――俺の幼馴染は、どうしようもなくきらめいて、俺と一緒にいるべき人間じゃなくて、でも――


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あなた以上の華は

 ホーホケキョ、ホーホケキョ……

 

 

 

 その鳴き声で目が覚める。ここは古びた団地の三階。窓の外、ベランダの向こうから聞こえる声は、隣の公園の木々に止まるウグイスだろう。

 

 

 

 俺はゆっくりとベッドから上体を起こす。掛け布団と何もまとっていない肌が擦れ、ほんの少しくすぐったい。

 

 

 

 必要最低限の家具と、テレビとベッドぐらいしか置いていない、無機質な寝室。このまま昭和時代のドラマの撮影ができそうな、くすんだ色彩。

 

 

 

 

 でも、その中で、俺の隣で無防備にその、高校3年生にしてはよく育った乳房をはだけさせる彼女だけは、どうしようもなく彩度が高い。

 

 

 

 朝日を浴びて輝く、白い肌の光沢。遺伝だという鮮やかな茶髪。

 

 そして掛け布団から上半身がほぼ飛び出し、俺同様何もまとっていない素肌が露出しているのにも関わらず、寒さは全く感じさせない、その安らかな寝顔。

 

 

 

 

 ……とても、昨日人生の初めてをしたとは思えない、静かな表情は、俺の大事な部分を再び活性化させるには充分だった。

 

 

 

 今は2月の半ば。最高気温一桁という日も、まだ珍しくない。

 

 

 

 エアコンの暖房を付け、出したくなる衝動を抑えきれずトイレへこもり、俺は昨日の――いや、今までの彼女を思い出す。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 彼女……一華(いちか)は幼馴染だ。団地の隣同士の部屋に住み、母親同士の仲が良かったこともあり、(記憶にはないけど)ベビーベッドの上で泣き叫んでた頃からの仲である。

 

 

 

 そしてシングルマザーで、生活費を稼ぐために毎晩遅くまで仕事から帰ってこなかった俺の母親の代わりに、小学生の頃から俺の家に上がり込み、俺のことをかわいがっている。同い年なのに、気分は姉と弟だ。

 

 

 

 

「よしよし、たっくんはいい子だね〜」

 

 

 

 そう、何度言われたかわからない。俺も一華も中学生、そして高校生になり、もうそういう年齢じゃないと何回も何回も言っても、一華は聞かない。

 

 

 

 学校行事では必ず同じ班になり、何かあると必ず俺の手を柔らかく握り、『たっくんたっくん!』と言って駆けていく。17年ずっとそうだ。お前には思春期というものがないのか。

 

 

 

 一華は可愛いから、学校でも人気の存在だった。告白されたことも一度や二度じゃ済まない。アイドル並みにスタイル抜群で性格も良く、ずっと続けている水泳では今や学校のエースだ。そんな彼女とずっと一緒にいさせられている俺も、必然的に周りからの注目を浴びることになる。

 

 

 

 

 でも、俺は一華みたいに振る舞えなかった。

 

 誇れる特技、得意なこともなく、シングルマザーで収入も多くないから、積極的に趣味をやっていくこともできない。友達がいないわけじゃなかったが、気軽に家に招くとか、最新ゲームの話題で盛り上がるとか、そんなことは到底無理だった。

 

 だから、周りほど仲良くはなれない。

 

 

 

「なんでお前って一華ちゃんとあんなに仲良いの?」

 

「ねえ、一華ちゃんのこと紹介してよ」

 

「一華ちゃんって、どんなことが好きなの?」

 

 俺の周りに来る人、周りで起きていることは、九割九分一華絡みだった。

 

 隣の高校の不良から勝手に因縁を付けられて殴られたり。

 

『あなたのせいで一華ちゃんの付き合いが悪くなるのよ』と女子から噂されたり。

 

 

 

 ……うん。思い返しても、一華と一緒にいて良かったことは無い。

 

 もとより、スクールカーストの頂点にいるような一華と、生活水準の良くない俺は、出会うはずがない二人なのだ。

 

 一華だって、いつまでも俺の世話をするわけにはいかない。推薦で大学進学を決めている。そこには、俺なんかよりもよっぽどいい人間がたくさんいるだろう。俺のために料理を作ったり、服を買ってきたり、掃除をする時間があるなら、そういうところに時間を割いた方が、よっぽど一華のためだ。

