Doctor Strange: Chains of Revelation   作:Mr.グッドマン

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ドクター。この世界ではじめて戦う。

「さて、連れてってやるよ。“あんまり知られちゃいない道”をな。」

 

「峠越えだって?あたしの筋肉、今朝はやる気満々だよ!」

 

「安全率37%、成功率62%、期待値……“進行”。」

 

トレムは言葉の代わりに、

小さく蔦で「歩く」の動作を作ってみせた。

 

私は微笑む。

 

「そうだ。歩こう。

私たちの“道”を――今度こそ、私たちの手で。」

 

朝の霧がまだ森を抱いていた。

 

枯れ草を踏む音が、やけに耳に残る。

 

私たちは声を潜め、言葉を交わすことなく、

ただ静かに、道なき道を歩いていた。

 

ジクが先頭を歩く。

体を小さく丸め、足音を殺すように。

 

その背に続いて、

私、カトラ、ブルダ、そしてトレムの順。

 

列は無駄なく、整っていた。

無言のまま、訓練されていたわけでもないのに、

“気配を消す”という意思だけで、歩調が自然に揃っていた。

 

この国では、“異なるもの”は目をつけられる。

 

獣の耳。蔦の身体。無機質な金属の少女。

 

それらはすべて、“存在しているだけで罪”になる。

 

ブルダは、顔を下げ、外套のフードを深く被っていた。

 

トレムは蔦をぎゅっと体に巻き付け、

フードの影から、じっと地面を見つめていた。

 

カトラは外套の裾を握り、

無表情のまま、視線をひたすら下に向けていた。

 

私たちの誰もが、

この世界に「溶け込もう」としていた。

 

それは迎合ではない――

ただ、“気づかれずに、前に進むための選択”。

 

やがてジクが手を上げて立ち止まる。

 

道の先に、集落が見えた。

 

遠くに見張り塔のようなもの。

その上に掲げられた旗――この国の紋章。

 

「……脇道を通る。

ここを正面から抜けるには、派手すぎる顔ぶれだからな。」

 

彼はそう言って、地面を指でかく。

 

「獣道が、木立の裏へと回っている。

馬も通れないほど狭いが、人間ならなんとかなる。」

 

ブルダが静かに言った。

 

「ここまで“目立たないように”なんて行動したの、あたし生まれて初めてかも。」

 

私は苦笑しそうになったが、

それもまた足音になる気がして、ただ頷いた。

 

 

ー ー ー

 

 

陽が傾き、

空の端に夕焼けの痕がにじみ始めた頃――

 

私たちは、森の中の岩陰で小休憩を取ることにした。

 

ジクは斥候に出ており、

カトラは荷物の整理を静かにこなし、

トレムはその横で蔦を巻き直している。

 

私は木にもたれかかり、

ふと視線を横に向けた。

 

そこには、

外套のフードを外したブルダが座っていた。

 

風が吹いて、

彼女の髪が少し揺れる。

 

獣じみた耳を隠す必要がない場所になって、

彼女はようやく一息つけたようだった。

 

「……息、詰まるね。こういうのは。」

 

彼女がぼそっと呟いた。

 

私は頷いた。

 

「君には、特につらいだろうな。

自分の姿を隠して生きるなんて、

似合わないにもほどがある。」

 

ブルダは少し笑った。

でも、その目はどこか遠かった。

 

「あたしはさ、昔っから“目立つ”ってだけでよ、

悪目立ちして、浮いて、疎まれて――

それでも“明るくしてりゃ、気にされなくなる”って思ってた。」

 

「けど、この国じゃ違う。

明るくしたって、笑ってたって、“熊”は“熊”だってさ。」

 

私は黙って彼女の言葉を聞いていた。

 

彼女はしばらく沈黙して、

そして小さく溜息をついた。

 

「……“人間じゃない”ってだけで、

ここまで堂々と“存在を否定される”の、

正直、慣れないんだよね。」

 

「君は……慣れているのか?」

 

