月兎大亡命 -A lunatic rabbits lost in fantasy- 作:vespa MDRN
月は決して地球に背を向けることはない。その性質を利用して月の裏側に文明を気づいた者たちがいた。彼等は月人と呼ばれ、高度で発達した技術を持っている。
だが月にはもう一種族、住人がいた。それらは玉兎といい、その名の通りの兎の耳を生やした者達を指す。だが大半の玉兎達には性格に難があったりするのだ。
レイセンと名付けられた薄紫の長髪を持つ玉兎もその例に漏れなかった。だが彼女は品行方正、才色兼備。戦闘訓練の成績も非常に良く、同じ玉兎の仲間から信頼されていた。多くの玉兎とは異なるレイセンを稀代の天才なんて呼ぶ者もいる程だったのだ。ある日を境に彼女が月を離反するまでは……。
月の都
噂好きの玉兎達の間ではある話題が物議を醸しており、もっぱら会話はそれで持ち切りだった。
「ねぇ、知ってる? 地上人が攻めてくるっての?」
「聞いた聞いた! もう何発もロケットが飛んできてるって」
「月の周りを偵察してたってのも聞いたよ!」
「じゃあもうじき月面に着陸するんじゃ……」
噂の発端は都の警備をしていた月人が地上製の宇宙船を発見して上司に報告したことだった。そこから情報が漏れて玉兎達の長い耳にも入っていったのだ。それはレイセンも例外ではなかった。
「レイセンさん! 聞きました? あの噂!」
一人の玉兎が薄紫色に光る長い髪を揺らしながら歩くレイセンへと話しかける。彼女は足を止め、その方へと顔を向けた。その時に浮かんできた小さな微笑みに一人、また一人と玉兎達が集まってくる。気付けば彼女の周りにを取り囲むようにして玉兎達が群れていた。その中ですらりとした体躯のレイセンは、まるで野に咲く一輪の花と言った様子だ。
「野蛮な地上人の戦力なんて、たかが知れてる。大した事ないでしょ」
レイセンは主人の威を借るが如く、尊大な態度で答えた。そんな振る舞いに玉兎達の曇った顔は次第に明るくなっていく。
「……ですよね!」
「やっぱりレイセンは違うなぁ~!」
「……ちょっと安心、かも」
玉兎達は緊張がほぐれたのか肩の力、表情が次第に緩んでいく。レイセンはしょうがない子らだ、と周りの玉兎を見下ろしながら、ふふんと鼻を鳴らす。
そんな態度と物言いとは裏腹に、レイセンは地上人の侵攻を恐れていた。例え科学力の劣っている地上とはいえ、どんな手段を使ってくるかはわからない。生物兵器を用いたパンデミック、ミサイルによる飽和攻撃……。もしかしたら自らの持つ穢れを上手く利用し、月の都を汚染するかもしれない。そんなあり得るかもわからない未来に、レイセンは一喜一憂して夜も眠れない日々が続いていた。
レイセンが綿月邸に戻ると主人の一人である綿月豊姫がいつものように桃をかじっていた。こんな時にのんきな人だと呆れつつも、その余裕から自分との力の差が天と地ほどあること思い知らされる。自分にも力があれば、と考えつつもレイセンは豊姫へと質問を投げかけた。
「豊姫様、地上人が攻めてくるという噂……どうお考えでしょうか?」
それを聞くと豊姫は吹き出し、お腹を抱えて笑いだした。そんなにおかしいのかと、動揺したレイセンが尋ねるが主人はだらしなく笑いながらも冷静な回答を述べる。
「可笑しいも何も、ここまで来られる技術力があるなら侵攻なんて野蛮な行為をするはずがないわ」
そう言われてもレイセンは安心などできなかった。世の中に"絶対"なんてことはない。始めは友好的でも急に手の平を返す人もいるのだ。募る不安は彼女の判断力を鈍らせる。レイセンの脳裏には月の都の脱出という選択肢が過っており、既に実行計画の下準備を進めていた。
(みんなには悪いけど……)
命には何にでも代えられない。たとえ主人や仲間を裏切ることになろうとも生き残る──それが彼女の取った選択肢だった。月に背を向けたレイセンは大地へと降り立ち、地上の兎となる……。そうして恩師と出会い、こう名乗るように言われた。鈴仙・優曇華院・イナバ──。
