作家の天野はるか/春河童先生に憧れる広瀬が、「落ち」が思いつかないと悩んだり、春河童先生の真似をしてうなぎの寝床に挑戦したりして、やっぱりうまくいかないお話
野上武志先生『はるかリセット』(秋田書店チャンピオンRED/チャンピオンクロス)から
エッセイ風二次創作
物語に「落ち」がないと、どうにも落ち着かない。
下手な冗談を言いたいわけではなく、わたしはとても真剣だ。真剣に、落ち着かないのだ。単に始末が悪いと言ってもいい。
書きたい場面、何か、誰か、いずれかが心に決まったとする。全体はまだ見えないけれど、先人たちの鉄の教えに従って、とにかく書けるところまで書いてみる。出来上がったものを眺める。落ちは?落ちはどこにいった?
作家気取りの素人め。罵倒が頭の中で鳴り響く。原稿には書けた部分だけが醜く、解体待ちの肉の塊のように、宙にぶら下がっている。ドキュメントのフォルダ内にはそうした書きかけの死骸が大量に吊り下がり、腐臭の漂う屠殺場と化していた。
犬も食わぬとはよく言ったもので、まったくどこに出しても恥ずかしいものばかり。立派な料理になる見込みも、まるでない。
以前、同じようにぐだぐだと言い訳を垂れ流して書けないわたしを見かねた観音さんに「序破急で考えたまえ」と教えられた時には天啓を受けたような衝撃が走った。やっぱりすごいと改めて思った。
つまりはこうだ。起承転結や幕について考えるよりも先に、決定的でどうしても書きたい場面を書く。それさえ書いてしまえば、その重大な場面が最も威力を発揮して成立するために必要な要素は自ずと定まるのであるから、あれこれ悩む必要もない。そのような寸法だった。
なるほどと納得したし、意識するようになってからは書き始めるまでの暖気、無駄な時間はかなり減った。ただ、序破急の魔法はわたしの中で長続きしなかった。
理由は単純だ。この手法は、作曲家が思いついた一フレーズから曲全体を書き上げる。学者が決定的な一文のために問いを立て、本や論文を書き上げる。このようなアプローチと同等であり、それは天才と呼ばれるべき人々のやり方なのだ。
残念なことに、わたしはかつて自分が思っていたほど天才に近くはなかった。近いどころか、ほど遠い。なまじ本物の天才たちに接したことがあるせいで、余計に遠さが身に沁みる。
恐らく天才の手にかかれば、落ちをどうつけるかという悩み自体が発生しえないのだろう。書くべき場面によって作品の結末、落ちも決まるのだから。
彼ら彼女らは直観的に命題と答えに到達し、理論は後から振るう。磨き抜かれた命題と答えは、力強い鼓動を作品の全身に伝え、根を張り、青々と枝葉を伸ばす。とても真似できない。
なんとなれば、観音さんに怒られること必至であるのだけれど、序破急のどこが重要であるのかも、わたしの頭からはすっかり抜け落ちてしまっていた。意味合いから察するに「急だけでも決まれば」という話だったと思うのだけれど、破だったかもしれず、自信がない。
わたしは天才どころか、恩人から与えられた処方薬の中身さえ忘れる鳥頭であり、落ちが考えつかないのも無理はない。天才の所業を羨むのも毒というものだ。落ちに対する執着こそ捨てるべきなのかもしれないが、凡人であるがゆえに、それもなかなか難しい。
始末の悪さといえば、作家の宇野浩二のエピソードを思い出す。彼は極度の口下手で、にも関わらず、会話にいちいち落ちを付けようとするので、一度口を開くと話が終わらなかったそうだ。
何かについて意見を表明すると、続けてそれに対する釈明を述べ、更にそれに続く釈明をといった風に、入れ子構造の出来の悪い論文のような一方的な会話の壁打ちが続く。しかも、彼自身がこの会話を最も憎悪している人物であるのだから、救いがない。
本人も、作品の緻密さにも通底するこの強迫めいた悪癖を自覚していたために、文学界随一の社交嫌いで、呼び鈴には絶対に自分では出ないほど徹底していたそうだが、坂口安吾による彼の描写を読んだ時には、他人事とは思えず胆が冷えた。彼と違ってわたしは喋りだけではなくチャットや作品にまでこの悪癖を展開しており、よりタチが悪いのだから。
―――
貧すれば鈍するとはよく言われることだけれども、これは金銭の問題に限らない。
