転生美少女、胃痛で死にそうです 作:匿名希望
寮の個室へ入り、扉を閉めてようやく息を吐く。
壁際に整えられたベッドに、窓の横に備え付けられた机。その横にはいくつかの本棚が並び、部屋の中央には一人用のソファとテーブルが置かれている。
華美ではないが、調度品一つ一つに確かな品質が感じられる。
(これが"平均的"なんだもんなぁ……)
なんて、誰にも聞かれない場所でだけ、ちょっとした本音が漏れる。
(まあ、個室なのは助かったけど。四六時中気を張ってたら、流石に頭が爆発する)
上着を抜いでクローゼットへ掛け、軽くソファに背を預けながらため息まじりに天井を見上げる。
立ち居振る舞いひとつ、口調ひとつにも気を張り続けるのは、いくら慣れていてもやはり疲れる。
──でも、それが必要なら、やるしかない。
鏡の中にふと視線を送る。そこには、完璧な淑女の顔をした"自分"がいた。
今の自分は、誰にとっても『ウルティス・アルテシア・ヴォーティブルク』で
(……明日は座学だったか。貴族の礼法なんて、もう何回繰り返したか分からないけど……ああ、でも歴史の細かい部分はちょっと復習しておこう)
机の上に積まれていた教本に手を伸ばし、ぱらりと一枚めくる。
それだけで、まるで別人のように凛とした表情が戻ってくる。
(さあ、気を抜いてる暇はない。……やるべきことは山ほどある)
静かな夜が更けていく中、俺は机に向かい、初日の余韻を一つ一つ、確かに終わらせていった。
◇
──翌朝。窓の向こうに漂う朝靄が、ぼんやりとした光を部屋に落としていた。
「……ん。鐘、鳴ってるな」
寝ぼけた頭をふるふると振って、ベッドから体を起こす。思ったより深く眠ってたみたいだ。昨日は久々に、緊張していたのかもしれない。
制服に袖を通しながら、鏡に向かって笑みを浮かべる。
「うん、完璧。いつもの顔」
眠気も吹き飛ぶ。相変わらず鏡の中には理想的な
(毎朝この笑顔が見れるのは転生してよかった数少ない一つだな)
鏡の前で軽くポーズを取ってから、くるりと踵を返す。
部屋を出ると、すでに寮内は朝の支度を済ませた生徒たちでほどよく賑わっていた。きちんと手入れされた制服に身を包んだ彼らとすれ違うたび、軽く会釈が返ってくる。
こっちも、にこりと微笑んで返しておく。笑顔のひとつで印象はガラリ変わる。風評ってのは案外馬鹿にできないものだ。特に、こういう"貴族の園"みたいなところでは。
(見られてるって意識、忘れたら即アウトだしな)
寮から校舎まではそう遠くない。朝食は簡単に済ませて、あとは教室に向かうだけ。気温も程よくて、通路を吹き抜ける風がなんとなく心地いい。
(さて、初日の授業は……確か、歴史と魔導実演だったっけ)
教室に入ると、すでに何人かの生徒が着席していた。まだ教官は来ていないようで、誰かと話したり、予習をしたりと、めいめい好きなように過ごしている。
軽く挨拶をして席に着く。チラチラと視線は向けられるが、話かけてくる生徒はいなかった。
程なくして教壇に教員が現れた。五十代ほどの白髪混じりの男性で、黒のローブに銀糸であしらわれた紋章が目を引く。
「さて、おはよう諸君。これから三年間、君たちの主教官を担当するアルドだ。君たちの中には既に各々の家にて様々な教育を施され、その上で当訓練院へと入った者も多いだろう。あえて言おう。それらの殆どは
アルド教官の声が教室に響く。冷徹で厳しさを感じさせるその言葉に、少しだけ生徒たちの間に緊張が走った。噂には聞いていたが、訓練院の教導が非常に厳しいというのは本当らしい。
「ここで学ぶべきは、ただの知識ではない。君たちが今から学び、身につけるべきは、真の実践であり、未知の可能性を切り開く力だ。貴族の家系で育った者たちにとっては、必ずしも耳に心地よい言葉ではないかもしれん。しかし、我々が求めているのは、形式的な知識ではなく、実際に役立つ力だ」
教官はそこで一度言葉を切り、教室を見渡す。静かに、けれども確かに教室の空気が張り詰めていく。
「君たちも知っての通り、ここはただの訓練院ではない。過去にあり、そしていずれ来る「災厄」を打倒せしめる英雄の雛を育てるための場だ。ここでは個人の肩書などなんの役にも立たん。求められるものは常に実力であり、結果だ。それを考えるのであれば、三年という月日はあまりにも短い」
静かな語り口なのに、言葉の芯がぶれない。軽くないし、熱すぎもしない。少なくとも、上っ面だけの理想論を振りかざすタイプじゃないな。
(いかにもって感じの教官だな……っていうか、初日からだいぶ飛ばしてくる)
のんびりした初登校の空気でも味わえるかと思ってた連中は、内心だいぶ面食らってるだろう。俺はというと──こういうはっきりしたのは、わりと嫌いじゃない。
