Doctor Strange: Chains of Revelation   作:Mr.グッドマン

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ドクター。見つかる。

石畳に残る“ドン子”の爪痕を背に、

私たちは再びメイン通りを歩き出した。

 

朝が終わり、昼になる頃の通りは賑わいを増し、

露店からはパンの焼ける香ばしい匂いや、

乾いた果実の香りが風に乗って流れてくる。

 

それを横目に、私はふと思った。

 

「……そういえば、トレムとカトラは何をしている?」

 

ジクが眉をひそめる。

 

「“見張り”のカトラに、“日向ぼっこ”のトレムだったか?」

 

「いやいや、今は宿の裏で遊んでるよ」

 

と、フードを脱ぎかけたブルダが明るく返した。

 

「さっき出るときに見たんだ。

 トレムが蔦で輪っか作って、

 カトラがそれを寸分違わず切断して遊んでた」

 

私は思わず肩をすくめた。

 

「……平和な拷問の訓練みたいなことしてるな」

 

ジクが吹き出す。

 

「まさに“静かに狂ってる”コンビだな」

 

ブルダは笑いながら言った。

 

「でもさ、あの子たち、見てるとちょっと落ち着くよ。

 あたしらがこうしてバカやってる間も、

 “いつもの時間”を過ごしてる感じ?」

 

私は少し目を細めた。

 

「……確かに。

 “何気ない日常”ってのは、戦場よりも貴重なものかもしれないな」

 

通りの向こうでは、

小さな子どもたちが布ボールを投げ合って笑い、

パン屋が焼きたてのパンを並べている。

 

私たちの歩調も自然とゆるやかになっていた。

 

昼下がりの陽が屋根瓦に反射し、

静かだった旅人の止まり場が、

妙な緊張感を帯びていた。

 

通りを行き交う旅人たちが、

目を合わせないように急ぎ足で歩いている。

 

その視線の先――

止まり場の酒場の一角。

 

無骨な男たちが数名、

“黒革のマント”と“灰銀色の金属バッジ”を身につけて席を陣取っていた。

 

「……見覚えがある」

 

と、ジクが小声で呟いた。

 

彼の眉がわずかに震えていた。

 

「“グロース・エングレイブ私兵団”……

 あれは、ゼーリグの外に拠点を持ってる連中だ。

 表向きは交易の護衛隊ってことになってるが、

 実際には“逃亡奴隷を捕まえる専門部隊”……」

 

私は視線を逸らしつつ、テーブルの陰に身を潜めた。

 

「国外駐留か……連邦の“法の隙間”を突いたわけだな」

 

ブルダは黙って“ドン子”を握ったまま、

歯を食いしばっていた。

 

隊の中心に座っているのは、

筋骨たくましく、傷の走った男。

その目は、どこか軍人というより“執行者”のような冷たさを帯びている。

 

背には鞘に収めた巨大な鉄鉈が揺れていた。

 

「まだこちらの顔は割れている。」

 

私は囁いた。

 

「どこかで目撃されれば……」

 

「奴らは嗅ぎつける。

 一度“資産逃亡”の情報が回れば、

 ゼーリグでは“犬”よりよく追いかけてきやがる。」

 

ジクの声は低かったが、確かに震えていた。

 

「何が厄介って……

 あいつら、“ここでは殺せない”ってわかってるんだ。

 マルヴィアでは連邦警備隊も見てる。

 だから、“目の前で手は出さない”が、“目星はつける”。」

 

食堂の柱の陰から、

私たちは身を屈めるようにして通りを見ていた。

 

「……ッ、あの男。こっちを見てる」

 

ジクの声が低く震える。

その視線の先――

黒革のマントの男が、こちらをじっと凝視していた。

 

目が合ったわけじゃない。

でも、あの目は……

“記憶と照合する目”だった。

 

「……まずいな」

 

私は帽子のつばを少し下げ、

静かに立ち上がった。

 

