Doctor Strange: Chains of Revelation 作:Mr.グッドマン
「さて、連れてってやるよ。“あんまり知られちゃいない道”をな。」
「峠越えだって?あたしの筋肉、今朝はやる気満々だよ!」
「安全率37%、成功率62%、期待値……“進行”。」
トレムは言葉の代わりに、
小さく蔦で「歩く」の動作を作ってみせた。
私は微笑む。
「そうだ。歩こう。
私たちの“道”を――今度こそ、私たちの手で。」
朝の霧がまだ森を抱いていた。
枯れ草を踏む音が、やけに耳に残る。
私たちは声を潜め、言葉を交わすことなく、
ただ静かに、道なき道を歩いていた。
ジクが先頭を歩く。
体を小さく丸め、足音を殺すように。
その背に続いて、
私、カトラ、ブルダ、そしてトレムの順。
列は無駄なく、整っていた。
無言のまま、訓練されていたわけでもないのに、
“気配を消す”という意思だけで、歩調が自然に揃っていた。
この国では、“異なるもの”は目をつけられる。
獣の耳。蔦の身体。無機質な金属の少女。
それらはすべて、“存在しているだけで罪”になる。
ブルダは、顔を下げ、外套のフードを深く被っていた。
トレムは蔦をぎゅっと体に巻き付け、
フードの影から、じっと地面を見つめていた。
カトラは外套の裾を握り、
無表情のまま、視線をひたすら下に向けていた。
私たちの誰もが、
この世界に「溶け込もう」としていた。
それは迎合ではない――
ただ、“気づかれずに、前に進むための選択”。
やがてジクが手を上げて立ち止まる。
道の先に、集落が見えた。
遠くに見張り塔のようなもの。
その上に掲げられた旗――この国の紋章。
「……脇道を通る。
ここを正面から抜けるには、派手すぎる顔ぶれだからな。」
彼はそう言って、地面を指でかく。
「獣道が、木立の裏へと回っている。
馬も通れないほど狭いが、人間ならなんとかなる。」
ブルダが静かに言った。
「ここまで“目立たないように”なんて行動したの、あたし生まれて初めてかも。」
私は苦笑しそうになったが、
それもまた足音になる気がして、ただ頷いた。
ー ー ー
陽が傾き、
空の端に夕焼けの痕がにじみ始めた頃――
私たちは、森の中の岩陰で小休憩を取ることにした。
ジクは斥候に出ており、
カトラは荷物の整理を静かにこなし、
トレムはその横で蔦を巻き直している。
私は木にもたれかかり、
ふと視線を横に向けた。
そこには、
外套のフードを外したブルダが座っていた。
風が吹いて、
彼女の髪が少し揺れる。
獣じみた耳を隠す必要がない場所になって、
彼女はようやく一息つけたようだった。
「……息、詰まるね。こういうのは。」
彼女がぼそっと呟いた。
私は頷いた。
「君には、特につらいだろうな。
自分の姿を隠して生きるなんて、
似合わないにもほどがある。」
ブルダは少し笑った。
でも、その目はどこか遠かった。
「あたしはさ、昔っから“目立つ”ってだけでよ、
悪目立ちして、浮いて、疎まれて――
それでも“明るくしてりゃ、気にされなくなる”って思ってた。」
「けど、この国じゃ違う。
明るくしたって、笑ってたって、“熊”は“熊”だってさ。」
私は黙って彼女の言葉を聞いていた。
彼女はしばらく沈黙して、
そして小さく溜息をついた。
「……“人間じゃない”ってだけで、
ここまで堂々と“存在を否定される”の、
正直、慣れないんだよね。」
「君は……慣れているのか?」
そう尋ねられて、
私は少しだけ笑った。
「私は“人間”だ。
だが――“人間の中で生きるには異端すぎる人間”だった。」
「力を得るために、
常識も倫理も……何度、踏み越えてきたかわからない。」
「だから、“溶け込む”というより、
