済し崩し的に子供たちの遊び相手となった現世。娯楽に飢えた子供たちのバイタリティは凄まじいもので、あれをして、これをしてに付き合わされることしばらく。
遊び疲れた子供たちがアポニアとフカによって昼寝の時間に誘われたことで現世はようやく解放された。
「大丈夫か、現世?」
「問題、ない。普段の鍛錬に比べれば、なんてことはない」
広間のテーブルで精魂尽き果てて突っ伏す現世を芽衣が気遣う。現世の頭上ではあらあらと絵里が苦笑を零していた。
途中から芽衣も子供たちに誘われて遊びに付き合ったが、負担の割合で言えば圧倒的に現世が大きかった。気心知れた相手である現世に対して子供たちが遠慮の欠片もなかったのが大きな要因だろう。
「芽衣はどうだった? 子供たちの相手は楽しめただろうか?」
「そうだな……新鮮ではあった。こんなにも賑やかな時間も久しぶりで、悪くないと思えた」
相変わらず表情はあまり動いていないが、滲む雰囲気からして否定的なものは感じられなかった。だからといって手放しで楽しめていたかと言えばそんなことはなく、どちらかと言えば子供たちの有り余る元気に振り回されて困惑しているのが正確だろう。
「むしろ私が遊び相手では子供たちも楽しめなかったのではないか?」
「それはない。子供たちはちゃんと楽しんでいたし、喜んでいた」
芽衣の懸念を現世は即座に否定した。何度も子供たちの相手をしてきたからこそ分かるのだ。子供たちは芽衣が遊び相手になってくれたことを素直に喜んでいた。
現世の言葉に芽衣は僅かに安堵の吐息を零して、ふと視線を感じてそちらに目を向ける。広間に通じる廊下の影から顔だけを覗かせる、ベレー帽を被った幼い少女がいた。
「あの子は……」
記憶に間違いがなければ、先ほどまで遊び相手になっていた子供たちの中にはいなかった。今まで何処にいたのだろうと芽衣は首を傾げる。
「ん? ……あぁ、グレーシュか」
「グレーシュ……」
ベレー帽の少女──グレーシュは名を呼ばれたと思ったのか、廊下の影から出てとてとてと現世と芽衣の元へと駆け寄って来た。
「こんにちは、現世おじちゃん」
「おじ……」
グレーシュの開口一番に芽衣は思わず現世を見やる。まだ二十代手前でおじちゃん呼ばわりされるには早い現世は、何処か諦めたような表情で笑っていた。
「いいんだ、子供相手に意地を張るのも大人気ないだろう? こんにちは、グレーシュ。今日は一人なのか。コズマはどうしたんだ?」
「コズマ……」
ぽつりと呟いてグレーシュは自身の周囲を見回し、はてと小首を傾げた。
「いなくなった」
「置いてきたんだな」
困ったように現世は苦笑いを零した。
先の元気が有り余った子供たちとは違う、大人しく静かなグレーシュ。ぼんやりと何を考えているのか分かりずらい表情を芽衣がじっと見つめていると、グレーシュの瞳が徐に芽衣を捉えた。
「だれ?」
「私は、雷電芽衣。現世の友達だ」
「芽衣、お姉ちゃん……?」
芽衣はお姉ちゃん呼びなのか、と現世がひっそり肩を落とした。
グレーシュはじぃっと穴が開くほど芽衣を見つめる。観察とも違う、奥底を覗き込むような眼差しに芽衣は何故か胸が騒つくような感覚を覚えた。
「──赤と、黒。力強い赤と、何もかもを引き込む黒色。綺麗な色」
「────」
グレーシュの要領を得ない発言に芽衣は戦慄したように目を見開く。その瞳に星の瞬きほどの一瞬、鮮烈な赤が過った。
「グレーシュは独特な感性を持っているんだ。人を色や絵に例えたりする。あまり深い意味はないと思うから、気にしなくていい」
