転生美少女、胃痛で死にそうです 作:匿名希望
「以前から言ってある通り、本日から実地演習に入る。演習は二班合同で行うので、名前を呼ばれた班長は前に出ろ」
教官の声音には、いつものような飄々とした調子がない。わずかに硬さを帯びたそれは、今日という日の重みを物語っていた。
緊張の中、続々と班長達が呼ばれていく。
「──次、シャルル班。シャルル・フェリックス・アークライト」
「はい」
気取った笑みを浮かべながら、シャルルが前に出る。背筋は伸びているが、わざと余裕を演出しているようにも見えた。
「次、ウルティス班。ウルティス・アルテシア・ヴォーティブルク」
「はい」
名前を呼ばれた瞬間、静かに立ち上がる。
「この二班は、本日より合同で王国南方へ向かってもらう。目的は付近の哨戒と出現した魔物の討伐、並びに魔物出現原因の調査だ。演習期間は一週間から二週間──現地では基本的に訓練院からの補助はないと考えろ」
教官が地図を広げ、指先で大陸南方の山岳地帯を指し示す。
地図に示された一帯──霧紛れの山塊。教官の指が触れたその地名に、訓練中に耳にした不穏な噂がよぎる。霧が晴れず、音が遠く響く、魔力の乱れが起きやすい地形。戦場には向かない場所だ、と。
「この近辺の住民から普段に比べ魔物の数が多い
そこには、明確に言葉には出さないものの"命の保証はない"という無言の警告があった。
ぞくり、と肌が粟立つ。これまでの訓練とは、次元が違う。
「……現地にて災厄の可能性を発見した場合、速やかに撤退し、情報共有を行うように。間違っても、現地で対応しようなどとは考えるな。情報共有に時間がかかることと、伝達『できない』のとでは雲泥の差がある。必ず情報を持ち帰るように」
◇
「やあ、ウルティス。今回はよろしく頼むよ」
教官による班の振り分けが終わった頃、シャルルが声をかけてくる。
「ええ。こちらこそよろしくお願いしますね、シャルル」
「それにしても……初の実地演習でいきなり
「その割には随分と余裕そうじゃありませんか?」
「はは、これは虚勢だよ。本当なら今にも逃げ出したいくらいさ」
そう言いながらも、シャルルの口元に浮かぶ笑みは、どこか張り詰めたものだった。
「それを言えるうちは、まだ大丈夫です。……本当に限界が来た人は、そういう冗談すら言えなくなりますから」
自分で言っておきながら、少しだけ背筋が冷える。
他人事ではない──自分にも、そんな時が来るのだろうか。
(あるいは、もうずっと前に来てるのかもな)
「なるほど。それは……気を付けるよ。っと、違う違う。君との雑談は楽しいが、今は別の話をしに来たんだ」
「ええ、聞きましょうか。内容によっては、お断りするかもしれませんけど?」
「まったく、容赦がないな」
苦笑を漏らしながら、シャルルは声色を変えた。さっきまでの軽口とは打って変わって、その表情には、わずかに真剣さが滲んでいる。
「まず、今回の演習における指揮系統についてだ」
「指揮官が二人いるのは混乱しますからね」
「そう。だからこそ、事前に取り決めておいた方がいい」
シャルルの目が、わずかに細められる。普段の軽薄そうな雰囲気が消え、そこにあるのは「貴族の子息」として育てられた男の冷静な計算と責任感だった。
「通常時は班単位での指揮にしようと思ってる。
思わず瞬きして、シャルルの顔を見つめ返す。
「……意外ですね。てっきり、あなたのことだから、自分がやりたがると思ってました」
「君の判断は、僕よりよほど冷静だ。だから、君に任せたい」
悔しいことにね、と零しそこで一拍言葉を切る。シャルルの目が、ほんのわずかに鋭さを増した。
「──ウルティス。今回の演習、ただの魔物討伐や哨戒だけで終わると思っているかい?」
「……いいえ。災厄の“芽”という言葉が出た時点で、そんな甘いものじゃないとは思ってました」
「だよね。だから、君の意見を聞いておきたいと思って。……現地で、もし何かが起こったら、君はどうする?」
一瞬、言葉に詰まる。
それはつまり、“指揮官としての判断”を問われているのだと気づく。
教官の言葉を守るなら、災厄の兆しが見えた時点で即時撤退。だが、それが
もし撤退不可能なほどに成長していたら?報告のために撤退して、その遅れのせいで成長するかもしれない。
責任の重みが、じわりと肩にのしかかる。
「……まずは、冷静に観察します。兆しを確信に変えるだけの根拠を集める。その上で、それが『芽』だと判断したなら、班の安全を最優先に撤退します」
……本当に?撤退するというとこは
あの瞬間に判断していれば──あの時、もう一歩だけ踏み込んでいれば──
そんな「もし」が残る可能性を、自分の手で生むということ。
演習と名はついているが、これはもう“実戦”だ。
違うのは、戦場に赴く前に、俺たちが「生徒」だと確認されているという一点だけ。
(それでも……やるしかない)
迷いがないと言えば嘘になる。だが、任された以上、責任を放り出すわけにはいかない。
たとえ、自分が後悔する未来しか見えなかったとしても──
「……ウルティス?」
ふと、シャルルの声に我に返る。
