転生美少女、胃痛で死にそうです 作:匿名希望
村長との会話を終えた後、俺たちはそれぞれ準備を整え、村の外れへ向けて歩き出した。
村人たちの俺たちを見送る視線には、不安と期待が入り混じっていた。それは言葉にしなくても伝わるもので、俺たちはその重さを確かに感じていた。
まずは周辺の哨戒から──シャルルと俺、そして班の面々は分担して周囲の様子を注意深く確認していくことになった。
森の端に近づくと、木々はさらに深く繁り、湿った土の匂いとひんやりした空気が肌を撫でる。小鳥の声や枝葉のざわめきも、普段より神経を刺激するように耳に届いた。
「……異常はないですね」
フィーネが軽く報告する。彼女は音も立てず地面を踏み、目だけでなく全身で周囲の気配を感じ取っているかのようだった。
「そちらはどうでしたか?」
「今のところ、特に変わった様子はないね。──ただ、確かに動物たちの警戒は強いみたいだ」
シャルルは獣道の跡を確かめるように目で追いながら呟いた。
森の中には小動物の足跡が点々と残っていたが、普段より過剰に警戒しているように見える。小さな鹿の影も、俺たちが気づく前に一瞬で林の陰に消えていた。
「……やはり、魔力の影響を受けている可能性が高いですね」
俺は静かに呟いた。森の生き物たちが、普段の警戒心よりも鋭く反応している──それは魔力の異常がこの空間に浸透している証拠だろう。
「それだけで済むなら簡単なんだけどね」
シャルルは眉を寄せ、少し険しい表情を浮かべた。
彼もまた、これは単なる動物の異常行動に留まらないと感じているのだろう。
「まあ、もう少し進んでみましょう。まだ結論を出すには早いです」
俺の言葉に、エルノが先頭に立ち静かに歩き出す。俺たちはその後に続き、緊張を漂わせながら森の深みに足を踏み入れていった。
枝葉がざわつき、湿った香りが鼻をくすぐる。足音の響きもいつもより重く感じられ、背筋に小さな寒気が走る。
しばらく進むと、突然エルノが立ち止まった。
「……見てくれ」
彼の指差す先を見やると、木々の間にわずかな空間が開け、その中央には無残に倒れた大木があった。
木肌はまるで鋸で削られたかのように抉れ、枝や葉は無造作に散乱している。幹の中心には巨大な鉤爪で引き裂かれたような痕が刻まれ、まだ乾ききらない樹液がぽたりと垂れていた。
「これは……相当に大きいね」
シャルルが静かに呟く。倒木の位置、散乱の仕方から考えると、ここを通ったのは相当な大型の魔物だろう。
「この近くに巣でもあるのか、もしくは
「なんにせよ、まずは魔物か巣かを見つけてからじゃないか」
リリーとヴァルターの声には、すでに戦闘への覚悟がにじみ出ていた。
しかし、その後も暫く探索を続けるも、その意志に反してその日はこれ以上の痕跡を見つけることはできなかった。
「それほど広い森ではないのですが……ここまで見つからないとは」
「隠れているのか、単に運が悪いのか、あるいは、もうここにいないのか。単純に僕たちの技術不足の可能性もあるけど……」
「このまま闇雲に探しても見つからない可能性が高い。明日は分散して探索することを提案する」
エルノの提案に、皆が沈思黙考する。固まって行動すれば今日のように空振りに終わる可能性は高い。だが、分散すればその分リスクも増える。安全か効率か──判断は難しい。
「私は賛成よ。このままじゃ埒が明かない。幸い、この森はそれほど広くない。何かあってもすぐに合流できるはず」
リリーがそう言うと、ヴァルターも頷いた。
「僕もだ。むしろ散らなきゃ見つけられん。敵が大物ならなおさら、痕跡を一つでも多く拾わなきゃならない」
「でも、危険すぎます」
フィーネが反論する。声は穏やかだが、言葉の端々に芯の強さがある。