「まず最初に言っておく。今日からの授業は、原則として"形式的な自己紹介"を省く。貴族の名も、家柄も、魔導適性も、ここでは大して意味を成さん。知るべきは、互いの力量と振る舞い、それだけだ。自己紹介が必要になるのは、それを示した後だと心得よ」
そう言って、アルド教官は手元の教本を軽く叩いた。
たったそれだけの動作なのに、空気がピリッと引き締まる。言葉に酔わせるでもなく、かといって叱責一辺倒でもない。求めるものを明確に示し、達成させようとする現実主義者。教師ってより、戦場に出る直前の上官って感じだ。
流石に災厄対策として作られているだけあって、教官のレベルも非常に高いらしい。
「では、早速授業に入る。初回の講義は〈災厄の歴史〉。おそらく既に触れたことがある者も多いだろうが、改めて我々の立つ場所を知るには最適だ」
そう言って、教官が魔導式のスクリーンを展開する。淡く光る半透明の布に、大陸の地図が浮かび上がった。
「まず前提として認識しておくべきは、"災厄とは定義できるものではない"ということだ」
地図上にいくつも赤点が瞬いた。地形、国境、地名──そしてそれらの点が意味するものは、教官が口を開く前から想像がついた。
「これらの点は過去、"災厄"が発生した場所だ。災厄とは、突如として現れる異常現象の総称だ。概ね百年から二百年程度の頻度で発生し、その度に我々人類は甚大な被害を被ってきた。その形態は様々で、ある時は天から焼けた硫黄と炎が降り注ぎ、国が消滅した。またある時は地の底より現れた巨大な魔物が都市を蹂躙し、その通り道の全てを粉砕した」
知ってはいたが、改めて言葉に出されるとその規格外ぶりに呆れてしまう。
国が文字通り"消滅"してしまうような災害が、長くともたったの二百年前後で繰り返されている。
(よく滅んでないよな、この世界)
心の中で呟く。あまりにも異常すぎる現象。それが百年から二百年の間隔で起きるとあっては、普通ならとっくに世界そのものが壊滅していてもおかしくない。にもかかわらず、今この時まで人類が生き延びているということ自体が奇跡のようにも思えてくる。
教官の言葉は続く。
「そして、これらの災厄に共通する特徴は、全く予測不可能だという点だ。発生する場所も、時間も、事前に知ることはできない。そしてもう一つ。これが最も重要な特徴だが、これらの災厄は
その言葉に、教室内の空気がわずかに変わったのを感じた。
成長する─もちろん、知っていた。けれど、改めてそう断言されると、喉の奥がきゅっと引き締まるような感覚を覚える。
「災厄とは、現れて終わりではない。最初は小規模だったものが、時間と共に周囲の魔力を吸い取り、力を増していく。そしてある閾値を超えた瞬間、それは"ただの異常現象"から"滅びの象徴"へと変貌する。我々の歴史がそれを証明している」
スクリーンに、かつての被害地域と思われる地帯が拡大されていく。そこには、当時の記録をもとにした魔導映像が投影されていた。黒煙に包まれる都市、逃げ惑う人々、そして空を覆うような巨大な影──。
「対応が遅れれば、被害は加速度的に広がっていく。例えば、この映像は四百年程前に発生したものとされているが、発生当初はただの「ヒト型の魔物の出現」として扱われていた。しかし、記録によれば発生から僅か五日後にはその身の丈を数倍にも大きくし、十日後には周囲の環境すら歪ませ、その更に五日後には都市を一つ飲み込んだ」
スクリーンには、まるで影絵のように描かれた巨躯が、建造物を踏み潰し、逃げ惑う人々をただの塵のように消し飛ばしていく様子が淡々と映し出されていた。
映像には音がない。それがかえって、想像を掻き立てる。人々の悲鳴、魔物の咆哮、崩れゆく建物の轟音──それらが全て、静寂の中に埋もれているのが不気味だった。
「災厄の
教官の語調は淡々としていたが、その一語一句が胸にずしりと沈んでいく。災厄は突如として現れ、あらゆる理を破壊し、常識を蹂躙する。そしてその"始まり"は、誰にも気づかれないほど些細な異変に過ぎないというのだ。
(芽……ね)
思わず心の中で繰り返す。その言葉が持つ静かな恐怖が、遅れてじわりと広がっていく。目に見えないうちに根を張り、気づけば手のつけようがなくなる。まるで病のように。
教官は、指先で空中をなぞるような動作をし、映像を切り替えた。今度は穏やかな風景──緑の大地と、小さな村が映し出される。
「これは、当時"災厄の芽"が最初に発見されたとされる場所だ。見ての通り、なんの変哲もない村だった。小規模な農業を営む、人口百にも満たない共同体。最初に異常を訴えたのは、たった一人の少年だった」
