1996 8/2 新潟県
サムライ。かつてこの日本国にいた刀を用いる武人のことをさす。彼等は時代の流れとともにその姿を消していった。しかし、消滅したわけではない。数える程度だが、その魂を受け継いだ者は存在している。
この男もその一人だ。男の名は、『黛大成』。
「ようこそ、こんな田舎町においでくださいました。”剣聖殿”。」
「その呼び方は、堅苦しくて好みません。”黛”で結構ですよ。」
新潟県の隅にある田舎町。地方の役所としては一回り小さい建物でこの町の町長と会話しているのは、人間国宝・『黛大成』である。
かの『剣聖』がこんな田舎町に来たのは、近々この町で開催される祭りのゲストに呼ばれたからだ。温和で人徳のある彼は喜んで引き受け、こうして赴いたのだ。
「ここは良い処ですね。とても穏やかで、心を落ち着かせてくれる。」
「ははは..貴方にそう言ってもらえると、ここの住人として鼻が高いですよ。」
町長と黛は朗らかに語らう。その後の祭りの打合せも滞りなく終わり、町長は黛に提案した。
「そうだ。お時間がよろしければ、一緒に町を散策しませんか? 是非ともご覧になっていただきたい場所があるんです。」
「もちろん、私からもお願いします。」
二人は役所を後にして、町へと歩いて行った。二人が歩いたのは、何気ない商店街。地元で慕われている酒屋があり、新鮮さを売りに互いにライバル視している八百屋と魚屋、子供達で賑わう駄菓子屋。
「....この町は、本当に素晴らしい。古き良き”キズナ”を感じさせてくれる。」
「こんな田舎だと、ショッピングモールなんて建てられませんからね。それが幸いしたんですよ。」
親しみを感じさせる町並みを拝見し、役所に戻ろうとしたそのとき、道の外れに大きな道場があるのに黛は気が付いた。
「町長さん、あそこは? なかなか立派な道場ではありませんか。」
「....あぁ、あそこ、ですか...」
町長の声が明らかに哀調をおびたのを黛は感じ取った。
「....黛さんなら、なんとかしてくれるかもしれません。」
「..? よければ、詳しい話を聞かせてください。」
町長は黛に話した。ある”少年”のことを.....
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その武家屋敷は江戸のころからあるらしい。大きな屋敷に相応しい広い庭で。少年が一人いた。
「...ひゃくきゅう、じゅうは、ち..ひゃくきゅ、じゅ....く、......に.ひゃ、く..!」
ガシャンッ! という音とともに、少年は地面に倒れる。音をたてたのは、先程少年が振っていた”真剣”だった。
全身から滝のように汗を流し、荒く呼吸をする少年。四肢はよく見ると痙攣しており、何も知らぬ人が見れば即救急車を呼ばれるだろう有様だった。
「はぁ、はぁ、まだ、、あと、素振り..にひゃく、かい..」
素人が見ても絶対安息が必要なほど疲労しているにも関わらず、少年はさらに肉体に負荷をかけるつもりでいるらしい。
少年がこんなふうに己を痛めつけるようになったのは三ヶ月前のことだ。少年は祖父が死んでからというもの、ふさぎこんでしまっていた。それがどうしたことか、突然少年は体を鍛え始めた。いや、それはもう鍛錬と呼べるものではない。まだ学び舎にも通っていない子供がやるには度がすぎた鍛錬を少年はしだした。
最初、大人達は少年を止めた。しかし、少年は止まらなかった。まるで怨霊に憑りつかれたかのように、体をいじめ続けた。
本来、体を鍛えるというものは、年齢や筋力に合わせてじっくり行うもの。ましてそれが年端もいかない子供とあれば、なおさらだ。しかし、少年がやっているのは子供どころか大人でもできるかどうかのものだった。
毎日休むことなく、成人が使う用の真剣の素振りを四百回。腕立てをはじめ腹筋、背筋、脚筋トレーニングをそれぞれ二百回。さらに走り込み五時間。これを毎日行っていた。
医学からみても、過度の肉体負荷は体を壊すとされている。しかし、そんなことを少年は知らない。ただ、鍛えたら体は強くなる、と思い込んでいる少年は、ひたすら体に重い負荷をかけたのだ。
何故少年はそんなことをするのか。近所に住む老婆が一度少年に尋ねた。すると、
「強くなるため、じいちゃんの”夢”をかなえるため..!」
と、少年は答えた。
少年の祖父は近所でも有名な『剣客』だった。豪快で面倒見のいい人柄な少年の祖父は町のみんなの人気者だった。少年も祖父が大好きでしょっちゅうついてまわっていた。その祖父が交通事故で亡くなったのは半年前だ...
