美少女たちが金を払えば耳かきをしてくれる。しかも好感度が高い 作:三重知貴
翌日の放課後。 私は苛立ちを隠すように、カツカツとヒールの音を響かせて廊下を歩いていた。
昨日の勝利の余韻は、一夜にして消え去っていた。 「外堀を埋める」――そう決意した私の計画に、早くも狂いが生じていたからだ。
ターゲットである彼の姿が、放課後のチャイムと同時に消えた。 まるで煙のように。 私の生徒会ネットワーク(という名の、彼を目で追っている女子生徒たちの噂話)にも、彼が昇降口から出たという情報はない。つまり、彼はまだ校内にいる。
運動場にはいない。昨日の今日で、あの早瀬さんが彼を捕まえ損ねるとは思えないけれど、彼女もまたグラウンドで「あいつどこ行ったー!?」と叫んでいるのが見えた。 教室にもいない。 生徒会室にも来ない。
なら、残る場所は一つしかない。 この学園で最も静かで、最も閉鎖的で、そして私が最も警戒すべき「魔女」が住む場所。
北校舎の最奥。 図書室。
私は重厚な木の扉の前に立ち、深く息を吸った。 ここから先は、私の管轄であって管轄ではない。 生徒会長としての権限は及ぶけれど、そこの空気(ルール)を支配しているのは、別の女だ。
扉に手をかけ、押し開く。
途端に、冷やりとした空気が肌を撫でた。 古い紙とインクの匂い。ワックスの匂い。 そして、鼓膜を圧迫するほどの、重苦しい静寂。
夕日が書架の列を長く伸ばし、舞い上がる埃を照らし出している。 その光景は美しく、そしてどこかこの世ならざる異界のようだった。
私は足音を忍ばせて奥へと進む。 カウンターには誰もいない。 貸出業務など放棄しているのか、それとも今の時間は誰も来ないことを知っているのか。
さらに奥。 一般の生徒があまり立ち寄らない、閲覧スペースの死角。 そこに、彼らはいた。
窓際の席。 西日を背に受けて、彼が机に突っ伏して眠っている。 規則正しい寝息。無防備な背中。 昨日の私の膝の上で見せたのと同じ、安らかな寝顔。
そして、その向かいの席に。 一人の少女が、彫像のように座っていた。
図書委員、月見里静。
切り揃えられた黒髪のボブカット。透き通るような白い肌。 彼女は分厚いハードカバーの本を開いているけれど、視線はページには落ちていない。 じっと、彼を見ている。 ただひたすらに、眠る彼を観察している。
その瞳の暗さに、私は背筋が粟立つのを感じた。 熱はない。激情もない。 けれど、そこには底知れない「執着」と、蜘蛛が巣にかかった蝶を愛でるような、粘着質な所有欲があった。
(……見つけた)
私は音を立てずに近づく。 彼女の聖域を、土足で踏み荒らすために。
彼女が、ゆっくりと顔を上げた。 私と目が合う。 動揺はない。「チッ」という舌打ちが聞こえてきそうなほど、冷ややかな視線が私を射抜く。
「……何?」
唇の動きだけで、彼女が問うた。 声に出さないのは、彼を起こさないためか、それともこの静寂を壊したくないからか。
「生徒会長として、校内の見回りに来たのよ」
私はあえて、普通の声量で答えた。 静寂というガラスを、私の声で叩き割るように。
月見里さんは眉をひそめ、人差し指を唇に当てた。 『静かにしろ』という命令。 彼女は本をパタンと閉じ、音もなく立ち上がった。 そして、机を挟んで私と対峙する。
「……うるさい。ここはお喋りをする場所じゃない」
ウィスパーボイス。けれど、その響きは鋭利な刃物のようだ。 彼女は自分の身体で彼を隠すように立ちふさがった。
「彼を探していたの。……連れて帰るわよ」
「……お断り」
即答だった。 彼女は背後の彼を一瞥し、再び私に向き直る。
「……彼は今、休んでる。邪魔しないで」
「ここで寝ていたら風邪を引くわ。それに、生徒会で彼に用事があるの」
「……嘘つき」
彼女の瞳が、侮蔑の色を帯びる。
「……貴女からは、独占欲の匂いがする。……政治的な理由をつけて、彼を縛り付けたいだけ」
図星を突かれる。 この女、勘が鋭い。普段、本ばかり読んで人間と関わっていないくせに、人の醜い感情には敏感なようだ。
「それは貴女も同じでしょう? 彼をここに囲い込んで、何をするつもりだったのかしら」
私は反撃に出る。 彼女の視線を逸らさず、一歩踏み込む。