***
強烈な光が瞬く、消える。また光り、そして消える。同時に鼻が曲がりそうな腐臭が漂った。瞼を開けると周りの人型が、穢れだ、と口を揃える。彼らが何故そんな事を言うのか、目の前の玉兎にはわからなかった。ただ一つわかるのは、目の前で腐りながらも生きながらえるもの。それが耐え難い苦痛を感じていること──。
「ウドンゲ?」
透き通るような声で鈴仙はハッとする。目の前には果てしなく続く暗い竹林と月光、そして赤と青の特徴的な服を着た女性。彼女は心配そうな表情で鈴仙を覗き込む。
「あっ、すみません。少しぼうっとしてました」
「珍しい……事では無いわね」
そう言って八意永琳はクスリと笑う。つられて鈴仙も、あはは、と笑みをこぼした。二人は何事もなかったかのように歩き出し、永遠亭への帰路を辿る。その最中、鈴仙は先程見たイメージが何だったのかを考えていた。
月の兎は離れていても意思疎通が出来る。それは彼女らが放つ特殊な波によって行われるのだ。それを介して言葉やイメージを伝えることができる。鈴仙がつい先程に受け取ったイメージも特殊な波長に乗せられてやってきたものだった。
(あの殺伐とした情景は作り物にしてはリアルすぎ……。本当に玉兎が見たものなの?)
数分して鈴仙達が永遠亭に戻った。こんな時間では出迎えが来ることはない。二人は音もなく上がり、各々の部屋へと向かう。鈴仙はブレザーを脱ぎ捨てて壁にもたれかけた。
「はぁ〜疲れた〜」
彼女がこんなため息をつくのも無理はない。今日は一日中、永琳の助手兼付き添いで人里に住む太客の健診に従事していたのだ。慣れない接客を丸一日続けていれば精神もすり減る。永琳はこう言った外交を鈴仙にも出来るようになって欲しいらしいが、等の本人にそんな自信は微塵もなかった。
「師匠は私に何を期待してるんだろう。使命から逃げた玉兎なんかに……」
窓から入る月の光が鈴仙の足元に差した。かつては月の使者という光ある役職についていた彼女。しかし今はこうして影に隠れてひっそりと生きている。もう戻れない──戻るつもりもない鈴仙は現状で満足していた。月の防衛部隊なんて自分には荷が重すぎたと彼女は乾いた笑いをこぼし、白銀に輝く星を見上げる。
その時だった、鈴仙の赤い瞳に空に尾を引く光が映ったのは。初めは疲れから引き起こされた幻覚かと、目をこするが確かにそれは存在する。しかも一つではなく、三つもあるときた。
「あれはもしかして……」
鈴仙にはその光の筋に覚えがあった。一度自分自身で使ったことのあるもの──月と地上を行き来するための道具、月の羽衣だ。
しかし、月ではそれを使って移動してくる者は限られる……というよりもほぼ一択だ。
「また玉兎が来るんだ。今度は何が起こるのやら」
以前、鈴仙が幻想郷にやって来ただいぶ後にも玉兎が一人やって来たのだ。永遠亭にもやって来たようだが、互いに顔を合わせる機会はなく名前も知らない。そのまま月へと帰ってしまったようだが、その度胸は尊敬に値すると鈴仙は思っている。
「でも三人が同じタイミングで来るなんてある?」
不審に思った鈴仙は立ち上がって目を凝らした。確かに三つの流星にも似た光は存在する。しかし少しすると三つ並んだそれは散開し、大地めがけて落ちていく。そのうちの一つは迷いの竹林の方面へと向かっているように見えた。
「あれ? 一つは竹林側に来てない?」
そう言って鈴仙は縁側へと向かう。彼女の予想通り、一つの光は永遠亭から少し離れた場所へと落ちたようだ。様子が気になった鈴仙の足は自然と前に出ていた。彼女の靴がトンッと地面を叩くと、その体は宙に浮く。そのまま加速を始め、竹林を飛び抜けた。おかげで玉兎の落下地点までは直ぐだった。
「確かこの辺りのはず」
鈴仙が辺りを見回すが人影は一つとしてない。見渡すばかりの竹ばかり。そこで彼女は自身の能力“狂気を操る程度の能力”を使うことにした。応用の効くこの能力であれば、周囲の波を読み取って、隠れた存在を暴くことも可能だ。
すぐに反応を一つ、鈴仙は見つけた。彼女の予想通り、玉兎の波を持つ存在が暗闇の中に隠れている。
「隠れてないで出て来たら?」
相手のいる方へ鈴仙が声をかけると、それは物凄い速さで動く。弾丸が跳弾するかのように四方八方を飛び回った。
(攻撃のタイミングを見計らってる? こっちが玉兎だって気づかれてないの?)