芽衣の態度を反応に困っていると判断して現世が補足するが、芽衣には届いていないのかグレーシュの瞳の奥を一心不乱に見つめている。普通の子供ならば臆するだろう眼光だが、しかしグレーシュは一瞬も逸らすことなくその紫紺の瞳を見つめ続けた。
不意にグレーシュの視線が横にズレて現世を捉える。
「現世おじちゃんも同じ赤色」
「同じ色?」
「うん。でもそれ以外にも、眩しい太陽みたいな黄色と、水晶みたいに透き通った淡いピンク色がある」
「そうか……」
芽衣と同じと言われて滲み出そうな喜色を堪える現世。色の具体的な意味は分からないが、悪い意味でもなさそうなので気にしないことにする。淡いピンク色で隣に浮かぶ珍妙な妖精が得意げに胸を張っていたように見えたが、気のせいだろう。
現世が鋼の自制心でにやけるのを我慢していると、グレーシュが唐突に芽衣の手を掴み取った。
「芽衣お姉ちゃん、こっちに来て」
「いや、私は……」
唐突なグレーシュの誘いに芽衣は目を白黒させ、困ったように現世を見やる。
「アトリエに案内するんだろう? 芽衣さえよければ付き合ってやってくれないか。僕も一緒に行くから」
「……分かった」
戸惑いながらも芽衣が了承すると、グレーシュはぐいぐいと手を引いて歩き出す。置いていかれまいと現世もその後についていく。
グレーシュが姿を現した廊下を進んでいくことしばし。孤児院内でも奥まった部屋に辿り着いた。先導するグレーシュが躊躇うことなく扉を開くと、そこには物置にも似た物で溢れ返った部屋が一行を出迎えた。
「これは……」
「グレーシュ……片付けをサボったな?」
「……違うよ。これからコズマと片付けするところだったもん」
言葉を失う芽衣と、じとりとした眼差しをグレーシュに向ける現世。部屋の主人たるグレーシュは気まずそうに目を逸らしてそっぽを向いている。
現世と芽衣が部屋の前で立ち尽くしていると、不意に背後から駆け寄ってくる気配に気付く。二人揃って振り返れば、掃除用具を抱えた少年が慌ただしい様子で小走りしていた。
先ほど遊び相手となっていた子供たちと比べて、かなり大人びた少年だ。実年齢も孤児院の中では上の方なのだろう。線の細い容姿は着飾り次第では少女に間違えられてもおかしくないくらいには整っていた。
少年は部屋の前に立つグレーシュの姿を認めるとほっと安堵し、次いで現世の隣にいる芽衣を見て雷に打たれたように硬直する。少年に驚かれる心当たりがない芽衣は首を傾げた。
「あ、コズマ」
現世と芽衣の反応から少年──コズマの存在に気付いたグレーシュが声を上げる。その声を皮切りにコズマもぎこちない、何処となく警戒した挙動でグレーシュの元へ歩み寄った。
「……グレーシュ。掃除用具を取りに行っている間に、何も言わずに歩き回るのはやめてくれ。心配する」
「ごめん、コズマ」
素直に謝るグレーシュにコズマは気にしてないと首を振った。それから現世と芽衣を見上げる。
「グレーシュの相手をしてくれてありがとう、現世。それから──」
「私は──」
「雷電芽衣、だろ。あんたのことは知ってる……」
「そう、か……」
「…………」
「…………」
互いに互いを見つめ合ったまま沈黙。放送事故にも等しい状況を前に現世はどうするべきかと視線を彷徨わせて、不意に後頭部を絵里に小突かれた。
「もう、コズマはあれこれ何を言うべきか悩んで、最終的にまあ言わなくていいかみたいになっちゃう男の子なんだから。こういう時こそ現世がちゃんとフォローしないとダメじゃない?」
腰に両手を当てて呆れたように言う絵里。下手をすると現世以上にコズマに対する理解度が高い絵里に疑問が湧くものの、事実その通りなので現世は二人のフォローに入る。
