白衣の戦士   作:海野ミウ

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9.黒──死亡

 

 ……。

 

「起きろ」

 

 頭から水をかけられて目が覚めた。

 項垂れていた首が痛い。濡れて貼り付いた前髪を緩慢にどける。

 

「聞いてるのか貴様!」

 

 至近距離から誰かが怒鳴ったが、聞いていられるわけがない。

 複数人に雨のような詰問をぶつけられ始めてから……どれくらい経っただろうか。窓の外を見るとまだ黒い。

 大の男に寄ってたかって尋問されるだけでも精神的な消耗がきついのに、そもそも女医は激務で非常に疲れていた。今も絶え間なく怒鳴られているがとっくに意味を理解できなくなっている。例外はさっきのように一瞬眠って叩き起こされた直後だけだ。

 

 尋問係の中には──まだその気力があったときに確認した限りでは──何人か見知った顔があった。女医に物資を横流しした医師だ。罵声の切れ端を拾って推測したところ、祖父かその派閥に見つかって不興を買ったようだ。彼女から情報を引き出せば見逃してもらえるらしい。お前のせいだとか言われてもそりゃそうだろうとしか思わない。

 

 ……疲れた。もう帰りたい。濡れた髪が首筋を冷やして不快だ。

 

 黙っているのは逆に容易だがいつ終わってくれるのかもわからなかった。朦朧としだした頭ではまともにものが考えられない。この部屋にはまだ、悲鳴や命乞いを迸らせる電伝虫も、誰かの首や死体も持ち込まれていない──それだけは確かだったから、もう口を開く元気もないのに(かこつ)けて、ぐったりと沈黙を保っているだけ。

 転機が訪れたのは何分……何時間後だっただろう。

 

「やめなさい君たち!」

 

 曖昧な意識に切り込むように、朗々と響く声。

 

「……?」

 

 少し意識がはっきりした女医はちらりと戸口のほうを窺って──絶句した。

 彼女とよく似た、しかし段違いの艶をした金髪の、壮年の男。やはり目に痛いほど白い白衣。

 

「……お、お父さま……?」

「ああ私の可愛いフローリィ、可哀想に……!」

 

 父は大袈裟な身振りで駆け寄ってきて、濡れるのも厭わないそぶりで彼女を力強く抱き締めた。

 未だかつて、父に抱擁されたことなどあっただろうか? この父に? 女はぼんやりと不審に思う。

 父は俳優か何かのように抑揚の強い声で命じた。

 

「君たち早く出て行ってくれるかね!」

 

 ああとかはいとかすんませんとか言いながら尋問係が退室していく。

 父は抱擁を解くと彼女を引っ張るようにして立たせた。相変わらず大袈裟な芝居がかった声で彼は言う。

 

「さぁ、フローリィ。大変だったね。今服と食事の用意をさせるからこっちにおいで」

 

 されるがままに手を引かれながら女医は眉をひそめた。

 今の状態でもわかる。ここで父を信頼できるようなら彼女は生家と絶縁していない。

 

 

 別室で着替えを受け取り、簡単なスープと硬めのパンを腹に流し込む。無表情の使用人が控えていて手を出そうとしてきたが、女医は無視して自力で自分の面倒を見た。真新しい白衣もあったが着慣れたほうを選ぶ。

 ちらりと鏡を見ると、そこにはこけた頬を片方だけ非対称に腫らした不健康そうな女が映っていた。この隈ではローを笑えない。

 

「若さまがお待ちです」

「……あっそ」

 

 使用人に当たるのもみっともないが、助けるポーズだけして寝かせてもくれないのだから不機嫌にもなる。眩暈と頭痛をこらえながらあとをついていく。

 果たして父は部屋でもなんでもない、ただの廊下の途中で彼女を待っていた。手の一振りで使用人を下がらせた彼はこちらを見て、いかにも心配していますといった風情で眉を寄せてみせる。

 

「フローリィ、そんな汚れた白衣ではみっともないよ。新しいのを着てきなさい」

「あいにく田舎の貧乏医者ですので。なんの御用でしょう、お父さま」

 

