放課後戦線/魔科不死戯アンダーナイト   作:果汁飲料撲滅委員会名誉顧問

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11 生きてればサボりたい日もある

 

「はいはい、デライラ。お待たせ、ほら召し上がれ〜」

 

 小皿に盛られているのは、丁寧にほぐされた白身魚のポワレか何かだろうか。彩りの良い温野菜まで添えられている。

 湯気が立ち上り、どう考えても人間用の、それもかなり上等なレストランで出てきそうな芳醇な香りが漂ってくる。猫缶どころの話じゃない。明らかに手間も金もかかっている、超豪華な食事だ。

 

「なぁむ」

 

 デライラは満足そうに喉を鳴らしながら、そのご馳走に顔を埋めている。そりゃ、あんなもんを毎日食ったら恰幅も良くなるに決まっている。

 アシェラはその様子を屈んで見つめ、うっとりとした表情でデライラの背中を優しく撫でていた。

 

「そんなにがっつかなくてもなくならないわよ、デライラ。ゆっくり味わって……美味しい? そう、良かったわねぇ」

 

 ……完全に猫バカだ。いつもの冷静さはどこへ行った。餌にこれだけの手間をかけるとは。

 

 レイナの弁当を食べる機会はなくもないが、あいつもあいつで栄養バランスとか考えてて普通に美味い。

 

 それに対して目の前のアシェラ(猫バカ)。このデライラへの尽くしっぷりを見る限りもしかしたら、意外と家庭的な一面が……?

 

 なんて、ほんの一瞬だけ、有り得ない考えが頭をよぎってしまった。

 

 その、淡すぎる期待を粉砕するように。

 アシェラは立ち上がるとローテーブルに、どん、と無造作に二つの皿を置いた。

 置かれたのは──箱からざらっと出しただけの、何の変哲もないコーンフレークが一掴み。そしてパックから直接注がれたのであろう牛乳が、なみなみと。アシェラの分も、全く同じものだった。

 

 猫には高級フレンチ。

 人間にはシリアルと牛乳、フレーク・ウィズ・ミルク。

 

 ……。

 …………。

 

「…………お前、マジか……」

 

 呆れを通り越して、もはや感心すら覚えるレベルの落差。

 心の底からの声が疲れた響きで漏れた。

 しかしアシェラはスプーンを口に運びながら、心底不思議そうに首を傾げた。

 

「何か問題でも?」

「いや……猫にはあんな……俺たち、これだけ……?」

 

 呆れ果てて、もはや怒る気力も湧かない。ただ目の前の現実に対する、深い脱力感。

 言葉を失っていると、アシェラは眉一つ動かさずに答えた。

 

「当然でしょう? デライラはこのセーフハウスの真の主よ。彼女に最高の食事を提供するのが、同居人としての私の義務だわ」

 

 真顔で言い切った。本気だ、こいつ……。

 

「それに比べて人間は」

 

 アシェラは皿のシリアルをちらりと見て、こともなげに続けた。

 

「生存に必要な最低限のエネルギーが摂取できれば、それで十分でしょ。効率的だし、洗い物も楽だし。何か不満?」

 

 ……もう、何も言うまい。

 こいつに常識は通用しない。

 そして何より……腹が、減っていた。

 めちゃくちゃに。

 

「……あぁ、そうか。……いただきます」

 

 観念して、スプーンを手に取った。味気ないコーンフレークを牛乳に浸し、口へと運ぶ。

 ……うん、まあ、普通のコーンフレークだ。可もなく不可もなし。

 だがキッチンの方でまだ優雅に高級魚を堪能しているデライラと、それを愛おしそうに見守るアシェラの姿が視界の端に入るたびに言いようのない脱力感が襲ってくる。

 

 むしゃむしゃと無心でシリアルを胃に流し込みながら、この理不尽な格差社会に、ただただ嘆息するしかなかった。

 

「ぎゅっぷ」

 

 デライラの噯気(げっぷ)が食卓に響く。

 猫と張り合っても仕方ないのだが、ちくしょうめ。

 ちらりと前を見るとアシェラの皿はほぼ空、このなんとも言えない朝食を終わらせるべく皿をかっこんだ。

 

「ごちそうさま」

 

 呟き、空になった自分とアシェラの皿を手に取ってキッチンへと向かう。

 慣れない手つきで皿を洗い始める。

 

「あら」

 

 不意に、ソファの方からアシェラの声がした。振り返らずとも彼女がこちらを見ているのが分かる。

 

「別に命令してないのに、律儀ね、アンタ」

 

 その声には、少しだけ感心したような、あるいは面白がっているような響きがあった。

 

「うるさいな。これくらいは礼儀だろ」

 

 背中越しにぶっきらぼうに返す。なんとなく、手元を見られているのが気恥ずかしい。

 

「……ふーん」

 

 アシェラは、それ以上何も言わず、ただ俺が皿を洗い終えるのを待っているようだった。

 シンクの水を止め、洗い終わった皿を水切りかごに置いたところで、改めてアシェラが口を開いた。

 

「それで?」

 

キッチンからリビングへ戻る俺に、彼女はソファに座ったまま、じっとこちらを見ている。

 

「今日は、学校には行かないんでしょう?」

 

 その問いに、壁にもたれかかって重いため息をついた。

 スマホを確認した時の、あの絶望的な着信履歴が脳裏をよぎる。

 

「……いや、まあ……見ての通り、盛大に寝坊したしな。今から行ったって、もう午前中は終わってる。それに……」

 

 言葉を濁し、自分のスマホをちらりと見た。

 

「……スマホ見たら、その……ちょっとヤバいことになってて。

 正直、今は家に帰るのも、学校に行く気力も……ないっていうか……」

 

