こちらオルクセン参謀本部 兵站部糧食課 食品研究室 作:Hastur_1
『オルクセン王国史』の二次創作ネタバレを含みますので、原作本編読了後に読んで頂けると幸いです。
グレーベンは強く生きて欲しい。
――戦争は終わらない。
世界情勢はオルクセンのみにてあらず、どこか平和になればまたどこかが戦争を始めるのが生き物としての業であろうか。マクロにおいては国家間の紛争が。ミクロにおいてはいずれかの局地的な闘争が。
「ベレリアント戦争」は、昨年の星暦八七七年五月七日を終結日となったが、これより一ヶ月前となる星暦八七七年四月には、遠くはヴルカン半島における紛争からロヴァルナ帝国とイスマイル帝国との間に戦争が生起していた。
翌年星暦八七八年三月三日から一週間に及ぶ、ヴィルトシュヴァイン国際会議にて後始末が行われるまでのこと。以後オルクセン陸海両軍においてベレリアント戦争後の国際情勢の変化に合わせて国防戦略方針の改訂を行っている作戦部は多忙の最中により――
「おい、邪魔するぞジーク」
「邪魔をする余裕があるか疑問ではあるがね少将殿。どうぞ、珈琲どころではなさそうな様相だね」
オルクセン王国軍参謀本部の庁舎施設の片隅にある一室『兵站部糧食課 食品研究室』の主、赤毛の長身ジークハルト・ロートバルト中佐は、その端正な金髪のグレーベン少将を迎え入れるにおよそ参謀と言う部署に見違う赤血色の染みを身体の各所に付けた将官服を眺めた。端的に言ってズタボロである。
参謀職には犠牲が多い。かつてデュートネ戦争の折にオルクセン国王グスタフ・ファルケンハイン肝入りにて発足した参謀本部は戦地にて戦傷病あるいは多忙心労による脱落多数の組織壊滅に等しき損害を受け、それを立て直した時代の参謀第二世代グレーベンらをしてベレリアント戦争時には俄仕立てのネブラス防禦線の野戦指揮将校として総軍司令部参謀総出でGew六一小銃引っ提げる真似をしていた。とは言え。とは言えだ。
「安心しろ、妻にトマトをぶつけられただけだ」
「かのクーランディア攻勢より壮絶な打撃だね」
「出掛けに喧嘩したので着替える暇が無かった」
「きっと君が悪いので、帰ったら謝ると良いよ」
恐妻家と愛妻家という概念は両立する。傲岸不遜を看板に立て歩くグレーベンに野菜をぶつけられる魔種族など、この世にグレーベンの奥方様――人呼んで北の良き魔女の弟子しか存在しない。
後方勤務で野戦砲火など浴びる訳ないだろうとグレーベン少将は唇の端を性格悪く捻じ曲げており、天下の参謀将校様にあるまじき赤く染まった装いを見たロートバルト中佐は肩をすくめる。肩章や飾緒すらトマト色の軍装に参謀室の同僚や部下も大変に困ったであろう……。
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「……なぁ、ジーク。俺と貴様の仲を見込んで頼みがある」
「士官学校以来、貸しで積み上がった帳簿に返す見込みが全く見えないが?」
「まぁ聞け、心の友よ」
「まぁ、拝聴しようか」
「……もし仮に、今後戦役が起きるとしたら、
完熟した『トマト』を簡単に食えるようにならんか?」
「ならない。ダメだよエーリッヒ。卵よりやわな野菜など兵卒に嫌がられる」
制服の染みになるしかない話だった。食味と酸味が効いて味と旨味を出すに便利な『トマト』ではあるが、オルクセン軍の糧食規定では未熟な青いトマトのまま収穫と輸送過程として、配置陣地内での保存状態にて熟させている。仮に果菜として熟してない場合でも青野菜として用いれば良い。これを収穫時まで栽培して赤く熟させるのが完熟トマトだ。
当然、刈り取る寸前まで養分が回ってるため味が段違いだが、潰れないように輸送する手間は飛躍的に増大する。熟して美味しい時期は腐る寸前でもあり、今にも破裂せんとする赤い染料の水風船のような物である。
加えて、果物でもそうだが肉厚の植物というものは葉や果肉を指などで押した部分が2・3日経過してから腐り始める物である。輸送業者や食品管理の兵卒に至るまで適切な士気が求められる。しかし未熟な青いままなら味が乗らないばかりか、仮に投げでもすれば痛烈な打撃力を有する。
「なんとかできんか。未熟な硬いのを何かの拍子に当たれば怪我では済まん」
「僕は戦地で野菜をぶつけ合う『王軍相撃』をして欲しくないんだがな……」
