放課後戦線/魔科不死戯アンダーナイト 作:果汁飲料撲滅委員会名誉顧問
レイナの太陽みたいな笑顔に少しだけ救われたような、あるいは余計に自分の惨めさが際立ったような、複雑な気持ちのままやってきた電車に乗り込み、空いていた隣同士の席に腰を下ろした。
ガタン、ゴトン、と規則的な揺れが心地……よくはない。今の空っぽの頭には、この振動すら鈍い痛みのように響く。
隣のレイナは特に何も言わない。
ただ窓の外を流れる景色を眺めたり、スマホでメッセージを確認したりしている。その横顔は、どこか楽しそうで、上機嫌に見えた。
俺の今の状況とはあまりにもかけ離れた、屈託のない明るさ。
人の気も知らないで、と黒く淀んだ感情が胸の奥で鎌首をもたげる。
だが、すぐに自己嫌悪がそれを打ち消した。
レイナには何の関係もない。八つ当たりするのはお門違いもいいところだった。
そんな自分の心の狭さに、小さくため息をついた。
「ねえ、シュウ」
不意に、レイナが楽しそうな声で話しかけてきた。
「今日の放課後さ、空いてる? 駅前に新しくできたカフェ、気になるから行ってみない?」
カフェ──その単語を聞いた瞬間、頭の中であの夜の光景が鮮明にフラッシュバックした。
アシェラと向かい合ったテーブル。苦いコーヒーの味。
まずい、と思った。咄嗟に、無表情を装って、平静を取り繕おうとした。
だが、無理に壁を作るより早く、レイナは、ふわりとした優しい笑顔を俺に向けていた。
それは俺の心を無理にこじ開けるのではなく、まるで固く結ばれた紐をそっと解きほぐそうとするかのような、穏やかな表情だった。
彼女は子供に言い聞かせるような、諭すような、それでいてどこまでも温かい声で、ゆっくりと尋ねてきた。
「……ねえ、シュウ。やっぱり何かあったでしょ。私でよかったら、聞くよ?」
まっすぐな優しさが胸の奥にちくりと刺さる。
誤魔化そうとしていた自分が、ひどく浅ましく感じられた。
言葉を失った。嘘をつくことも、本当のことを言うこともできずに、ただ彼女の優しい視線を受け止めるしかなかった。窓の外を流れる景色が、やけにゆっくりと感じられた。
黙り込んでいると、レイナはふふん、と少しだけ得意げに、それでいて有無を言わせぬ強い口調で宣言した。
「ふーん、やっぱり図星みたいね。
……いいよ。言ってくれないなら、私、今日一日シュウを絶対離しません! 学校だってサボっちゃいますからね。不良になっちゃうんだから!」
冗談めかしてはいるが、その目は本気だ。
こいつ、本当にやりかねない。ある意味アシェラとは違う種類の、真っ直ぐな頑固さに、俺は完全に敗北した。
「……わかったよ。分かったから」
観念して、ため息をついた。
「話す。話すけど……場所、変えたい。あと、時間も少し欲しい」
「うん、いいよ」
「……じゃあ、悪いけど。1限、付き合ってくれ。サボろうぜ」
俺の提案に、レイナは一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに悪戯っぽく笑って頷いた。
サボると決めてからは、どこか心が楽だった。やっぱりすぐに学校に行くのはハードルが高かったのかもしれない。
ホームに降り立つと、様々な学校の制服を着た学生たちの姿が目に入る。
知り合いに見つかると面倒なことになるかもしれない。レイナの手を軽く引き、学校がある方面とは反対側の出口へと足を向けた。
「こっちだ」
反対側の出口を出てすぐの場所にある、チェーン系のファストフード店。
俺はオレンジジュース、レイナは意外にもブラックコーヒー、それとハッシュドポテトを二つ注文し、テイクアウトで受け取る。
「ここで食べるのもなんだし、公園に行こう。あそこなら、人も少ないだろ」
俺が言うと、レイナも「うん、そうだね」と頷いた。
駅前の、見慣れた公園。芝生が広がり、いくつかのベンチが置かれている、いつもの場所だ。俺たちは、朝の光を浴びながら公園の中へ入っていく。
……あそこか。
公園の中央付近に設置された、少し古風なデザインの時計塔に、ふと目をやった。
初めの夜、集まった場所だ。
「……シュウ?」
立ち止まっているのに気づいたレイナが、不思議そうに声をかけてくる。
「あ、いや……なんでもない。ベンチ、あっちに座ろうぜ」
慌てて思考を中断し、空いているベンチを指差した。
ベンチに並んで腰を下ろす。レイナが紙コップに入ったブラックコーヒーを静かに飲んでいる。
いつも賑やかなこいつが、今日は妙に落ち着いて見えるのはコーヒーのせいか、それとも俺のせいか。
普段と違う落ち着いた仕草が、なんだか妙に大人びて見えて少しだけ戸惑ってしまう。
ハッシュドポテトを齧りながら、さて、どこから話したものかと思考を巡らせ始めた。隣ではレイナが話し出すのを待っている。その妙に大人びた横顔を見ていると、変な言い訳は通用しないような気がした。
「……なあ、レイナ」
意を決して、俺は口を開いた。
「これから話すこと……その、仕事上の守秘義務ってやつ?
