
少女たちの一団は遠ざかっていく。
「あっ、クチート。駄目だって、お客さんになるかもしれない人たちを威嚇しちゃ」
「クチ」
クチートはミナトからふんっと顔を背けた。
「わかんないクチートだなぁ」
その時、ミナトは後ろから声をかけられた。
「ちょっと君、いいかね」
「え? なんですか?」
振り返ると、そこにはサングラスをかけたスーツ姿の男が立っていた。
「君は……確かさっき、ジュンサーさんに協力して泥棒を捕まえていたね」
「はい、そうですけど……」
「クチ?」
クチートも首を傾げる。
「おぉ、それは良かった。悪人退治の依頼も受けているのかね」
「えっ、それは……」
「うんうん、わかるぞ。君くらいの歳になると恥ずかしいんだろう。自分の善行を素直に認めることが」
「いや、別にそういうわけじゃ……」
「私だって君くらいの歳の頃は……」
あぁ、壊滅的に話を聞かないタイプの人だ、この人。ミナトは思った。
「話が逸れてしまったな。実は私はある名家に仕えている執事なのだ」
「執事……さんですか?」
すごい、本物を見るのは初めてだ……。
「あぁ、そして先日、我々の家にある『手紙』が届いてな」
「『手紙』……?」
「しかし……路上で話すのも難だから、車に乗って、我々の屋敷へ向かいながら話そう」
「え、でも、ツキホたちにことわってからじゃないと……」
「いいから、遠慮しなさんな、少年よ」
執事はミナトの背中を押して誘導する。
「クチ?」
クチートもそんなふたりについて歩いてきた。
やがてふたりがたどり着いたのは、黒くてピカピカな一台の車だった。
「さ、乗って乗って」
執事に促され、ミナトは後部座席に座る。クチートはその膝の上に乗ってきた。
「クチ」
そして得意げな表情をする。執事はミナトの隣に座った。運転手が車を発進させた。思いのほか急発進だったので、ミナトの身体は後方にグンっと仰け反りそうになる。
「では、話そう。何があったのかを」
執事はそう言って、懐から一枚の手紙を取りだした。裏面に「X」をあしらったマークが書かれている。
「今夜、貴殿の邸宅に『王の石』を頂きに参ります。怪盗エックス……?」
「我々上流階級の人間たちを日夜騒がせている怪盗だ」
「でも、怪盗ってものを盗む悪い人じゃ……警察にはこのことを……」
「駄目だ。警察には言ってはいけないというのが私が仕えている夫妻の意見だ。警察に言えば、私たちの一家がいい意味でも悪い意味でも世間から注目されることになる。そうなることは……なるべく避けたい……と」
「でも、やっぱり警察には言った方が……これは僕ひとりでなんとかなる話じゃなさそうだし……」
ミナトは流れていく景色に目を向けた。
「そこをなんとか……頼む! お願いだ……!」
お願い……! その言葉がミナトの心の中を駆け巡った。
「お、お願……い?」
「あぁ、途方に暮れていたところ、街で泥棒を捕まえた君とそのポケモンを目撃したんだ。だから……頼む」
執事は手を合わせた。
「お願い……お願い……」
ミナトはその言葉を繰り返した。
「わかりました! 僕におまかせください!」
ミナトは言う。
「おぉ、助かった。あなたは救世主のようなお方だ!」
「クチ……」
クチートはため息をついた。