 父は薄っすら微笑んでついてくるよう促した。

 他には誰もいない。白い病院の廊下には、青みを帯びてきた夜を切り取った窓が並んでいる。建物の外周をぐるりと囲むようにふたりは歩く。

 

「フローリィ」

「……はい、お父さま」

 

 両親だけが呼ぶその愛称が嫌いだ。本当は娘のことなんてどうでもいいくせに、親しさを見せようとして彼らは猫撫で声を作る。フローリィ。可愛いフローリィ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「海賊を匿ったそうだね、それも〝オペオペの実〟の能力者を。とてもいけないことだよ。君も能力者だからわかるだろう?」

「……」

「困ったな。あれがあれば医学はさらに発展するし、多額の支援金を得ることもできるんだ」

 

 尋問室から数えてちょうど建物を半周したところで父は立ち止まった。窓を背にした顔はやはり薄く笑っている。

 

「わかるね?」

 

 女医は父を睨みつけながら首を振った。

 

「……できません」

 

 理由など聞かせる必要はない。ここまで踏ん張ったのに負けてたまるか。もはや意地だ。

 しかし父の表情は崩れなかった。

 

「本当に? よく見て、よく考えなさい」

 

 ──よく見て?

 彼女は目を見開いた。

 父の背後。窓の向こう。まだ夜明けの光の遠いはずの、西側の山の陰──オレンジに光るあれは、なんだ。

 

「あ、れは、」

「ああ──あれかい?」

 

 父はわざとらしく振り向いた。やれやれと首を振る動作が憎らしい。

 

「山狩りが始まったんだよ。海賊がどこに潜んでいるかわからないから仕方ないだろう? 全部焼いてしまえばさすがの悪魔の実でも逃げられないさ」

 

 オレンジの光。木々の影を浮かべてちらちらと光る。見ている間にも広がる──炎。

 

「──やめて!」

 

 思わず父の胸元に縋りついた。

 

「どうしてそんな無駄なことをするの⁉ 海賊はもういないって何度も言ったわ! 彼らはとっくに海の上よ‼」

 

 あそこ一帯の山が焼けたらどうなる。増えた村民の命をなんとか繋いでくれる場所が。

 

「しかし可能性はゼロではない。ああ、ついでにあの貧民窟も焼けてしまうかもしれないね」

「っ……⁉」

 

 とうとう声を出せなくなった唇が震えた。

 場違いに繊細な手つきで髪を撫でる掌がある。

 

「不潔だし燃えても我々は困らないが……そういえば君が慈善事業をやっていたのもあのあたりだったかな?」

「……ぅ、あ……」

「ああ、それは心配だね。わかるとも。すぐにでも駆けつけたくてたまらないんだな」

 

 見上げた顔は薄っすらと微笑んでいる。

 

「──では、()()()()? 可愛いフローリィ」

 

 女医は膝から崩れ落ちた。

 あの村の人たち。劣悪な環境で懸命に生きている無辜の人々。こんな役立たずな医者を信用してくれて、少しずつ頼ってくれるようになって、子供だって増えた。彼らは何の力も持たない。

 

 海賊と違って。

 

 顔を覆った指の隙間から、女は呻いた。

 

「……トラファルガー・ローと、その一味は……偉大なる航路(グランドライン)へ、行くと……カラス諸島経由だと、言っていました……」

「いい子だ」

 

 引き攣った息が唇から落ちた。磨き上げられた床の反射に血の気を失った生首の幻影を見る。

 いくら懺悔してももう遅い。

 

 送ってあげよう、と父は白々しく言った。

 

「怪我人がいるかもしれないだろう? うちの物資を持っていきなさい。人手が必要なら私も同行しよう」

 

 そうして屋外に案内されてみると既に物資と私兵を積んだ車が待機していた。なんともまあ準備のいいことだ。

 黙ったまま父と共に乗り込む。とても何か反応を返せる気分ではなかった。ただ運転手に向かって低く告げる。

 

「……急いでください」

「そうだね、できるだけ急いでくれたまえ。頼むよ」

 

 はい先生、と運転手は車を出す。もちろん返答は父に対するものだ。

 走りだした車はしばらくして無舗装の道に入った。揺れる車の中で女医はじっとうつむいて、膝の上で組んだ手を見つめていた。

 