 

 

 

 確かに一華の手料理はかなり美味い。ずっと一緒にいるせいで、俺の服の好みも分かっている。掃除も丁寧にしてくれる。でも、簡単な調理ぐらいなら俺一人でもできるし、家事だって一通りはこなせる。掃除だって、生活に困らない程度には一人だって充分だ。

 

 

 

 だから俺は一華がいなくても大丈夫だ。……と言い続けているのに、彼女は俺を離してくれない。

 

 

 

 

 昨日もそうだった。

 

「ねえ、たっくんはやっぱり、卒業したらここを出てっちゃうの?」

 

 星の光だけが空に浮かぶ黒い闇の下、ベランダの植木鉢に水をやりながら、一華がアニメのような高い声で話しかける。

 

 

 

 植木鉢に咲くのは、紫のプリムラ。

 

 元々花が好きな母さんが育てていたが、母さんは一日仕事で家を開けることも珍しくないので、今は実質一華が育てている状態だ。

 

 

 

「そりゃあそうだろ」

 

「でも就職先、ここから電車で一時間ぐらいなんでしょ? 私の大学と同じぐらいの距離じゃん」

 

 

 

「会社が金を出してくれて、提携先の寮に安く住めるんだよ。工場のすぐ近くだし、ちょっとでもかかる金とか、負担は減らさなきゃダメだろ」

 

 それにここを離れれば、一華と俺の接点は無くなる。就職が決まった会社には他に知り合いも来ないし、もう互いのことを始終気にすることは無くなるのだ。

 

 

 

「うーん、でも大丈夫? たっくん、一人暮らしできる?」

 

「それは平気だってずっと言ってんだろ」

 

「本当に? ……私がいなくても?」

 

 

 

 一華はベランダから居間に戻ると、スマホをいじる俺の隣のソファーに勢いよく腰を下ろす。風呂上がりの入浴剤の匂いが心地よく鼻をくすぐり、パジャマの隙間から鎖骨が覗かせる。

 

 

 

 ……なんでそんな同い年の男に対して、無防備でいられるんだよ。学校じゃ、制服をきっちり着こなしてるのに。

 

 

 

「当たり前だ。そもそも、一華もずっと俺といるわけにはいかねーだろ?」

 

「えっ? ずっといるつもりだよ? だってそうじゃないとたっくんが困っちゃうじゃん」

 

 

 

 一華の笑顔は、純粋100%だ。そこに疑いの余地は一切ない。

 

 

 

「そんなことねーよ。俺ももう18才だぞ。お前がよく見てる何とかってアイドルと同い年だぞ。ああいう人たちがたくさん一人で生きてる年齢なんだから、大丈夫なのわかるだろ」

 

「テレビ出てるような人たちとたっくんは違うよ。私が掃除してあげなかったら、たっくん絶対に部屋散らかすでしょ」

 

「掃除ぐらいするってーの」

 

 

 

 

「……まあいいや」

 

 

 

 一華はほんの少し顔を膨らませ、通知で震えた自分のスマホを手に取る。

 

 

 

「あっそうそう、今日パパ出張で、ママも高校の同窓会で夜遅くなるの。だからこっち泊まるね」

 

「へいへい。そんなこと言って、いきなり母さんが帰ってきたらどうするんだよ」

 

「どうせ私達が寝た後でしょ? じゃあ歯磨いてくるね」

 

 一華が俺の部屋に泊まるのを止める人は、最初から誰もいない。

 

 断ったってどうせ居座るし、それに一華の可愛い可愛い寝顔を見下ろしながら眠りにつけるのは、悪くない。

 

 

 

 多少騒がしいぐらいは、大目に見れるというものだ。

 

 

 

 

 寝室のベッドの下に、来客用、実質一華用の布団を敷く。

 

 敷き終えたところで、ちょうど一華が入ってきた。

 

「ねえ、たっくん、これ何……?」

 

 手に、書類の束を持って。

 

 

 

 ……やべ、記入しようと思って居間に出しっぱなしにしてたの忘れてた。

 

 

 