「元より完熟『トマト』にへと要望が多い。熟してないのは酸っぱいのでな」
依頼の要点は、保存性・未熟による酸味の軽減・完熟による旨味の増加である。ただ、これだけの話ではない事はグレーベンの同期悪友たるロートバルト中佐には少将から発するわずかな挙動の違和感から察する物があった。
「普段から『俺と貴様の仲』と言うならば察するぞ。何か隠してないかな?」
「何も隠してない。オムレツの味付けがトマト味で夫婦喧嘩になっただけだ」
「いつも通り『家庭の事情』は生々しいなぁ……」
重ねて記すが恐妻家と愛妻家という概念は両立するもので、少将閣下は家庭と言うミクロの闘争においては極めて分が悪い。元より彼の細君は『あの』闘将シュヴェーリン元帥の末娘であり、家庭的な小柄美人という容貌ながら気丈にして良妻賢良な女性である。
そして希少な親友のロートバルト中佐の奥方とも、高級将校の細君同士にして学生時代からの大親友なれば軍機以外の情報は全くの筒抜け。加えて父親譲りの剛力をも備える無双列女。オルクセンの誇る参謀次長殿と言えど制服に染みを作った今朝の敗走の真実であった。
「それはそれでウチに備えた替えの服を取りに行かせるよ」
「備えは万全と言う訳だ。ありがたくも貸しにしておこう」
「いや、先だって君の奥方が用意してくれてたのがね……」
「……なにそれこわい」
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そもそも『トマト』とは何か。トマトとは多年生植物として扱われるナス科の果菜で赤く熟して食用とする種である。
内戦で南北に分かれたセンチュリースター南部連合の更なる南方高山地帯を原産地とし、イサベリアの冒険商人によって地裂海西側の商業港ジャバルターリクを経由して星欧諸国にもたらされた栽培植物の一つとされる。
渡海当初は毒果ではないかと忌避されたが、これは当時の鉛食器文化を元に酸味で漏出した中毒による無知、言わば冤罪によるもので、オルクセン王国においては英邁にして農学者でもあらせられるグスタフ王のお陰である。
果肉としても酸味料として有望な野菜であると自国料理へと組み入れたことから、現在では郷土料理の1つであるグラーシュの味付けがパプリカからトマトへと材料を変える者も出始めたぐらいである。
「今は加熱調理用だけど、将来的には生食用の品種が出来ると思うよ」
「比べて食うなら熟したトマトの方が美味い。瓶詰か缶詰に出来んか」
「同じかさばるなら完熟トマトを煮詰めて糊状(ペースト)にしよう」
八七六年版オルクセン軍野戦調理教本にある『牛肉のグラーシュ』でトマトを潰したピューレが用いられるレシピがある。グラーシュはかつてオスタリッチで放牧や農作業をしていた人々が手間を省くために、昼食用に外で釜煮をしたスープが起源とされるが、最早オルクセンにおいても牛肉・馬鈴薯・パプリカなどから作られる国民食だ。ベレリアント戦争でも大いに食された。
それだけ有用であるという証明だが、これにはパプリカを多用することによる甘味が期待されての味付けであろう。つまりはピューレと言う概念から推し進めて香辛料や糖分を添加した物を考えれば良い。
すなわち、完熟トマトを加熱して漉し低温で煮詰める。砂糖とビネガーで甘味と酸味を調整し、コボルト族に留意しつつも、塩・生姜・パプリカ・ナツメグなどの香辛料と一緒にしたトマトペーストが完成した。
「これはトマトと言うよりも独立した調味料だな」
「グラーシュの味付けにそのまま使えると思うよ」
「今後、何か個別の名称を付けた方が良いだろう」
「キャメロットの奴に聞いたが、華国風(フラワズリ)では
野菜を使った調味料のことを『ケチャップ』と言うらしいね」
「よろしい。それでは今後この調味料を『トマトケチャップ』と呼称する」
少将と中佐は試作した『トマトケチャップ』を材料にした料理――それを主体にした深い旨味のグラーシュ、熱々の鱈と馬鈴薯のフライ、揚げ立ての仔牛のシュニッツェルなど、より量産性と発展性に寄与すべく試行と試食を重ねて、単純にケチャップで漬け込んでから焼いた肉はすこぶる柔らかく滋味もあり『揚げ玉葱』とベーコンをケチャップで炒めた麺料理など新時代の料理だった。