「ここはもう、“安全地帯”じゃなくなった。

 すぐに出るぞ。ジク、銃の回収を。

 ブルダ、君は店の裏へ――カトラとトレムを呼びに行ってくれ」

 

「了解。ドン子、出番じゃないといいけどね」

 

「なるべく黙っていてくれ、頼むから」

 

通りを抜け、

私たちは銃砲店へと早足で戻った。

 

扉を開けた瞬間、

カウンターの奥で油を拭っていた店主が顔を上げた。

 

「来たか。もう仕上がってる。分解して磨いたぜ。

 ほら、これが“お前さんの相棒”だろ?」

 

ジクは無言でうなずき、

整備の終わったライフルを受け取った。

金属部分は鈍く、冷たく輝いていた。

 

「急いでるようだが、何かあったのか?」

 

「……旅人に、少し“厄介な旧知”が混ざっていてね」

 

私は短く答えた。

店主は何も聞かず、ただうなずいた。

 

「なら、南門は見張りが薄い。

 裏通りを通れば、目立たず出られる」

 

「恩に着る」

 

ブルダと合流したのは、ちょうどその直後だった。

 

「カトラとトレム、もう裏手で待機させてある。

 あたしらが戻るの見て、察したみたい」

 

私は軽く頷いた。

 

「じゃあ出ようか。」

 

通りの向こうでは、

黒マントの男が露店の店主と話をしていた。

 

その口元には笑み。

だが、視線はずっと――こちらの通りの奥を見つめていた。

 

――パンッ!!

 

乾いた破裂音が、耳を裂いた。

 

宿の扉を開けた瞬間、

木の柱に銃弾が食い込んだ。

 

粉塵と破片が飛び散り、

私たちはとっさに身を伏せた。

 

「……ッ!?」

 

ブルダが咄嗟にカトラとトレムを庇い、

“ドン子”を持ち直して地面に低く構える。

 

「ちょっと待て――!」

 

私は地面に伏せながらジクを睨みつけた。

 

「殺さないんじゃなかったのか!?

 “ここでは手は出せない”って言っただろう!!」

 

ジクも目を見開いていた。

状況が自分の認識と食い違っていることに、

明らかな混乱を見せている。

 

「……わからない!!

 マルヴィアじゃ、“表で”殺しなんか起きねぇはずだ!!

 なのに……こいつら、まるで“最初から殺るつもり”で――!」

 

パン!パンパンッ!!

 

続けざまに銃声が鳴り響いた。

扉の枠が割れ、窓のガラスが砕ける。

 

「遮蔽を確保する!」

 

カトラが即座に声を上げる。

 

「外に一名、南東側の屋根上にもう一名。

 構造上、三方向から挟み撃ちにされる恐れ――行動を推奨します、主。」

 

「逃げるぞ!ブルダ、左手通路!」

 

「了解ッ!“ドン子”、暴れていいってよ!!」

 

ブルダが駆け出す。

石畳を砕くような足音が、

静まり返っていた通りに戦闘の合図を刻んでいった。

 

「……どうする気だ、ジク!」

 

「――わかんねぇけどよ、

 このまま止まったら“消される”ってことだけは分かる!!」

 

ブルダが扉を蹴り破り、

私たちは連なるように裏路地へと飛び出した――その瞬間だった。

 

「……あ?」

 

影に、いた。

黒革のマントに覆われた男たち。

 

誰よりも先に飛び出していたジクが一瞬、足を止めた。

 

「伏兵……ッ!先回りしてやがったか!」

 

銃口が、私たちに向けられた。

 

指が引かれる音が聞こえる。

 

瞬間、私はジクの肩を掴み、反射的に背後へ引き戻す。

 

パンパンッ!!