「いや、ううん、分かってるの。本当は卒業したらたっくんと離れちゃうんだって」

 

 一華がそう言って、床の布団にそれを置く。

 

 四月から俺が住む寮の入居手続書、後は俺が一通り記入してはんこを押すだけというそれを優しく触りながら、ベッドに腰掛ける俺をつぶらな瞳で見上げる。

 

 

 

「私がどれだけ言っても、たっくんの生活もあるし、たっくんのお母さんの事情もあるし……本当はたっくんについていきたいところだけど、そんなわけにもいかないよね」

 

「当然だ。第一、せっかく大学に入れたのに、そっちはどうするんだよ」

 

「それはそれ、これはこれ。たっくんと私が一緒にいるのは、それこそ当然でしょ。ね?」

 

 

 

 一華はさらにベッドに上がり前のめりになって、俺と視線を合わせる。パジャマが重力で垂れ下がり、はっきり視界に出現する胸の谷間。こればかりは、何度見ても慣れない。

 

 

 

「あのなあ、俺は一華の兄弟じゃねえんだぞ。それに、俺よりも一緒にいるべき人が、一華にはたくさんいるよ。クラスメイトとか、部活のやつとか」

 

「ううん、そんなことない。たっくん以上の人なんて、いないよ」

 

 一華はこんな時に適当なことを言う人間ではない。本気で言ってるからこそ、そしてそれを周りも受け入れるからこそ、余計に困るのだ。

 

 

 

「それとも、たっくんには……私以上の人、いる?」

 

 

 

 

 ……いるわけねえだろ。だから困ってんだよ。

 

 

 

 

「ねえ、引っ越しっていつ?」

 

 一華は姿勢を戻す。その顔は、美しいながらもほんの少しもの悲しい。

 

 

 

「卒業式の次の日」

 

「じゃあ、もう一ヶ月もないんだ」

 

 そうか、あと一ヶ月。それで、俺はようやく一華から離れられる。嬉しい……嬉しいのか?

 

 

 

「そしたら、いろんなことをしないとね。たっくんがいなくなるまでの間」

 

「別に一生会えなくなるわけじゃないんだから」

 

 

 

「でも、今までみたいに遊べなくなるじゃん。たっくんも生活費を稼がないといけないし……それに」

 

 一華の声が、少しずつ小さくなる。

 

「もしも、もしも、たっくんに何かあったら……」

 

 一華の顔が、少しずつ赤く染まっていく。

 

「たっくん!」

 

 

 

 

 俺は一華に飛びつかれ、ベッドの上に倒される。

 

 細いながらも、水泳で鍛えた筋力のある両腕。特段スポーツ経験の無い俺では、手も足も出ない。

 

 

 

「ねえ、たっくんは私いなくても大丈夫? 変なことに巻き込まれない? よくわかんない先に引っかかったりしない? 怪我したりしない?」

 

「……大丈夫だよ」

 

 

 

 一華は、本気で俺のことを心配しているのだ。一華がいることで俺が巻き込まれてることもあるのに。……でも、彼女が本気である事実には変わりない。

 

 

 

「そう。たっくんも、成長したのかな」

 

 

 

 

 ――次の瞬間、彼女は両腕の支えを解いて、俺に向かって倒れ込み。

 

 俺の腹に、一華の柔らかな膨らみが。

 

 俺の唇に、一華のそれが。

 

 初めてのそれは、不思議と安らぎがあって。

 

 

 

 

「ねえ、たっくん……私、今ならなんでもできる、気がする……」

 

 寝返りをうって俺の上から離れた一華は、隣で寝転んだままパジャマを脱ぎ始めて。

 

 その女性の魅力にあふれる身体が、優しく俺の全身に触れてきて。

 

 

 

 ――それからのことは、なんだかあっという間だったような、とても長い時間だったような。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 トイレで出して、タンスから適当に選んだ服を着る。

 

 

 

 昨日一組の高校生男女が、初めてのことをしたという事実を知らぬまま、窓から朝日は差し込み続けている。

 

 

 

 カーテンを開けると、昨日と同じように、紫のプリムラが輝きながら咲いていた。

 

 

 

 無機質な色彩の部屋の向こうに、そこだけ彩りがあった。

 

 




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