そういうのもあって、全部を正直に話せるわけじゃないんだ。……だからそれだけは、先に謝っとく。ごめん」
回りくどい前置きにレイナは怒るでもなく、ただ静かに頷いた。
「うん、いいよ。シュウが話せる範囲で」
その優しい言葉に、少しだけ救われる思いがした。
「……それで、その、こないだ話した、探偵の助手みたいなバイトのことなんだけどさ」
言葉を選びながら、慎重に続ける。
「実は……ちょっと前に、大きなトラブルがあって……。俺の上司が、かなり危ない橋を渡っちまったみたいなんだよ。元々、ちょっと無茶する人だとは思ってたけど、今回はどうも度が過ぎてたらしい」
アシェラの顔が脳裏をよぎる。無茶苦茶な戦闘、再生能力、そしてあの蒼い幻影……。嘘の中に、妙な真実味が混じる。
「そのせいで、まあ、ヤバいところに睨まれたっていうか……まぁ、そんな状態でさ。それで……」
俺は言葉を区切り、俯いた。
「結局……クビになったんだ。一昨日、『もうアンタは関わるな』って。
……だから、まあ、その……色々あってめちゃくちゃ疲れてるし、正直かなり落ち込んでる」
言い終えると、重たい沈黙が落ちた。
レイナの反応が怖くて顔を上げられない。ただ、自分の足元のアスファルトを見つめていた。これで納得してくれただろうか。それとも、もっと怪しまれただろうか。
「……ふーん。それで、全部?」
顔を上げると、彼女は優しい笑顔を浮かべてはいたがその目はまだ何かを探るように俺を見ている。
「……なんだか、それだけじゃない気がするんだけどな」
やっぱり、誤魔化しきれてなかったか。
だが、レイナはそれ以上追求する代わりに、明るい声を出した。
「まあ、バイトをクビになるなんて誰にでもある失敗だよ! 生きてればそういうこともあるって! 私だって、失敗してクビになったことあるしね!」
え? と俺は顔を上げた。この、快活でスポーツ万能で、友達も多いレイナが?
「うん。前にさ、ちょっとだけ駅前のコンカフェで働いてた時があって」
「……は? コンカフェ?」
予想外すぎる単語に、俺は目を丸くする。
「そう。でね、その時しつこいお客さんにセクハラされて、カッとなっちゃって。気づいたら相手の足、大外刈りで払ってたんだよね」
「…………」
絶句。あまりにも、あんまりな、爆弾投下。
あまりの情報量の多さに思考が爆発しかけている。
「コンカフェで働いてたのも初耳だし、大外刈りって……お前
「え? だって、とっさに足が出たんだもん。無意識ってやつ?」
レイナは、てへ、と舌を出して笑う。全然反省していない。
「ああ、でも大丈夫。ちゃんと受け身取ってたから、相手」
「いや、そういう問題じゃないと思うが」
「ちなみに別のコンカフェでね。しつこい酔っ払いを背負い投げしたことあってさー。それで合計2件クビになってるんだ」
平然と、とんでもないことを付け加える。
「だからC県のコンカフェだと私、完全にブラックリスト入りしちゃってるんだよねー。あはは」
悪びれもなく笑うレイナ。
開いた口が塞がらなかった。
こいつ、一体何してんだ……?