そう尋ねられて、

私は少しだけ笑った。

 

「私は“人間”だ。

だが――“人間の中で生きるには異端すぎる人間”だった。」

 

「力を得るために、

常識も倫理も……何度、踏み越えてきたかわからない。」

 

「だから、“溶け込む”というより、

“距離を置く”ことには慣れている。」

 

ブルダは黙って頷いた。

彼女の視線は、夕暮れの空の彼方を見ていた。

 

そしてぽつりと。

 

「……なら、あたしたち、似てるのかもね。

違う種類で、違う立場だけど――

どっちも、“この国の真ん中”にはいられなかったってこと。」

 

私はそれを否定しなかった。

 

そして一言だけ、静かに告げた。

 

「でも、それがどうした。

この国の“外”に、私たちの居場所があればそれでいい。」

 

「そうだろう?」

 

ブルダは、しばらく何も言わなかった。

そして、肩をすくめた。

 

「うん。そうだね。

見つけよう、あたしたちの“真ん中”を。」

 

「……そこに、あたしの料理があれば、

なお良しだけどね!」

 

日が落ち、風が少し湿り気を帯び始めた頃――

ジクが森の奥から、静かに戻ってきた。

 

帽子のつばに葉が挟まり、

足には泥が絡んでいた。

 

「……よし、道は見えた。」

 

私たちは火を落とし、ジクの言葉に耳を傾けた。

 

彼は腰のポーチから、手描きの地図を取り出す。

 

「この先、あの集落は絶対に避けるべきだ。

夜でも人の動きがある。猟犬の気配もあった。」

 

「だが、集落の南東――湖がある。

名前は“エルダ湖”。かつては旅の中継地だった場所だ。」

 

地図には、楕円形の湖と、周囲の獣道が示されている。

 

「湖をぐるっと外周沿いに回れば、集落を大きく避けられる。

少し距離は伸びるが――足音を消しやすい湿地帯もあるし、

川沿いは追っ手も馬を出せない。」

 

「湖か……足元滑らないようにしないとね。あたし、重たいから。」

 

「水に入るわけじゃねぇ。周囲の木道を抜けてく。

木製の歩道が、今も半分は残ってた。」

 

カトラが補足するように呟く。

 

「湿地帯経由――検知リスク22%。

霧の濃度が高ければ、追跡回避率67%に上昇。

……おすすめルートです。好きです。」

 

私は地図を見ながら、静かに頷いた。

 

「よし。ならば、その湖沿いの道を進もう。」

 

「距離よりも――生き延びることの方が重要だ。」

 

トレムが、地図の湖の形を蔦でなぞり、

くるくると渦巻きを描いた。

 

どうやら“興味あり”のサインらしい。

 

湖の周囲に続く木道は、

ところどころ朽ちていたが、まだ通行には耐えていた。

 

木々の間を、静かに抜けていく。

濃い霧が、視界を覆っている。

 

誰もが口を閉じ、

足音すら抑えて、

ただ“気配”だけで前へ進む。

 

湿地の匂い。

腐葉土と苔と、水苔の混じった、湿った空気。

 

そのときだった。

 

バキ……グワァアア……ッ

 

霧の中――

“木”が、歩いた。

 

それは明らかに、自然の風景ではなかった。

 

異様に太く、

蔦に包まれた幹が、

“前へと踏み出した”。

 

「ッ、敵か――!」

 

私は咄嗟に腕を上げ、魔法石へ意識を集中する。

 

だが、その前に――

 

トレムが一歩、前へ出た。

 

彼女は何かを感じ取っていた。

 

彼女の蔦が、静かに前へ伸びる。

 

木の魔物――それは、まるで“呼応するように”

ぐぐぐ……と、幹をねじって、蔦をうねらせた。

 

一瞬、見た。

“共鳴”のような動き。

 

……だが――違った。

 

トレムの蔦が触れた瞬間――

 

ズバァッ!!