 ……すべて、全て父の掌の上だったとしても、彼女にはそこから逃れる術がない。いくらこの国でも山火事を丸ごと収めるのは無理なのだ。みんなを落ち着かせて、避難誘導をしなければ。歩けば半日はかかる道だ。送ってくれて、さらに物資までくれるというなら頷く以外の選択肢は許されない。

 村の人たちを見捨てることだけは、できないから。

 

 山あいの道を駆け抜ける。既に木々の奥にちらちらと炎が躍っていた。火の粉が青い闇に舞う。

 村に入るまでに永遠が過ぎた気がした。

 

「……っ……⁉」

 

 わずかに開けた視界に女医は絶句する。

 ──燃えている。

 みんなの村が燃えている。あれはマボット爺の家。あれはジョイス家の。シェルターの一部だったはずの布切れが熱風に舞っている。その地獄の中を逃げ惑う人々。車体を貫通する、焼かれる誰かの絶叫。

 彼女は拳で扉を叩いた。

 

「──止めて! 止めて、ここで降ろして‼ 止めてって言ってるでしょ⁉」

「こらフローリィ、危ないよ」

 

 前にのめった身体を父に引き戻される。女はその手に爪を立てながら怒鳴った。

 

「どうして⁉ どうして村が燃えているの⁉ あたしの知ってることは全部話したわ! どうして燃やしたのお父さま‼」

 

 轟音、衝撃。車は悪路を跳ねて、建材か何かを弾き飛ばしながら進んでいる。

 

「君、このまま突き当りまで。……ああなんだい、私も少し困っているよ」

 

 父は奇妙に優しげな声音だった。炎の色に照らされて陰影の揺れる顔からは表情が読み取れない。

 

「私は何も言ってはいない。一体誰が思い込んでしまったのだろうね?」

 

 笑みの奥で父が語る。わかっていなかったのはお前だと。

 ──話せば見逃すと言った覚えはない、と。

 

「……お、とうさま、」

 

 彼を売った結果が、これか?

 女医は震えながら歯を食い縛った。

 それでもここまで来てしまったのだ。この人とここまで来てしまった。どこまでやらせてもらえるかわからないが、最善を尽くすしかない。

 懺悔してももう遅いのだ。

 

 車が止まった。周囲の確認もせずに、父の手を引き剥がして車から飛び降りる。頬をなぶる熱気。

 

「みっ……」

 

 一発目に出した声はひどく掠れていた。喉に力を入れて叫び直す。

 

「みなさん! 海辺へ逃げてください! 私の診療所の裏、手、に……」

 

 声が萎む。指差した先もまた赤い。

 ……燃えている。彼女の診療所が燃えている。村の突き当たりの、他の住居と少し離れているはずの、当然山からも一番離れているはずの、彼女の家が。

 

「……とっ、とにかく、海の方へ! 怪我人はいますか⁉ いったん安全な場所へ運んで──お父さま、救援物資を、」

 

 視界の端に、黒く影を引いて飛んでくるもの。

 

「このクソ医者がァ‼」

「いっ……」

 

 がん、と視界が揺れた。気が付くと土の地面に倒れ込んでいる。ぐらぐら頭が揺れて、痛かった。思わず当てがった手がぬめる。

 

「……な、」

 

 女医がバカになった頭で状況を理解するよりも、

 

「撃て」

 

 車内の父が命じるほうが早い。

 耳を(ろう)する轟音が連鎖する。その数ぶん人が倒れた。彼らの引き攣った顔がやけに克明に見える──恐怖と、怒りと、憎しみに引き攣った顔が。

 

 ……憎む? 誰を?

 

 呆然としている間に私兵団が車から降りてきて、彼女の周りに身体で壁を作った。太い脚がまるで鉄格子のように視界を遮る。それでも檻を抜けてくるものがある。

 

「お前のせいだ! 海賊なんかと仲良くしやがって‼ 警察まで連れてきて楽しいか⁉」

「あんたがろくに来てくれないからおじいちゃんは死んじゃったんだ!」

「おれたちを轢き潰してなんの得があるってんだ⁉ なあ!」

 

 怒号。

 

「うちの子があんなに苦しそうだったのに‼」

「よくも薬を出し渋ってくれたな!」

 

 怒号。

 

「海賊なんか……海賊なんかいるかよ‼ 匿ったのはお前だろうが!」

「あいつがおじいちゃんの船を取ったせいよ! じゃなきゃこんな村に来ずに済んだのに‼」

 

 怒号。

 兵士が身をかがめて避けた石が降ってくる。

 

「いたっ……」

 

 ──どうして?

