放課後戦線/魔科不死戯アンダーナイト   作:果汁飲料撲滅委員会名誉顧問

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9 命の実感

 

 後に残されたのは、破壊された教室の残骸と、肌を刺すような異常な冷気。

 そして、呆然と立ち尽くす俺と、腕の中で小さく息を吐くアシェラ。

 

 蒼い靄が消え失せた瞬間、停止していた世界が再びその色と音を取り戻した。

 肌を刺すような異常な冷気が急速に薄れ、代わりに、腕の中に確かな熱が感度を取り戻していく。

 凍りついていた五感が、現実(いま)へと回帰する。

 

 硬直していた腕の中に戦闘で傷ついたアシェラの柔らかな肢体の感触が、熱と共に流れ込んできた。

 それは、ひどく脆く、しかし確かな生命(いのち)の温もりだった。さっきまで対峙していた絶対的な虚無とは真逆の、あまりにも生々しい存在感。それが、まだ生きているという事実を何よりも雄弁に物語っていた。

 

 堰を切ったように、詰まっていた息が激しく漏れ出た。

 

「はっ、はっ、は──っ!」

 

 酸素を求めるように、あるいは、ただ絶対的な恐怖から解放された安堵に、激しく喘いだ。

 

 そして、ほとんど無意識に。

 腕の中の温もりを、確かめるように強く抱きしめていた。壊れ物を扱うように、しかし確かにそこに在ることを、その熱を、その柔らかさを、自分に刻みつけるように。

 

 この熱だけが今、唯一縋ることのできる現実だった。

 

「……ばか……」

 

 腕の中で、くぐもった声が漏れた。

 か細く、しかし確かな拒絶の色を帯びて。

 

「……ばか」

 

 震えていた。

 怒りか、恐怖の残滓か、あるいは腕に込めた力に対する抵抗か。

 

「ばか!」

 

 今度は、はっきりとした声だった。

 腕の中のアシェラの体が、躍動した。

 細い腕が、人間離れした力で背中に回され、苦しいほど強く抱き返される。

 

 骨がきしむほどの力。窒息しそうなほどの密着。

 

「ばかばかばか!」

 

 耳元で、何度も、罵るような声が繰り返される。

 そして──ドン、と強い衝撃。

 抵抗もできずに突き放された。

 

 数歩よろめき、壁に背中を打ち付ける。

 目の前には、肩で激しく息をしながら、涙目で、しかし燃えるような深紅の瞳で俺を睨みつけるアシェラがいた。その表情は、怒りと、恐怖と、そして理解不能な何かがぐちゃぐちゃに混ざり合っている。

 

「シュウ、アンタなにやったかわかってるの!? 死ぬところだったのよ、アンタが!!」

 

 金切り声に近い、彼女の絶叫が、破壊された教室に響き渡った。

 それは無謀な行動に対する、心からの怒りと──そして、恐怖からくる、悲痛な叫びだった。

 

 心からの怒りと恐怖を含んだ声に、一瞬たじろいだ。だが、すぐに反発心が湧き上がる。

 

「……っ、放っておけるかよ、あんな状態のお前を!」

 

 声が震えるのを、必死で抑え込む。

 

「見てるだけなんて、できるわけないだろ!」

「……余計なことを」

 

 アシェラは、吐き捨てるように言った。まだ荒い息を整えながら、あるいは口元の血をもう一度拭いながら。

 

「あれは私の戦闘(シゴト)で私の責任よ、なんで逃げなかったのよ!」

「けど……!」

 

 その突き放すような物言いに、俺は声を荒らげそうになるのを堪える。

 

「ここへは自分の意思で来たんだ! 危険なことだってわかってて来てるんだ!」

「だから何だって言うのよ! 結果、アンタも死にかけてる!」

 

 冷たい言葉が、ナイフのように突き刺さる。足手まとい。邪魔者。彼女の目には、俺がそう映っているのか。

 

「違う!」

 

 俺は、カッとなって言い返していた。

 

「確かに足手まといかもしれない、けどそういう話をしてるんじゃない! 俺はただ……!」

 

 言葉が続かない。

 

 ただ、何だ?

 心配だから?

  助けたいから?