「すみません。少し考え事をしていました」
「顔色が少し悪かったよ。大丈夫かい?」
「ええ。大丈夫です。……少なくとも、今は」
その答えが、本当に自分の胸に届いているのかは、わからない。
けれど口にすることで、少しだけ気持ちが整うのも確かだった。
◇
霧を抜け、森を下った先に、ようやく人の営みの跡が見えてきた。
小さな農村──今回の演習のきっかけとなる報告のあったリエル村だ。
「ようやく着きましたね。これでやっと馬車の硬い座席ともおさらばです」
フィーネがそうこぼし、軽く背伸びをした。
彼女だけではない。長時間の移動に、班の面々もそれぞれに疲労を滲ませている。
「フィーネ……気持ちはわかりますが、少し油断しすぎです。ここは既に報告のあった地域、もう少し緊張感を持ってください」
「は、はいっ……すみません、ウルティス班長」
フィーネは慌てて背筋を伸ばした。
目くじらを立てるつもりはないが、こういう小さな気の緩みが、命取りになることもある。
俺は改めて周囲に目を走らせた。
リエル村は──噂通りの小さな集落だった。
畑は手入れされ、煙の上がる家もちらほらとある。
人影もぽつぽつと見える。──けれど、村全体に漂う空気は、どこかよそよそしい。
(やはり、ただの田舎の村──というわけではないか)
村人たちは、こちらに気づいているはずなのに、明らかに距離を取っていた。
顔を強張らせ、ひそひそと囁き合う様子も見える。
「──緊張してるね。向こうも」
隣で、シャルルが小声で言った。
「ええ。報告通り、魔物が出るっていう話は本当なんでしょう。……酷く何かを警戒している」
「歓迎されないのは、まあ仕方ないさ。こっちは正規の騎士や兵士じゃなく、訓練生だしね」
シャルルの苦笑に、俺も小さく頷く。
──今は、余計な刺激を与えない方がいい。
「まずは代表者に話を通しましょう。皆さんは馬車の整理と村民への聞き取りを。……シャルル、同行をお願いします」
「了解」
俺とシャルルは、控えめな速度で村の中心へと向かった。
誰か案内があるわけではないが、村の中央に集会場らしき建物があるのは見えている。
(……この静けさ。見えない緊張が、村を覆ってる)
胸の内に、警戒心がじわりと広がっていく。
リエル村の中央──広場と呼ぶには少し寂しい、開けた場所に出ると、数人の村人たちが集まっていた。
年配の男が、こちらに気づき、足早に近づいてくる。腰には粗末な剣を帯び、作業着の上に簡素な革鎧を重ねている。おそらく、村の自警団の長か、代表格なのだろう。
「おお、訓練院の方ですか。遠いところを、よくぞ来てくださりました」
男は深々と頭を下げた。言葉こそ丁寧だが、その顔にはどこか、焦りとも警戒ともつかぬ影がちらついている。
「はい。王立訓練院から派遣されました、ウルティス・アルテシア・ヴォーティブルクと申します。こちらは、シャルル・フェリックス・アークライト──私たち二班で、本日より演習を兼ねた哨戒と魔物討伐を行います」
簡潔に名乗り、目的を告げると、男はまた小さく頭を下げる。
「本当に……助かります。最近、この辺りで魔物の姿を見ることが増えてまして……特に夜になると、子供らも怯えて、眠れぬ夜が続いているのです」
「具体的には、どのような魔物が出没しているのか、教えていただけますか?」
シャルルが穏やかな口調で問いかける。男は少しだけ言葉を選ぶように逡巡し、やがて重い口を開いた。
「……見たのは、狼のような魔物、です。でも、ただの狼じゃない。目が、赤く光っていて……体も、妙に大きかったって話です」
周囲にいた村人たちも、不安げに頷き合う。
(魔物化、か……)
魔力に侵された獣は、時に異常な変異を遂げる。目撃情報から察するに、それがすでに始まっている可能性が高い。
「──それと、妙な話なのですが……」
男は声をひそめ、周囲を気にするように視線を泳がせた。
「ここ数日、村の外れで、見知らぬ影を見た、という者がいるのです」
「見知らぬ影?」
シャルルが眉をひそめる。
「ええ。夜更け、森のほうからこちらを窺うような影があったと……。詳しく見た者はいないのですが、それ以来、妙に動物たちが怯えるようになりまして」
村人たちの間にもざわめきが広がる。
「なるほど……魔物だけでなく、別の存在が関わっている可能性があるわけですね」
私は静かに整理する。
魔物の異常行動に加え、不審者の目撃情報。──これは、偶然の一致とは考えにくい。
(もし、魔物を意図的に操っている存在がいるのだとしたら……)
見知らぬ人影。狂暴化した魔物。とてもじゃないが偶然とは思えない。
だが、今はまだ憶測に過ぎない。
「わかりました。まずは村の周辺を哨戒し、状況を確認します。不審な動きがあれば、すぐに報告してください。──夜間警戒についても、こちらで体制を整えます」
「はい……本当に、助かります……!」
男は再び、頭を深く下げた。
村人たちも、ほっとしたように、しかしどこか頼りなげな眼差しでこちらを見つめている。
(……彼らには、俺たちしかいないんだ。だからこそ、慎重に動かないと)
俺は胸の内で、そっと決意を固めた。