美少女たちが金を払えば耳かきをしてくれる。しかも好感度が高い 作:三重知貴
白鷺家の屋敷は、静寂という名の綿で首を絞められているようだった。
私の部屋は三階にある。天蓋付きのベッド、ペルシャ絨毯、壁に飾られた名画。広さは一般的なワンルームマンションの三倍はあるだろう。
けれど、今の私にとってここは、世界で一番狭く、冷たい独房だった。
「……お食事を。何も喉を通らないのでは、お体が持ちません」
老執事の黒田が、銀のカートを押して入ってくる。
スープの冷めない距離などという温かいものではない。完全に業務的に、私の生存維持のためだけに運ばれてきた栄養物。
「いらないと言ったはずよ」
私は窓際のアームチェアに座ったまま、振り返りもせずに答えた。
窓の外には鉄柵こそないが、庭には警備員が巡回している。この屋敷から出ることは、要塞から脱獄するに等しい。
「明日は、西園寺財閥のご子息との顔合わせです。……完璧なコンディションで臨んでいただかねば、旦那様の顔に泥を塗ることになります」
「父さんの顔? ……私の心はどうでもいいのね」
「白鷺家の娘として生まれた以上、個人の感情など二の次です。貴女様も、それは十分理解して育ってこられたはず」
黒田の言葉は正論だ。
私はそう教育されてきた。いつか家のために結婚し、家のために生きるのだと。
あの日、彼に出会うまでは。あの日、彼に「綺麗だ」と言われ、一人の人間として扱われる喜びを知るまでは。
「……下がって」
「しかし」
「下がれと言っているの!」
私はサイドテーブルの花瓶を薙ぎ払った。ガシャン、という破壊音が静寂を切り裂く。
水が絨毯に染み込み、季節外れの薔薇が無惨に散らばった。黒田は眉一つ動かさず、ただ静かに一礼した。
「……失礼いたします。明朝、お迎えにあがります」
重厚なドアが閉まり、鍵のかかる音が響く。その乾いた金属音が、私と世界を断絶する断頭台の音のように聞こえた。
私は膝を抱え、窓ガラスに額を押し付けた。冷たい。昨日のデートの温もりが、嘘のように遠い。
彼に会いたい。あの頼りない笑顔が見たい。私の名前を呼ぶ、あの優しい声が聞きたい。
でも、もう無理だ。スマホは没収された。外部との連絡手段はない。
明日、私は西園寺家の男に会い、そのまま婚約を結ばされるだろう。私の人生は、そこで終わる。
「白鷺天音」という名の、美しい人形として飾られるだけの余生が始まるのだ。
「……助けて……」
漏れ出た言葉は、ガラスに白い曇りを作ってすぐに消えた。
誰も来るはずがない。ここは難攻不落の白鷺邸。平凡な高校生の彼が、どうにかできる場所ではない。
彼は優しいけれど、普通の男の子だ。漫画のヒーローみたいに、壁をぶち破って現れるなんてこと、あるわけがない。
諦めて、目を閉じた。その時だった。
ーーカツン。
小さな、硬質な音が窓ガラスを叩いた。
風で小枝が当たったのかと思った。
けれど、数秒後。
――カツン、カツン。
今度は連続して聞こえた。明らかに、人為的なリズム。
私は弾かれたように顔を上げ、窓の外を覗き込んだ。
夜の庭。警備員の姿は、今はちょうど死角に入っているようだ。そして、眼下の暗闇の中に――何かが動いていた。黒いパーカーを目深に被った人影。
その影が、必死に手を振っている。
「……うそ」
心臓が跳ね上がる。
彼だ。
まさか、本当に来たの? たった一人で?
彼は私の部屋の位置を確認すると、庭木に隠しておいたらしい何かを取り出した。
園芸用の伸縮梯子だ。この屋敷の広大な庭には、庭師用の小屋がある。そこから盗み出したのだろうか。
彼はそれを壁に立てかける。長さが足りない。二階のバルコニーの縁に、ようやく届くかどうかだ。
無茶だ。
あそこから三階の私の部屋までは、足場なんてほとんどない。
雨樋と、わずかな窓枠の出っ張りだけ。
(帰って! 危ない!)
