一時間もすれば日付もかわる深夜、セレーナは部屋に戻ってきた。
「……」
言葉にならない。今の気持ちをどう言葉に落とし込むべきか。
持て余した感情に導かれるままにセレーナは部屋中を歩き回っている。
「まさか本当に、こんな時がくるなんて」
セレーナは突然自身のベッドに倒れ込み、枕に頭を埋めた。
片想いだと思っていた。
私の全てを攫い、虜にして、溺れさせた彼は、いつか自由に私の元から羽ばたいてしまうと、覚悟していた。
それなのにまさか、両想いになるとは思いもしなかった。
「ふふふ……」
仰向けになったセレーナは唇を指で擦っていた。
高鳴る鼓動は一向に収まる気配もなく、舞い上がる想いは先程別れたばかりの〇〇を求めていた。
「理由をつけて部屋に行きましょうか……」
なんて愚かな事を口にする自分に苦笑した。
散々自らの気持ちを欺いて見栄をはり、理由をつけて〇〇と会おうとしなかった人間のセレーナは運命に見放された。
格好をつけた理由のみを手紙に書き、『貴方に会いたい』という本心を一切書かずにいた為、破滅の川底へと堕ちた構造体のセレーナ。
見栄と虚勢による失敗は今でも自分を猛省させている。
ーーいるが、やはり中々性格というものは変わらないようだ。
見栄をはる必要はない。本心を隠す必要もない。
今や二人は
「とはいえ、流石に夜中に行くのは……」
言うまでもなく些か意味が違う気がする。
なんていうか……そう、恋人が行き着く先まで行った果ての関係のような。
再び火照り始めた頬を抑えながら、昂る気持ちを発散すべく、ベッドから立ち上がった。
机に向かい、万年筆を手に取ると、慣れた手付きで引き出しから便箋を取り出した。
親愛なる○○
……続く言葉が思いつかない。
延々と硬直が続き、遂には一度万年筆をキャップに納めた
書く文章を考える時間も好きだが、今回はどうも違った。
文章よりも先に○○の事が頭に浮かぶのだ。
撫でられたり抱きしめられたり、キスされたり、告白されたり。
ーー正直、今日の出来事を振り返るだけで自身のキャパシティを遥かに超える愛情表現に語彙力がやられてしまっているようだった。
「セレーナって、ロマンチストな上に恋愛脳だよね」
突如、幼き頃のアイラが言った何気ない一言が自身を襲った。
あの時は確か……そう。文通の話をしていて、段々と趣旨がズレた恋愛話に派生し始めた末の一言だったような……
恋愛脳と言われた事に自分は酷くご立腹だったが、今にして思えば、もう文通をしていた頃から○○と出会う事について考えていた。
「ごめんなさいアイラ。貴女は正しかった。ーー私は、恋愛脳だったよ。セレーナ」
過去の自分自身に贈る言葉には一抹の羞恥と溢れんばかりの誇らしさがあった。
過去にどれだけの嵐が訪れたとしても、私は今、確かに幸せを手にしているのだから。
「ーー!」
平和な空間に似つかわしくない、戦場で幾度も味わった感覚。
これはそうーー敵意だ。
意識がクリアになった。素早く窓際に隠れ、横目で外を伺う。
玄関へと歩く黒髪の少女の姿が目に入った。
雨の中を歩く少女は俯いていて、顔は見えない。
しかし、隠しきれない程の敵意ーーいや、殺意にさえ達している鋭い気配がセレーナを困惑させた。
少女は明らかに構造体だ。しかも帯刀している。
(暗殺……?いえ、それにしては気配の消し方が杜撰過ぎますね……所属が判ればまだ考察の余地があるのですが……)
玄関に到着したであろう少女は、特に一悶着起こす事もなく、ドアベルを鳴らした。呆気を取られるがら一応警戒は緩めず、玄関の扉を開ける。
「こんばんは、可愛らしいお客人。私に何か御用ですか?」
「……」
顔を上げた少女は暗く、無表情だった。
「私は……指揮官を守って、側に居るだけで良いと……思ってたんです。そこに特別な意味なんて無くて、ただ指揮官は私の指揮官だからって……それ以上の意味なんて、考えた事もありませんでした……」
「……」
少女の独白はセレーナに向いたものではなかった。
殺気も感情も、全てが少女自身に向けられ、そして頬に伝うソレは雨粒等では決してなかった。
「私は、指揮官を愛してるから、愛して欲しいから彼を守ってきたのでしょうか?責務ではなく見返りの為に、私は今まで……だったら私は今、どうすればいいですか?私は……」
「……貴女が何を言っているのかはわかりませんが、愛されたいから剣を取る事の何が悪いのでしょう?」