 

銃声が重なり、路地に火薬の煙が立ち込めた。

 

「この……!」

 

ブルダが地面にモール“ドン子”を叩きつける。

地が鳴り、埃が舞う。

 

蔦が壁を作り、カトラの影がひとつ、右の敵に迫っていた。

 

だが、私の前にも一人。

標準的な体格、革鎧に片手剣。

抜き身を構えたまま、低い姿勢で滑り込むようにして接近してきた。

 

(落ち着け)

 

剣を振り上げる前に、私は一歩踏み出し、

手首を捻るようにしてその肘を掴んだ。

 

そして、相手の勢いを利用して重心を崩す。

肘を外に引き、内側へ滑り込むように回り込むと――

 

身体が空を舞った。

 

相手の。

私は一切叫ばず、呼吸も荒げず、ただ冷静に技を流す。

 

ドン、と土の上に背中から叩きつけられた敵兵が呻いた。

 

「読まれていたな。

 逃げ道をこちらに誘導した上で、待ち構えていたか……」

 

私は眼鏡を指で押し上げるようにして、視線を鋭く路地奥へ向けた。

 

(ここからは、追われる側ではなく、“応える側”だ)

 

「敵数確認。主の東方に一名後退中。西角に狙撃。中央に二名。

 殲滅可能です」

 

「なら、躊躇うな」

 

「ドン子、突撃いくよッ!!」

 

ブルダが煙の中へと吠える。

 

「処理開始」

 

カトラが冷たく呟きながら、もう一人へと迫る。

 

トレムが無言で蔦を地面に這わせる。

 

私は一つ深く息を吐き、

腰を落とし、次の敵に目を向けた。

 

ブルダは真正面――

逃げ場のない狭い路地を、真正面から走った。

 

「おらぁッ!!」

 

叫びとともにモール“ドン子”を振るう。

私兵の一人が銃を構えるよりも早く、

その頭上に鈍く黒い鉄塊が振り下ろされた。

 

ガッ――!!

 

避けたと思った刹那、地面に叩きつけられた衝撃で兵士はよろけ、

そのまま肩口に追撃が入る。骨が砕ける音が生々しく響いた。

 

「次っ、来なッ!」

 

ブルダはモールを回転させて体を守りながら、

もう一人の私兵に突っ込む。

 

だが敵もなかなか――

動きが俊敏で、足元へナイフを滑り込ませてくる。

 

ブルダはすかさずモールの柄を使って敵の腕を押し上げ、

右膝で鳩尾にカウンターを叩き込んだ。

 

「舐めんなよ、あたしの腹筋は鋼鉄製だっての!」

 

一方その頃、ジクは構えたライフルを正確に操作していた。

 

片膝をつきながら路地の陰に隠れ、

そこから銃口をゆっくりと覗かせる。

 

「……風下にいるのが運の尽きだ」

 

引き金が引かれた。

 

バン――ッ!

 

銃声が抉り出すように響いた。

 

私兵の一人が喉を押さえて倒れる。

銃声と煙に包まれ、敵兵は混乱。

ジクはその隙を逃さず、すかさず再装填。

 

その滑らかな動作は、まるで長年の相棒と語らうかのように自然だった。

 

「ブルダ、援護は任せた! 正面は割る!」

 

「任されたァッ!」

 

トレムはその中でも静かに動く。

音もなく、蔦を地面から這わせ、

敵兵の足元へと絡ませていく。

 

一本、二本――

 

地を這う音がわずかに響いた次の瞬間。

 

敵兵の一人が突如バランスを崩し、膝から落ちた。

そこを狙ってカトラが突進する。

 

「トドメ、実行」

 

彼女の細い手から伸びた小さなナイフが、

鎧の継ぎ目を的確に突く。

 

音もなく、敵兵が崩れ落ちた。

 

「対応力低下。群れの秩序、崩壊中です」

 

私は――正面から一人の私兵と組み合っていた。

片手剣で振るわれる刃をかわし、

手首を返して相手の懐に滑り込む。

 