「.....あれ? ね、てた?」
あまりの疲労に気絶していたのだろう。汗はひいたものの、今だいうことをきかない体を動かそうとした。
そのときだった。
そっと頭を撫でる感触がした。それは暖かく、懐かしい感触だった。
「...じい、ちゃん?」
「....いや、私は君のお爺さんではないよ。」
目を声の方へむけると、そこには時代劇に出てくる”武士”の格好をした壮年の男性がいた。
「....こんな冷たい地面に寝ていると、風邪をひいてしまうよ。」
「...あ、」
男は少年を抱きかかえると、屋敷の中に入っていった。
「(......暖かい。)」
まるで祖父のようだ、と少年は思った。その暖かさに心の芯が緩んだのか、少年は再び眠りについた。
町長から話を聞いた黛大成の動きは早かった。すぐに屋敷に向かい、件の子供に合おうとした。屋敷につけられたインターホンを鳴らそうとしたそのときだった。何かが落ちる音が庭先から聞こえたのは。いや、何かではない。黛はその音をよく知っていた。この音は、”真剣が落ちた音”だ。
急いで庭に向かった黛が目にしたのは、地面に倒れ伏す少年だった。痙攣している四肢、汗だくの顔。気を失っているのか...黛は少年に近づいていく。途中、少年の意識が回復した。少年は黛に気付いておらず、まだ体を動かそうと無理に力をいれようとした。
そっと...黛は少年に近づき、その頭を優しく撫でた。
「(....こんな子供が、なんて無茶を....)」
黛は躊躇なく少年を抱きかかえ、屋敷に入っていった。屋敷は広さに似合わず、人の気配がなかった。町長が言っていた通り、この子供が一人だけで暮らしているのだろう。しばらく進むと布団が引いてある部屋にいきついた。おそらく、この少年の部屋だろう。黛は少年を布団に寝かせると、改めてその体を観た。
「酷いものだ....ほんの後少しでも遅ければ、取り返しがつかない事になっていた。」
黛は肝が冷えた。もしも、自分がこの屋敷に興味をもち、町長に話を伺わなければ....もしも、自分が今日この町に来ていなかったら....この少年は間違いなく”壊れていた”。
黛大成には子供がいた。その子は目の前にいる少年とたいして年は離れていない。だからだろうか。黛はこの少年を放っておけなかった。
「...ん、ぅあ...ぇ、あ?」
「....大丈夫かい?」
目を覚ました少年はまるで狐につままれたような顔をしていた。それはそうだろう。見慣れた部屋で目が覚めたら、見知らぬ男がいるのだから。
「あぁ、自己紹介しないといけないね。私は『黛大成』』、この屋敷によったところ、庭先で倒れている君を見つけてね。勝手に家にあがったのだが、許してくれ。」
「.......」
まだ状況をつかめてないのだろう。漠然とした顔で少年は黛を見ていた。
「.....それにしても、君は無茶をする子だね。」
「?」
「真剣なんて、子供の振るものじゃあないよ。」
そう言われて、少年はハッとした顔になり起き上がろうとした。しかし、体の疲労はまだとれていないようで、四肢がきしむ痛みに顔をゆがめた。
「ッ!」
「....無理をしてはいけない。少なくとも、むこう一週間は絶対安静だ。」
「....で、も..! ッ、つ!」
それでも起きようとする少年に見かね、黛は少年の体を”目にも止まらぬ早さ”で突いた。
「ッ!? ぇ、うご、け...」
「人体には様々な”ツボ”が存在しているんだ。君に突いたツボは、体の動きを麻痺させる効果をもつ。」
「.....なん、で...?」
「.....いいかね? 君は幼いから、人体の仕組みなんてさっぱり分からないだろう。いいかい? 体っていうものは、とても繊細で傷つきやすいんだ。その年で自己鍛錬しようとする気概は立派だ。だが、度が過ぎた鍛錬は成果につながらない。」