「……私はただ、指揮官に死んでほしくなくて、怪我もしてほしくなくて、だから私は剣を取っていたんです。でも……さっき美術館で貴方達を見て、わからなくなったんです。今私の胸ある痛みと悲しみと、指揮官や貴女に対する怒りにも似た感情が私を追い立てるんです……私は、どうしたらーー」
「貴女は○○が好きだったのですね」
「はい……そうみたいですーーでも私の想いは、○○には届きません。○○が愛しているのは、セレーナさんだけですから」
自嘲するように歪んだ笑みを浮かべる少女は疎ましそうにセレーナを見た。
グレイレイヴン隊長ーールシア。
太陽のように輝き、常に○○の翼として様々苦難から○○を守り続けてきた少女。
○○が話す過去には幾度もルシアが現れ、ルシアが○○を守り、時には○○がルシアを守った。
物語の主人公とヒロインのように、切っても切れない関係。
パートナーと呼ぶに相応しい二人の間柄にセレーナは何度も悔しさを感じた。
構造体としてーー何より女として。
セレーナは『時の牢獄』事件以前に○○を守れた事は一度もない。
○○の窮地にはいつだって別の場所に居て、宇宙ステーションでは自分の身さえ守れずに四肢を潰されて拉致され、最後には塵のようにパニシングの川へと投げ捨てられた。
余りにも情け無く、惨めだ。
もし仮に、セレーナが奇跡的な生還を果たしていなかったら、或いはもう少し先の帰還になっていたら、ルシアは間違い無く、今セレーナが立っている場所に居ただろう。
「私は、貴女も○○の特別になれると思いますよ」
「ーー揶揄わないでください。笑えません。私だってなれるのなら、そうなりたいです。でも、指揮官は貴女を選んだ。なら私は、指揮官の選択を尊重します」
「ルシア……」
セレーナは顔を近づけ、咄嗟に逃げようとするルシアを捕まえた。
目と鼻の先。至近距離で二人は向かい合う。
困惑するルシアの目をじっと見据えて、セレーナは言った。
「私は○○と両思いの恋仲になりました。ですが、私は貴方もレイヴン隊の皆様も、○○を大切に想い、○○が大切に想っている人達を傷付けるつもりはありません。ですから、私と同じ想いを抱いているというのなら、ルシア。貴方も○○と結ばれても構いません」
「えっあっ、そ、そんな事、出来る訳ありません!そんな不健全な関係、あまりに世間体が……」
「世間がどう思おうと、私達には関係のない事です。私達の本懐は○○の幸せと身の安全を守る事。そして○○に大事にされている私達が幸せになる事、ですから」
困惑しながらも発言に嘘はないと、真っ直ぐ見つめる目が語っていた。
「私は……諦めなくて……良いんですか?○○を好きでいてもーー良いんですか?」
「はい。ルシア」
再び大粒の涙をこぼし始めるルシアを、セレーナは抱きしめた。
嫉みの感情が無い訳ではない。
だが、それ以上にセレーナはルシアに感謝と敬意を抱いている。
だからーールシアにもまた、報われて欲しかった。
地獄の川から引き上げられ、今の幸せを手にしたセレーナのように、ルシアもまた沢山の痛みや苦しみ、犠牲を払ってまで○○を守ってきた。
そんな少女が報われないのは違うと、セレーナは思うのだ。
「ルシア……貴女もまた、辛い道を歩んできた分、幸せになるべきなんです。そして貴女が最も大切にする人と貴女を、私にも守らせて下さい」
セレーナの胸で泣くルシアはあまりにも儚く、小さく見えた。
「ありがとうございます…セレーナさん……」
「セレーナで構いません」
「あ、ありがとうございます……セレーナ」
恥ずかしそうに頬を赤くするルシアが可愛らしくて、自然と腕が頭を撫でていた。
もし妹が居たら、きっとこんな愛おしさを感じたのだろうか?
撫でている手がやんわりとルシアに制された。
「そ、そんなに頭を撫でないでください……それより、話したい事があるんです」
涙を乱暴に拭って気を入れ直したルシアに只事ではないと身構える。
そしてそれは現実になった。
「0000に○○が空中庭園により拘束されます。既にストライクホーク、ケルベロス、グレイレイヴンには○○拘束指令が下っています。既にストライクホークが○○拘束の為に向かっている筈です!セレーナ!○○を守って下さい!」
聞き届けると同時ーー閃光が駆けた。玄関扉だった破片が宙を舞い、地面落ちる頃には、ルシアだけがその場にいた。
「任せました、セレーナ」
現在時刻2355。
グレイレイヴン指揮官○○襲撃まで残りーー5分
二人の長い戦いが始まろうとしていた。