何にせよ敵対されているなら話は早い。幻想郷では力がものを言う。鈴仙は戦闘態勢へと入った。その途端、相手の玉兎は「あいたっ!」という素っ頓狂な声と共に鈴仙の目の前へと落ちてくる。速度の出し過ぎで前が見えず、竹に激突したのだろう。
「何やってるの……?」
落ちて来たのは長く艶やかな黒髪の玉兎。彼女は頭をさすりながら顔を上げた。そして鈴仙の顔を見るなり、アワアワとしながら蛇に睨まれた蛙となってしまう。
「あ、あ……わ、わた……」
「ようこそ地上へ」
鈴仙が呆れながらも微笑んでそう言った。黒髪の玉兎は返すように作り笑いを浮かべると、ゆっくりと立ち上がる。すらっとした体だが、猫背で瞼は半分くらいしか開いてない。髪は艶があってもボサボサ。しかし鈴仙と同じブレザーを身につけている。それが意味するのは彼女が玉兎の兵士であるということ。
「そ、それでは……」
黒髪の玉兎は踵を返し、その場を去ろうとするが鈴仙がそれを許さない。肩を掴み、引き寄せて捕まえる。
「ちょっと! 何で逃げようとするの?
私、玉兎だけど!?」
「あ、あ、あなたは裏切り者……! な、な、なので……信用なりません!」
その言葉は鈴仙の心に深く突き刺さった。やはり一部の玉兎達にはそういう評価で通っているのだと痛感したからだ。覚悟はしていても、いざ面と向かって言われるときついものがあると鈴仙はため息をこぼす。
「でもあなたも地上に逃げてるでしょ?」
「わ、わ、私は裏切った……のではありません! せ、正式な手続きで……退職させてもらったんです!」
「退職? そんなことできるわけ……」
鈴仙の言葉を遮るようにして一枚の折り畳まれた紙が差し出される。それを手に取って広げると彼女の耳がピンと跳ねるような事が記されていた。
「主人の命により玉兎“鋭”を解雇する!? ちゃんと押印もある……」
文書から黒髪の玉兎の名は鋭というようだ。彼女は「ふへへ……」と変な笑みを浮かべながら、ブレザーのネクタイをいじっている。何か言いたげだが、鈴仙は尋ねることはせずに文書を返した。
「じゃあ、あなたは逃げて来たんじゃないんだ?」
「は、はい……他の人は知らないですけど……」
「そうなんだ。他の人がいるの?」
鈴仙の突き刺すような言葉に鋭は身を震わせた。しまったと言わんばかりに彼女は口元を両手で押さえる。
「い、い、いないです!」
「撤回しても遅い! 観念なさい!」
「ひえぇぇ……こ、これじゃあ私まで裏切り者にぃ〜」
鋭の表情はしわくちゃにした紙屑のようになっていた。
かくして幻想郷にやって来た玉兎のうち一羽を見つけた鈴仙。永遠亭へ連れて行く道中、彼女は幻想郷へやって来た理由を鋭に問う。
「あなたはどうして地上に?」
「え!? あ、あ……。わ、私は〜……」
口にしづらいのか、それともうまく口が回らないのか。鋭はごにょごにょと小さな声で何かを呟く。聞き返すのも面倒になった鈴仙は「はぁ〜……」と長いため息を返す。
そんな状況だが収穫が無かった訳ではなかった。この様子では永琳や輝夜を連れ戻しに来た者には見えない。他の二人も同様なのだろう。かといって確証も無しに決めつけるのは早計だと彼女は考えていた。
永遠亭に辿り着くと鋭は震え上がり、辺りをキョロキョロと見始める。
「そ、それで……私をじ、尋問するんですか?」
「嫌なら素直に喋った方がいいと思うけど?」