「コズマは征討部隊の隊士に憧れているんだ。芽衣を知っていたのも、出雲最強と名高いからだろう」
「そうなのか?」
「……ああ。誰に聞いても、出雲で一番強いのはあんただって口にする。俺もいつかはあんたみたいに強くなって、大切な人たちを守れるようになりたい」
そう答えたコズマの瞳には少年らしい憧れと正義感の光が燃えていた。真正面からそんな眼差しを向けられた芽衣はくすぐったそうに、少し気恥ずかしそうに目を細める。
「……あなたが私たちの後輩として入隊する日を楽しみにしている」
「……!」
芽衣の返しにコズマは表情こそあまり変わらないものの、瞳を輝かせて嬉しそうに頷いた。
芽衣とコズマがそんなやり取りをしていると、何やらガサゴソと準備を進めていたグレーシュが声を上げる。
「芽衣お姉ちゃん、ここに座って」
ぽんぽんとグレーシュが叩くのは比較的綺麗な丸椅子だった。首を傾げながらも芽衣が椅子に腰を下ろすと、グレーシュはその対面に置いてあった木箱に腰掛け画用紙とクレヨンを手に絵を描き始める。
「グレーシュ、片付けをする話だったじゃないか……」
「うっ……片付けは明日にする」
コズマに指摘されてグレーシュは罰が悪そうに眉を下げる。しかしクレヨンを操る手は止まらず、一心不乱に動き続けていた。
「……芽衣お姉ちゃんは明日いないから、今日しか絵が描けないの。お願い、コズマ?」
「…………」
グレーシュの懇願に困ったように黙り込むコズマ。その両手には役目を待つ箒と塵取りが握られている。
「僕からも頼むよ、コズマ。片付けなら、僕が手伝うからさ」
「……あんたはみんなに甘すぎる。だからいつもフカに怒られるんだろ」
「ぐ……」
コズマの容赦ない正論に返す言葉もなく呻く現世。孤児院を出て以降の現世は子供に優しく甘く、度が過ぎてはフカに文句を言われることもままあった。その辺りを指摘されてしまうと何も言い返せなくなってしまうのだ。
年下の少年に口で負かされて絵里に慰められている現世を他所に、コズマはやや迷った後に小さな溜め息を吐いた。
「……明日、必ず掃除をするんだ。約束だぞ」
「……! うん。ありがとう、コズマ」
花が開くような眩しい笑顔を浮かべるグレーシュに、コズマは眩しそうに目を細めた。
コズマの許可も得て憂いもなくなったグレーシュは画用紙とクレヨンに集中する。子供らしからぬ集中力で一心不乱に描き上げていく姿は、とてもではないが十にも満たない少女とは掛け離れた有り様だった。
「──できた」
半刻ほどが経とうとしたところでグレーシュがクレヨンを置いた。描き上げた画用紙を芽衣に差し出す。
画用紙を受け取った芽衣は描き立ての絵に目を落として、その出来栄えに思わず目を見開いて固まる。後ろから覗き込んだ現世も感嘆の声を零して食い入るように絵を眺めた。
画用紙の上には赤と黒を中核に据えた芽衣の姿絵が描かれていた。出雲最強たる芽衣の力強さと、芽衣の女性らしい美しさと儚さが上手く織り交ぜられている。プロの画家でもここまで上手く表現できるものではない。
「すごい、な……」
「絵筆とキャンバス、あと時間があればもっと沢山描けるよ」
芽衣の反応に得意げに胸を張りながら、まだ上があるとばかりにグレーシュは言う。画用紙とクレヨンだけでも十二分な出来栄えではあったが、グレーシュとしては納得がいっていない部分が大いにあったのだろう。
「その絵は芽衣お姉ちゃんに上げる」
「いいのか?」
「いいよ。現世おじちゃんも欲しい?」
「んえ!? ……いや、僕はいい」