“距離を置く”ことには慣れている。」
ブルダは黙って頷いた。
彼女の視線は、夕暮れの空の彼方を見ていた。
そしてぽつりと。
「……なら、あたしたち、似てるのかもね。
違う種類で、違う立場だけど――
どっちも、“この国の真ん中”にはいられなかったってこと。」
私はそれを否定しなかった。
そして一言だけ、静かに告げた。
「でも、それがどうした。
この国の“外”に、私たちの居場所があればそれでいい。」
「そうだろう?」
ブルダは、しばらく何も言わなかった。
そして、肩をすくめた。
「うん。そうだね。
見つけよう、あたしたちの“真ん中”を。」
「……そこに、あたしの料理があれば、
なお良しだけどね!」
日が落ち、風が少し湿り気を帯び始めた頃――
ジクが森の奥から、静かに戻ってきた。
帽子のつばに葉が挟まり、
足には泥が絡んでいた。
「……よし、道は見えた。」
私たちは火を落とし、ジクの言葉に耳を傾けた。
彼は腰のポーチから、手描きの地図を取り出す。
「この先、あの集落は絶対に避けるべきだ。
夜でも人の動きがある。猟犬の気配もあった。」
「だが、集落の南東――湖がある。
名前は“エルダ湖”。かつては旅の中継地だった場所だ。」
地図には、楕円形の湖と、周囲の獣道が示されている。
「湖をぐるっと外周沿いに回れば、集落を大きく避けられる。
少し距離は伸びるが――足音を消しやすい湿地帯もあるし、
川沿いは追っ手も馬を出せない。」
「湖か……足元滑らないようにしないとね。あたし、重たいから。」
「水に入るわけじゃねぇ。周囲の木道を抜けてく。
木製の歩道が、今も半分は残ってた。」
カトラが補足するように呟く。
「湿地帯経由――検知リスク22%。
霧の濃度が高ければ、追跡回避率67%に上昇。
……おすすめルートです。好きです。」
私は地図を見ながら、静かに頷いた。
「よし。ならば、その湖沿いの道を進もう。」
「距離よりも――生き延びることの方が重要だ。」
トレムが、地図の湖の形を蔦でなぞり、
くるくると渦巻きを描いた。
どうやら“興味あり”のサインらしい。
湖の周囲に続く木道は、
ところどころ朽ちていたが、まだ通行には耐えていた。
木々の間を、静かに抜けていく。
濃い霧が、視界を覆っている。
誰もが口を閉じ、
足音すら抑えて、
ただ“気配”だけで前へ進む。
湿地の匂い。
腐葉土と苔と、水苔の混じった、湿った空気。
そのときだった。
バキ……グワァアア……ッ
霧の中――
“木”が、歩いた。
それは明らかに、自然の風景ではなかった。
異様に太く、
蔦に包まれた幹が、
“前へと踏み出した”。
「ッ、敵か――!」
私は咄嗟に腕を上げ、魔法石へ意識を集中する。
だが、その前に――
トレムが一歩、前へ出た。
彼女は何かを感じ取っていた。
彼女の蔦が、静かに前へ伸びる。
木の魔物――それは、まるで“呼応するように”
ぐぐぐ……と、幹をねじって、蔦をうねらせた。
一瞬、見た。
“共鳴”のような動き。
……だが――違った。
トレムの蔦が触れた瞬間――
ズバァッ!!
木の魔物が突然、“捕食の動き”で彼女を絡め取ろうとした。
私は即座に叫んだ。
「トレム、下がれッ!」
ブルダが飛び出し、
その分厚い腕でトレムを引き戻す!
木道が軋む!
「確認――敵性存在。蔦の構造は自己複製型。
内部に魔力核反応あり。“魔物”に分類。好きではありません。」
「あの野郎、木のフリして歩くとはな……!」
トレムは助けられたものの、
その蔦は切られ、体の一部が痙攣していた。
「…………トレ……ム……」
弱く、彼女の声が漏れる。
彼女はその木の魔物を、
自分と同じような“森の存在”だと信じた。
だが、それは――
ただの捕食者だった。
――“バキィィィィィ……!!”