「……別に。ただ、本を読んでいただけ」
「彼の寝顔を眺めるのが、読書?」
「……観察も、勉強のうち」
彼女は悪びれもせず言い放った。 そして、机の上に置かれた彼の手――無防備に投げ出されたその指先に、そっと自分の指を這わせた。
ゾクリとした。 触れ方が、いやらしい。 性的な意味ではない。もっと精神的な、彼の魂に触れようとするような、湿度のある指使い。
「……彼はね、外の世界がうるさいから、ここに来たの」
月見里さんが、ポツリと語りだす。
「……貴女みたいな、キラキラした『正しさ』や、グラウンドの『騒音』に疲れて……静けさを求めて、私を選んだ」
彼女は勝ち誇ったように、薄く笑った。
「……貴女には作れない。この、何もない静寂は」
悔しいけれど、彼女の言う通りかもしれない。 私は常に、彼に何かを与えようとしてきた。 お弁当、地位、役割、そして私の愛情。 足し算の愛。 けれど、彼女が提供しているのは「引き算」の愛だ。 何も求めない。何も話さない。ただ、世界から隔絶されたシェルターを提供する。 疲れた彼にとって、それがどれほど甘美な毒になるか。
(……危険だわ)
早瀬理緒のような分かりやすいライバルよりも、この女の方が数倍厄介だ。 彼女は彼の「逃げ場」になろうとしている。 一度そのぬるま湯に浸かってしまえば、彼はもう、戦場(現実)には戻ってこられなくなるかもしれない。
「……そうね。確かにここは静かだわ」
私は冷静さを取り戻し、微笑んだ。 負けを認めるわけにはいかない。 彼が必要としているのが「静寂」なら、私もそれを提供すればいい。 ただし、彼女のような「停滞」ではなく、明日への活力を生む「休息」として。
私は彼女の横をすり抜け、彼の元へ行った。 月見里さんが「あっ」と声を上げるが、構わない。 私は彼の肩に手を置き、耳元に口を寄せた。
「……起きなさい。可愛いお寝坊さん」
甘く、優しく。 けれど、脳髄に届くような響きで囁く。
彼が「ん……」と身じろぎし、ゆっくりと目を開けた。 焦点の合わない瞳が、私の顔を捉える。 状況が飲み込めていないのか、彼はぼんやりと私と月見里さんを交互に見つめている。
「……うるさいのが来たから、目覚ましになっちゃったみたい」
皮肉たっぷりに言う月見里さん。 私はそれを柳のように受け流し、彼の腕を取った。
「さあ、行きましょう。……ここじゃ身体が痛くなるわ。もっと寝心地の良い場所を用意してあるの」
私の言葉に、彼は少し顔を赤くした。 昨日の生徒会室での出来事を思い出したのだろう。 よし、反応あり。
彼は素直に立ち上がろうとする。 拒絶もなければ、肯定もない。ただ流されるままに身を任せる。 その危うさが、私を焦燥させ、同時に支配欲を掻き立てる。
「……待って」
月見里さんが、机の下から一冊の本を取り出した。 真っ黒な装丁の、分厚いハードカバー。 見るからに重苦しい、海外文学の翻訳本だ。
「……彼には、これを貸す約束をしてる」
彼女は、その本を彼の胸にドンと押し付けた。
彼が「え?」と小さく声を漏らす。 身に覚えがないという顔だ。当然でしょう、今決めたのだから。
「……貸す。感想、聞くから」
有無を言わせぬ圧力。 これは「宿題」だ。 彼に本を持たせることで、家に帰ってからも彼女の存在を意識させる。 そして「感想を聞く」という名目で、次回の約束を取り付ける。 地味に見えて、高度な束縛術だ。
(……やるわね)
私は彼の手から、その黒い本をそっと取り上げた。
「へえ、カフカ? ……少し、彼には重すぎるんじゃないかしら」
パラパラとめくる。文字がびっしりと詰まっている。 疲れている彼に、こんな陰鬱なものを読ませようだなんて。
「……返す時の楽しみがある」
月見里さんは譲らない。
「……それに、私の栞(しおり)、挟んであるから」
意味深な言葉。 本に挟まれた栞。それは、彼女のマーキング。
彼がおろおろと、私と月見里さんを交互に見ている。 本を受け取るべきか、断るべきか。 二人の女の間で板挟みになる彼。 その困った顔が、どうしようもなく可愛い。
「……分かったわ」
私は本を彼に返した。 ここで無理に取り上げれば、私が「心の狭い女」になってしまう。
「借りておきなさい。……でも」
私は彼の手を引き、立ち上がらせた。