肩口を撃たれかけたその瞬間、私は肘で顎を跳ね上げ、

そのまま胴を回して肩投げで地面に叩きつけた。

 

息が漏れる。

 

「魔術がなくても、医者の知識は生かせるさ。

 “人体”というのは、案外壊れやすいものだ」

 

私は上衣の袖で額の汗を拭う。

 

カトラが敵の死体をスキャンしていた。

 

「識別完了。所属、グロース私兵団副隊。構成パターン、地上編制型。

 この程度であれば、排除可能」

 

「……“この程度”がまだいてもおかしくないがな」

 

火薬の匂い。

鉄の錆。

土に混じった血の臭いが、静かに漂いはじめていた。

 

そして――

 

足音が変わった。

 

ドッ、ドッ、ドッ。

 

地面がわずかに揺れる。

路地の奥から歩いてくる一人の男。

 

巨大な鉄鉈を背負い、

仮面のような無表情の顔に、鉄の下顎覆い。

戦場で“物”のように使われる兵士の最終形。

 

ブルダはその姿を見て、鼻を鳴らした。

 

「……なんだいあんた。今さら脅かしにきたの?」

 

男は無言で鉄鉈を抜いた。

 

刃渡りはゆうに彼女の身長ほどある。

鈍く光る鉄は、切るより“叩き潰す”ための形状。

 

「……あ、そっち系? なるほどねぇ」

 

ブルダが“ドン子”を担ぎ直す。

 

互いの武器が打撃特化、そして質量重視。

 

一瞬、空気が止まった。

 

次の瞬間――

 

ズドン!!

 

大地が鳴った。

鉄鉈が石畳を裂き、

ブルダのモールがカウンターのように振るわれた。

 

ガアァン!!

 

金属が火花を散らし、両者の腕に伝わる衝撃。

 

その重量、その速度、そして殺意。

 

ブルダは笑った。

 

「――あんた、いいじゃん。ちょっとだけ、あたしの好みかもよ」

 

男は無言のまま、鉄鉈を構え直した。

地を裂くように、今度は横薙ぎ。

 

ブルダは**地を蹴って半身を逸らし、**モールで柄を叩きつけるように受け流す。

 

「悪いね。あたし、体重なら自信あるんだ」

 

地を這うような接近戦。

鉄と筋肉の応酬。

音ではなく、**“質量の読み合い”**がそこにはあった。

 

ブルダはその中で、確かに感じていた。

 

(こいつ、訓練された私兵とは違う。

 まるで“失敗作の巨人”みたいな、制御の限界にいる存在……)

 

ドン子を肩に回し、軸足を入れ替え、

ブルダの次の一撃が、ついに男の胸鎧に命中した。

 

グガァン!!

 

金属が歪む音。

 

男は半歩後退したが、倒れない。

 

それを見て、ブルダは鼻で笑った。

 

「やっぱ……あんた、好きだわ」

 

ブルダの一撃を受けても、

鉄鉈の男は、呻き声一つあげなかった。

 

代わりに、瞳孔の開きがわずかに震えた。

それが唯一の「反応」――。

 

彼は胸の鎧にへこみを残したまま、再び脚を踏み出す。

ドッ。ドッ。ドッ。

 

「やるねぇ……」

 

そう言いながら、ブルダは少しだけ口角を上げた。

挑発でもなく、冗談でもない。

“純粋な肉体同士の交歓”が、確かに始まっていた。

 

彼女はモールを下段に構え、

相手の動きを読むように小さく回り込む。

 

鉄鉈がまた振るわれる。

縦、斜め、横。

そのたびに、大地が音を立てて歪む。

 

だがブルダは逃げない。

一歩だけ退き、二歩で踏み込み、

膝で地を蹴り、次の一撃を胴に叩き込んだ。

 

グガァン!!

