バスのドアから現れたのはさっきの運転手、であったはずだが、とても同一人物には見えない。
帽子の下は何かに覆われ顔は見えず、はちきれそうなほどパンパンに膨れた制服から
黒い外皮の様なものがのぞいている。
「貴様、何者だ!」リンクスが声を張り上げた。
返事の代わりに、べしゃりと湿った音がアスファルトを打つ。ダミー人形のようにころがる
380の首は半周ほど捻じれていた。
「かかれ!」掌を突き出すリンクスに、PC達の反応はない。
「どうした。なぜかからん!?」
死ぬからだろう。思いは同じに違いないが、誰も声には出さなかった。
「ええい、よかろう。手本をみせてやる。どけ!」
言われるまでもなく、早々と道を開ける部下の間をリンクスが歩み出る。サングラスを握り潰し
背広を脱ぎ捨てると、何かが裂ける異様な音とともに、針の様な銀毛と鋭い爪が皮膚を突き破る。
これでいちいち流れが止まるのはマイナスではないか、とバスの方へ目をやると、男はおもむろにバスを蹴り格闘ゲームさながらに跳躍する。
考えるより脚が(つまり動神経の信号を感知したセンサーが)先に動いた。
「光栄ある戦獣師団№28! このバラり」
調整をミスしたような爆音が轟き、衝撃に張りとばされた身体はアスファルトをがつがつ転がり
ようやく止まる。
現実のような痛みも意識の喪失もなかったが、手足はまるで力が入らない。かろうじて見上げた
視界に入ったのは爆炎を上げる遠くの山肌と、目先の灰煙のなかに立った暗緑色のシルエット。
はじけ飛んだ制服の代わりに、皮膚とも骨ともつかない外表が体を覆い、頭にはドクロを模したメットのようなものがのっている。
パアン、と頼りない銃声が響いた。
リボルバーを手に傍にたたずむ戦闘員538番。その顔面にすさまじい速さの拳が叩き込まれ、
フィギュア選手のように激しく回転しながら路面をバウンドする。
「おいおい‼ 話が違うじゃねえか!」あたりがパニックの様相を呈し始めるなか、さっそく
芝居がかった叫びを上げる村井。
「どうする。逃げるか?」645の声は不釣り合いに沈着だったが、逃げると言っても辺りは
途切れた道路にうっそうとした山林。
フィールドの広さは不明だがこのゲームなら、最悪遭難して死ぬまで何日でも山中をさまよう
展開も十分考えられる。
「つまり正面を突っ切るしかないわけだな!」村井が嬉しそうにこちらを見る。
「まあ、4人いれば誰かは…って、あいつはどこだ?」
言われてみると、尼野の姿がない。最初の一撃に巻き込まれたのか。しかし、周囲に動けない
ほどのダメージを負っている者は見当たらなかった。
「おいおい、ここで一抜けか。やっぱり、おん」
ドン、と村井の体がとび、アスファルトを転がる。
「ああ。いたの」
停車したワゴンの窓から尼野が言った。
「いいぞ。でかした」
ボンネットをたたきながら、車の前にまわる645。そのまま倒れた村井の肩に腕を差し入れる。
「ほら、手伝ってくれ」
「免許は?」
村井を後部座席に押し込めながら645が尋ねる。尼野が首を振ると
「だろうな。後ろを頼む」と運転席に入れ替わった。
ドアを閉めるなり発進した車は前にいた戦闘員を跳ね飛ばしながら、群衆の中に突入する。
がっくん、がっくんとタイヤから助手席の尻まで伝わる感触。考えるまでもなかった。
そんなものに気を留めず走り抜けていれば、そのまま逃げ切れたのかもしれない。だが
躊躇か動揺か、あるいは車の横転を避けようとしたのか、どうあれ
車は加速をやめた。
金属の砕ける音と衝撃が走り、車内はトンネルの闇に包まれる。吹き込む風とオレンジの常夜灯に慣れた目が最初に捉えたのは、穴の開いたガラスだった。
ちょうど太い角材が通るほどの横長い穴は、フロントガラスを突き破って、間のフレームを
運転席のドアガラスに抜けている。
ヘッドレストの千切れたシートには、首の無い胴体が座っていた。
「ハンドル‼」尼野が叫ぶ。
骨まで響くようなおぞましい金切音を上げ、車体の削れる火花が散った。とっさに横から
ハンドルをつかむと、だらりと腕を落とした体が傾き、白く光源処理された断面がこちらを向く。
設定を戻さなかったのは賢明だった。
「シートベルト外して!」
両手でハンドルを握ったまま叫ぶと、ばちりと金具が鳴って
それじゃなく…いや、それも要るか。
片手で自分のベルトを外し、もたれかかる胴体を押しのけるように、無理やり自身を運転席に
ねじ込むが、うまくいかない。手を伸ばしてロックを開け、体を外にけり出しながらハンドルを
切ると、かわした
べしゃり、と頬に何かが跳ねた気がした。