木の魔物の咆哮が、霧の中を突き破った。
その音が、まるで地そのものを軋ませるように響く。
私たちは森の脇道を駆け抜け、
ぬかるんだ地面を踏みしめ、
枝をかき分けて進む。
「あれは追ってくる。完全に“狩る気”だ。」
ジクが息を切らせながら叫ぶ。
その時、ブルダが前方を指差した。
「小屋だッ!見える!」
霧の中に、影が浮かび上がる――
木製の古びた小屋。
かつての猟師の休息所か、あるいは避難小屋か。
私たちは迷わず、その扉を押し開けた。
中は狭く、壁も薄い。
だが、四方が囲まれているだけで、背中の恐怖が和らぐ。
そして、ジクがすぐに目を奪われた。
「……あった。」
壁に掛けられた、一丁の古びたマスケット銃。
銃身に錆が浮き、火皿は朽ちかけていたが――
それでも、まだ“武器”だった。
「火薬が……火縄も……いや、使える!」
ジクは即座に棚の奥から乾燥した火薬袋と火口を見つけ出し、
懐から工具を取り出して銃の整備を始める。
「時間を稼いでくれ!俺がこの銃を使えるようにする!」
その瞬間――
ズガァァアアア……ッ!!
小屋の外壁に、巨大な蔦が巻きついた!
天井が軋む。
扉の隙間から、“あの魔物”の気配が滲み出てくる。
「時間は……ない!」
私は急いで体勢を整える。
トレムは怯えながらも蔦を構えた。
カトラは窓辺に立ち、声もなく計測を始める。
この小屋は、“砦”ではない。
ただの避難所だ。
だが今この瞬間――ここが、「生き延びるか死ぬかの最前線」となった。
「ジク、あと何分いる!?」
「あと1分半!!火皿の錆が酷ぇ、でも必ず仕上げる!」
外の木が軋む音――
天井に這う蔦――
扉の隙間から覗く“眼”のような樹液の膿泡。
ストレンジ、ブルダ、トレム、カトラ。
誰もが武器らしい武器を持っていない中で、
ただ“時間”を命で守るしかなかった。
ブルダは破れかけた壁板を両腕に巻きつけ、
即席の“腕盾”として構える。
その巨体が扉の前に立つと、
木と筋肉がぶつかるような、低い音が響いた。
「来な、怪物……!この肩、飾りじゃないよッ!」
扉が揺れ、外から蔦が滑り込んでくる。
それをブルダが身体で受け止めた。
「がッ……!!」
肩が軋む。だが、踏ん張った。
彼女の腕の筋肉が、鉄板のように蔦を押し返す。
その姿に、私はつい、こう言った。
「君は……キャプテンか、何かか?」
「は?あんた何の話――」
「いや、気にするな。ある男を思い出しただけだ。」
「少なくとも、この程度の動きにはまだ“私”も対応できる。」
窓を突き破って飛び込んできた蔦を、
身を屈めて避ける。
その隣で、
トレムの蔦が“敵の蔦”と互いを締め合うように絡み合っていた。
まるで“どちらが本物か”を競い合うかのように、
力と力のせめぎ合いが続く。
カトラは冷静だった。
「焼却開始。温度適正調整中。加熱します。」
手の内側から出現した小型バーナーが、
迫る蔦の根本に火を放つ。
バチチッ――ジジッ!
焼き切られた蔦が暴れ、空中で痙攣する!
「あと20秒だッ!」
ジクの声が聞こえる!
「この火皿が点火すりゃ、撃てる……!頼む、保ってくれよッ!」
「ッぐ、こいつ重いってば……誰かこの足、引っ張って!!」
「承知。接触部破壊へ移行します。照準、完了。」
「……トレ……ム……!!」
「――間に合え!!」
パンッ!!
銃声が、小屋に響いた。
銃身から放たれた弾丸が、
木の魔物の“中心部”――
蔦の付け根、幹のような部分に突き刺さる。
ズズン……!!
魔物の動きが止まった。
蔦がうねり、震え、
次第に――崩れるように、溶けていった。
ジクは火縄銃を構えたまま、しばらく動かず、
やがて、ふっと力を抜いた。
「……命中。銃は一本、でも――みんなで撃ったって感じだな。」
小屋の中には、しばらく誰も声を出さなかった。
バチバチと蔦の残骸が焼け焦げる音が、
まるで遠雷のように耳に残っていた。
その中で――
ジクがゆっくりとマスケット銃を下ろす。
「……ふぅ。
久々の一発は、冴えてたろ。」
私はその横顔を見て、
やや疲れた声で皮肉を飛ばした。
「まさか、君に“ヒーローの最終カット”を持っていかれるとはね。」
「銃と帽子の角度まで完璧じゃないか。
次は馬にでも乗る気か?」
ジクは口の端を吊り上げ、銃を肩に担いだ。
「はは、あんたの言い草、
なんかどこかで聞いたような“異国風な味”だな。」
「だが、いいだろ?
