放課後戦線/魔科不死戯アンダーナイト   作:果汁飲料撲滅委員会名誉顧問

6 / 21
5 春草レイナは『日常』だ

 

 昨夜の興奮と緊張、そしてわずかな睡眠時間のおかげで俺の意識は頻繁に古典の授業(現実)から乖離した。

 

 窓の外を流れる雲を眺め、気づけば昨日の廃競技場の光景を反芻している。巨人の咆哮、アシェラの人間離れした戦闘、そして最後に見た彼女の意外な笑顔。

 

「──末永。おい、末永!」

「え、あっ、はいっ!」

 

 はっとして顔を上げ、思わず飛び立つ。

 教壇に立つ古典の先生が苦虫を噛み潰したような顔で俺を睨んでいた。しまった、完全に意識が飛んでいたらしい。クラスの視線が痛いほど集まるのを感じる。

 

「『はい』、ではない。今、私が何を質問したか、答えなさい」

「……すみません、聞いていませんでした」

 

 正直に言うしかない。教室に小さなくすくす笑いが広がるのが聞こえた。先生は深いため息をつき、まったくとぼやいて、次の生徒を指名した。

 

 やってしまった、と思いながら席に着くと隣の席から小さく声がかかる。

 

「シュウ、大丈夫? 最近ずっとボーッとしてるよ、何かあったの?」

 

 レイナが本気で心配そうな顔で覗き込んでくる。昨日の朝も似たようなことを言われた気がするが、今日は輪をかけて酷い状態なのだろう。

 

「ああ、いや……平気だって。ちょっと、昨夜あんまり眠れなくてさ」

 

 曖昧に笑って誤魔化そうとしたが、声には力がない。レイナの心配そうな視線から逃れるように、窓の外へ目を向けてしまう。正直、彼女の声にうまく反応できない。機嫌が悪いわけじゃない。ただ頭の中が昨日の出来事でいっぱいで、日常の会話に意識を向ける余裕がないのだ。

 

「でも……」

 

 レイナが何か言いかけた、その時だった。

 ブブッ、と制服のポケットでスマホが震えた。条件反射で取り出し画面を確認する。メッセージアプリの通知。送り主は──やはり、アシェラだった。

 

『明日の夜までに最近の児童襲撃事件について調べられるだけ調べておいて』

 

 また無茶な指令だ、と眉をひそめる。児童殺害事件……気分が滅入るような内容だ。

 

 けれど、その一方で。

 心のどこかで、妙なざわめきを感じている自分もいた。恐怖や嫌悪感だけじゃない。何か、新しい情報に触れられることへの期待感。

 そんな理解しがたい感情が湧き上がっている自分自身に驚いた。

 

「……シュウ?」

 

 俺がスマホの画面を凝視したまま固まっているのをレイナが不思議そうに見ている。慌ててスマホをポケットにしまい、「なんでもない」とまた力なく笑うことしかできなかった。

 


 

 昼休みを告げるチャイムが、まるで遠い世界の音のように聞こえた。

 周囲がガタガタと椅子を引いて弁当を広げ始めたり、早足で教室を出て行ったりする喧騒の中、まだ自分の席でぼんやりとしていた。頭の中ではアシェラからのメッセージと、昨夜の光景がぐるぐると渦巻いている。

 

「おーい、シュウってば。いい加減シャキッとしなさいよ」

 

 不意にすぐ目の前にレイナの顔がぬっと現れた。額がぶつかりそうな距離で、俺の瞳を覗き込んでいる。ふわりと花のような良い香りがして、ちょっとした呼吸が伝わりそうでこそばゆくて──……

 

「どわばがぎゃっ!?」

 

 思いっきり椅子ごとすっ転んだ。

 

「ちょ、大丈夫!? もう、本当にどうしたのよ。 悩み事でもあるなら……」

「あ、ああ、大丈夫だって。考え事してただけだから。心配すんな」

 

 努めて明るい声を出そうとしたが、やはりどこか上の空だったのだろう。レイナは納得いかない顔をしている。

 その、気まずい沈黙を破ったのは、俺自身の腹の虫だった。

 

 ぐうぅぅぅぅ……

 

 静かになりかけた教室に、なんとも情けない音が響き渡る。顔が熱くなるのを感じた。

 そして思い出す。家を出る前に色々と考え込んでいて、母さんが持たせてくれたはずの弁当を、玄関に置き忘れてきたんだった……。

 

 最悪だ。

 今から購買に走ったところであの紛争地帯のような場所でまともなものが残っているとは思えない。育ち盛りは食い盛り、おそらくすでに焼け野原だろう。今日はもう昼抜きを覚悟するしかない。

 

 がっくりと肩を落とす俺を見てレイナは最初呆れたような顔をしていたが、やがてにぱっと太陽みたいな笑顔を浮かべた。

 

「しょーがないなあ、シュウは」

 

 そう言うと、彼女は可愛らしい二段重ねの弁当箱を俺の目の前にことんと置いた。

 

「ねえ、シュウ。そんなに深刻な顔して、何を悩んでるの?」

 

 キラキラした目で、彼女は続ける。

 

「私でよかったら相談に乗るよ? そしたら半分こしてあげなくもないけど?」

 

 悪戯っぽく笑いながら、レイナは弁当の蓋に手をかけた。そこには色とりどりの美味しそうなおかずが詰められているのが見えた。俺は空腹を刺激する弁当の匂いとレイナの笑顔、そして彼女の提案の間でどうしたものかと途方に暮れるしかなかった。

 

 しばらく、差し出された弁当とレイナの顔を交互に見比べて悩んだ。

 腹は今すぐにでもその美味そうな弁当にかぶりつきたいと訴えている。だが、そのためにはこの状況を説明……いや、適当にでも誤魔化さなければならない。本当のことなど絶対に言えるわけがないのだから。