 

木の魔物が突然、“捕食の動き”で彼女を絡め取ろうとした。

 

私は即座に叫んだ。

 

「トレム、下がれッ!」

 

ブルダが飛び出し、

その分厚い腕でトレムを引き戻す!

 

木道が軋む!

 

「確認――敵性存在。蔦の構造は自己複製型。

内部に魔力核反応あり。“魔物”に分類。好きではありません。」

 

「あの野郎、木のフリして歩くとはな……!」

 

トレムは助けられたものの、

その蔦は切られ、体の一部が痙攣していた。

 

「…………トレ……ム……」

 

弱く、彼女の声が漏れる。

 

彼女はその木の魔物を、

自分と同じような“森の存在”だと信じた。

 

だが、それは――

 

ただの捕食者だった。

 

――“バキィィィィィ……!!”

 

木の魔物の咆哮が、霧の中を突き破った。

その音が、まるで地そのものを軋ませるように響く。

 

私たちは森の脇道を駆け抜け、

ぬかるんだ地面を踏みしめ、

枝をかき分けて進む。

 

「あれは追ってくる。完全に“狩る気”だ。」

 

ジクが息を切らせながら叫ぶ。

 

その時、ブルダが前方を指差した。

 

「小屋だッ!見える!」

 

霧の中に、影が浮かび上がる――

 

木製の古びた小屋。

かつての猟師の休息所か、あるいは避難小屋か。

 

私たちは迷わず、その扉を押し開けた。

 

中は狭く、壁も薄い。

だが、四方が囲まれているだけで、背中の恐怖が和らぐ。

 

そして、ジクがすぐに目を奪われた。

 

「……あった。」

 

壁に掛けられた、一丁の古びたマスケット銃。

銃身に錆が浮き、火皿は朽ちかけていたが――

それでも、まだ“武器”だった。

 

「火薬が……火縄も……いや、使える!」

 

ジクは即座に棚の奥から乾燥した火薬袋と火口を見つけ出し、

懐から工具を取り出して銃の整備を始める。

 

「時間を稼いでくれ!俺がこの銃を使えるようにする!」

 

その瞬間――

 

ズガァァアアア……ッ!!

 

小屋の外壁に、巨大な蔦が巻きついた!

 

天井が軋む。

扉の隙間から、“あの魔物”の気配が滲み出てくる。

 

「時間は……ない!」

 

私は急いで体勢を整える。

トレムは怯えながらも蔦を構えた。

 

カトラは窓辺に立ち、声もなく計測を始める。

 

この小屋は、“砦”ではない。

ただの避難所だ。

だが今この瞬間――ここが、「生き延びるか死ぬかの最前線」となった。

 

「ジク、あと何分いる!?」

 

「あと1分半!!火皿の錆が酷ぇ、でも必ず仕上げる!」

 

外の木が軋む音――

天井に這う蔦――

扉の隙間から覗く“眼”のような樹液の膿泡。

 

ストレンジ、ブルダ、トレム、カトラ。

 

誰もが武器らしい武器を持っていない中で、

ただ“時間”を命で守るしかなかった。

 

ブルダは破れかけた壁板を両腕に巻きつけ、

即席の“腕盾”として構える。

 

その巨体が扉の前に立つと、

木と筋肉がぶつかるような、低い音が響いた。

 

「来な、怪物……!この肩、飾りじゃないよッ!」

 

扉が揺れ、外から蔦が滑り込んでくる。

 

それをブルダが身体で受け止めた。

 

「がッ……!!」

 

肩が軋む。だが、踏ん張った。

彼女の腕の筋肉が、鉄板のように蔦を押し返す。

 

その姿に、私はつい、こう言った。

 

「君は……キャプテンか、何かか?」

 

「は?あんた何の話――」

 

「いや、気にするな。ある男を思い出しただけだ。」

 

「少なくとも、この程度の動きにはまだ“私”も対応できる。」

 

窓を突き破って飛び込んできた蔦を、

身を屈めて避ける。

 

その隣で、

トレムの蔦が“敵の蔦”と互いを締め合うように絡み合っていた。

 

まるで“どちらが本物か”を競い合うかのように、

力と力のせめぎ合いが続く。

 

カトラは冷静だった。

 

「焼却開始。温度適正調整中。加熱します。」

 

手の内側から出現した小型バーナーが、

迫る蔦の根本に火を放つ。

 

バチチッ――ジジッ!

