朝食を終えた二人は空中庭園にある芸術協会主催の美術展へ足を運んでいた。
「チケットを残してくれているとは思いませんでした」
「なんとなく、
「ふふっ、
朗らかに笑う
「芸術知識は疎いんだ」
手を握り先導されながら○○は壁に掛かった黄金時代の絵を見る。
「抽象絵画です。描く対象が現実離れした様態で抽象的に描かれているのが特徴です。抽象画、とも呼ばれますね」
「なるほど……隣の頭を抱えてる棒人間も?」
「ええ、そうです」
顔を背けるセレーナ。
肩が震えていて笑っているのが丸わかりである。
どうやら○○が棒人間と表現したのが、相当お気に召したらしい。
「おそらくは太陽と月が彼の絶望と希望を表しているのでしょう」
ひとしきり笑った後、セレーナはそう言う。
「太陽と月……」
中央に居る棒人間っぽいのが男性だとして、太陽と月は何処にあるのだろうか?
セレーナが指差したのは左上にある暖色系が塗りたくられたエリアと右下の寒色系で塗られたエリアである。
どう見ても太陽と月には見えない。
憮然とした表情の○○にセレーナは笑みを浮かべた。
「○○。抽象絵画の解釈に正解はありません。あなたが見て感じたものは全て間違いではありませんよ。
抽象画の展示コーナーを抜けると、次の展示コーナーが見えてきた。
かつての地上の景色を描いたものだったり、空中庭園の街並みを描画している絵画が沢山並んでいる。
「これは流石に知ってるよ。風景画だね」
「はい、その通りです。今○○が見ているものは風景画。自然の景観を描いたものです。ですが主題によって呼び方が代わりもしますよ。海を主題としているものは海景画。都市を主題としたものは街景画と呼ばれます」
アイリス先生の講義を受けながらコーナーを抜けるとーー
グランドピアノが置かれていた。
明らかに年代物の、黄金時代の遺産とも言えるピアノの横には看板があり、ご自由にお使いくださいと書いてあった。
「コンダクター。一曲いかがですか?」
「ああーーいや、演奏は任せてくれ」
目を丸くするセレーナにしてやったりの心地で笑みを浮かべる。
この瞬間の為だけに芸術教会で一時期ピアノを練習していた事がある。
演奏自体の出来は散々だったが。
期待の眼差しを向けるセレーナを隣に椅子へ座ると用意されていた楽譜を開く。
演奏曲は『カノン』セレーナが最初に演奏してくれた曲だ。
深呼吸してー弾く。
…………。
空気が完全に死んでいた。音に釣られてやってきたギャラリー達も何処か憐れむような眼差しで○○を見ている。
苦笑いする○○だが、セレーナは何かを考えているようだった。
「一応楽譜通りには弾いてる筈なんだけどね」
「……なるほど。コンダクター」
セレーナは納得したように頷くと、
「もう一度演奏してくれませんか?今度は私が手を叩きますので、私の叩く音に合わせて弾いてみて下さい」
「わかった」
再度深呼吸して、楽譜とセレーナが叩く音に集中する。
一定間隔で鳴る音と合わせて弾くだけで、不協和音になっていた音色がびっくりするくらい改善した。
演奏が終わり、ギャラリー達の拍手喝采を浴びながらその場を後にする。
「元々弾く事は完璧でしたが、どうやら音程が上手く取れていなかったようです。次に演奏される際はメトロノームを使うと良いですよ」
「メトロノーム?」
「演奏する際に一定の拍子を示してくれる装置です……いえ、やはり要りません。私が教えますから」
セレーナが嬉しそうに離れていた手を繋ぐとホログラムで構成された花園を歩き出す。
自然と○○は自身の足取りが軽い事に気づいた。
これが特別な人と居る時間なのだろうか?
何をしてもしなくても気分が弾み、頬が緩んでいる。
ーーああ。きっとこれがーー
黄金時代。パニシングが無い時代には当たり前であった平和なのだろう。
「セレーナ」
「はいーー」
振り返るセレーナに吸い寄せられるように、二人の影が交わった。
信じられないと見開く綺麗な瞳。風で揺れる綺麗な黒髪を撫でながら離れる。
「愛してる」
もう迷いはなかった。
例えこの選択が茨の道だとしても○○はセレーナと共にある。
感極まったまま抱きついたセレーナを撫でながら、○○は幸せを掴んでいた。
だから気づかなかった。
花園から走り去る一人の少女の姿に。