 赤ん坊の誕生をみんなで祝ったのに。手を尽くして、できる限り説明して、環境が許すことは全部やったのに。こんなに、頑張ったのに。

 背後で気配が動く。大人の男の手が両肩にかかって、その重みが苦しいほど彼女を追い詰めた。

 

「ああ可哀想に、私の可愛い子。君はずっと頑張ってきたのに。この下民どもはなんと恩知らずで醜いのだろう」

 

 父が囁く。耳元に重く湿った声が落ちる。

 

「さあ、フローリィ。こんなところにいるのはもうやめなさい。今ならやり直せる。お父さまのところへ戻っておいで」

「……」

 

 ……どうして。

 女医はのろのろと父を顧みた。微笑む瞳の奥がぎらぎらと光っている。

 衝撃に痺れて用をなさなくなった頭でも、ひとつだけ燃え盛る炎のように明らかなことがあった。これこそが彼の望んだことだという事実だ。

 

 背後の父、壁になった護衛、射撃されても引かないほど憎悪に狂った村人たち。周囲にばらばら落ちる石。燃え盛る家と森、その中で喉を焼かれ、肌を焼かれ、踊るようにもがき死んでいく人。全てを上から見下ろしているような離人感。

 女はかさかさに乾いた唇で呻いた。

 

「……くたばれ、クソジジイ……」

 

 この父が、あの祖父が、あの母が、そしてこの国の仕組みが、嫌いだ。

 

 

「同感だ」

 

 

 父の首が飛んだ。

 

「……、え?」

 

 父の首が飛んで、周りを取り囲んでいた男たちの胴も一緒に飛んで、どさどさと地面に落ちる。なのに熱された空気にはものの焼ける匂いが混じるばかりで、一片の血臭もしない。

 理解が、追いつかない。

 恐怖と混乱の悲鳴の中でも、聞き慣れた声はよく通った。

 

「女ひとりに、寄ってたかってリンチか? ハァ、貴族はさすが、やることが違う」

 

 歩んでくるのが誰か、彼女には見なくてもわかる。

 

「……ロー……?」

「おう、」

 

 燃え盛る家の後ろから、海から、大股で歩いてくる影。

 海賊の登場にも村人たちは微塵も怯まず、元凶とも言える顔を前にさらに罵倒と投石に力を入れていた。今の女医が怒りの雨に打たれずに済んでいるのは、降りかかる全てをローが何でもないかのように能力で処理しているからだ。

 そうやって庇われると余計にその顔を見る勇気がない。女は深くうつむいた。

 

「どうして……」

 

 行ったのではなかったのか。逃げたのではなかったのか。……彼女のせいで、捕らえられたのではなかったのか。

 

「おれたちのせいで、村が焼かれるのは後味が悪い。……が、どうも、そういう雰囲気じゃねェようだな?」

 

 よく聞くとわずかに息が切れている。鍛えているこの男にしてはずいぶん珍しいことだった。

 裏返った喚き声がした。父だ。

 

「ロ、ロー……トラファルガー・ローか⁉ くそっ逃がしてたまるか! お前たち──」

「〝シャンブルズ〟!」

 

 物体指定、座標置換。

 まばらに銃声が轟いたが今度は誰の体を貫くこともなく、弾丸は小石の代わりに地面に食い込んだ。

 

「あァ? 銃創の手当はできても銃の扱いは下手糞か? とんだアホだな」

 

 嘲笑。おもちゃみたいに上半身と下半身を分離された私兵たちは、彼の歩みを止めることすらできない。

 

「大人しく海軍を呼んでれば、おれもここまで悠々と戻ってはこれなかっただろうになァ。わざわざ篝火まで用意してくれてありがとよ。欲をかきすぎたな『クソジジイ』」

 