 

焼き切られた蔦が暴れ、空中で痙攣する!

 

「あと20秒だッ!」

 

ジクの声が聞こえる!

 

「この火皿が点火すりゃ、撃てる……!頼む、保ってくれよッ!」

 

「ッぐ、こいつ重いってば……誰かこの足、引っ張って!!」

 

「承知。接触部破壊へ移行します。照準、完了。」

 

「……トレ……ム……!!」

 

「――間に合え!!」

 

パンッ!!

 

銃声が、小屋に響いた。

 

銃身から放たれた弾丸が、

木の魔物の“中心部”――

蔦の付け根、幹のような部分に突き刺さる。

 

ズズン……!!

 

魔物の動きが止まった。

 

蔦がうねり、震え、

次第に――崩れるように、溶けていった。

 

ジクは火縄銃を構えたまま、しばらく動かず、

やがて、ふっと力を抜いた。

 

「……命中。銃は一本、でも――みんなで撃ったって感じだな。」

 

小屋の中には、しばらく誰も声を出さなかった。

 

バチバチと蔦の残骸が焼け焦げる音が、

まるで遠雷のように耳に残っていた。

 

その中で――

ジクがゆっくりとマスケット銃を下ろす。

 

「……ふぅ。

久々の一発は、冴えてたろ。」

 

私はその横顔を見て、

やや疲れた声で皮肉を飛ばした。

 

「まさか、君に“ヒーローの最終カット”を持っていかれるとはね。」

 

「銃と帽子の角度まで完璧じゃないか。

次は馬にでも乗る気か?」

 

ジクは口の端を吊り上げ、銃を肩に担いだ。

 

「はは、あんたの言い草、

なんかどこかで聞いたような“異国風な味”だな。」

 

「だが、いいだろ?

俺が“この一発に賭けてた”のは、あんたら全員が知ってるはずだ。」

 

「賭けに勝ったのは……あんたらが時間をくれたからだよ。」

 

ブルダが、肩の傷をさすりながら笑った。

 

「それにしても、あんたやるじゃないの。

ひと仕事終えた後の顔、悪くなかったよ?」

 

「……いや、ちょっとカッコつけすぎかも。

でも、そういうのって嫌いじゃないよ。」

 

トレムも、小さな蔦で

“いいね”のようなマークを作って見せた。

 

カトラは一言、

 

「記録保存完了。ジク氏、命中精度92%。

信頼性に再分類。“主戦力候補”。」

 

だが、その空気を切るように、ジクが真顔に戻る。

 

「……でもな。」

 

彼は、窓の外をじっと見た。

霧の濃度は変わらず、視界はほとんど効かない。

 

「この湿地帯は、やっぱり危険すぎる。」

 

「あんなもんが“群れ”だったら、

俺たち、次は逃げる間もない。」

 

私もその言葉に頷いた。

 

「つまり、ここはもう“休息地”ではいられないということか。」

 

ブルダが口を噤む。

疲れた体が、もっとも“休みたがっている”のは彼女自身だろう。

 

だが――

 

「……そうだね。

まだ“生きる”って決めたばっかだし、

ここで死んだら、笑えないよね。」

 

マスケット銃を小脇に抱えたジクが、

改めて周囲に視線を配る。

 

霧はまだ濃い。

空はすでに黒く沈み、星さえ見えない。

 

それでも、決断の余地はなかった。

 

「……出よう。今すぐだ。」

 

「銃声が響いた。モンスターだけじゃねえ。人間にも、聞かれたかもしれねぇ。」

 