「相手の場所も、戦力もわからないまま戦力を分散させれば、各個撃破されるだけです」
「だからといって、今日のように空振りを続けても意味がない」
ヴァルターの言葉に、森の空気がさらに重く沈む。
「僕は……反対寄りの中立かな。確かに手をこまねいていては何も変わらない。しかし、痕跡を見る限り、この森にいるのは相当危険な魔物だ。それに対して戦力を分散させるのは危険だというのも事実だ」
シャルルがそう言うと、自然と皆の視線が俺に集まった。
「ウルティス、君はどう思う?」
判断を下すのは俺だった。
「どちらの意見にも一理ありますが……そうですね、明日は
結局、俺がとったのは分散策だった。
このまま固まって探索しても、今日のように空振りに終わる可能性は高い。ならば、多少のリスクを取ってでも効率を上げる必要があるだろう。
作戦が決まった安堵が一瞬森に流れた。しかしふと、奥から風が鳴った。
ただの風音──それでも、俺にはその向こうに潜む“何か”の視線を感じずにはいられなかった。
◇
翌日、昨日と同じように森の入り口へ来た俺たちは、決めた通りのペアに分かれた。
「じゃあ、私たちは左から行くわ」
「僕たちは右だ」
「私たちが中央ですね。では、何かあったら空に魔法を」
取り決め通り、各自探索を開始する。
俺とフィーネは中央の林に足を踏み入れた。
静まり返った森の中、枝葉が触れ合う音や落ち葉の微かな振動が、異様に敏感に耳に入る。
しかし、それ以上の変化はなく、昨日と同じように時間だけがゆっくりと過ぎていった。
「見つかりませんね……」
フィーネが零す。その言葉には、警戒と集中で消耗した疲労がにじんでいた。
どこにいるのかもわからない相手を常に警戒しながら探索するのは、当然ながら精神をすり減らす行為だった。
「少し休憩しましょうか。気を詰めすぎても体に悪いですし」
俺がそう言うと、フィーネはあからさまにほっとした表情を見せる。
水辺を見つけて、腰を下ろす。流れる川の音と、そこから発せられる澄んだ空気によって疲労が洗い流されていく。
こわばっていた肩から力が抜ける。フィーネだけでなく、俺自身も思っていた以上に疲労が溜まっていたらしい。
「今日も見つかりませんね……どうしてこんなに見つからないんでしょう」
「昨日も話した通り、考えられる主な理由は三つあります。一つ、もうこの森にはいない。でも、これは昨日見つけた痕跡から考えると可能性は低いでしょう。二つ、私たちの技量が足りていない。これは、もしそうだとしても現状では対処できないので除外します。そして三つ目、どこかに隠れている。私はこの可能性が最も高いと考えています」
「隠れている……でも、どうして?」
そう、何故隠れているのか。それが重要だ。それがわからなければ、どれだけ探しても見つけることはできないだろう。
隠れているということは、相手はこちらを把握しているということ。単純に敵わないと感じて隠れているのなら楽だ。見つけて倒せば終わるのだから。
だが、もし何か思惑があって隠れているのなら──。
「ただの魔物にしては知能が高すぎますね……一応、撤退も視野に入れた方がいいかもしれません」
「そんなに、ですか?」
フィーネが不安そうに尋ねる。
目撃された怪しい人影。痕跡だけを残して姿を見せない魔物。
狩るはずの立場が、いつの間にか狩られる側に回っているような感覚が胸を掠める。……俺の考えすぎならそれでいいのだが。
「あくまで頭の片隅に置いておく、程度のものですよ」
安心させるように微笑む。それはフィーネに向けたものでもあり、自分に向けたものでもあった。
森の静けさが、逆に耳を痛くするほど重い。
仲間は守る、魔物も倒す。大事なのはその二つだけ。
大丈夫だ。『私』ならできる、そうでしょう?