教官の指先が再び動く。スクリーンに映る空が、わずかに波打つように歪み始めた。
「気づいた時には、すでに"芽"は成長を始めていた。兆候は小さく、誰もが見逃す。だが、それを見逃す代償はあまりにも大きい。災厄は"確実に育つ"。ただ、それが"いつどこで"という予測すら許されない」
淡々とした声。それなのに、内容はどこまでも冷酷で、逃げ道を与えてくれない。
(気づいた時には手遅れ……って、やつか)
頭では理解していたはずなのに、実感を持って突きつけられると、背筋が冷える。この世界における“災厄”とは、単なる化け物や自然災害ではない──それは、あらゆる希望や想定を超えて、世界を喰らう"現象"なのだ。
「はっきり言おう。現在においても、災厄の兆候を正確に察知することは未だ誰も成功していない。そして、私はそれを『不可能である』と考えている」
教官は静かに言い切った。余計な修飾もなければ、慰めの言葉もない。ただ、容赦なく突きつけられる事実。
「しかし、それは人類に打つ手がないというわけではない。災厄は確かに規格外だが、同時に人類によって打倒可能な存在であることは紛れもない事実である。それは、
その言葉に、一瞬だけ教室の空気が揺れた。
「災厄の発生を止めることはできない。しかし、滅ぼすことはできる」
再度スクリーンが切り替わる。今度は大勢の魔導騎士と思われる人物たちが、巨大な魔物と交戦している映像が映し出される。画質は荒く、色も薄い。古い記録だ。それでも、確かにそこには"戦う者たち"の姿があった。
「対処法は確立されていない。だが、撃破例は存在する。共通して言えるのは、彼らが"諦めなかった"ということだ。才能、訓練、直感、偶然……必要なものは様々だが、最も重要なのは"可能性を捨てない姿勢"だ。そして──」
「──そのために、君たちはここにいる」
教官の視線が、教室をぐるりと一巡する。ぞっとするほどに冷静な眼差しだったが、そこに込められた意思は決して冷たくはなかった。むしろ、研ぎ澄まされた刃のように鋭く、まっすぐだった。
「王立訓練院の設立目的は、まさにそこにある。災厄に立ち向かい、未来を守る可能性を持つ者を育てること。君たちはその"選ばれた素材"に過ぎない。今は未熟でも構わない──だが、可能性を諦めた瞬間、君たちはその資格を失うことになる」
教官はそこで一拍置き、淡い呼吸と共に語気をわずかに緩める。
「誰もが英雄になれるとは限らない。しかし、誰もが"踏み出す"ことはできる。災厄がもたらすのは破壊だけではない。人の意志と力を問う、試練でもあるのだ」
スクリーンには、崩れた都市の中で魔物に立ち向かういくつもの小さな影が映し出されていた。装備もボロボロになり、その全員が満身創痍──だがその姿勢に、逃げる気配はなかった。
(……本当に、英雄譚みたいだな)
心の中でそう呟き、拳を小さく握りしめる。
(『諦めないことが一番大切』か。それが本当なら俺なんて最も相応しくないだろうに)
自嘲するように笑いそうになって、けれどそれすら途中で飲み込んだ。義務感と使命感と言えば聞こえはいいが、要は他人の意思に寄りかかって生きてきた人間にこれほど相応しくない言葉もないだろう。それでも──
(──そう、それでも、決めたんだから。例え始まりが義務だとしても、決めたんだよ、もう)
「最初にも言った通り、この訓練院での三年間はあまりにも短い。その短い中で諸君らが成長し、この国を背負う逸材となること期待する」
教官の言葉が締め括りのように響くと、教室には張り詰めたような沈黙が訪れた。誰もがそれぞれの想いを抱え、思考を深く沈める。プレッシャーに押し潰されそうな者もいれば、逆に火を灯された者もいるだろう。
「……以上、入学初日の導入講義はこれで終わりだ。この後は訓練場にて簡単な魔道実践と所属班の発表がある。各自遅れないように」
その瞬間、張り詰めていた空気がわずかに緩み、椅子の軋む音や小さな吐息が教室内に戻ってくる。
誰からともなく立ち上がる音がして、それを皮切りに、生徒たちが静かに準備を始める。隣の席の少女が小さく伸びをし、前の席の少年はため息混じりに呟いた。
「……なんか、胃が痛くなってきたな」
分かる。ものすごく分かる。俺だって、胃痛で死にそうなんだから。
(これで、ようやく“はじまり”か)
重く、鈍くのしかかるような緊張感と、それでもどこか心の奥で灯っているかすかな火種。その両方を抱えながら、俺はゆっくりと立ち上がった。
今さら逃げるつもりはない。だけど、だからといって自信満々で胸を張れるほど強くもない。
──それでも、進むんだ。少しずつでも、前に。