時間も全く同じだ。砂が流れ落ち、アラームが鳴り響き、残された時間がわずかになるにつれて、あるいは期限を超えると、創作物の持つポテンシャルは加速度的に収縮し、失われる。
もちろん、時間という物理的で精神的な脅威によって圧縮され、純度の高まったアイデアが爆発を引き起こし、閉ざされていた道に光明がもたらされることは多々ある。が、基本的には光が射さないことの方が多く、また文量という問題はどうしても処理しきれない。ままならないものだ。
納得できる落ちが思いつかず、さりとて、これといった打開策の当てもないので、気分転換に出かけることにした。
幸い、期日までにはあと数日ある。
数日あるというのは、期限の当日や数時間前にようやく動き出すわたしにとってはかなりの猶予だった。前日や前々日になると、外出なんてものは選択肢に全くカウントされなくなるので、大分心に余裕があったのだろう。
しかし「気分転換に出かける」とは。なんて耳障りの悪い、慣れない、親しみの感じない語句なのだろうか。わたしは生粋の出不精であり、外出して気が晴れて創作意欲がぐんぐんと湧くような健全な人種ではないゆえに、そう、これは真似だ。
はるか先生の猿真似だった。猿真似という言葉は突き放すような響きと、ありありとした侮蔑感が内包されていて、辛いものがあるけれど、事実そうなのだから仕方ない。
ただ真似をすることがどれほどバカらしいなんて、自分でもよくわかっている。
他人の行動の上っ面をなぞっても、その人の考えなんてわかりはしない。
わたしがそうであるように、誰だってよそゆきの仮面を幾重にも被っているのだから、観測可能な行動と反応であっても本心とは限らず、信用ならないものだ。
しかし、それでもなお、子どもをあやす際に目線を下げると見慣れた景色が別世界に変わるように、体感してみなくてはわからない領域も存在する。物理的な動作による刺激はなかなかどうして、侮ることができない。
それに憧れというものは頭の奥底から湧いて出てくるもので、能動的に取捨選択できる類の感情ではない。はるか先生に憧れて、観音さんに憧れて、真似してみたいと思う気持ちを容易に廃棄することはできない。ものを捨てることが大の苦手なのだから尚更だった。
だから、はるか先生の真似は、何らかの利益を欲するためではなく、単にしたいからするのだ。それで何かひらめきの一つでもあれば僥倖だろう。
ただペシミストのわたしは、天啓のようにアイデアが降りることも期待してなかった。
そもそも今のわたしに必要であるのはアイデアそのものではなく、浮かんできたアイデアをいかに具体化し、物質的に受肉させるか、その回路の鍛錬だ。
天才でなくとも思い付きやアイデアは、放っておいても湧いてくる。外に出歩かなくとも、何か適当な本を開くだけで、一ページをめくるだけで、実に様々な考えが浮かんでは消える。
困難は、その具体化にある。
自力で書こうとし始めてようやく、プラトンの言っていたイデア論がおぼろげにわかるようになってきた。当時の知識人がそうであったように、彼もまた哲学者である前に詩人であり作家であった。であるがゆえに、イデアという概念に至ったのではないだろうか。
アイデアを頭の中で弄んでいる段階では、それがとてつもなく面白く、革新的で、全ての人を驚かせるものに思える。まさに理想の世界が見える。
創作とは、完成された素晴らしい作品の溢れるこの理想郷から、自分というフィルターを通して何かをこしらえる行為だ。少なくとも、わたしにとっては。だから作品を傑作にするのも、台無しにするのも、いつだって自分自身なのである。わたしというフィルターは、特に不良品だった。
―――
作品とは関係のない思考をこねくり回しながら目的地、以前から目をつけていた、いわゆるうなぎの寝床タイプの小料理店へと向かう。豚の珍味を出す老舗だ。
うなぎの寝床とは、その名の通り、全体的に手狭で奥行の長い店舗の形態を指す。その間取りから自然とカウンターのみの配置となり店主との距離が近く、席数は少なく、大人数で訪問することはできない。