俺が“この一発に賭けてた”のは、あんたら全員が知ってるはずだ。」
「賭けに勝ったのは……あんたらが時間をくれたからだよ。」
ブルダが、肩の傷をさすりながら笑った。
「それにしても、あんたやるじゃないの。
ひと仕事終えた後の顔、悪くなかったよ?」
「……いや、ちょっとカッコつけすぎかも。
でも、そういうのって嫌いじゃないよ。」
トレムも、小さな蔦で
“いいね”のようなマークを作って見せた。
カトラは一言、
「記録保存完了。ジク氏、命中精度92%。
信頼性に再分類。“主戦力候補”。」
だが、その空気を切るように、ジクが真顔に戻る。
「……でもな。」
彼は、窓の外をじっと見た。
霧の濃度は変わらず、視界はほとんど効かない。
「この湿地帯は、やっぱり危険すぎる。」
「あんなもんが“群れ”だったら、
俺たち、次は逃げる間もない。」
私もその言葉に頷いた。
「つまり、ここはもう“休息地”ではいられないということか。」
ブルダが口を噤む。
疲れた体が、もっとも“休みたがっている”のは彼女自身だろう。
だが――
「……そうだね。
まだ“生きる”って決めたばっかだし、
ここで死んだら、笑えないよね。」
マスケット銃を小脇に抱えたジクが、
改めて周囲に視線を配る。
霧はまだ濃い。
空はすでに黒く沈み、星さえ見えない。
それでも、決断の余地はなかった。
「……出よう。今すぐだ。」
「銃声が響いた。モンスターだけじゃねえ。人間にも、聞かれたかもしれねぇ。」
私たちは頷いた。
トレムが小さく“キュ”と音を立てる。
それは警戒と、決意の合図。
カトラは窓から外を確認する。
「敵性反応……現時点では検知ゼロ。
ですが“環境危険レベル”は変化なし。
推奨行動――速やかな移動。」
ブルダは、先ほどまでの疲れを肩で振り払うように、
大きく伸びをして、肩を回した。
「ったく、休む間もないね……でも、嫌いじゃないよ。
緊張感あると、眠気も飛ぶからさ。」
私もコートの裾を整える。
「この先に“安全”があるとは限らない。
だが、ここに“死”があることは確かだ。」
ジクが先導を買って出る。
「南東方向に抜け道がある。
昔、通ったことがある。」
「水位の変化で消えちまう前に、抜けるぞ。」
こうして私たちは、小屋を後にした。
湿地の泥が、
重たく、ぐちゃりと靴の裏を食う。
それでも誰も、振り返らなかった。
トレムの蔦がぬかるみを避けて足場を確保し、
カトラが方向計を確認しながら先の地形を読み取る。
ブルダは後方を守り、
ジクが道を照らす。
私は、中央で目を細めた。
湿地を抜けた先、
森の中に、ぽつんと建っていたそれは――
崩れかけた石造りの礼拝堂だった。
瓦礫と蔦に覆われ、
尖塔の鐘は落ち、屋根の一部は空を穿っている。
だが、壁はまだあった。
雨風を凌ぐだけの“囲い”がある。
そして、何より――扉があった。
ジクが手で扉を押すと、
軋んだ音を立てて、古い空間が顔を覗かせた。
「……使えるな。一晩だけなら。」
中は埃と黴の匂いが濃い。
だが、床は抜けておらず、
割れた窓から月明かりが差し込んでいた。
中央に残された祈祷台。
かつて多くの者が、ここで“何か”を願ったはずの場所だ。
「……信仰ってのは、
こんな場所にも残るもんなんだな。」
私がぼそりと呟くと、
カトラが首を傾げて返した。
「信仰とは、“見えないものを信じる”という非合理性。
だが、非合理だからこそ、人は生きる理由を見出す。好きです。」
トレムは蔦で床を掃き、
中央に“円”を描いた。
ブルダは大きな破れ布を集めて、