なによりも茹でたヴルストにトマトケチャップは良く合ったため、参謀部の若手将校たちが作戦部長を探しに来るどころか一緒くたになり、宿舎外の通りで屋台を引いていたヴルスト焼きへと繰り出して、その在庫がなくなるまで堪能したのであった。
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「勤務中」
「「申し訳ありませんでした」」
――参謀本部兵站局長ギリム・カイト中将による辛辣な苦情にグレーベン少将とロートバルト中佐は誠に申し訳なくも二匹して頭を下げた。
将官が若手将校たちと一緒になって職場から離れて戻って来ないでは当然ながら綱紀粛正やむなしである。これで酒が入っていたなら譴責どころの騒ぎではないだろう。二匹は若い衆をかばうのに精一杯である。
「――だが、物資1つ1つに熟慮を重ねるのは悪くないことだ。将官が関わるべきことかどうかは迷いどころだが、元より『食品研究室』には改めて依頼する。食はすべての根幹であるという陛下の仰せは誠に傾聴すべきであり、故にこそ生鮮野菜果物の品質検品は容易ではない。兵站、全ては兵站、これもあれもそれもが参謀が熟慮すべき兵站の範疇である。ひいては良味による士気向上と保存だけでなく積載を念頭にした重量と容積においても考慮すべきであり、本件においては添加ビネガーによる殺菌防腐性と共に短期的な使用には瓶詰、大量の仕様には大型の缶詰での保存が可能として工業的にも商業的にも国軍で特許を取得して非常に有用な権益であるから賞するに値するものであり――」
……話が長い。一応は、褒められている。たぶん、きっと。
さて、星欧において腐食しやすい食品保存の容器として『瓶詰』が発明されたのは、かのデュートネ戦争の時代である。
戦争の天才アルベール・デュートネ率いるグロワール軍は、遠征における食料補給の問題に悩まされていたが故に、長期保存可能な瓶詰めが発明された。
これを受けてキャメロット王国の技術者が鋼板に錫をメッキしたブリキ缶に食品を入れる『缶詰』を発明した。最初期は殺菌に問題があり、中身が腐食して爆発した惨事が起きたり、密封用のはんだで鉛中毒が起きる事故もあったが、食品を長期間保存・携行することが容易になった。要は瓶詰にしろ缶詰にしろ使い所であろう。
先般の乾燥野菜にも通じることで、要は食材中の水分活性を如何に大気へ触れさせないかと言う歴史、これを学問として食品加工論その中でも包装学と呼称される分野である。もっとも密閉も極めれば逆説的に開封できなくなるという当然の理屈が発生する。
如何に閉じやすく開けやすくするかの矛盾の技術であった。この辺オルクセンにはドワーフたちによる金属加工の長がある。少なくともトマトケチャップが爆発緋色をまき散らすことはおおよそ無いだろう。
「ロヴァルナの缶詰は『のみとハンマーで開けろ』って書いてあるらしいぞ」
「オルクセンはドワーフたちが作ったネジ式缶切りがあって良かったよ……」
「いずれ専用の工具が無くとも、手だけで開けられる缶詰が出来ると良いな」
――翌日。若手参謀たちを巻き込んで、数時間に及んだ苦情訓令の大説教から解放されたロートバルト中佐は、ファーレンス商会へと売り込みに行くトマトケチャップの試作品を詰めつつ、昨日以上の弊衣破帽ながら尚も、とぼけ倒すグレーベン少将の様相に呆れ目を逸らした。端的に言ってベチョベチョである。
……ここで、オルクセン伝説の時代を紐解く事にする。かつて闘将と謳われたシュヴェーリン元帥が愛する奥方ベアトリクス夫人は彼に並ぶ傑物であった。
後方にあってかの闘将とその部下たちの傷病を癒す北の良き魔女と謳われる民間医療の大家であり戦士たち各家庭の守護者でもあったという。そして参謀閣下の細君はその薫陶宜しき愛娘。すなわち新しい野菜食材にも興味研究を行う家庭の良き魔女たちの末裔である。
――曰く、トマトを食べると愛情とパワーがみなぎります。と、我らが少将殿は家庭内闘争においては物心共に大惨敗の果て、頬や首筋に複数の朱唇の痕(キスマーク)も甚だしい姿に参謀室の同僚や部下も大変に困ったであろう――改めて重ね記すが恐妻家と愛妻家という概念は両立する。
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