はるか先生が見知らぬうなぎの寝床に単身挑戦した体験談を聞いてから、ぜひわたしも挑戦してみたいと前々から思っていたのだ。
横浜駅の近くに狸小路と呼ばれる、古風な飲み屋街がある。飲み屋「街」といっても小さな飲み屋が20mほどにすし詰めになって軒を連ねているだけの規模で、文字通りの小路であり、敷地は一ブロックにも満たない。
いつまでも工事の終わらない横浜駅の周囲には次々と新しいショッピングモール、デパート、マンションが建設され、せわしなく開発が続けられているけれども、狸小路は唯一、昭和というよりは戦後、焼け跡に建てられたバラック群のような雑然とした雰囲気を保っている。
開発の手は目前まで迫っており、昨年にはとうとう同じ区画の一部が取り壊され、狸小路の背面があらわになった。見られることを想定していなかったのだろう、その煤けた壁面からは飲み屋の気配がまるで感じられず、いずれ壊されてしまう定めが、ただただ哀愁をもたらすのみ。
昔ながらのやり方が連綿脈々と受け継がれているというよりかは、敢えて古風なスタイルを自覚的に、また頑迷に踏襲している、踏襲せざるをえない家長のように思えるのが、昭和ではなく戦後のように感じるゆえんだろうか。
お店の前に辿り着いたわたしは、下調べが済んでいてもなお入店を躊躇っていた。
アウェーとして勝手の知らないお店に乗り込む緊張感はもとより、店主との距離によってもたらされるであろう会話が、二の足を踏ませていた。
飲食に限らず、美容室や百貨店などのサービス業の人々との会話は、とてもとても苦手だ。人気のいない荒野に立ち向かうことよりも困難を感じるくらい。
まず質問されるのが嫌なのだ。
「今日はお休みなんですか?」とか、「この後どこか寄られるんですか?」とか。
仮にわたしが、嘘偽りざるわたしの姿をひけらかしたらどうなる?社会の不適合者であり、落伍者であり、またそれでいて何者かであるわけでもない、その姿を。
誰もが、そしてわたし自身でさえも閉口する。いたたまれなくなる。消えてしまいたくなる。その後の会話は、一言一句に至るまで耐えざる苦痛をもたらすだろう。
だから、そのような質問をされると、わたしは仮の姿をこしらえるしかない。幸か不幸か、あの全世界を席捲した感染症のおかげで、シフト制だと在宅勤務だの半休だのと言い訳のレパートリーはたくさん増えたけれども、それでも仮は仮だ。
カウンター席に座ることは必定、店主とのこうした会話の発生が避けられないため、自分自身を偽ることとほぼ同義であり、これが嫌で仕方なかった。もちろん、わたしが胸張れる“社会人”ではないことに多大な責任を帰せるべきではある。
だとしてもその類の質問をする人間に罪はないかというと、そうとも思えない。相手の社会的属性を特定しようとする無邪気な質問がいかに破滅的な結果をもたらしかねないか、想像が足りていないからだ。
ただ想像力が足りていないことのみをもって非難するつもりではなく、わたしが憎むのは、自らのそれとは全く異なる生活を営む人のある可能性を、そしてその生活が社会との摩擦によって無限の苦しみを生んでいるのかもしれない可能性を顧慮しない無神経さだ。
別に店主だって客に興味があるわけでもなく、挨拶代わりとして、また世の中には聞いて欲しがっている人がたくさんいるから聞くだけなのだろう。
しかしそうだとしても、飲み屋でひとり、自らの社会的地位を開陳したがる人々について考えるだけでも、なおさら鬱々とした気持ちになる。自らの立場を確認し続けなくてはならない卑屈さ、その卑屈さを生む社会の歪さ。
なんだって酒と肴を楽しむ席に、愛しているわけでもない日常のあれやこれやを巻き込む必要があるのだろうか。その感性について想像もできるし、理解もできるけれど。ただ、わたしは同じ気持ちには到底なれなかった。
その挨拶が転じて、顔を覚えられてしまうことも、大の苦手だった。偽った自分の情報を再構築して演じ続ける必要が生じるし、質問の内容もより生活の中身に立ち入るようになり、その回答を考えるのが殊更に面倒になるためだ。
「いいお店だったのにな」と全く訪問しなくなるとまで極端にはいかないけれど、できる限り忘れてもらえるようにと、どうしても足は遠のく。ただ飲食店の人々は驚くほどに、よく客について記憶しているので、対処しようもなかった。
