放課後戦線/魔科不死戯アンダーナイト   作:果汁飲料撲滅委員会名誉顧問

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2 『目』と『耳』と

 

「……はぁ。またアンタなのね」

 

 俺の視線を受けて少女の眉間に深い皺が刻まれた。まるでどうしようもない厄介事に直面したかのように、彼女は片手で自分の額を押さえて深いため息をついた。

 

 心底うんざりといった響きだった。

 次の瞬間にはその表情が険しいものへと変わる。

 

「ここは遊び場じゃないの! 危ないんだから、面白半分で近づくんじゃない!」

 

 その剣幕に一瞬怯む。だが既に、恐怖よりも確かめたい衝動の方が強かった。

 

「でも、待ってくれ! 俺は確かに君に会ったことがある! そうだろ!? 昨日も、その前の日も!」

 

 必死の訴えに、少女は今度は憐れむようなため息を吐いた。

 

「……だから、それが問題だって言ってるのよ」

 

 彼女は諭すように、しかし突き放すように冷たく言い放つ。

 

「好奇心は身を滅ぼすわよ。ガキじゃあるまいし、自分の衝動くらい押さえなさい」

 

 その言葉と同時に、彼女はスーツの内ポケットから黒いペンを取り出した。

 ペン先に、淡い光が灯る。

 

「それは──!」

 

 それを見て、記憶がフラッシュバックする。思い出すのは昨日の路地裏。

 咄嗟に両手で顔を覆って後ずさった。

 抵抗する。一方的に記憶を奪われるのは、もうごめんだから。

 

「……往生際が悪いのね」

 

 少女の氷のように冷たい声。

 次の瞬間、彼女は一瞬で距離を詰めてきた。

 

「がっ!」

 

 地面に頭を打って、思わず痛みに声をあげる。

 揉み合い、というにはあまりにも一方的な接触。俺は簡単に体勢を崩され、床に押し倒される。

 気づけば少女が俺の上に馬乗りになって、冷たい深紅の瞳で真っ直ぐに見下ろしていた。

 

 俺を押さえつけながら彼女は言い聞かせるように言った。

 

「……分かって。何かあってからじゃ、私は責任を取れない。いいえ、取りようがないの」

 

 声が、懇願に近くなる。

 しかしその顔に表情はない。

 

「本当にもう、こっちには来ないで」

 

 彼女はそう言うと、再びペンを俺の額に近づけた。

 淡い光が視界を白く染める。

 

 今度こそ、意識が飛ぶ──そう覚悟した。

 

 

 

 

 

 ……だが。

 

 何も、起こらない。

 光は灯っている。だが意識はクリアなまま。あの戦闘の光景も、彼女の言葉も、全てが鮮明に頭の中に残っている。

 

 馬乗りになったまま、彼女は目を見開いて固まっている。

 

「……もしかして。効かない、のか?」

 

 この異常な状況の中で、確信にも似た奇妙な感覚を覚えていた。つい、言葉が漏れる。

 彼女は信じられないとばかりに、もう一度ペンをとノックした。淡い光が明滅する。……だが、やはり何も起こらない。

 

「……なんで……効かない……?」

 

 掠れた声で呟き、少女はゆっくりと俺から身を起こした。数歩後ずさり距離を取ってから改めて俺を睨みつける。

 

「……アンタ一体、何者なの?」

 

 低く、厳しい声だった。

 俺という存在に対する明確な不審と、理解できないものへの苛立ちが混じっている。

 

「いや、何者って言われても……」

 

 俺は、まだ床に座り込んだまま、必死で答える。

 

「本当にたまたまなんだ。 昨日も、一昨日も……そして今日も偶然見ちまっただけで……!」

「偶然が三度も続くと? 馬鹿なことを」

 

 彼女は短く鼻を鳴らす。信じていないのは明らかだ。

 

「……それに、問題はそこじゃない。記憶処理が効かないことよ。『見てしまった』こと、そして『忘れさせられない』というこの厄介な事実。ただ、それだけ」

 

 彼女は顎に手を当て、わずかに視線をさまよわせた後、決心したように顔を上げた。

 その瞳には、厳しい光が戻っている。

 

「このまま放置はできない。けれど、だからといって、ここでアンタを『消す』のも目覚めが悪い……」

「消すって……!?」

 

 物騒な単語に咄嗟に身を固める。

 そして諦めたような、しかし有無を言わせぬ響きで、彼女は告げる。

 