声を出そうとして、喉で止める。叫べば警備員に見つかる。
彼は梯子を登り始めた。動きがぎこちない。運動神経の良い早瀬さんならいざ知らず、彼は文化部系の普通の男子だ。
梯子が揺れるたびに、彼の身体が強張るのが分かる。
二階のバルコニーに辿り着く。そこからが本番だ。
彼は雨樋に手をかけ、足を壁に押し付け、懸垂のように身体を持ち上げた。
ズズッ、と靴が壁を擦る音が聞こえる。手が震えている。
顔が、恐怖で歪んでいるのが月明かりで見えた。それでも、彼は視線を上に――私の方に向け続けていた。
「……っ、んぐ……ッ!」
苦悶の声が漏れる。指が白くなるほど強くパイプを握りしめている。
落ちれば、ただでは済まない高さだ。
なのに、どうして。どうして貴方は、そこまでして。
私は震える手で窓の鍵を開けた。重いサッシを押し上げる。
「……手!」
私は叫ばないように、鋭く声を飛ばした。身を乗り出し、下に向けて手を伸ばす。
彼は私の手を見て、一瞬だけ安堵の表情を浮かべた。そして、最後の力を振り絞り、雨樋を蹴って――私の手首を掴んだ。
熱い。
冷え切った私の世界に、火傷しそうなほどの体温が流れ込んでくる。
私は全身全霊で彼を引き上げた。彼の身体が窓枠を超え、私の部屋の床に転がり込む。
彼は大の字になって、荒い息を吐いていた。パーカーは泥だらけ。頬には擦り傷。
手のひらは赤く腫れ上がり、血が滲んでいる。
「……はぁ、はぁ……っ、会、長……」
彼は咳き込みながら、身体を起こした。その姿は、決してスマートではない。王子様というよりは、ボロボロの野良犬のようだ。
けれど、私にはそれが、どんな宝石よりも輝いて見えた。
「……馬鹿ね」
私は涙声で言った。膝をつき、彼の手を取る。血と泥にまみれたその手を、私の頬に押し当てた。
「不法侵入よ。警察を呼ばれたらどうするの。……落ちたら死んでいたかもしれないのよ?」
「……約束、したじゃないですか」
彼は痛むであろう手で、私の涙を拭ってくれた。
「『逃げられると思うな』って。……俺、会長に言われたことは守りますから」
「……っ」
「それに、今日、ちゃんとサヨナラ言えなかったのが……嫌だったんで」
たったそれだけの理由で。「サヨナラ」を言いに来るためだけに、命懸けで壁を登ったというの?
なんて愚かで、愛おしい人。
「……黒田たちは?」
「裏庭の方で、石を投げてセンサーを誤作動させました。……今、そっちを確認しに行ってる隙に……」
たった一人で陽動までして。震える足で、ここまで登ってきた。誰の手も借りず。私のためだけに。
「……行きましょう、会長」
彼は立ち上がり、私に手を差し出した。
「ここから出るんです。……俺が、連れ出します」
その手はまだ震えている。恐怖か、疲労か。でも、その瞳に宿る光だけは、揺るぎない強さを放っていた。
「……いいの? 私と行けば、貴方の日常も壊れるわよ」
「会長がいない日常なんて、俺にはもう考えられません」
彼はきっぱりと言い切った。その言葉が、私の最後の迷いを断ち切る。
家も、地位も、名誉も。この人の隣にいられるなら、全てドブに捨てても構わない。
「……連れて行って」
私は彼の手を強く握り返した。
「地の果てまで。……私を、拐って」
私たちは窓辺へ向かった。侵入ルートを逆走する。
恐怖はない。彼が先に降り、私を支えるように手を広げて待っていてくれるから。
「……靴は、脱ぎます」
私はハイヒールを部屋の中に脱ぎ捨てた。こんなもの、逃走の邪魔になるだけだ。ストッキング越しの冷たい外気が、私の覚悟を研ぎ澄ませる。
雨樋を伝い、梯子を降りる。地面に足がついた瞬間、警備員たちの声が聞こえた。
「おい、こっちだ! 誰かいたぞ!」
見つかった。ライトの光が庭の向こうで揺れる。
「走ろう!」
彼が私の手を引き、駆け出した。裏門へ続く小道。
彼は私の歩幅に合わせながらも、必死に前へ前へと引っ張ってくれる。
「待て! 止まりなさい!」
黒田の声だ。足音が迫ってくる。大人の男たちの、容赦のない足音。
「……くそっ、速いな……!」
彼が焦ったように声を漏らす。体力のない彼だ。壁登りで消耗しきっている上に、私を連れて逃げるのは限界が近い。
このままでは追いつかれる。
その時。彼が突然、足を止めた。
裏門まであと少しのところにある、庭師の道具小屋。
彼はその扉を蹴破り、中から一本のホースを引きずり出した。
蛇口を全開にする。
「会長、先に行っててください!」
「何をする気!?」
「いいから! すぐ追いつきます!」