 

「ぐ……っ、まだ立つかい……!」

 

男はわずかに膝を折るが、すぐに持ち直す。

目の光は感情も意思もない。

だが確かに、殺意だけは剥き出しだった。

 

その時だった。

 

「ブルダ、下がれ――!」

 

私が叫んだ。

 

彼女の背後に回ろうとした伏兵を、

私は木箱を蹴り飛ばして牽制し、

援護に回ろうと身を起こした――その瞬間。

 

ズズズ……

 

足元の路地に、微かな振動。

 

その感触は先ほどの鉄鉈の男とは異なる。

 

……まるで、

何かが“這いずり出して”くるような気配。

 

「ッ――!!」

 

私は駆け出そうとした。

 

だが、間に合わなかった。

 

“シャアッ!!”

 

風を裂く異音。

視界の端から飛び込んできたのは――鞭のようにしなる、細い刃の軌跡。

 

すんでのところで私は身を引いた。

 

黒い金属のワイヤーブレードが、

私の頬を掠め、石壁に突き刺さる。

 

「なに……?」

 

路地の屋根の上。

そこにいたのは、黒いフードを被った別の私兵。

 

だがその装束は、明らかに“普通”ではなかった。

細い身体、無機質な面頬、そして静かすぎる動き。

 

(“兵士”というより……“暗殺者”?)

 

「ブルダ、こっちは任せろ!」

 

私は即座に構えを取り、呼吸を整える。

胸元の魔石を握りしめるが――魔術はまだ不安定だ。

 

ならば、まずは動きで封じる。

 

相手は屋根から飛び降り、

ワイヤーブレードを手繰りながら、

まるで蜘蛛のように路地を這ってくる。

 

「……まったく、こっちは休む暇もないな」

 

私は後ろ手に瓦礫を拾い、相手の足元に投げつけた。

 

わずかに動きが逸れる。

 

そこへ一歩踏み込み、

肘で顎を突くように振り上げ――

 

だが相手は一瞬で体を捻り、ワイヤーを背後から巻きつけてきた。

 

「……チッ!」

 

私は即座に膝を落とし、

そのテンションを殺すように地面に伏せる。

 

金属が耳元で唸った。

ほんのわずかでも反応が遅れていれば、

首が飛んでいた。

 

(やるじゃないか)

 

「……ブルダ、“そっち”を任せたぞ。

 私は“こいつ”とやる」

 

その言葉に、背後から笑い声が返ってきた。

 

「おうとも! そっちの細っこいの、さっさと倒して戻ってきな!」

 

ブルダは再び、鉄鉈の巨人と向き合う。

 

二人の“質量の神殿”に対し、

私はこの“刃の巣穴”で、一手ずつ読み合う覚悟を決めた。

 

――ガンッ!!

 

金属と金属がぶつかるような音が響いた。

 

その音の主は、ブルダだった。

“ドン子”を真横から叩きつけ、

大斧を片手にした私兵団の中ボス格――鉄鉈男――と真正面からぶつかり合っていた。

 

「おおぉらぁああっ!!」

 

火花を散らしながら振り上げたモールが、

寸前で鉈の腹で受け止められる。

 

鈍い金属の衝撃音とともに、二人はその場で拮抗した。

 

鉄鉈男の腕はまるで獣のように太く、

斧というよりも“鉄塊”に近い刃を軽々と振るっている。

 

「なるほど……筋肉勝負、ってわけか!」

 

ブルダが口元を歪めて笑う。

 

だが、次の一撃は早かった。

 

鉄鉈男が強引に“ドン子”を押し上げ、

その隙を突いて腰から突き上げるようにして斧の柄で腹を打つ――

 

「……ッくぅ!」

 

ブルダの体が浮いた。

 

着地と同時に地面を滑り、後方の瓦礫に背中を打つ。

だがすぐに立ち上がると、口元から血を拭い、

 

「効いたね、でも……まだまだだよッ!!」

 

彼女は気合いで立ち直り、

再び“ドン子”を肩に担ぎ、雄叫びを上げながら突進していく。

 

(……だが、押されてる。あの鉄鉈男、他の兵とは違う)

 

その瞬間。

 

――シャッ!