「ちょっとツラ貸しなさい、私のセーフハウスまで来てもらうわ。アンタの処遇が組織(うえ)に仰ぐから、その間は逃さないわ」

 

 彼女はそう言うと、俺の腕を掴んで立ち上がらせようとした。その華奢な見た目からは想像もつかない力強さに、俺はなすすべもなかった。

 


 

 廃工場を出て彼女に言われるがまま人気のない道を歩いた。

 やがて着いたのは何の変哲もない、どこにでもありそうなアパートメントだった。ここが彼女の言う『セーフハウス』なのだろうか。外観からは特別な場所には到底見えない。

 

 彼女が手慣れた様子で鍵を開け、俺を中に促す。

 正直、かなり緊張していた。

 『セーフハウス』なんて、物騒な響きの場所に足を踏み入れるのだ。どんな殺風景な、あるいは武器や機材が並んだ無機質な部屋なのかと、内心で身構えていたのだが──。

 

「……え?」

 

 部屋に入って思わず間の抜けた声を上げた。

 目の前に広がっていた光景は予想を完全に裏切っていた。

 

 部屋の隅に置かれたローソファの上や簡素なベッドの上、窓際の棚の隙間にまで、クマ、ウサギ、ペンギン、よく分からないフワフワしたキャラクターものまで大小様々なぬいぐるみが所狭しと、しかし丁寧に並べられていたのだ。

 

「……えぇ?」

 

 およそ大剣を振り回し、化け物を両断する物騒な少女には全く似つかわしくない、あまりにも可愛らしい光景だった。拍子抜けというのだろうか。張り詰めていた緊張が、ふっと少しだけ解けるのを感じる。

 ……部屋の隅に無造作に置かれた明らかに武器の手入れに使うであろうオイルや布、分解された銃のパーツらしきものは全力で見ないふりをするとして。

 

「なぁん」

 

 と、物騒な区画から目を背ければ部屋の奥のドアが少しだけ開いて一匹の猫がするりと姿を現した。ずんぐりとした、しかし艶やかな黒毛に前足の先だけが白い猫だ。

 

「……猫?」

「デライラ、ただいま」

 

 呟くと彼女が、ソファにどかりと腰を下ろしながらこともなげに答えた。

 可愛らしい部屋の反面。膝に猫を抱えてこちらを見ている、彼女のマフィアのような雰囲気のあまりのミスマッチに風邪を引きそうになる。

 

 そんな俺の混乱など意にも介さず、ソファに座った彼女は薄い金属プレートのような通信機を取り出した。彼女はそれを耳に当て、外部との通信を開始する。相手の声はこちらには聞こえない。

 

 俺はただ彼女の言葉の断片と、その表情の変化から状況を推測するしかない。

 

「……報告が遅れました。目標生体反応を確認、排除完了。……はい、後処理お願いします」

 

 淡々とした口調。まるで、事務報告書でも読み上げているかのようだ。廃工場での死闘が、彼女の中ではもう『処理済みの案件』になっている。

 

「それと遅れたのは例の……はい、今回も現場に居合わせました。……いえ、それよりも問題は……」

 

 彼女の声が、わずかに硬質になる。

 

「記憶処理の効果がありません。複数回の試行、全て失敗です。原因は不明ですが耐性がついてしまったのではないかと」

 

 少女は通信機の向こうの相手の言葉を静かに聞いていた。

 

 俺の処遇について、組織としての冷徹な判断が下されようとしている空気。彼女の表情は読み取れないほどに静かだったが、その背中にはピリピリとした緊張感が漂っている。

 

 通信相手の声は聞こえない。だが会話の断片や少女の表情の変化から、俺に関する何らかの『結論』が導き出されようとしているのは分かった。恐らく──好ましいものではない。

 

 通信相手の冷たい決定を待つしかないのかと覚悟した、その時だった。少女が、静かに、しかしきっぱりと反論を始めたのだ。

 

「──お待ちください。その判断は早計かと」

 

 彼女の声には感情的な響きはない。だが、明確な意志がそこにはあった。

 

「記憶処理の不具合については、確かに現場では対応不可能です。ですが今回は技術局の責任範囲ではないですか?」

 

 淡々と、しかし鋭く責任の所在を問い質した。そして畳み掛けるように、だが声のトーンは変えずに続ける。

 