あまりにもアホすぎる告白と、それをあっけらかんと笑い飛ばすレイナの姿に、さっきまでの重苦しい気分が一瞬でどこかへ吹き飛んでしまった。
「おま、お前……ほんと、バカじゃねぇの……? ぷっ、くはっ!」
気づけば腹を抱えて笑っていた。涙が出るほど笑ったのはいつ以来だろうか。
「もう、そんなに笑わないでいいじゃん! あはは!」
レイナはそんな俺を見て、一緒になって笑い出した。
ひとしきり笑って、ようやく腹の痛みも収まってきた頃、レイナの表情から不意に笑みが消えた。そして、彼女は真剣な目で、じっと俺を見つめてきた。
「……ねえ、シュウ」
静かな声だった。
「バイトの話はもういいけどさ。シュウが本当に悩んでるのは……その上司さんのことが心配なんでしょ」
単刀直入な、確信に満ちた言葉。
思わずどきりとして、視線を逸らした。そうだ。レイナの言う通りだ。
疲労や理不尽さよりも、別れ際の出来事。アシェラ自身のことが、やっぱりずっと頭から離れない。
何も言えないでいると、レイナはどこか吹っ切れたような、妙にきっぱりとした口調で続けた。
「もしさ。その人にとってシュウが別にいなくてもいい、代えが効く存在なら。
もう気にしない方がいいよ。きっぱりサヨナラして、忘れちゃえ。シュウが悩むことないって」
それは俺を励ますための言葉なのだろう。けれどそのあまりにドライな割り切り方に、俺は少しムッとしてしまった。
忘れるなんてそんな簡単にできるものか。そんな単純な話じゃ……。
反論しようと口を開きかけた、その直後だった。
「でもね」
レイナの声が、ふっと優しくなった。
さっきまでのきっぱりとした響きは消え、まるで俺の心の中を見透かすような、穏やかな声色。
「もし……もし、その人にとって、シュウが他の誰でもない、ただ一人の『シュウ』なんだとしたら……」
彼女は俺の目を、まっすぐに見つめてくる。
「それは、きっと、すごく大事なことだと思うんだ」
彼女は続ける。
「だって、人ってさ、どんなに強く見えてもさ。どんなに周りに人がたくさんいるように見えてもさ。たった一人でも『この人がいなきゃダメだ』って心から思える大事な存在がいなくなるのは……やっぱり、すごく寂しいことだから」
そのどこまでも優しい言葉が、俺の胸に深く、静かに沁み込んできた。
代えが効かない、ただ一人の存在。
いや、そんなはずはない。ただの監視対象で、足手まといで……彼女自身、そう言っていたじゃないか。
それに、そもそも相手にとって自分がどうであるかなんて分かるわけがない。
特にアシェラのような、何を考えているのか、どこまでが本心なのか掴めない相手のことは。
ぐるぐると答えの出ない思考に沈み込んでいると、隣でレイナが仕方ないなあ、というように小さく息をついたのが分かった。
ああ、また、見透かされている。
「もう、シュウはすぐそうやって難しく考えすぎるんだから」
彼女は、少し呆れたように。でも、だからこそ力強く言った。
「分からないなら、答えが出ないなら、確かめにいけばいいんじゃない?」
「え……?」
「ほら、前に進路の話した時も言ったでしょ?」
レイナは、にっと笑って、人差し指を立てる。その仕草も、口調も、あの時と全く同じだ。
「大事なのは、まず踏み込んでみること! 選ぶのは、その後からだっていくらでもできるんだから……ね?」
キラキラした瞳で、彼女はもう一度、あの時と同じ言葉を繰り返した。
……踏み込んでみる、か。
アシェラのことに? あの、危険で、理不尽で、得体のしれない非日常の世界に?
正直、怖い。足がすくむ。
あいつは「日常に戻れ」と言ったんだ。それを、俺が破っていいのか?
でも……。
レイナの一点の曇りもない、真っ直ぐな笑顔を見ていると不思議と、ほんの少しだけ前に進むための勇気が湧いてくるような気がした。
選ぶのは、その後でもいい。か……。
俺は、まだ答えを出せないまま。
それでも、レイナの言葉を胸の中で反芻していた。
キーンコーンカーンコーン……。
遠くで、1限目の授業終了を告げるチャイムが鳴り響いた。
俺たちの短い「サボり」の時間は、もう終わりを告げようとしていた。