 

 観念して、重い口を開いた。

 

「いや、悩みってほどじゃ……ないんだけどさ。……実は最近、バイト始めて」

「へえ、バイト?」

「なんか、その……探偵事務所みたいなところでさ。助手の真似事みたいな……」

 

 自分でも苦しい言い訳だと思う。探偵の助手なんて、ドラマの見すぎだろう。

 案の定、レイナが首を傾げた。

 

「え? バイト? シュウ、この前言ってたのは中華料理屋の面接じゃなかったっけ?」

 

 しまった、前にそんな話をしたのを忘れていた。

 

「あー……ああ、あれは結局ダメでさ。他にもいくつか受けてて、こっちが決まったんだよ」

 

 なんとか早口で誤魔化す。レイナは「ふーん?」とまだ少し疑いの目を向けている気がするが、それ以上は突っ込まずに先を促してくれた。

 

「で、そのバイトがどうかしたの?」

「ああ、うん。それがさ……結構キツくて」

 

 一度口に出すと、堰を切ったように言葉が出てきた。もちろん探偵助手の話に置き換えて、だが。

 

「人探しとか、調べ物とか……正直、あんまり気分の良いもんじゃないし。おまけにやたらと夜遅くまでかかったり、急な呼び出しがあったりで……疲れるんだよな、結構」

 

 そこまで言って、アシェラの顔が浮かぶ。横暴な態度、昨夜の無茶な戦いぶり、そして今朝のメッセージ。

 

「それに、その……上司?っていう人がさ、また結構……なんというか、人使いが荒いんだよ。それが一番の悩みかもしれない」

 

 言うと、レイナはぐっと身を乗り出してきた。その瞳には心配と、それから野次馬的な好奇心が半々。

 

「えー、どんな人なの?

 男の人? 女の人?

 もしかして、すっごい意地悪な年配の人とか?」

 

 矢継ぎ早の質問。まずい、どう答える。

 長い仲だし、嘘をつき続けるのも限界がある気がする。

 

 少し視線を泳がせてから、観念して、少しだけ正直に答えることにした。

 

「え? あー……いや、その……女の人。だよ。歳も……多分、俺と同じくらい」

「えっ、同い年くらいなの?」

 

 レイナが意外そうに目を丸くする。

 

「まあ、そうなんだが……それがまた、厄介でさ」

 

 一度正直に話すと、昨夜からの鬱憤が堰を切ったように溢れ出してきた。

 

「とにかく無茶苦茶なんだよ。人の都合とか一切考えないで、いきなり危険な場所に連れて行こうとしたり、夜中に無茶な調べ物押し付けてきたり。説明は足りないし、こっちの話は聞かないし。こっちはただのバイトだってのに……」

 

 そこまで一気にまくし立てて、ふとアシェラの顔が浮かぶ。

 

「かと思えば変なところで律儀だったり、妙に真剣な顔したりもするし……。無表情かと思えば、子供みたいに笑ったり、何考えてるか全然分かんなくてペースが掴めないっていうか……。なんだかんだ言って目が離せないっていうか──……」

 

 最後の方は、自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。ただの愚痴のはずが、いつの間にか彼女への複雑な感情がダダ漏れになっている気がする。

 

 止まらない愚痴を聞いているうちに、レイナの表情が少しずつ変わっていくのが分かった。最初は心配そうに聞いていたのに、だんだんと眉間にしわが寄り──……

 

「せいやっ!」

「もがっ!?」

 

 さらに何か言い募ろうとした瞬間、レイナが弁当箱からピーマンの肉詰めを箸でつまんで有無を言わさず口に突っ込んできた。突然の出来事に俺は言葉を失う。それから、口の中に広がる甘辛いタレとピーマンのわずかな苦み。

 

「……もう。シュウの話、聞いてるとヤキモキする」

 

 もぐもぐと肉詰めを咀嚼している間に、レイナは少し拗ねたような、それでいて真剣な目で俺を見つめていた。

 

「で、結局……その仕事、続けたいの? シュウは」

 

 そのまっすぐな問いに、一瞬、言葉に詰まった。ピーマンの肉詰めを飲み込み、少しだけ考え込む。

 続けたいか? あの危険で、理不尽で、訳の分からない状況に、これからも身を置きたいのか?

 答えは、簡単には出なかった。でも……。

 

「……多分、やりたいんだと思う」

 

 ぽつり、と本音が漏れた。

 

「いや……やらなきゃいけない、って感じなのかもしれないけど」

 

 義務感なのか、好奇心なのか、それとも別の何かか。自分でもまだ整理がついていない。ただあの非日常から、もう目を逸らせない気がしていた。

 

 曖昧な、しかし嘘ではない答えを聞いて、レイナの表情がふっと和らいだ。

 

 「そっか」

 

 彼女はそれ以上何も聞かず、ただ優しい笑顔で頷いた。その笑顔に少しだけ救われたような気がした。

 

「ほら、まだ食べ足りないでしょ? 今日のは自信作なんだから」

 

 レイナはそう言って唐揚げを一つ、弁当の蓋の上に置いてくれた。

 それからは、特にバイトの話を蒸し返すこともなく次の授業のことや、週末のテレビ番組のことなど。たわいもない雑談をして、いつも通りの昼休みが過ぎていった。

 

 アシェラの顔と「児童殺害事件」という重いワードがこびりついて離れなかったけれど、間違いなく平凡な日常だった。

 




明日は21時、明後日は0時投稿します
連続みたいになるかも?

日刊オリ33位と赤バーありがとうございます!
高評価・感想励みになります!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。