◇
少しばかりの休憩を終えた俺たちは、再度森の探索を開始した。
削られた木々、踏み固められた地面、散乱した木の葉。
明確に「何か」がいるという痕跡だけが見つかり、肝心の「何か」は見つからない。
そうして成果を得られないまま、時間も夕暮れに差しかかった時。
ふと、風がざわめき、魔力の波動が森を駆け抜ける。
──乾いた破裂音と共に、空に青色の火花が打ちあがった。
「班長!」
「あの方向は……リリーとエルノ!」
魔法が打ち上げられた──つまり、緊急事態。
「すみませんフィーネ、少し急ぎます」
返事を待つ間も惜しい。言うと同時に二人の足へ魔法を掛ける。
風が背を押し、脚が軽くなる。地を蹴るたびに景色が流れていった。
移動にかかった時間はそう多くはない。魔法が打ち上げられてから、精々三分か四分程度だろう。
だが、その間に流れた感覚は、実際の数倍にも引き延ばされた。
熱い息が喉を焼き、鼓動が耳の奥で鈍く響く。
枝葉を裂く音すら遠のき、ただ前へ──前へと走る時間だけが永遠に続くようだった。
それは、俺の人生で最も長い数分間だった。
そうして二人の元に辿りついた時、最初に目に入ったのは一匹の狼だった。
一見するとただの狼だ。だが、それがただの狼でないことはすぐに理解できた。
狼の周囲の光が歪み、木々の陰影がねじれるように暗く沈む。日の明るさはそこだけ消え、空気も重く冷たく、森のざわめきすら吸い込まれるかのようだった。
体長は木々の半分程度で、足音を立てるたびに地面が低く唸るように震えた。枝葉がざわめき、空気そのものが揺さぶられる。その存在感は、ただの魔物という言葉では到底収まりきらない。
「二人共、無事ですか!」
リリーとエルノの体は土に汚れて、肩で息をしているようだった。
たった数分──それだけの時間で、二人は全身に傷を負い、肩で荒く息をし、狼の存在に押し潰されそうな緊張を背負っていた。
「ウルティス……班長」
息も絶え絶えといった様子のエルノが声を返す。リリーも、エルノも決して弱くはない。むしろ訓練院でも強者の部類に入るだろう。
その二人が、ここまで追い詰められている。それだけで目の前の巨狼の脅威が窺い知れた。
災厄の芽──その言葉が脳裏を過ぎる。
「二人は後ろに、私が前に出ます。フィーネは二人の治療と、状況の聞き取りを」
「一人でなんて、無茶です!」
「シャルルとヴァルターも先ほどの合図には気づいているはずです。少し耐えるだけですよ」
短くも断固とした指示が、森の重い空気に静かに響く。
フィーネもこの場で論じている暇はないと悟ったのか、治療用の魔力を整えた。
リリーとエルノは互いの肩を支え合いながら、後方へ下がる。
前に立つ狼は、こちらの動きを妨げることなく、静かに、しかし確実に視線を絡め取っていた。
先に動いたのは俺の方だった。
「
何万回と唱えた
腰に下げた鞘へ電流が走り、パチリという破裂音が森に響いた。
「
雷光が鞘から飛び出し、空気を切り裂くように森を走った。枝葉が光に照らされ、瞬間的に影が踊る。
そうして放たれた必殺の一撃は間違いなく巨狼を捉え──
──ガキン、という鈍い音が森に響いた。雷光はその皮膚に阻まれ、吸い込まれるように霧散した。
狼の瞳が、薄く光を宿してこちらを睨む。雷撃を受けても微動だにせず、むしろ余裕を見せつけるようにこちらを見下している。
否。ように、ではない。こいつは明確にこちらを見下し、
動かないのは、動く必要がないからだ。こいつにとって、俺たちは脅威でもなんでもなくただの「獲物」に過ぎないと見做されている。
「油断、慢心、ありがたいことです」
息を吐く。相手がこちらを舐めてかかってくれるなら、そんなに楽なことはない。
大事なのは勝つことだ。それ以外は二の次。そう言って自分を落ち着かせる。
「
呪文と同時に、周囲の空気が爆ぜ、稲妻が裂ける。
散った雷光はただ消えることなく、鋭い刃の形を取りながら空中に浮かび上がった。
十も二十も──数えきれぬ雷の剣が陣を敷き、巨狼を中心に包囲を完成させる。
刃先からは微かな放電が走り、互いに絡み合っては空間を震わせた。
「
号令とともに、雷剣が一斉に放たれる。
稲妻の刃が矢の雨となって襲いかかり、森を白光で埋め尽くした。
──轟音。閃光。焦げた匂い。
周囲の木々は裂け、枝葉は焼かれ、土は抉れ、辺り一面が戦場に変わった。
そして、その光が晴れた時。
そこに立っていたのは──ほとんど傷一つ負わぬ巨狼だった。
身じろぎ一つせず、変わったところと言えば毛先が少し焦げ付いただけ。
「ダメだ、班長!そいつにまともな攻撃は通じない!」
──喋れる程度に治療を終えたのか、エルノが荒い息を吐きながら叫ぶ。
リリーも肩で息をしつつ、狼を睨み返す。木々の影の中で、巨狼の瞳が冷たく光る。
まるで森そのものを支配しているかのように、静かに、しかし圧倒的な存在感を放っていた。
森に残された雷の残滓が微かに揺れる中、俺は視線を固め、次の手を考え始める。
戦うか、撤退か。
選択の時はすぐそこまで来ていた。