放課後戦線/魔科不死戯アンダーナイト 作:果汁飲料撲滅委員会名誉顧問
あの後、地図を見て打ち合わせをして店を出た。
アシェラは黙って少し前を歩き、その斜め後ろをついていく。さっきまでのカフェでのやり取りが嘘のように重い沈黙が俺たちの間に落ちていた。
この静寂がなんだか気まずい。何か話した方がいいのだろうか。でも、何を?
ふと競技場での戦闘中に彼女が口にした言葉を思い出した。あれなら少しは当たり障りがないかもしれない。
「なあ……アシェラ」
意を決して静寂を破った。
「こないだの巨人の時、言ってたろ。
アシェラが怪訝そうにこちらを振り返る。
「だとしたら、親父さんって、映画好きなのか? どんな人なんだ?」
二つの質問を少し早口で付け加えた。
唐突な質問に、アシェラは一瞬虚を突かれたような顔をした。
やがて大きなため息をついて。
「……映画ね。好き、というか……病的だったわね、あの人の場合」
どこか遠い目をして彼女は愚痴るように話し始めた。
「休みの日は一日中ホームシアターに篭って、ピザばっかり。ママがいなかったら本当に廃人よ、あれは。しかも見るのが決まって、どうしようもないB級アクションか、突っ込みどころ満載のSFばっかりなんだから。……センスを疑うわ」
ママという普段の彼女からは想像もつかない、やけに子供っぽい響きが妙に耳に残る。アシェラにも普通の女の子みたいな部分があるのだろうか。
「……なんか、意外だな」
「意外?」
「いや、拳法とかやるくらいだから、もっとこう、ストイックな感じの人なのかと……。ちなみに……強いのか?」
慌てて誤魔化してそう言うとアシェラの表情からふっと先ほどまでの呆れたような色が消えた。
「……まあ、強いわ。とっくに前線から退いてるのに、まだ私なんかよりずっと強い。理不尽の擬人化って言ってもまだ足りない。本当の意味での人災、ヒューマノイドタイフーンよ」
声には複雑な響きがあった。
アシェラよりずっと強い? あの巨人を圧倒的な力でねじ伏せた、彼女よりも?
まったく想像もつかなかった。一体どんな人間なんだ、お前の父親は。
「私くらいの歳にはもう軍でいくつも戦果を上げて、英雄扱いだったらしいわ。あのだらけっぷりからは想像もつかないけどね。ピザ腹くらいは晒せばいいものを」
ますます父親像が分からなくなる。
偉大な父親。強すぎる父親。英雄。
その存在は子供にとって必ずしも良いものばかりではないのかもしれない。
「そっか……」
ただ、なぜか少しだけ共感する自分がいた。
「……なんか分かる気がするな。偉大な親父ってのも良し悪しだよな。うちの親父も、何を考えてるのかよくわかんないやつでさ」
自分の、あの無口で無愛想な父親のことを思い浮かべながら言葉が漏れた。
アシェラは少しだけ驚いたように目を見開いた。だがすぐに興味なさそうに前を向き直してしまう。
「……ふーん。まあ、どうでもいいわ」
いつもの彼女らしい、素っ気ない返事。それでもほんの一瞬だけ、俺たちの間にあった壁が少しだけ薄くなったような、そんな気がした。
「……それに、この剣だって」
ぽつり、と彼女が続ける。
「元は父が使っていたもののレプリカよ。私に合わせてスケールダウンさせた、ただの
その声には先ほどとはまた違う、はっきりとしたコンプレックスの色が滲んでいた。
「まあ、私の話はいいわ」
アシェラはそれ以上語るつもりはないとばかりに、ぴしゃりと話を打ち切った。
「それより、もうすぐよ。気を引き締めなさい。ここからは、いつ『何か』が出てもおかしくない」
前方の廃墟へと鋭く向けられる。俺も慌てて気持ちを切り替え、周囲への警戒を強めた。
それは取り壊しが決まったという古い幼稚園。夜の闇に沈む園舎は、どこか不気味な雰囲気を漂わせている。壁には色褪せた動物の絵が描かれているが、それも今は薄汚れて見えた。
「ここか……」
思ったより新しい、というのが第一印象だった。
廃墟というからもっとボロボロの建物を想像していたが最近放棄されたばかりらしい。少子化の影響、なんてニュースで聞いたことがあるがここもそうだったのだろうか。役目を終えた建物というのは、どうしてこうも物悲しい空気を放つのだろう。