私たちは頷いた。

 

トレムが小さく“キュ”と音を立てる。

それは警戒と、決意の合図。

 

カトラは窓から外を確認する。

 

「敵性反応……現時点では検知ゼロ。

ですが“環境危険レベル”は変化なし。

推奨行動――速やかな移動。」

 

ブルダは、先ほどまでの疲れを肩で振り払うように、

大きく伸びをして、肩を回した。

 

「ったく、休む間もないね……でも、嫌いじゃないよ。

緊張感あると、眠気も飛ぶからさ。」

 

私もコートの裾を整える。

 

「この先に“安全”があるとは限らない。

だが、ここに“死”があることは確かだ。」

 

ジクが先導を買って出る。

 

「南東方向に抜け道がある。

昔、通ったことがある。」

 

「水位の変化で消えちまう前に、抜けるぞ。」

 

こうして私たちは、小屋を後にした。

 

湿地の泥が、

重たく、ぐちゃりと靴の裏を食う。

 

それでも誰も、振り返らなかった。

 

トレムの蔦がぬかるみを避けて足場を確保し、

カトラが方向計を確認しながら先の地形を読み取る。

 

ブルダは後方を守り、

ジクが道を照らす。

 

私は、中央で目を細めた。

 

湿地を抜けた先、

森の中に、ぽつんと建っていたそれは――

 

崩れかけた石造りの礼拝堂だった。

 

瓦礫と蔦に覆われ、

尖塔の鐘は落ち、屋根の一部は空を穿っている。

 

だが、壁はまだあった。

雨風を凌ぐだけの“囲い”がある。

 

そして、何より――扉があった。

 

ジクが手で扉を押すと、

軋んだ音を立てて、古い空間が顔を覗かせた。

 

「……使えるな。一晩だけなら。」

 

中は埃と黴の匂いが濃い。

だが、床は抜けておらず、

割れた窓から月明かりが差し込んでいた。

 

中央に残された祈祷台。

かつて多くの者が、ここで“何か”を願ったはずの場所だ。

 

「……信仰ってのは、

こんな場所にも残るもんなんだな。」

 

私がぼそりと呟くと、

カトラが首を傾げて返した。

 

「信仰とは、“見えないものを信じる”という非合理性。

だが、非合理だからこそ、人は生きる理由を見出す。好きです。」

 

トレムは蔦で床を掃き、

中央に“円”を描いた。

 

ブルダは大きな破れ布を集めて、

全員分の簡易な寝床を即席で作っていく。

 

「これくらいなら、慣れてる。

あたし、結構“野宿力”高いからさ。」

 

ストレンジは小さな窓辺に腰を下ろし、

月を仰ぎながら、静かに呼吸を整える。

 

火を灯す手間も惜しい夜。

ただ静かに、耳を澄ませた。

 

この夜は、

誰も無理に会話をしなかった。

 

ただ、それぞれの“命が今ここにある”ということを

胸の中で、そっと確かめ合っていた。

 

 

ー ー ー

 

 

朝霧がまだ残るなか、

東の空がわずかに朱を帯び始めていた。

 

礼拝堂に差し込む光はまだ淡く、

だが、それでも――“夜は終わった”と告げていた。

 

ジクが荷をまとめ、静かに言う。

 

「……ここも長居はできねぇ。

湿地帯の霧が、まだ残ってる。」

 

「モンスター共がまた這い出す前に、抜けよう。」

 

誰も反対はしなかった。

 

休めるだけ休んだ。

けれどここは、祈りの場所であって、安全な場所ではない。

 

ブルダが眠そうな目をこすりながら立ち上がる。

 

「朝食抜きは腹減るけど……

食うより生き延びる方が優先、だよね。」

 

トレムも無言で頷き、

蔦で支える荷物のひと房を調整する。

 

カトラはいつもの調子で確認を済ませた。

 

「エリア内の魔力反応、安定低下中。

移動するなら“今”です。好きです。」

 