 そんな単純な言葉では言い表せない衝動。

 

「……お前に生きて欲しいと思うのも、ダメなのかよ」

 

 結局、口から出たのはそんな、子供じみた響きすらある問いだった。

 

 俺の問いに、アシェラは力なく首を振った。その表情には、疲労と、どこか自嘲の色が見える。

 

「バカね、アンタは」

 

 乾いた声だった。

 

「……私なんて死んだ方が、アンタにとってはよっぽど都合がいいでしょ。面倒に巻き込まれずに済むんだから」

 

 その投げやりな言葉に、俺の中で何かが逆巻いた。こいつは、自分の命をなんだと思ってるんだ。

 

「──お前がそれを言うな!」

 

 思わず叫んでいた。

 

「毎晩遅くまで迷惑被ってるけど、踏み込んだのは俺だ!それに、それに──……」

 

 一息に続ける。感情が昂るままに。

 

「まだ数日の付き合いだけどな、アシェラに死なれたら……すごく、悲しいと思う」

 

 自分でも驚くほど素直な、偽りのない言葉だった。

 アシェラはわずかに目を見開いていた。

 そしてふっと、まるで張り詰めていた糸が切れたかのように、その表情から険が消える。

 

「……ごめんなさい」

 

 それは、素直な響きを持つ謝罪だった。

 

「……でも、シュウ。二度とあんな無茶はしないで」

 

 彼女の声が、再び真剣な響きを取り戻す。

 それは懇願というより、絶対的な契約の要求だった。

 

 その言葉の意味を測りかねて息をのんだ、まさにその時。彼女の体がまるで電池が切れたかのように、ふっと前のめりに力を失った。

 

「おい、アシェラ!」

 

 慌てて支える間もなく、彼女は床にずるずるとへたり込む。

 

 だが床に座り込んだアシェラの口から出たのは、予想外に軽い響きの言葉だった。

 

「……やば、もうヘトヘト。動けない」

 

 まるで、体育の授業で疲れ切った、とでも言うように。

 

「大丈夫か、アシェラ! 血だって出てるし、さっきの爆発だって……」

 

 心配して屈み込むと、彼女は顔を上げ、にやりと、いつもの不遜な笑みを浮かべた。顔色は紙のように白いのに、その態度だけは余裕綽々だ。

 

「心配しなくても死にはしないわよ。ちょっとエネルギー使いすぎただけ。でも……特別に、セーフハウスまで私をおぶらせてあげる。感謝しなさい」

 

 つい、天を仰いで深いため息をついた。人使いが荒すぎるだろう、こいつは。それでも、他に選択肢はない。

 

「……分かったよ」

 

 苦笑とも諦めともつかない顔をしながら、彼女の前に屈み込み、背中を向けた。

 アシェラは、小さく頷くと、ゆっくりと俺の背中にその身を預けてきた。

 

 ずしり、と予想外の……いや、思ったよりも軽い重みが背中に加わる。壊れ物に触るように、慎重に立ち上がろうとした俺に、アシェラが背後から声をかけた。

 

「ああ、その。それ()はいいわ。たぶん、アンタじゃどうせ持てないだろうし」

 

 確かに、あの鉄塊のような剣は俺ではどうやっても運搬は無理そうだ。

 

「心配しなくても、後で協力者が手を回すから」

 

 一歩、瓦礫を踏み越えて踏み出す。

 背中にアシェラの体温がじかに伝わってくる。さっきの戦闘で破れたインナーの隙間から直接、驚くほど柔らかな肌の感触と、確かな温かさがダイレクトに感じられた。

 あまりにも無防備で生々しい生命の感触に、心臓が馬鹿みたいに跳ねた。意識するな、と言い聞かせても無駄だった。これはもう、どうしようもない生理的な反応だ。

 俺だって思春期の健全な青少年なのだ、しょうがないだろう。

 

 だが、それと同時にアシェラのあまりの軽さに愕然としていた。

 巨人さえ殴り飛ばし、あれだけの激しい戦闘を繰り広げていたた少女の体が、こんなにも軽いのか。

 この細い体のどこにあんな力があるというのだろう。そう思うと胸の奥が締め付けられるような、苦しい気持ちになった。

 こんな華奢な子が一人で戦っているという現実が、改めて重く突き刺さる。

 

 そんな葛藤を知ってか知らずか、あるいは背中の密着具合で緊張が伝わったのか。

 背中から、呆れたような、それでいて微かに面白がるような声が降ってきた。

 

「……すけべ」

「なっ……! ち、違うわ! これは不可抗力だろ!」

  

 顔を真っ赤にして憤慨した。誰がすけべだ、この状況で。

 

「ふふん。どうだか」

 

 揶揄うようなアシェラの声が、耳元で響く。

 こんなボロボロの状態でも、人をからかう余裕があるとはどういう神経をしているんだか。

 反論する気力も失せ、ただ黙々と、背中の温かさと軽さ、そして厄介さを同時に感じながら、破壊された教室を後にした。

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