全員分の簡易な寝床を即席で作っていく。
「これくらいなら、慣れてる。
あたし、結構“野宿力”高いからさ。」
ストレンジは小さな窓辺に腰を下ろし、
月を仰ぎながら、静かに呼吸を整える。
火を灯す手間も惜しい夜。
ただ静かに、耳を澄ませた。
この夜は、
誰も無理に会話をしなかった。
ただ、それぞれの“命が今ここにある”ということを
胸の中で、そっと確かめ合っていた。
ー ー ー
朝霧がまだ残るなか、
東の空がわずかに朱を帯び始めていた。
礼拝堂に差し込む光はまだ淡く、
だが、それでも――“夜は終わった”と告げていた。
ジクが荷をまとめ、静かに言う。
「……ここも長居はできねぇ。
湿地帯の霧が、まだ残ってる。」
「モンスター共がまた這い出す前に、抜けよう。」
誰も反対はしなかった。
休めるだけ休んだ。
けれどここは、祈りの場所であって、安全な場所ではない。
ブルダが眠そうな目をこすりながら立ち上がる。
「朝食抜きは腹減るけど……
食うより生き延びる方が優先、だよね。」
トレムも無言で頷き、
蔦で支える荷物のひと房を調整する。
カトラはいつもの調子で確認を済ませた。
「エリア内の魔力反応、安定低下中。
移動するなら“今”です。好きです。」
こうして私たちは、礼拝堂を後にした。
夜を守ってくれたあの崩れかけた石壁に、
誰も手を振らなかった。
けれど、誰もそれを忘れることはなかっただろう。
森を抜ける獣道の途中――
木々の合間に、異様な影が現れた。
黒く、膨らんだ樹脂のような体表。
ねじれた四肢。
目はない。ただこちらに反応し、ぬるりと身体を起こした。
ブルダが即座に構えを取ろうとしたが――
「待て。走る。」
私はそう言って、
一瞬だけその怪物の“動き”を観察した。
鈍い。
反応はするが、追いつく速度ではない。
「戦う必要はない。奴に名誉はない。そして我々にも時間はない。」
ジクが前に出る。
「こっちだ、こっち!走れ!!」
道が開ける。
枯葉が舞い、霧が裂ける。
草を蹴り上げて、
獣道を駆け抜ける。
モンスターは、
呻くように一歩踏み出すが――それだけだった。
姿はすぐに木々の彼方へと沈んでいった。
“勝たなくても、生き延びればいい”。
それがこの世界の現実であり――私たちの知恵だった。
その後、小さな丘を越えたあたりで、ようやく視界が開けた。
湿地帯と霧を越え、
私たちがたどり着いたのは――
広大な草原だった。
視界が一気に開けたその瞬間、
私は、言いようのない感覚に襲われた。
風が頬を撫でる。
草が波打ち、陽光が差し込む。
その光景に――見覚えがあった。
「……ここだ。」
私は、足を止める。
「この場所を、知っている。
私が捕まった時、最初に目を覚ましたのは――この草原だった。」
誰も言葉を返さなかった。
ただ皆が、私の目線の先を見つめていた。
その地に、特別な“何か”はなかった。
だが、私にとっては「すべての始まり」だった。
その時――
草むらの中から、
一匹の野生のうさぎが、ふと姿を現した。
警戒心も薄く、ぽつんとこちらを見ている。
ブルダが口を開いた。
「……あれ、もしかして、ご飯?」
トレムの蔦が、ちょっとだけ動いた。
食べるという概念に不慣れな彼女にも、“気になる”存在だったらしい。
「逃げられる前に、仕留めるなら――今だな。」
そう言って、
ジクが静かにマスケット銃を構えた。
風の流れを読むように、
片膝をつき、肩で銃を安定させる。
「……はぁっ。」
短く息を吐き、
狙いを定めて――
パン――ッ!!