予想だにしないグレーシュからのキラーパスに珍妙な声を上げ、やや迷いながらも現世は遠慮した。本音は芽衣の姿絵が欲しいなと思っていたが、流石に本人の目の前で言う蛮勇はなかった。
ふーん、とグレーシュが眠たげながらも物言いたげな眼差しを現世に向ける。その目が、何処となく意気地なしと訴えているような気がした。コズマに至っては呆れを隠す気もなく現世と芽衣をみていた。
そんなやり取りに芽衣は気付くことのないまま、自らが描かれた画用紙をじっと見つめ続けた。画用紙の上ではクレヨンで描かれた芽衣が仄かに微笑んでいた。
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外も暗くなり始めた頃合い。孤児院からの帰路を現世と芽衣は肩を並べて歩いていた。
「今日は僕の用事に付き合わせてすまなかった。迷惑じゃなかっただろうか?」
「迷惑なんてことはなかった。子供たちとの触れ合いは楽しいと思えたし、素敵な贈り物も貰えた」
芽衣の脳裏にはグレーシュから貰った一枚の絵が浮かんでいた。
今度は絵筆とキャンバスで描くからまた来てと誘われ、芽衣も満更ではない様子で頷きを返した。帰り際にはアポニアとフカ、そして子供たちが勢揃いで見送りにきて、無邪気に再会を願われてしまった。然しもの芽衣も子供たちの願いを無碍にはできなかった。
「有意義な一日になっただろうか?」
「……ああ、とても。こんなにも温もりに満ちた時間を過ごしたのは、久しぶりだ」
胸の前で拳を握り、芽衣は噛み締めるように呟いた。そして恐る恐る伺うように現世を見やると躊躇いながらも口を開く。
「もし、現世さえよければまた孤児院へ連れていってくれないか? 私一人では、どうにも踏み切れなくて……」
「──勿論。むしろ、僕の方からお願いしたいくらいだ」
間髪入れずに現世は頷く。子供たちは既に芽衣のことを気に入っており、これで断ろうものなら文句を言われかねない。何より、現世としてもまた芽衣と共に休日を過ごす口実になる。断る理由などあるはずもなく、むしろ願ったり叶ったりであった。
「ありがとう。ここ最近はあなたから貰ってばかりのような気がする。何かしら返せるものがあればいいと思うのだが……」
「普段から芽衣には鍛錬に付き合ってもらっているんだ。それ以外にも、十分過ぎるほど僕は色んなものを貰っているよ。だから気にしないでくれ」
「そうだろうか……?」
今一つ理解できないといった様子で芽衣は首を傾げる。芽衣としては現世から貰いすぎている感覚が抜けないのだが、現世からすればそんなことはなかった。
芽衣と共に休暇を過ごして、見たことのない芽衣の新たな一面を目にすることができる。それだけで現世にとってはお釣りが出るような感覚なのだ。
「それでも気が引けてしまうのであれば、また芽衣の時間を僕にくれないか? 孤児院だけじゃない、他にも色んなことを芽衣に知ってほしいんだ」
現世からの提案に芽衣は目を丸くする。現世から、或いは他人からそんなことを願われるとは思ってもみなかったのだ。
返答に困った芽衣はしばし悩むように視線を彷徨わせ、やがて戸惑いながらも頷きを返す。
「私の時間でよければ構わない」
「ありがとう」
心からの感謝の言葉に、芽衣は困惑混じりに薄く微笑んだ。
グレーシュ
絵を描くのが達者な幼女。優しいアポニアママとフカお姉ちゃん、そしてコズマお兄ちゃんと穏やかに暮らしている。独特な感性を持っていて、その目は芽衣に◼️◼️の影を見て──
コズマ
孤児院最年長でお兄ちゃん役。年相応の正義感と出雲を守る隊士たちに憧れの念を抱いている。ぽわーっとしているグレーシュの身の回りの世話を見ている。