 

風が切られた。

 

私の前に何かが落ちる。

 

それは――

 

全身を黒布で覆い、漆黒の仮面を被った女兵士だった。

 

「……おや?」

 

彼女の口元がわずかに吊り上がる。

 

「逃亡奴隷……

 貴方には少し、付き合ってもらいますよ」

 

(これは――ただの兵ではない)

 

私の背後で、鉄鉈の音が鳴る。

そして前方には、仮面の暗殺者――

 

「……本当に容赦がないな、静かに見逃すことはできないのか。」

 

私は一歩引き、拳を握る。

 

黄金の光が、手の甲にかすかに灯った。

 

だが、彼女はその手元をじっと見て、笑った。

 

私は構えた。だが、即座に魔術を放つつもりはない。

 

 魔力の制御は未だ不完全――何より、この仮面の女がどれほどの技量を持つのか、見極める必要があった。

 

 彼女の右手が静かに動く。

 まるで絹糸をほぐすように――

 

「……その光、やはり“本物”のようですね。」

 

 その手から伸びていたのは、細く、鈍く光る鋼線。

 

 “ワイヤーブレード”――それは鞭のようにしなり、刃のように裂く武器。

 

 次の瞬間、空気が裂けた。

 

「ッ――!」

 

 反射的に身を引いた私の頬を、鋼糸がかすめる。

 

 一本の傷が走り、頬に熱が走った。

 

 振り向くと、彼女は既に別の角度へ移動していた。

 まるで影のように、足音もなく、滑るように――

 

(速い……)

 

 “斬撃”は直線ではない。

 彼女はワイヤーを踊らせることで、変則的な軌道で攻めてくる。

 

 再び風が唸った。

 

 今度はワイヤーが地を這い、私の足元を狙う!

 

「くっ――!」

 

 跳ぶ。刹那、足元で火花が散った。

 鋼糸が石畳を裂き、そのまま“絡め取る”ように私の足を狙って追いかけてくる。

 

 私は半身をひねって落下を制御し、同時に手を突き出す。

 

「エルドリッチ・ライト――」

 

 黄金の光が一閃し、刃の如く放たれる。

 だが――

 

「ふふ……その程度で捕らえられると思いましたか?」

 

 ワイヤーが渦を巻くように光を逸らし、彼女は横へ跳んでかわしていた。

 身軽だ。まるで魔術の“余波”すら読んでいたかのように。

 

「やれやれ……本当に容赦がないな。」

 

 私は拳を握り直し、地を蹴る。

 

 接近戦に持ち込む――ワイヤー使いにとって、それは不利な間合いのはずだ。

 

 狙い通り、彼女の腕の動きが一瞬鈍った。

 

 だが、その瞬間。

 

 鋼糸が、鞭のようにしなる。

 私の視界の外から、“上”へと放たれたワイヤーが――

 

(!?)

 

 空中で跳ね返り、真上から私の頭を狙って垂直に落ちてくる!

 

「っ……!!」

 

 私はとっさに回避する。

 

 次の瞬間、石畳に突き刺さる鋼糸。

 小さな石が跳ね、そこが一瞬で“罠”と化したことを知る。

 

 私は跳躍先――瓦礫の陰――に着地しながら、静かに息を吐いた。

 

「……時間をかけすぎた」

 

 再び視線を戻すと、仮面の女の姿は消えていた。

 

「そう簡単に逃がす気はない、ってことか」

 

 だが今は――ブルダの援護が先だ。

 

 私は地を蹴り、瓦礫の隙間から戦場へと躍り出る。

 

「待たせたな。」

 

 背後からの声に、ブルダが振り向く。

 