 ざり、と土を踏む音。既に耳だけでわかるほど近い。身を固くしていると腹に太い腕が回った。そのままほとんど抱き上げられるようにして足が浮く。

 

「……え、」

「悪いがこいつは貰っていくぜ」

 

 地面に首だけで転がった父と目が合った。炎に照らされて欲望と恐怖の陰影が色濃くなった顔と。

 

「フローリィ……‼」

「〝シャンブルズ〟」

 

 焦げ臭さに麻痺していた鼻腔を潮の香りが通り抜けていく。

 紙芝居のように切り替わった先の風景は海の上だった。ローの小脇に抱えられた女医はまだぼんやりしたまま、首を動かしもせずに目に入るものだけを見る。

 彼はそのままずんずん歩いて室内に入った。

 

「あっキャプテンおかえ……ウワッ先生⁉ 血だらけじゃん⁉」

「医務室使う、しばらく寄るな。あと深度百まで潜航して待機」

「お触り禁止と潜航百ね。アイアイ」

 

 ……今のは誰だっただろうか。

 何度か角を曲がって清潔なベッドに下ろされるまで、女医はじっと金属の床が流れていくのを眺めていた。

 濡らしたガーゼで顔を拭かれ、側頭部の傷の手当をされる。洗浄液が沁みた以外は存外に繊細な手つきだった。

 

「頭痛は?」

「……」

 

 首を振る。

 

「これ見ろ。……よし。コブで済んでそうだな。頭痛が出たら言え」

 

 最後に眼球運動のチェックをされておしまいだ。

 そこでようやく女医は唇を開いた。

 

「……ここ、」

「おれたちの(ふね)だ」

「……どうして?」

「どうして、だと?」

 

 ローは目の前に椅子を引っ張ってきてどかりと座った。

 

「海軍こそ来なかったが海上封鎖が早かったんだ。軽く潜ってやり過ごしてた。……放火されたのが逆にその、隠れたせいかもしれねェと思ってな。仮にも世話になった村だ、後始末にと戻ったら……あれだ」

 

 あれ。

 燃え上がる家。燃え落ちる人。人々の生活跡を舐め尽くす炎。

 ローは帽子を被っていない。こちらをじっと見つめている。

 

「とっさに引っこ抜いてきちまったのは悪かったが……そう時間もない。悪いが、選べ」

 

 今まともにものが考えられる自信がないが、女医は海賊が突き出した手を見た。

 

「ひとつ、あの村に戻る。この場合は武力鎮圧までは責任を持てる。その後のことは……後味は悪いが、さすがにもう関与できない」

 

 戻る。あの村に。彼女の村に。みんなの村に。

 

「ふたつ、偉大なる航路(グランドライン)に入る前に他の島へ送る。お前ほどの経験があればある程度やっていけるだろう」

 

 ……戻る? もうあそこには何もないのに? 人も家も彼女が積み上げてきた信頼も、何もかもが燃えてしまったのに?

 

「みっつ──おれたちと来る」

 

 声がまだ耳の奥に木霊している。お前のせいで、と糾弾する罵声。生きながらにして焼かれる人の悲鳴。全てを失った人たちが最後に持っていたのは、彼女に対する燃え盛る憎悪だった。

 

「勝手に攫ってきちまったのはこっちだ。どれでもきっちり責任は取る」

 

 ふと、診療所が燃えていたのを思い出した。

 

「あたしの……家、」

「……燃えてたな」

 

 彼女の家、彼女の城。薬も、道具も、消耗品も、今ごろは全て炭。

 

 ……ああ。

 彼から貰った論文を、まだ読めていなかったのに。

 

 そう思った瞬間、ぼろっと両目から涙が溢れた。

 

「……う、」

 

 慌てて手で目元を拭うが追い付かない。ひっ、と喉が鳴った。

 頑張った。頑張ったのに。他にどうすることもできなかったのに。ちょっとした楽しみも後回しなくらいに。

 

「う、うぅ……」

 

 ローはこんな時に限って何も言わずに、ただタオルを放ってよこした。それでもうだめだった。

 頭が痛くて、眠くて、疲れていた。もう頑張れないと思った。

 

 とある村でたったひとりの医者だった女は声をあげて泣いた。

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