銃声が草原に響く。
うさぎの姿が、跳ねた瞬間――止まった。
ジクはゆっくりと銃を下ろし、
少しだけ、肩をすくめる。
「朝食、確保。
一匹だけだが、腹の足しにはなる。」
カトラが即座に数値を呟いた。
「栄養効率、炭水化物およびタンパク質42%補完。
ただし調理次第。焼きすぎ注意。好きです。」
私は一歩、踏みしめる。
この地で目覚めた私は、
何も知らず、何も持たず――ただ、世界に放り出された。
だが今は違う。
「私は、一人ではない。」
ブルダがうさぎを手際よく解体にかかりながら言った。
「これが、異世界の“はじまりの味”ってやつになるのかね。
あたし、腕の見せどころだよ!」
陽が昇っていた。
風が、草を揺らす。
まるで――「おかえり」と囁いているようだった。
草原の緩やかな起伏に沿って、
風を避けるようなくぼみに、簡易の野営地が設営された。
トレムが蔦で周囲の枯草をまとめて簡易風よけを作り、
ジクが木陰から拾ってきた枯れ枝で焚き火の土台を組む。
カトラは鉄板状に変形した自分の前腕を「調理台」として提供しながら、
その横で栄養値をぶつぶつと呟いていた。
ブルダはというと、
もう完全に“料理人の目”になっていた。
表情が締まっていて、
どんな魔物と対峙していたときよりも真剣だ。
「さーてと……“狩りの朝飯”ってやつ、始めようか。」
先程の野生のうさぎの処理を思い出す。
皮を素早く剥ぎ、
臓器を取り出す手つきには一切の迷いがなかった。
トレムがちょっとだけ目を逸らしていたが、
ブルダは軽く笑いながら声をかけた。
「命をもらうんだ。
あたしは、この子を“ちゃんと美味しくする”ことで応える。」
ーー
乾燥じゃがいもは水に戻し、
ジクが焚き火に火をつけたその横で、
平たい鍋に油を薄く敷いて温めていく。
ブルダは骨から身を丁寧に削ぎ、
細く切ったじゃがいもと一緒に鍋に投入。
ジュウウ……ッ
うさぎ肉が熱に跳ね、
油に乗った香りが草原に広がる。
トレムがその音に反応し、
蔦を控えめにうごめかせる。
「焦がさない。油を入れすぎない。
香りを活かすには、火の言葉を聞くこと。」
ブルダはぼそっと呟くように言い、
じゃがいもと肉を別々に火にかけていた鍋を一つに合わせる。
さらに、草原で摘んだ香草を手早く刻み、
塩気のないスープストックとともに煮込んでいく。
コトコトと音を立てる鍋の中で、
野うさぎとじゃがいもが、
だんだんと“ひとつの料理”へと変わっていく。
「いい匂い、きてるでしょ?」
ブルダが得意気に笑いながら、
蓋をしてから火力を調整する。
カトラがじっとその鍋を見つめ、
言った。
「化学反応進行中。香り分子の拡散率、上昇中。
…感情値、上昇……好きです。」
鍋の中で、
うさぎの肉はほろほろと崩れ、
じゃがいもはとろける一歩手前で形を保っていた。
“命をいただく”という言葉が、
煙の香りとともに、静かにそこに立ち上っていた。
そして、完成はもうすぐだった。
「それでは――いただこう。」
ストレンジのその言葉を皮切りに、
誰からともなく手を合わせたり、そっと頷いたりして、
各々がスプーンや木の皿に手を伸ばした。
最初に口にしたのは、ブルダだった。
「んー……いいね。これは正に“自由の味”ってやつだよ!」
彼女は満足そうに笑い、
ごく自然に、仲間たちの皿に具材をよそって回った。
カトラは皆の食事風景を見ている。
「咀嚼回数、標準値以内。温度分布、均一。
感情フィードバック――良好。好きです。」
トレムは皿をじっと見つめ、
蔦の一部を液体部分に浸し、
味覚という概念を懸命に学習していた。
そして、私――ストレンジも、
ひと匙、静かに口に運んだ。
口の中に広がる香ばしさ、
うさぎの肉は柔らかく、
乾燥じゃがいもが驚くほど滑らかに煮込まれていた。
「……ふむ。」
私はゆっくりと口を動かしながら、言葉を選ぶ。
「奇妙だな。
死と隣り合わせの旅路で、