 言い訳めいた言葉を聞いて、アシェラはふん、と鼻を鳴らした。

 その顔にはどこか面白がるような色も浮かんでいる。

 

「ふーん。まあ、要するにサボりってわけね。不良クン」

「……うっさい」

 

 むっとしていると、アシェラはソファからすっと立ち上がり、まるで当然のように続けた。その動きには、もう先ほどの休憩中のような緩慢さは欠片もない。既に『次』へと意識が向いている。

 

「なら、ちょうどいいわ。暇なら街を案内してちょうだい」

「は? 街案内?」

「ええ。アンタを引き込んだ理由の一つだって言ったでしょう? 正直この辺りの地理には、まだ疎いのよ」

 

 彼女は窓の外、この街の中心部があるであろう方角へと視線を向けた。

 

「地理の把握。それと……昨日のあの蒼いやつや、他の異常の手がかりがないかも確認しておきたい。アンタの『目』と『耳』は、そういう時にこそ役立ててもらうわ」

 

 明確な目的意識。これも『仕事』の一環なのだ。

 半ば諦めにも似た気持ちで、小さく頷いた。どうせ他にやることもないし、この状況で断れるはずもない。

 

「……分かったよ」

「話が早くて助かるわ」

 

 アシェラは満足げに頷くと、寝室として使っているであろう部屋のドアへと向かった。

 

「じゃあ、私は着替えてくるから。少し待ってなさい。メイクとか面倒でしないし、着替えるだけだからすぐよ」

 

 その背中を見送りながら、内心で呆然としていた。

 あの完成されたとしか言いようのない容姿で、化粧をしていない、だと。

 恐るべし、その素の造形美。神様は本当に不公平だと本気で思った。

 

 


 

 アシェラは宣言通り、本当にすぐに出てきた。動きやすそうなパーカーとパンツスタイルだ。

 

「で、どこから案内してくれるの?」

 

 玄関で靴を履きながら、アシェラが聞いてくる。

 

「どこからって言われてもな……この辺、お前みたいなのが面白がるような場所、あんまりないぞ」

「別に面白さは求めてないわよ。地理の把握が目的。ついでに、昨日のあの青いやつの手がかりもね」

 

 さらっと、物騒なことを言う。

 

 結局、特に当てもなく比較的人通りの少ないエリアを選んで歩き始めた。俺なりに、昔からある商店街だとか。ちょっとしたランドマークなんかを説明してみるのだが……。

 

 アシェラは真剣な顔で説明を聞いてはいる。時折、「ふーん」とか「なるほどね」とか相槌も打つ。だが瞳には何の感情も浮かんでいない。明らかに退屈しているのが見て取れた。

 

「……なあ」

 

 しばらく歩いて、俺はその沈黙と無反応に耐えかねて尋ねた。

 

「そんなに俺のガイド、下手か?」

「下手というか、情報量が足りないわね」

 

 あっさりと、しかし的確に心を抉る評価を下した。

 

「それに、抑揚がないから聞いてて眠くなる。うちの国だったら、ガイドとしては訴えられても文句は言えないレベルよ」

「……そこまでかよ」

「まあ、アンタは本職じゃないんだから仕方ないけど」

 

 彼女は肩をすくめる。

 

「これはあくまで仕事の一環なんだから。気にしないでいいわ」

 

 その興味なさげな物言いがプライドを刺激した、というのは否定できない。

 

 ……仕事、か。だよな。

 一体、何を少しでも期待していたんだろう。馬鹿みたいだ。

 初めは、これってデートでは? などと少しドギマギしたが、妙な感傷や戸惑いが冷めていくのを感じる。

 これはただの業務、俺は彼女の『目』と『耳』に過ぎない。それ以上でも、それ以下でもない。

 そんな、少しだけ自嘲的な気分で歩いていると、ふと見慣れた建物が目に入った。

 

「あ……」

 

 それは新都の片隅で時代に取り残されたかのように佇む、古びた映画館だった。

 最新のシネコンとは違う、昔ながらの小さな単館上映の劇場。

 壁には今公開中の話題作のポスターと並んで、往年の名作のリバイバル上映の告知が色褪せた様子で貼られている。

 

「……まだやってたんだな」

 

 思わず、懐かしさがこみ上げてきた。

 

「ここ、ガキの頃に親父に連れてきてもらったことあるんだよな」

 

 ぽつりと独り言のように呟くと、隣のアシェラが意外そうな顔でこちらを見た。

 

「親父と……ねえ」

 

 アシェラに言うでもなく、続けた。

 

「あの頃は……映画の後、飯食いながら感想言ったりして……もっと普通に、話せてた気がするんだけどな……」

 

 いつからだろう。あの無口で何を考えているのか分からない父親と、まともに会話をしなくなったのは。

 

「なんで今は、こんな風になっちまったんだろうな……」

 

 自嘲気味な呟きが、静かな通りに落ちた。

 するとアシェラが珍しく感傷に乗っかるような、それでいていつもの調子で言った。

 

「……それ、気になるなら入ってみれば? ついでにね。時間はあるんでしょ」

 

 彼女は映画館の入り口を顎でしゃくる。

 

「え? いや、でも……」

「いいじゃない。これも地理の把握の一環よ」

 

 彼女はそう言って、さっさとチケット売り場の方へ向かってしまった。

 本当にどこまでもマイペースなやつだ。

 

 結局、その古びた映画館の中へと足を踏み入れた。

 ちょうど古い日本の特撮映画……『大怪獣、水爆からの誕生秘話』みたいな、そんなタイトルの特集上映が始まったところだったらしい。

 

 薄暗く、カビ臭いような独特の匂いがするシアターに客は数えるほどしかいなかった。俺とアシェラは一番後ろの席に並んで腰を下ろし、スクリーンに映し出される白黒の荒い映像を眺め始めた。

 

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