 「はぁ!? アンタ、どこほっつき歩いてたのさ!」

 

 その顔には、汗と血、そしてほんの少しの安堵が見えた。

 

 鉄鉈男はまだ健在だ。全身から蒸気のような熱気を上げ、ブルダを睨みつけている。

 

 私は拳を握る。黄金の光が、明確に手の甲に灯る。

 

「次は、二対一だ。押し返すぞ、ブルダ」

 

「言われなくても……やるよッ!」

 

 ブルダが再び“ドン子”を構え、私は彼女の背を追うように走り出した。

 

 そしてその頭上、静かに瓦礫の影で身を伏せる仮面の女が、鋼糸を指に巻きながら呟いた。

 

「……“ご主人様”の獲物。

 そう簡単には、逃がしませんよ?」

 

 ――痛みはまだ残っていた。

 

 仮面の女との交戦の余波、鉄鉈男の圧迫感、そして何より、この世界に染みついた“異質な空気”。

 

 だが――その深淵の底から、何かが“呼んでいた”。

 

(……門が、開きかけている?)

 

 私の内に響いた感覚は、恐ろしく懐かしく、そして禍々しかった。

 

 マルチバース――無限の宇宙の狭間。

 

 その彼方から、無数の“視線”が私に向けられていた。

 ただし、それらは敵意でも好意でもない。あくまで観測者としての、それでいて確かな力を持った存在たち。

 

(見られている……試されている、か)

 

 私は、拳を下ろす。

 

 そして、ゆっくりと掌を開いた。

 

 そこに――光が“生える”。

 

 黄金の紋様が浮かび上がり、それはやがて触手のように、しなやかに宙を這い始めた。 

 

 光の鞭が、空気を裂くように現れた。

 

 それはもはやただの投射物ではない。

 意思を宿し、私の思考と共鳴するように伸び、うねり、巻き付こうとしていた。

 

「……ああ、ようやく戻ってきたな」

 

 ブルダの突撃に合わせ、私はその光の鞭を片手に戦場へ踊り出る。

 

 鉄鉈男の斧が振り下ろされる――

 

 瞬間、私は手を払った。

 

 光の鞭がうなり、斧の軌道を絡め取る!

 

 鈍重なはずの鉄鉈が、その場で止まった。

 黄金の帯がその質量を封じ、力を殺す。

 

「ッ……!?」

 

 鉄鉈男が呻き、腕を強引に振るう。

 

 だが私はその動きに合わせて、鞭を“ほどく”。

 

 次の瞬間、もう一方の手から新たな鞭を展開し――

 

「はぁっ!」

 

 両手のエルドリッチ・ライトを交差させるようにして放ち、男の肩口を斬り裂いた!

 

 黄金の光が閃き、鉄鉈男の肩が裂ける。

 血飛沫が舞い、男の巨体が一瞬よろめいた。

 

「ブルダ!今だ!」

 

「分かってるさッ!!」

 

 ブルダの“ドン子”が、勢いそのままに男の腹へ叩きつけられる――

 

 ドガァンッ!

 

 轟音と共に鉄鉈男の体が宙を舞い、瓦礫に叩きつけられる。

 

 砂煙の中で、男が呻き声を漏らしながらも、なおも立ち上がろうとしたそのとき――

 

 私は一歩、彼の前へ進み出た。

 

 鞭は既に私の背後で、まるで生き物のように揺れていた。

 

「……私の魔術には。

 数多の宇宙の知識が、宿っている」

 

 掌をかざす。

 

 複数のマルチバースに同時に接続する、門が開きかける。

 

「ここに刻め。これは“導入”に過ぎん」

 

 光が閃き、地面に魔法陣が展開される。

 

 その眩さに、さすがの鉄鉈男も顔を背ける――

 

 そして、私はその中心に立ったまま、静かに呟いた。

 

「ドクターの帰還だ」

 

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