「それに……対象は現状、敵対行動を見せていません。人の命は、そう軽いものではないはずです」

 

 その言葉を、信じられない気持ちで聞いていた。

 なぜやっかいものの俺のために? 驚きと、戸惑い。そしてほんのわずかな……期待、に近いのかもしれない感情が恐怖に凍りついていた心に小さな、だが確かな波紋を広げた。

 

 しばらくの沈黙の後、少女は相手の返答を聞き、短く頷いた。

 

「……はい。……了解。責任をもって、対処します」

 

 その声には安堵とも、あるいは新たな重責への覚悟ともつかない、複雑な響きが混じっていた。

 

 通信を切った少女は疲れたように深いため息をつき、通信機をテーブルに置いた。何も言わずに、じっと俺を見つめてくる。その瞳の色はやはり読み取れない。それが具体的に何を意味するのか、そして先ほどの彼女の行動に対する、新たな戸惑いを感じていた。

 

 やがて彼女は膝の上に抱えたデライラを持ち上げ、顔に乗せた。

 

「はぁ〜……」

 

 深いため息と、デライラの腹で呼吸をする彼女を見てようやく緊張の糸が解れる。「なぁご」と少し嫌そうに鳴く猫の鳴き声だけが部屋に響いた。

 

「……アンタ」

 

 そのまま、くもぐった声で彼女は話を続ける。

 マジか、真面目な話をその何とも言えない格好でするのか。

 

「さっきの通信で、アンタの処遇が決まったわ。貴方は正式に、『監視対象』になった」

 

 監視対象。その言葉の響きに、俺は息をのむ。

 少女は続ける。その声には隠しきれない疲労の色が滲んでいた。

 

「正直、危なかったのよ。……アンタみたいなイレギュラーは『処分』されてた可能性が高い」

 

 処分。

 その単語が持つ、冷たくて絶対的な響き。乾いた喉がひゅっと鳴るのを感じた。

 一通り説明し終えると彼女は頭を押さえていた手を下ろし、再び俺を見た。その瞳には先ほどの庇うような色はなく、どこか冷めた光が宿っていた。

 

「……ただ、勘違いしないでほしいんだけど」

 

 彼女は顔からデライラを引き剥がして、静かに、しかし有無を言わせぬ響きで続けた。

 

「私もアンタを、無償で助けたわけじゃないのよ」

 

「え……?」

「アンタは、自分の意思で危険な場所に足を踏み入れた。……その『責任』は、アンタ自身が、きちんと取るべきだわ」

 

 ぐ、と。

 彼女の冷たい瞳がこちらを貫くように、じっと見つめている。

 

「だから、協力してもらう。私の『目』となり『耳』となり、この街の異常を調査する手伝いをしてもらう。それがアンタが自分で選んで踏み込んだ、この非日常における『責任』の取り方よ。……文句、ないわよね?」

 

 その言葉は命令であり、契約であり、そして俺に突きつけられた逃れられない現実だった。

 

 何も言い返せず、ただ黙って彼女の言葉を受け止めるしかなかった。好奇心と直感のままに踏み込んだのは自分自身だ。彼女の言うことが正しく、僅かに引き返したいと思う気持ちはあれど筋は通さなければいけない。

 

「……分かったよ。協力する。俺にできることがあるなら」

 

 逃げられないのなら、腹を括るしかない。

 そして続けた。協力するのなら、最低限呼び名くらいははっきりさせておきたい。

 

「その代わり、一つだけ聞かせてくれ。……名前を教えてほしい。それくらいはいいだろ?」

 

 問いに彼女はわずかに眉を動かした。窓から差し込む月の光を受けて、銀色の髪が一瞬眩しく輝いた。戦闘の後とは思えないほどその整いすぎた顔立ちはやはり現実感が希薄だ。

 

 彼女は短く、しかし芯の通った凛とした声で答えた。

 

「……アシェラ」

「アシェラ……?」

 

 その響きを口の中で静かに繰り返す。

 

「アシェラ=アンビートよ。ほら、アンタも」

 

 ふん、と鼻を鳴らして言う彼女──アシェラに苦笑しながら。

 俺も名乗った。

 

「……俺は、末永シュウ。よろしく頼む」

「じゃあシュウ。シュウって呼ぶわ。うん、それがいい。しっくり来る」

 

 彼女はどこか噛み締めるように、反芻しながら言った。

 

 




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