彼はホースの先を握りしめ、迫りくる警備員たちに向き直った。
そして、親指でノズルを押し潰し、高圧になった水流を彼らに浴びせかけた。
「うわっ!?」
「何だこのガキ!」
不意を突かれた黒田たちが怯む。水圧で視界を奪い、足元の泥をぬかるませる。
子供騙しの抵抗。でも、数秒の時間は稼げる。
「今だ!」
彼はホースを放り投げ、再び私の元へ駆け戻ってきた。ずぶ濡れになりながら、私の手を掴む。
「行こう!」
私たちは裏門の隙間をすり抜け、夜の街へと飛び出した。アスファルトの上を、裸足で駆ける。小石が食い込み、痛みが走る。息が苦しい。肺が焼けるようだ。
でも、繋いだ手から伝わる熱だけが、私を走らせる。駅前の雑踏に紛れ込み、さらに路地裏へ。
複雑に入り組んだ道を、彼が迷いなく先導する。昔、探検して見つけた抜け道だと言っていたのを思い出す。
やがて、誰もいない公園の公衆トイレの裏。私たちはようやく足を止め、その場にへたり込んだ。
「……はぁ、はぁ、はぁ……ッ」
「……っ、ふぅ、ふぅ……」
二人とも、汗と泥と水でぐちゃぐちゃだ。「完璧な生徒会長」の面影なんて、どこにもない。
でも、お互いの顔を見合わせた瞬間、私たちは同時に吹き出した。
「……あはっ、酷い顔……」
「……会長こそ、髪、すごいことになってますよ」
「誰のせいだと……」
笑い合う。生きている。今、私たちは自分たちの意志で、ここにいる。
「……ねえ」
私は呼吸を整え、彼の瞳を見据えた。
今言わなければならない。言葉だけでなく、魂で。
「……好き」
初めて、飾り気のない言葉で伝えた。計算も、駆け引きもない、純度百パーセントの想い。
「貴方が好き。……世界中の誰よりも」
彼は目を見開き、そしてゆっくりと、泣きそうなほど優しい顔になった。
「……俺もです。……天音さんが好き」
「天音」
初めて呼ばれた名前。その響きが、私の心の最後の殻を溶かしていく。
彼はそっと顔を近づけてきた。私は目を閉じる。路地裏の湿った匂いも、遠くの街の喧騒も消え失せる。
唇が触れ合う。
不器用で、泥の味がして、でも甘いキス。それは、誓いの儀式。
私たちは共犯者になった。
「世界」という敵から逃げ出し、二人だけの楽園を作るための、長い旅の始まり。
唇が離れる。私たちは額を合わせ、互いの体温を確かめ合った。
「……さて」
私はニヤリと笑った。恋する乙女モードは終わり。ここからは、生徒会長としての知略の見せ所だ。
「家出したからには、しばらく身を隠す場所が必要ね」
「……俺の部屋、狭いですけど……いいですか?」
彼がおずおずと提案する。その言葉を待っていた。
「当然よ。私を拐った責任、取ってもらうんだから」
私は彼の胸倉を軽く掴み、もう一度キスをした。今度は、所有の印としての深い口づけを。
「覚悟なさい。……これからは、24時間ずっと一緒よ」
夜の街を、私たちは歩き出す。手と手は、もう二度と離れないように、固く結ばれていた。
白鷺天音の「陥落」計画は、完了した。結果的に、私が彼に「落ちて」しまったけれど……まあ、勝負は引き分けということにしておいてあげる。
これから始まるのは、甘くて騒がしい、私たちの「その後」の物語。父との対決、学校での騒動、そして何より――この鈍感で無鉄砲な彼との同棲生活。
問題は山積みだ。でも、今の私なら何だってできる気がする。
だって、隣には世界一かっこいい、私のヒーローがいるのだから。
「……愛しているわ。私のポンコツ王子様」
風に消えるほどの小さな声で、私はもう一度だけ、愛を囁いた。
その言葉を聞いて、彼が照れくさそうに、でも力強く私の手を握り返してくれた。
豆知識・行き当たりばったりでいいんです。まだ子供ですから。
ロミジュリ展開がやりたかっただけ。
しばらく他作品執筆のため更新止まります。
ここから先の展開について、どういう方向性が見たいかのアンケートです。参考程度なので確定ではないです。
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このままヒロインを増やし続ける
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主人公取り合いルート(親友視点)
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主人公取り合いルート(ヒロイン視点)
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各ヒロインルート書く