わたしは極端に外出を避ける癖があるから、数カ月に一度の訪問でさえ、外出した日数との割合に換算すると「頻度が高い」という判定になる。でも、お店の人はそう思えないだろう。だから気付かれた時には「なかなか来れなくてすみません」とか言い訳を重ねる。
飲食業はたいへん厳しい業界だ。本心からお店を続けて欲しいのであれば、足繁く通うべきで、たまに来る客は常連の努力の成果にフリーライドしているとさえ言える。でも、そういった客が考慮すべきでもない煩雑なことまで想像して、あれこれ考える自分自身も愉快ではなく、総じてこのやり取りも、好きではない。
―――
と、遅疑逡巡を重ねに重ねて、実際に発生するかもわからない会話にやきもきしてから、ようやくお店に入る決心がついた。
勇気が生まれたのではなく、ここですごすご帰って、また行こうか行くまいかを悩むことの面倒さを計算し、この場で入ってしまった方が楽そうだと判断した、それだけだった。わたしはどこまでいっても怠惰なのだ。
見た目より重めの、年季の入った木製の扉をくぐる。
「ごめんください、ひとりなんですけど、入れますか?」
戦後感の漂う外観に反して驚くほど清潔な店内は、うなぎが寝るにも苦労しそうな狭さで、カウンターが8席ほど。開店間もないにも関わらず、4人の先客がいた。ひとり客が2組、ふたり客が1組。
「いらっしゃい。空いている好きなところにどうぞ」
店主らしきお兄さんが愛想よく答える。元気が良すぎず、しかし寡黙過ぎない、からっとした人に見えた。
「じゃあ、奥にお邪魔します」
カウンターの最も奥まった席へと進む。わたしは食べ物も椅子も端っこが大好きなタチで、自室も意図的に動けるスペースを抑えているほど「狭さ」に入れ込んでいる。案外、前世はうなぎやザリガニなどの巣穴に住む生き物だったのかもしれない。案外というわけでもないか。
腰を落ち着けて、周りを確認する。カウンターは細かな傷がたくさん付いていて、年月を感じさせるものだけれどでも、きれいにニスが塗られていて、木目の手触りがとても良い。
狸小路の中で最古参であり、横浜においても老舗の割には、壁に有名人のサインなどがべたべたと貼られておらず、それが清潔感に一役買っているようだ。
カウンター内の調理器具は最低限で、水場と小さなまな板、2口コンロのみ。そして大きなガラスのショーケース。うなぎの寝床はお店側も客側も省スペースだ。
「お姉ちゃん、はじめて?」
お兄さんが尋ねる。無理に親しげというわけでもなく、突き放したぶっきらぼうな感じもない。わたしのような身構えた面倒な人間にして、とても安心できる声音だった。
「はい、そうなんです」
「じゃあタレつくっちゃおうね。この小皿にからしを入れて、そう。もっといっぱい入れちゃって。そんでもってお酢を注いで、あとはお箸で混ぜるだけ。豚は味が付いているから、しょうゆとラー油はお好みで」
てきぱきと指示されるままに手を動かすと、黄色のタレができあがった。下調べの時点で知ってはいたけど、なるほど、あまり見たことがないものだ。からしもお酢も特別好きなわけではないけれども、なかなかどうして、タレだけでも食欲がそそられる。
「飲み物はどうする?」
「ええっと、やかんで!しっぽと耳と、あとラッパください」
「やかんとラッパ、はいよ」
やかん。このお店の看板である焼酎のこと。その名の通り、注ぎ口の長いステンレス製のやかんに入っていて、平皿の上に置いたコップに、チャイのような要領で空気を含ませて勢いよく注がれる。
ラッパ。白菜のお漬物。正式名は、辣白菜ラッパーサイでラッパと略される。
このお店のメイン、豚の各部位を煮込んだ珍味からは、特に評判の高いしっぽと、食感のよさそうな耳をチョイス。
わたしは初めてのお店になかなか入ろうとしないくせに、あるいはだからこそというべきか、よくよく調査してから訪れる。常連の使う、お店特有の専門用語は、店の雰囲気を示唆するために、第一に確認すべきものだった。
単に通ぶりたいだけなのかもしれない。わたしも人の子なのだ。
ああ、それにしても。あのコップ酒にありつけようとは。