「.....」
「おっと、難しく言いすぎたね。そうだな.....君はね、”頑張りすぎ”たんだよ。体が痛むのは、もうやめて、休んでって体が君にいっているんだよ。」
なるべく子供でもわかりやすい言葉を選んで黛は少年の現状を伝えた。少年も理解できたらしく、黛に尋ね返した。
「...でも、つよくなりたい。」
「.....それなら、ゆっくりでいい。正しい運動をするんだ。そうすれば、体も痛くならないし、成果もでる。」
「......でも.....」
「.......何か、わけでもあるのかな?」
黛は、少年がこうなった経緯を町長から聞いていた。が、直接この少年の口から理由を聞きたいと思った。その口から、望んで苦行を続けるわけを、聞きたいと思った。
「.......つよく、なりたい.....『じいちゃんの剣』ができるために....」
「じいちゃんの剣? 詳しく教えてくれないか?」
少年は、懐かしむように黛に話した。祖父のことを。祖父の性格を、祖父との生活を、祖父の振るう剣を、全て話した。
「.....そうか。君は、お爺さんが大好きなんだね。」
「うん。すごくかっこよかった....だから..」
「.......」
「じいちゃんは『最強』になるのが”夢”だったから....おれ、じいちゃんと同じ”夢”をめざすって....約束したから....だから、おれが...『最強』になったら..」
「天国にいるお爺さんが、喜ぶと思ったんだね。」
「うん。」
本当に、この少年は祖父を心から尊敬していたのだ。黛はそう感じ取った。そして、自分が祖父の剣を使うことで、この少年は祖父の生きた証を残そうとしたのだ。それが、祖父のためになると信じて.....
黛は深く目を閉じ、そして、少年に提案した。
「.....ねぇ、君。よければ、おじさんの家に来ないか?」
「...え?」
「おじさんね、君のお爺さんと同じ『剣客』なんだ。だから、おじさんが君に剣の使い方を教えてあげよう。」
黛の提案に少年は目が点になっていた。対して、黛は真剣に話をもちかけていた。それは同情からとった提案ではなく、祖父の証を残そうとする幼き子供の覚悟に敬意を表しての提案だった。
「....でも、家は...それに、おれはじいちゃんの...」
「大丈夫。私が教えるのは剣の基礎だ。どんな流派だろうと、みな基礎は同じだ。君はまずそこから学ばなければならない。それに家の方も問題ない。私から町長にかけあおう。それに、私は結構顔がひろいからね。君のお爺さんのふるっていた剣術を使える人がいないか探してあげよう。」
「....どうして?」
「何がだい?」
「どうして、そんなによくしてくれるの?」
「....深い理由はない。子供を助けるのは、大人の仕事だからね。」
黛は少年の頭を再び撫でた。少年は短い間ながらも、この人は信頼できる人だと感じた。震える手で、少年は黛の手をとり、応える。
「ほんとうに? 俺、つよくなれる?」
「あぁ、約束する。」
少年は黛の手をかたく握った。黛はそれを肯定の挨拶と受け取った。
「....あぁ、そうだ。忘れていた。」
「?」
「君の名前を聞くのをだよ。私の方から一方的に自己紹介してしまっていたからね。」
そういえば言っていなかった。少年は黛の目を見て、祖父につけてもらった大切な、自慢の名前を教えた。
「.....
これが、後に『最強の剛剣使い』と称される雪代烈と、二番目の師・黛大成との出会いであった。
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