こうして私たちは、礼拝堂を後にした。

 

夜を守ってくれたあの崩れかけた石壁に、

誰も手を振らなかった。

けれど、誰もそれを忘れることはなかっただろう。

 

森を抜ける獣道の途中――

 

木々の合間に、異様な影が現れた。

 

黒く、膨らんだ樹脂のような体表。

ねじれた四肢。

目はない。ただこちらに反応し、ぬるりと身体を起こした。

 

ブルダが即座に構えを取ろうとしたが――

 

「待て。走る。」

 

私はそう言って、

一瞬だけその怪物の“動き”を観察した。

 

鈍い。

反応はするが、追いつく速度ではない。

 

「戦う必要はない。奴に名誉はない。そして我々にも時間はない。」

 

ジクが前に出る。

 

「こっちだ、こっち!走れ!!」

 

道が開ける。

 

枯葉が舞い、霧が裂ける。

 

草を蹴り上げて、

獣道を駆け抜ける。

 

モンスターは、

呻くように一歩踏み出すが――それだけだった。

 

姿はすぐに木々の彼方へと沈んでいった。

 

“勝たなくても、生き延びればいい”。

 

それがこの世界の現実であり――私たちの知恵だった。

 

その後、小さな丘を越えたあたりで、ようやく視界が開けた。

 

湿地帯と霧を越え、

私たちがたどり着いたのは――

 

広大な草原だった。

 

視界が一気に開けたその瞬間、

私は、言いようのない感覚に襲われた。

 

風が頬を撫でる。

草が波打ち、陽光が差し込む。

 

その光景に――見覚えがあった。

 

「……ここだ。」

 

私は、足を止める。

 

「この場所を、知っている。

私が捕まった時、最初に目を覚ましたのは――この草原だった。」

 

誰も言葉を返さなかった。

ただ皆が、私の目線の先を見つめていた。

 

その地に、特別な“何か”はなかった。

だが、私にとっては「すべての始まり」だった。

 

その時――

 

草むらの中から、

一匹の野生のうさぎが、ふと姿を現した。

 

警戒心も薄く、ぽつんとこちらを見ている。

 

ブルダが口を開いた。

 

「……あれ、もしかして、ご飯?」

 

トレムの蔦が、ちょっとだけ動いた。

食べるという概念に不慣れな彼女にも、“気になる”存在だったらしい。

 

「逃げられる前に、仕留めるなら――今だな。」

 

そう言って、

ジクが静かにマスケット銃を構えた。

 

風の流れを読むように、

片膝をつき、肩で銃を安定させる。

 

「……はぁっ。」

 

短く息を吐き、

狙いを定めて――

 

パン――ッ!!

 

銃声が草原に響く。

 

うさぎの姿が、跳ねた瞬間――止まった。

 

ジクはゆっくりと銃を下ろし、

少しだけ、肩をすくめる。

 

「朝食、確保。

一匹だけだが、腹の足しにはなる。」

 

カトラが即座に数値を呟いた。

 

「栄養効率、炭水化物およびタンパク質42%補完。

ただし調理次第。焼きすぎ注意。好きです。」

 

私は一歩、踏みしめる。

 

この地で目覚めた私は、

何も知らず、何も持たず――ただ、世界に放り出された。

 

だが今は違う。

 

「私は、一人ではない。」

 

ブルダがうさぎを手際よく解体にかかりながら言った。

 

「これが、異世界の“はじまりの味”ってやつになるのかね。

あたし、腕の見せどころだよ!」

 

陽が昇っていた。

 

風が、草を揺らす。

まるで――「おかえり」と囁いているようだった。

 

草原の緩やかな起伏に沿って、

風を避けるようなくぼみに、簡易の野営地が設営された。

 

トレムが蔦で周囲の枯草をまとめて簡易風よけを作り、

ジクが木陰から拾ってきた枯れ枝で焚き火の土台を組む。

 