わたしの敬愛する文豪たちの作品には、たびたびコップ酒というものが言及される。容器がコップというだけの代物で、何も特別なことはないのだけれど、升に配した日本酒の盛りきりを除けば、現代では意外とお目にかかる機会が少ない。
当時はその中身もカストリ酒と呼ばれる粗悪な密造焼酎であり、時にはメチルアルコールさえ流通していたらしく、人々は鼻をつまんで耐えるように飲み下していたとか。
その描写を読むたびに、試してみたくて仕方がなかったのだ。
もちろん、当時の吝嗇甚だしい状況下とはわけが違うし、カストリなど手に入りようもない。それしか飲むものがないという状況の絶望感は想像を絶する。が、それはそれとして、きちんとしたグラスではなく、あえてコップに注ぐ。その時代錯誤的な風情には密かな憧れがあったのだ。
透明の液体が並々と注がれたコップに口をつける。最初はかつての真似をして、息を止めて飲み下す。
あれ?全然アルコールくさくない。
焼酎に限らず、蒸留酒のストレートは甘さが足りないので得意ではないのだけれど、これは美味しい。口に含んだ感じは水のようであり、雑味がなく、しかし喉を焼く熱さはしっかりと感じる。やかんの効果なのだろうか。空気を含ませた効果なのだろうか。
もうひとくち。うん、美味しい。「水のよう」に美味しい焼酎は初めての体験だった。これはいい。特に早く酔うことを目的にするならば、こんなにいいお酒はないだろう。味変のために梅のシロップも出してもらえるけれど、このままで十分だった。
わたしがやかんに感動しているうちに、お兄さんは手際よく耳としっぽを切り分ける。
どちらも、しょうゆの色に染まってつやつやとまぶしい。
耳はさっくりと歯ざわりがよく、もちもちとしていて、お酒が進む。しっぽは骨が入ったままの豪快なもので、よく煮込まれているお陰で噛み切れるかどうかぎりぎりの塩梅。しつこすぎない味の濃さ。
からしのタレを付ければ、味に緩急も生まれる。美味しい。
時折ラッパ、白菜のお漬物を挟めば、清涼感も蘇る。それらをやかんで流し込めば、最高だ。品数は少ないながらも、よく練られたメニューなのだ。
あれだけ警戒していた割には、店長のお兄さんは料理の提供以外に自分からはほとんど話かけようとしなかった。かといって注文を躊躇うような「話しかけるな」オーラを発しているわけでもなく、他のお客さんと時折雑談をしている。
わたし基準でいえば、とても居心地の良いお店だった。
―――
話しかけられる心配もないと、ひとり飲みは自然と思考の渦に流される。
豚の珍味たちを前に、わたしはまた家に残してきた書きかけの一編について思い返していた。
物語の始末をつけるのは大変だ。そして、それ以上に大変なのは始末をつけないで物語を終わらせることだ。
白状すれば、わたしは日常ものと呼ばれるジャンルがあまり好きではなかった。例外は文豪たちのエッセイくらい。彼らの日常は現代のわたしにとってはまごうことなき異世界であり、非日常だから。
それらを除けば、わたしたちは日々自身の人生を生きているのに、どうして他人の日常まで見なくてはいけないの?そう思っていた。
わたしはそういった日常の切り取りを主題にした作品の、変にうがって、お高く止まった、鼻につく装いが苦手だった。今思えば、あの芸術映画、大衆向けでないことのみを頼りにして、面白さに向き合わず、退屈の自家中毒に陥っている作品群。あれと混同していたのだ。
たぶん、軽蔑さえしていた。とても、浅はかだった。
日常ほど面倒で複雑で手ごわく、観察と調査と接近が必要な題材は存在しない。
殺人鬼も幽霊も悪魔も超常現象も抜きに物語を成立させることの、なんと難しいことか。劇的な場面転換や感情の揺さぶりに頼らずにキャラクターの機微を描きだすことのなんと難しいことか。
作品内で起こる物事の落差、主人公の贖罪や転落、世界が良くなったか悪くなったか、それは大きければ大きいほど書きやすい。しかし、些細な出来事、ボタンを掛け違えただけ、いつもの電車に一本遅れただけ、それだけでも世界は一変する。させられる。思い知らされた。
日常ものと芸術映画を取り違えていたように、わたしの視野は狭く、偏っていて、日常を描くためには、あまりにも不真面目すぎる。