こうも“あたたかな味”に出会うとは。」
「味覚というのは、案外残酷なものだ。
安らぎを感じた瞬間に、
“それがいつまで続くか”を本能が疑い始める。」
私はスプーンをもう一口、すくった。
「……だが、それでも――これは美味だ。
“理性を黙らせる味”というやつだ。」
ジクが、その言葉に口元を緩めた。
「あんた、いつも詩人みてぇに喋るな。」
「けど、わかるぜ。
……俺も、この味には“黙らせられた側”だ。」
みんなが笑った。
食器が鳴る音が、
静かに草原の空に溶けていった。
食べ終わる頃、
私はまだ半分ほど残った皿を見つめながら、
ふと口を開いた。
「……話がある。」
一瞬、空気が静かになった。
「ここで私が目覚めたのは、数日前のことだ。
この草原で――ただひとり、身ひとつで。
魔術が使えなくなっていた。」
ブルダが眉をひそめた。
ジクは黙ってスプーンを置いた。
「なぜなら私は――この世界の人間ではない。」
風がひとつ、吹いた。
乾いた草が揺れる。
「別の世界で、私は“魔術師”だった。
この世界の理とはまるで異なる法則に従い、
時に世界の崩壊を止め、時に神のような存在と対峙した。」
「そして今、私はここにいる。理由も、方法も、まだ不明だ。」
沈黙が落ちた。
だがそれは、疑念からくるものではなかった。
ジクが、帽子のつばを上げて言った。
「……ま、そんなことだろうと思ってたさ。」
「は?ジク、知ってたの?」
「知ってたっつーか、“浮いてた”だろ?あんたの言葉も態度も。
この国で育ったヤツのもんじゃねぇって、わかるよ。」
「でもな、ストレンジ。」
「お前がどこの世界のもんだろうが――俺は構わねぇ。
それで腹が膨れるわけでも、助けてくれた事実が消えるわけでもねぇ。」
ブルダも頷いた。
「うん。正直、“魔術師”って響きはイカしてるしね!」
「大丈夫。あたしたちは、あんたの“今”を見て判断するよ。」
「……でさ?」
ブルダが肉の最後の一切れを頬張りながら、
興味津々な目でこちらを見た。
「“別の世界”の料理って、どんなのがあるの?
その……あんたの世界で、よく食べてたもんとかさ!」
私はその問いに一瞬考え込み、
そして、軽く肩をすくめて応じた。
「そうだな……“うちの世界”で最も見かける料理といえば――」
「揚げ物。脂。糖分。
とにかく、胃袋に爆弾を投下するような構成が多いな。」
ブルダ:「……え、それってウマいやつじゃん?」
ジク:「おい、嫌な予感するぞそれ……」
「例えば、“ダブルチーズベーコンバーガー”。」
「特大の牛肉、焼き過ぎたベーコン、
濃厚すぎるチーズ、そして……
“これはもはや枕では?”という疑念すら生むバンズの主張。」
「一口噛めば、心は飛ぶ。
だが、胃は悲鳴を上げる。
“味覚は勝ったが内臓は負けた”――そんな料理だ。」
「栄養バランス、危険域。
しかし中毒性有り。…理解しました。好きです。」
トレムはじっとストレンジを見ていたが、
どうやら想像が追いついていないらしく、
蔦で“丸い何か”を形作っていた。
ブルダはというと、
口元をニヤニヤと緩めながら言った。
「それ……食べてみたいなぁ。」
「あたし、肉と脂とパンには目がないんだよねぇ~!」
ジクが半ば呆れたように笑う。
「おいおい、ここは先生にとっちゃ異世界なんだぜ?
そんな“病気直行便”みたいな食いもん、あるかよ。」
私は、ほんの少し笑った。
「安心しろ。
もしこの先、君たちと“厨房”を手に入れる日が来たら――
私の記憶をもとに“本物”を再現してやる。」
「マジ!?やった!
“別世界のバーガー”とやら。それが旅の目標だね!」
そして、ほんの少しだけ。
私の中にあった“かつての世界”の記憶が、
少しだけ柔らかくなった気がした。
食の話は、人を繋げる。
世界が違っても――同じ味に、笑うことはできる。
さて、話が進んできました!
みなさん!読んでくれてありがとう!