カトラは鉄板状に変形した自分の前腕を「調理台」として提供しながら、

その横で栄養値をぶつぶつと呟いていた。

 

ブルダはというと、

もう完全に“料理人の目”になっていた。

 

表情が締まっていて、

どんな魔物と対峙していたときよりも真剣だ。

 

「さーてと……“狩りの朝飯”ってやつ、始めようか。」

 

先程の野生のうさぎの処理を思い出す。

 

皮を素早く剥ぎ、

臓器を取り出す手つきには一切の迷いがなかった。

 

トレムがちょっとだけ目を逸らしていたが、

ブルダは軽く笑いながら声をかけた。

 

「命をもらうんだ。

あたしは、この子を“ちゃんと美味しくする”ことで応える。」

 

ーー

 

乾燥じゃがいもは水に戻し、

ジクが焚き火に火をつけたその横で、

平たい鍋に油を薄く敷いて温めていく。

 

ブルダは骨から身を丁寧に削ぎ、

細く切ったじゃがいもと一緒に鍋に投入。

 

ジュウウ……ッ

 

うさぎ肉が熱に跳ね、

油に乗った香りが草原に広がる。

 

トレムがその音に反応し、

蔦を控えめにうごめかせる。

 

「焦がさない。油を入れすぎない。

香りを活かすには、火の言葉を聞くこと。」

 

ブルダはぼそっと呟くように言い、

じゃがいもと肉を別々に火にかけていた鍋を一つに合わせる。

 

さらに、草原で摘んだ香草を手早く刻み、

塩気のないスープストックとともに煮込んでいく。

 

コトコトと音を立てる鍋の中で、

野うさぎとじゃがいもが、

だんだんと“ひとつの料理”へと変わっていく。

 

「いい匂い、きてるでしょ?」

 

ブルダが得意気に笑いながら、

蓋をしてから火力を調整する。

 

カトラがじっとその鍋を見つめ、

言った。

 

「化学反応進行中。香り分子の拡散率、上昇中。

…感情値、上昇……好きです。」

 

鍋の中で、

うさぎの肉はほろほろと崩れ、

じゃがいもはとろける一歩手前で形を保っていた。

 

“命をいただく”という言葉が、

煙の香りとともに、静かにそこに立ち上っていた。

 

そして、完成はもうすぐだった。

 

「それでは――いただこう。」

 

ストレンジのその言葉を皮切りに、

誰からともなく手を合わせたり、そっと頷いたりして、

各々がスプーンや木の皿に手を伸ばした。

 

最初に口にしたのは、ブルダだった。

 

「んー……いいね。これは正に“自由の味”ってやつだよ!」

 

彼女は満足そうに笑い、

ごく自然に、仲間たちの皿に具材をよそって回った。

 

カトラは皆の食事風景を見ている。

 

「咀嚼回数、標準値以内。温度分布、均一。

感情フィードバック――良好。好きです。」

 

トレムは皿をじっと見つめ、

蔦の一部を液体部分に浸し、

味覚という概念を懸命に学習していた。

 

そして、私――ストレンジも、

ひと匙、静かに口に運んだ。

 

口の中に広がる香ばしさ、

うさぎの肉は柔らかく、

乾燥じゃがいもが驚くほど滑らかに煮込まれていた。

 

「……ふむ。」

 

私はゆっくりと口を動かしながら、言葉を選ぶ。

 

「奇妙だな。

死と隣り合わせの旅路で、

こうも“あたたかな味”に出会うとは。」

 

「味覚というのは、案外残酷なものだ。

安らぎを感じた瞬間に、

“それがいつまで続くか”を本能が疑い始める。」

 

私はスプーンをもう一口、すくった。

 

「……だが、それでも――これは美味だ。

“理性を黙らせる味”というやつだ。」

 

ジクが、その言葉に口元を緩めた。

 

「あんた、いつも詩人みてぇに喋るな。」

 

「けど、わかるぜ。

……俺も、この味には“黙らせられた側”だ。」

 