斜に構えて、うがった物の見方をしていたのは、他ならぬわたし自身だった。カウンターに限らず、人生を自分のものとしてちゃんと生き抜こうとしていない。それだけがはっきりした。
そういった嫌悪感だけで日常を遠ざけようとする精神性は、あの大衆向きから逃れようとする選民思想めいた精神性と根を同じくしているわけで、わたしが嫌悪し、嫌悪すべきものであり、自らの裡に明確な吐き気を覚えている。
わたしは書いているものに限らず、生活に、そして人生そのものに落ちを求めている節がある。どこかで大変な目に遭ったり大きな転換を迎えて、何か劇的な終わり方を期待している。努力ではなく、バクチによって人生が逆転できると思い込む、甘えがあった。
しかし落ちは付くものであって、後から付けられるものではないようだ。
真剣に生きていないわたしにとって、日常はあまりに持て余す題材だ。だから日常から物語を起こすことにとてつもない困難を感じるのは当然のことなのだろう。落ちのもたらす酩酊感と劇薬なくして、日常を呑み込むことができないのだ。
―――
結局、何も良い案は思いつかなかった。わたしの出不精は宿命付けられているようで、憧れの人たちをいくら真似しても天啓が電撃的に降りるわけがない。わかりきっていることだった。
ひらめきのスイッチは人それぞれ、全く別の仕様で実装されている。酒を浴びるように飲んで頭の中の回路が突然つながる人がいれば、歴史的遺物を前にして霊的なチャネルがイデアの扉を開く人だっている。
いずれにしても、スイッチのオンオフ、ひらめきとの出会いは普段から積み重ねられた調査と探求の土台なくして受肉することはなく、彼女たちの行動を真似したところで、わたしの身に何も起きないのは極めて自然なことなのだ。
そして最も実践的な場である日常に向き合うことさえ拒否しているのだから、なおさらだった。
加えて、もう一つ気付いたことがある。
わたしはあるがままにあろうとしなかったから、目の前の機会をフイにしてきたのだ。
カウンター越しに尋ねられても、わたしはわたしを偽るつもりでいた。その時点で、わたしの知覚と感性は硬直し、透明に脱色され、わたしに降りかかった出来事として認識することができなくなっていたのだ。
これは一種の防衛反応としては成功を収めている。自らを石像に変えることで、相手に呑み込まれて消化されまいとしている。わたしは傷付かない。わたしは傷付けられない。
けれど、それでは痛みだけでなく、楽しさや喜びさえ、感じることができなくなってしまう。感情に対する不感症は、出来事からあらゆる価値を切り離す。
いやしくも作家を目指しているならば、身を切る痛みにさえ親しみを覚えるべきなのだろう。
はるか先生と観音さんの前に立つことがとても楽しみであると同時にとても億劫であるのは、同じ理由だ。彼女たちはわたしの即席の仮面を用意に引き剥がしてしまうため、嫌でも裸のままで向き合わざるを得ない。しかし、得るものもそれだけ大きい。
冒険のためにわざわざうなぎの寝床に挑戦しているのに、仮面を付けて入って、必死に呑み込まれまいとあがくのは滑稽だ。何も思いつかなくて当然なのだ。
しかし、ここまで自覚できたとしても他人の前で裸になることは、どうしても憚られる。単にわたしを守りたいだけではなく、わたしのあるがままを暴露してしまえば、相手だって気まずくなることに変わりはないのだから。
だから、そうだ。わたしは違うわたしを、わたし以上のリアリティをもって作り上げ、なりきることにしよう。例えば、既に作家になったフリをしてみるのはどうだろうか。
とんだ道化、とんだ茶番だけれども、本当に作家になった暁に種明かしをするのだ。それもまた一興ではないだろうか。いいや、これも落ち探しの一環に過ぎないのかもしれない。
本当に、ままならない。
つまりはこういうことだ。
落ちが思いつかなかったので、落ちが思いつかなかったことを落ちになるように書いてみたのだ。これは疎むべき作為だろうか、それとも意匠を凝らした作意だろうか。
いずれにせよ、偉大な「落ち」なしの始末には、ほど遠い。
(偽物の不始末 終)