入り口の壊れたドアの隙間から、音を立てないように慎重に中へと滑り込んだ。
中はしんと静まり返り外よりも一層濃い闇が広がっている。埃っぽい匂いと、微かに甘いような、それでいてカビ臭いような、奇妙な匂いが混じり合っていた。
アシェラは相変わらず夜目が利くようで、暗闇の中を迷いなく進んでいく。
なぜだか分からないが、中に入ってからずっと嫌な予感が胸のあたりをざわつかせている。競技場の時とはまた違う、じっとりとした不安感が。
「……なあ」
耐えきれず、俺はアシェラの背中に小声で話しかけた。
「なんか……もの寂しいな、ここ」
アシェラは足を止めずに、前を見たまま小さく頷いた。
「まあ、そうね」
「俺が通ってた幼稚園は、もうとっくに潰れちまったけど……子供がいなくなった場所ってのは、どうもな……」
自分でも、口数が多くなっているのは分かっていた。緊張や不安を言葉で紛らわそうとしているのだろう。すると、アシェラがふと、足を止めた。
「感傷的ね。でも、いつかはなんでもなくなるものよ。形あるものは、いつか必ず滅びる」
彼女は静かに、まるで自分に言い聞かせるかのように呟いた。
「……アンタたちの国の古い物語にもあるんでしょ。ジョウシャヒッスイとかいう言葉が」
どこか達観したような、それでいて冷たくも聞こえる言葉に少し戸惑う。
「……そうかもしれないけどさ」
「まあ、ここがどこか不気味なのは否定しないわ」
アシェラは感傷に少しだけ共感を示したかと思うと、すぐにいつもの調子で付け加えた。
「……でも、さっきから少し口数が多すぎるわよ。静かにして、気配を探る邪魔」
ぴしゃり、とやや咎めるような口調だった。
「……悪かったよ」
小さく謝り、口をつぐんだ。
今は感傷に浸っている場合じゃない。改めて気を引き締め、アシェラの後に続いた。
一階の探索では、特に異様なものは見つからなかった。
ただひたすらに静かで、埃っぽくて、子供たちが去った後の抜け殻のような空間が広がっているだけだ。しかし胸騒ぎは一向に収まる気配がない。
軋む音を立てる階段を慎重に上り、二階へと進む。一階よりもさらに暗く、空気も淀んでいる気がする。いくつかの教室のドアが半開きになっていて、暗い口を覗かせているのが不気味だった。
その時だった。
廊下の奥の教室から、ビリッ、ビリリッ、と紙を破くような音が、静寂を破って聞こえてきたのだ。不規則に、そして執拗に繰り返されるその音に、思わず足を止めた。
隣のアシェラもぴたりと動きを止めていた。彼女の纏う空気が一瞬で張り詰める。
「……いる」
低い声で呟くと同時に、彼女は背中の黒いケースに手をかけた。
「光学迷彩解除」
凛とした声と共にケースの周囲の空間がぐにゃりと歪み、次の瞬間にはあの巨大な黒い剣が彼女の背に収まっていた。臨戦態勢だ。
息を殺し、音のする教室へとゆっくりと近づく。ドアは閉まっていたが、鍵はかかっていないようだった。アシェラが目で合図し、頷く。彼女がドアノブに手をかけ、静かに、しかし素早くドアを開け放った。
そして、見た。
薄暗い教室の中。壁には子供たちが描いたのであろう似顔絵が何枚も貼られていた。その壁の前に、小さな人影が一つ。血で汚れた、赤いフード付きのケープを羽織った子供。あれが……赤マント。
その子供は壁の似顔絵に憎悪を向けるように、持っていた何か鋭いもの──カッターナイフだろうか──で、似顔絵をめちゃくちゃに引き裂いていた。ビリビリと紙の破れる音が耳障りに響く。
そして、赤マントの傍らには別の子供が一人、ぐったりと床に倒れていた。
首がありえない方向にぐにゃりと曲がっている。息絶えているのは、明らかだった。
「……どゥしテ……どうシて僕だケ……!」
赤マントは狂ったようにそう呟きながら似顔絵を破り続けている。その手つきは拙い儀式のようだ。壁には明らかに四つ、ぽっかりと隙間が空いている。
その光景と昼間に調べた情報が、俺の頭の中で繋がった。
ぞっとした。こいつはこの似顔絵に描かれた子供たちをいずれ全員殺すつもりなのだ、と直感した。
目の前の光景は悍ましいとしか言いようがない。
だけどおかしい。これほど禍々しい場面に立ち会っているのに、ずっと感じていた嫌な予感は目の前の赤マントのものではない気がした。