「読むのは、私が許可してからよ。……今日はもう、文字を見るのも疲れるでしょう?」
彼はコクコクと頷き、安堵したように息を吐いた。 本を大事そうに抱えながらも、その身体は私の引力に従っている。
「なら、目を休めなさい。私のところで」
私は彼の腕に自分の腕を絡ませた。 密着する。 柔らかい感触を、彼の二の腕に押し付ける。
月見里さんの視線が、私の腕に釘付けになる。 彼女にはできない芸当だ。 彼女の武器が「精神的な共有」なら、私の武器は「物理的な干渉」と「圧倒的な行動力」。
「行きましょう。紅茶が入ったわ」
私は彼を引きずるようにして、図書室の出口へと歩き出した。 彼は去り際に、月見里さんに申し訳無さそうな、しかしどこか名残惜しそうな会釈をした。 その視線が、私の癇に障る。
月見里さんは、動かなかった。 ただ、静かに私たちを見送っていた。 けれど、その背中に突き刺さる視線の冷たさは、出口を出るまで消えなかった。
「……返さなかったら、角で殴る」
去り際に聞こえたボソリという呟きが、空耳でないことを祈りたい。
◇
生徒会室への帰り道。 彼はずっと黙っていた。 時折、腕の中にある黒い本に視線を落としている。
その横顔を見ていると、胸がざわついた。 物理的には私の隣にいるのに、精神の一部があの薄暗い図書室に残されているような気がしてならない。
「……」
私は無言で、彼の腕を抱きしめる力を強めた。 私の体温を、匂いを、存在を、彼に刻み込むように。
彼はハッとして私を見た。 そして、照れくさそうに視線を逸らし、でも腕を振りほどこうとはしなかった。 その微かな反応に、私は少しだけ安堵する。
「……強引だったかしら?」
「…………」
彼は首を横に振った。 そして、はにかむような笑顔を見せる。 言葉はないけれど、「ありがとう」と言ってくれている気がした。 あるいは、私と月見里さんの間で揺れ動く自分を持て余して、誰かに引っ張ってもらうことを望んでいたのかもしれない。
「ふふ。静かなのは良いことだけど、沈黙は毒にもなるわ」
私は彼の耳元で囁く。
「貴方には、適度な『音』が必要よ。……私の声とか、ね?」
彼は耳を赤くして、小さく頷いた。 素直だ。本当に、危なっかしいほど素直で、愛おしい。
「必要ですね。」
「……調子のいいこと言って」
私は照れ隠しに、彼の脇腹をつねった。 彼は「いっ」と声を上げ、身をよじる。
その反応を見て、ようやく私の心に余裕が戻ってきた。 早瀬理緒、月見里静。 二人のライバルを退けた。 けれど、それは一時的な勝利に過ぎない。
彼女たちは諦めないだろう。 それぞれの手法で、彼を狙ってくる。 特に月見里さんの「本」という呪いは、家に帰ってからも効力を発揮する時限爆弾だ。
(……負けない)
私は隣を歩く彼の横顔を見つめた。 この人を、誰にも渡さない。 そのためなら、私は鬼にでも悪魔にでもなってみせる。
でも今は、この温もりを独占できる喜びを噛み締めよう。 生徒会室のドアが見えてきた。 あの中に入れば、また二人きり。
「ねえ」
私が呼びかけると、彼がこちらを見る。
「今日は、耳かき……してあげましょうか?」
私が提案すると、彼の顔がパァッと輝いた。 まるで尻尾を振る子犬のように、瞳に期待の色が宿る。
食いついた。 やはり、このカードは最強だ。
「ええ、特別よ。……その代わり」
私は彼の耳元で、悪戯っぽく囁いた。
「感想、たっぷりと聞かせてもらうわよ? ……身体でね」
彼の顔が真っ赤に染まる。 可愛い。食べちゃいたいくらい。
私の戦いは、順調に進んでいる。 ……今のところは。 次の敵が、どんな手を使ってくるか、まだ知る由もなかったけれど。 今はただ、彼の手を引くこの手のひらの熱さだけを、信じることにした。
豆知識・主人公は一度角で殴られて気絶したことがあるとかないとか
ここから先の展開について、どういう方向性が見たいかのアンケートです。参考程度なので確定ではないです。
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このままヒロインを増やし続ける
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