みんなが笑った。

食器が鳴る音が、

静かに草原の空に溶けていった。

 

食べ終わる頃、

私はまだ半分ほど残った皿を見つめながら、

ふと口を開いた。

 

「……話がある。」

 

一瞬、空気が静かになった。

 

「ここで私が目覚めたのは、数日前のことだ。

この草原で――ただひとり、身ひとつで。

魔術が使えなくなっていた。」

 

ブルダが眉をひそめた。

ジクは黙ってスプーンを置いた。

 

「なぜなら私は――この世界の人間ではない。」

 

風がひとつ、吹いた。

 

乾いた草が揺れる。

 

「別の世界で、私は“魔術師”だった。

この世界の理とはまるで異なる法則に従い、

時に世界の崩壊を止め、時に神のような存在と対峙した。」

 

「そして今、私はここにいる。理由も、方法も、まだ不明だ。」

 

沈黙が落ちた。

 

だがそれは、疑念からくるものではなかった。

 

ジクが、帽子のつばを上げて言った。

 

「……ま、そんなことだろうと思ってたさ。」

 

「は?ジク、知ってたの?」

 

「知ってたっつーか、“浮いてた”だろ?あんたの言葉も態度も。

この国で育ったヤツのもんじゃねぇって、わかるよ。」

 

「でもな、ストレンジ。」

 

「お前がどこの世界のもんだろうが――俺は構わねぇ。

それで腹が膨れるわけでも、助けてくれた事実が消えるわけでもねぇ。」

 

ブルダも頷いた。

 

「うん。正直、“魔術師”って響きはイカしてるしね!」

 

「大丈夫。あたしたちは、あんたの“今”を見て判断するよ。」

 

「……でさ?」

 

ブルダが肉の最後の一切れを頬張りながら、

興味津々な目でこちらを見た。

 

「“別の世界”の料理って、どんなのがあるの?

その……あんたの世界で、よく食べてたもんとかさ!」

 

私はその問いに一瞬考え込み、

そして、軽く肩をすくめて応じた。

 

「そうだな……“うちの世界”で最も見かける料理といえば――」

 

「揚げ物。脂。糖分。

とにかく、胃袋に爆弾を投下するような構成が多いな。」

 

ブルダ:「……え、それってウマいやつじゃん?」

 

ジク:「おい、嫌な予感するぞそれ……」

 

「例えば、“ダブルチーズベーコンバーガー”。」

 

「特大の牛肉、焼き過ぎたベーコン、

濃厚すぎるチーズ、そして……

“これはもはや枕では?”という疑念すら生むバンズの主張。」

 

「一口噛めば、心は飛ぶ。

だが、胃は悲鳴を上げる。

“味覚は勝ったが内臓は負けた”――そんな料理だ。」

 

「栄養バランス、危険域。

しかし中毒性有り。…理解しました。好きです。」

 

トレムはじっとストレンジを見ていたが、

どうやら想像が追いついていないらしく、

蔦で“丸い何か”を形作っていた。

 

ブルダはというと、

口元をニヤニヤと緩めながら言った。

 

「それ……食べてみたいなぁ。」

 

「あたし、肉と脂とパンには目がないんだよねぇ~!」

 

ジクが半ば呆れたように笑う。

 

「おいおい、ここは先生にとっちゃ異世界なんだぜ?

そんな“病気直行便”みたいな食いもん、あるかよ。」

 

私は、ほんの少し笑った。

 

「安心しろ。

もしこの先、君たちと“厨房”を手に入れる日が来たら――

私の記憶をもとに“本物”を再現してやる。」

 

「マジ!?やった!

“別世界のバーガー”とやら。それが旅の目標だね!」

 

そして、ほんの少しだけ。

私の中にあった“かつての世界”の記憶が、

少しだけ柔らかくなった気がした。

 

食の話は、人を繋げる。

世界が違っても――同じ味に、笑うことはできる。




さて、話が進んできました!
みなさん!読んでくれてありがとう!
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