本能が、警鐘を鳴らし続けているのだ。
そんな予感を気にせずに、壁に向かって似顔絵を破り続けていた赤マントが、ゆっくりとこちらを向いた。フードの奥の表情は窺えない。ただ、その動きが、先ほどまでの狂気じみた繰り返しから、明確な敵意へと変わったのが分かった。
「おネえさんた血は、アそんデくれル?」
歪んだ甲高い声。人の声帯から発せられているとは思えない、不快な響き。
赤マントは手にしていたカッターナイフをカランと床に手放すと、首をありえない角度にぐきり、ぐきりと回し始めた。骨が軋むような嫌な音を立てながら、それはゆっくりと、だが確実にこちらへとにじり寄ってくる。
異常な光景に背筋が凍る思いだったが、俺の前に立つアシェラは動じない。
「あいにくガキのお守りはごめんなのよ、もう一人で手一杯──……」
相変わらずの皮肉で、彼女は赤マントの誘いを一蹴しようとした時。
ぴきん
頭の中でガラスが割れるような、
──何か、善くないものがくる。
「シュウ! 私の後ろに!」
咄嗟にアシェラが叫ぶ。その声は今まで聞いたことがないほど切迫していた。
全身から汗が吹き出している。体が激しく震える。だが、考えるより先に体が動く。
本能が、アシェラの背後が一番安全だと判断し、即座に彼女の後ろへ飛びのいた。
「キィィィィィッ!!」
赤マントが甲高い奇声を上げて、飛びかかってくる。信じられないほどの速度のはずだが、妙にゆっくりに見えた直後。
──何か、恐ろしいものが来る!
ズゥン、と地鳴りのような振動と共に天井が、轟音を立てて崩れ始めた。
土埃とコンクリートの破片が雪崩のように降り注いでくる。
「ぐっ……!」
咄嗟にアシェラが俺を庇うように前に立つ。降り注ぐ瓦礫の中、赤マントの突進は土埃に紛れて見失った。
だが次の瞬間、目の前でおぞましい光景が繰り広げられた。
ゴウッ!
舞い上がる砂塵の中から、突如として青い炎が奔流のように噴き上がったのだ。
それは赤マントがいたであろう場所を一瞬にして飲み込んだ。炎、というにはあまりに冷たく、静かなそれは、しかし触れたものの存在そのものを根源から否定するかのようだった。
赤マントは声なき叫びを上げたか?
いや、それすら定かではない。
青白い光の中で、その小さな体が泡のように弾け、焼け爛れるように溶け、最後には霧のように掻き消えていく。
抵抗も、苦悶も、存在したという事実さえも許されずに、ただの一片の灰すら残さず、完全にこの世から抹消されたのだ。
その凄惨な消滅は、純粋な『怨念』による完全なる拒絶を物語っていた。
「なんだ、あれ……」
消滅の後に残ったのは静寂と、揺らめく蒼炎のみ。
その炎が、まるで自身の意志を持つ流れのように虚空の一点へと収束を始める。
熱なき光。形なき輪郭。
それは、ただ純粋な『怨念』そのものが、この場に凝固したかのような──青白い、靄じみた人型へと変貌していく。
肌を焼く灼熱。だというのに骨身に染みる絶対零度の冷気が、空間を支配していた。
暑い。寒い。矛盾した感覚が思考を麻痺させる。
体は、恐怖か寒さか、その両方かで凍り付いていた。
そこに在るのは、人の形を模しただけの『何か』。
目も、鼻も、口もない。揺らめく輪郭は、確かな
言葉はない。だが、そこから漏れ出す情動はただ一つ。
凝縮された『怨念』。
世界への、存在への、絶対的な
隣のアシェラは呆然とその人型を見上げていた。
「何よ……コイツは……!?」
掠れた声で呟き、震える手で、それでも大剣を構え直す。
いつも冷静な彼女がこれほどまでに動揺している。
ただ恐怖に凍りつき、その場で小さくなることしかできなかった。
そんな俺たちの前で
違う、見たのではない。あの存在に視線などない。
だが、その『怨念』の指向性が、明確にこちらを捉えたのだ。
時間にして、ほんの一瞬。
しかしそれは魂の芯まで凍てつかせるような、絶対的な
魂が直接、その冷たさに触れているようだ。
だが──その指向は、一瞬で絞られた。
アシェラの方を見た刹那。
空間を滑る、という表現すら生温い。
蒼い靄が、距離という概念を蹂躙するように、あるいはこの世の
もはや突進などではない。
死をもたらすただの『現象』、それが──来る。
Blue Phantom