鈴仙は自身の波長の長さを操作して、暢気から狂気へと切り替え始めていた。何せ彼女は尋問の経験が無い。まともな状態でそんな事を行えば相手に見下され、増長される可能性がある。
「そ、そうですか。それなら……」
突如として、ブォン、という音と共に光を帯びた何かが空を切った。鈴仙が下手に動いていたら当たっていたかもしれない。
「ヒートカッターね……」
「ふふふ……当たりです」
鋭は赤い瞳を煌めかせながらニヤリと笑う。彼女もまた波長を操作して狂気に染まっていたようだ。そして、その手には同じ赤い光の剣が握られている。鈴仙がヒートカッターと呼んだ、月の技術で作られた光熱切断剣だ。普段は柄の部分しかないのだが、一度スイッチを入れると光剣が生成され、触れるもの全てを無慈悲に切り裂く。こんなものでも、月の都の兵士に与えられるごく一般的な装備だ。
「裏切り者の処分には持ってこいですね……」
「やる気ってなら、いいけど。ここに来たらのならルールには従って欲しいものね」
「弾幕の美しさを競うやつですよね? ふふっ……ごめんなさい、今は用意がなくって。でも、受けて立ちますよ!」
そう言って鋭は光剣で斬りかかる──のだが、その動きはお世辞にも速いとは言えず、弱めの妖怪でも避けられそうな緩慢な動きだった。
「訓練サボってるのが丸わかり」
剣撃を容易く避けた鈴仙はスペルカードを発動する。その名は、波符『赤眼催眠』だ。赤と青の弾幕を円形に張り、能力で分裂したように見せる。単純、しかし初見殺しの性能が高いので多くの者がこの技に騙されている。同じ玉兎なら小細工は通じないだろうと鈴仙は考えていたが、意外にもその読みは外れた。
「これが……幻想郷での戦い方なんですね……」
鋭は美しい弾幕に見惚れてしまい、回避する事を忘れる。被弾した彼女は大きく吹き飛んで暗闇の中に消えた。
「見惚れてたようだけど……どさくさに紛れて逃げようとするな!」
上手く撒かれた鈴仙はすぐに追いかけるが、鋭は逃げ足が速いのか影も形も無くなっていた。能力を使ってみたが隠れている様子は無く、既にこの付近からは立ち去っているようだ。
「なんて逃げ足! そんなのはてゐだけで充分なのに……」
何事も上手くいかないなと、またも鈴仙はため息を溢し出す。理想に辿り着くまでは気の遠くなる程の時間を要するかもしれない。そんな現実に彼女は月の都と幻想郷での生活にギャップを感じていた。
***
「ここが地上! 穢れてるって言われてるけど、全然そんなことないじゃん!」
瑠璃色の髪と兎耳を揺らす少女は大きく息を吸い込んだ。月とは違う空気だが、悪いものではない。むしろ澄んでいるようにすら感じる。
「自然もいっぱいで色んな動物がいるのか~!」
彼女は空へ飛び上がり、辺り一帯を眺める。聳え立つ山々、生い茂る森……が暗闇で少しだけ見える。日が登ればもっと良い景色が見えるだろう。それまではお預けだと瑠璃色の髪の玉兎はその場からそそくさと立ち去る。真下で燃え盛る炎をそのままにして……。
一方その頃、別の場所では紅葉色の髪色をした玉兎が山の中を彷徨っていた。背中には大きなバックパックを抱え、滑り落ちないようにのそのそと斜面を降りる。
「事故とは言え、こんなことになるなんて〜。早くみんなと合流しないと……」
そう言葉にした一瞬、彼女は気を抜いてしまった。足が落ち葉に掬われ、尻餅をつきながら彼女は山の斜面を滑り落ちていく。
「うわぁぁ〜! お、落ちる〜!!」
新たにやってきた月の兎達は幻想郷に旋風を巻き起こす……のか?