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直哉が黒閃の再現を可能にした日から更に数日後、紅蘭が目を覚ました。
その時の事は直哉はあまり語りたがらない。
ただいつもの様に鍛錬を終え屋敷に戻り、
(…そろそろお前の声が聞きたいわ)
そんな事を考えながら自分の部屋の襖を開けた時だった。
「は⋯?」
「おかえりなさいませ直哉様!さぁご飯にしましょう!!」
まるでいつもの日常のように紅蘭が飯を用意して部屋で待っていたのであった。
また声を聞きたかった、会いたかったに決まっている。
でも、これは。
「ん!?どうしたんですかぁ?直哉様」
紅蘭は呆然とする直哉を見てニヨニヨとしている。
もっと早く顔を見せに来んかい、下手なサプライズみたいなことしよってからに……
「⋯どアホ」
直哉は固まる紅蘭をジトッと睨んだ後部屋を出た。
その後直哉が自分の部屋から少し歩いた廊下の角で、口を一文字に結び立ったまま俯いて泣いているのを女中が発見し、直ぐに柔らかいタオルを手に女中数人が半狂乱で直哉の元へ駆けつけたのであった。
「⋯どアホ⋯か……へへっ、へっ……あひ…終わった……」
紅蘭はと言うと直哉からの初めてのどアホに意気消沈して部屋の中で完全に現実逃避していた。
直哉は日々限界を超え続ける鍛錬により、数年をかけ黒閃の再現においてもほぼ完全に自分の武器として運用出来る状態にまで仕上げていた。
直哉が行ったのは、投射呪法で黒閃を打った当時の一撃、つまりは呪力操作と打撃を完全に再現し、更には無意識に制限している世界の情報を感じ取る事で黒閃を任意で発生させるというものだった。
しかし極度の集中力と情報過多による脳の負担、そして呪力効率の問題で1度目は黒閃を放ったと同時に身体が限界を超えぶっ倒れて死の淵を彷徨うことになった。
任意の黒閃の発動、その理想の運用としては戦闘開始と共に黒閃を発動させ、潜在能力を120%以上引き出させる状態までボルテージを強制的に上げることだった。
つまり直哉にとっては黒閃は必殺技ではなく、戦闘の質を上げる大きなバフの側面を持ち、一撃打って継戦出来ませんでは話にならないのだ。
もちろん強力な一撃であることは間違いないのでそちらとしての運用も考えているが。
故に、黒閃を打つために使われる大量の呪力と、脳のダメージを如何に躱すかが命題であった。
まず呪力の問題については、数年に及ぶ投射呪法を含むあらゆる鍛錬により術式の精度、呪力効率、呪力量の効率を底上げし、更には一撃目の黒閃の発動に更に呪力と脳のリソースを注ぎ込む縛りによりそれ以降のボルテージが上がった状態での黒閃の発動を容易にした。
脳へのダメージのクリアについては完全に幸運であった。
初の黒閃の再現に挑んだ際に臨死体験をしたことにより直哉は呪力の核心に触れ、不完全ながらも反転術式を修得。
戦闘時において一撃目の黒閃を打った後に、戦闘に支障が出ない程度にまで脳の機能を回復させることが出来るようになったのだ。
それは1度目の黒閃の再現により身体が限界を超えたことにより、自壊していく身体を治癒するため半ば無意識に反転術式を使用したことによる。
これがなければ直哉はそのまま死んでいたという自覚がハッキリとあり、反転術式を使用出来るようになった喜びよりも背筋が凍るような思いをしたのだった。
そうして直哉の年齢が十を越えしばらくした後、禪院家での評価や祓った呪いの実績等により禪院直哉は最年少での特別1級術師を拝命することになり、それと同時に禪院家の精鋭呪術師部隊である【炳】の筆頭に直哉は就任した。
直哉が特別1級呪術師に任命されてから禪院家での発言権は更に増し、他の御三家や高専、そして一般の官公庁との繋がりの強化を進めて行った。
これは各所との関係を密にし、今までお互いの組織の間に落ちてしまっていた小さな呪いの発生も確実に管理することで更に効率的に呪いを祓うためのものであった。
今までは押し付け合い、お互いの業務や依頼に対応するあまり、見て見ぬふりをされていた小さな弱き者の訴えにも耳を傾ける事が出来るようになったのだ。
これにより禪院家というより直哉の負担は更に増すことになったが、直哉は呪いが存在しているだけで喉を掻きむしりたくなるような嫌悪感に襲われ、それを祓う事が人生で最も充実する時間であるので全く苦にはならなかった。
むしろ今までこんなにも気付かない内に涙を流す弱き者がいたのかと心を痛めた。
直哉以外の禪院家の術師の負担も当然増えたが、元々が形式ばって重鎮のような顔をしてたまに呼ばれて呪いを祓って帰るだけのものだったのだから、今までが楽をしていただけだと直哉は思っていた。
もっと働けばええねん。呪いはいくらでもおるで。
御三家名乗るなら呪いをもっと祓わんかい。
それは以前より増えた呪いの依頼に辟易する禪院家の術師に対し、その数倍の依頼をこなし、尚且つ新しい依頼に出かけようとする直哉がかけた言葉だった。
直毘人は既に当主の引き継ぎを考えており、直哉の改革とも呼べる行動は全て自由にさせていた。
一族内の不満もあるが、率先する直哉が最も負担を背負っている為文句など言えなかった。
唯一声を大に反発していた当主の弟である禪院扇も、負ければお互いのやる事に文句を付けないという約束を設け一族の術師を立会人として行われた展覧試合において、直哉に半殺しを越えほぼ殺され、それ以降は反対派の勢いも鎮火していった。
術師にとっても悪いことばかりでは無い。
増えた依頼により得た資金により禪院家の芳しくなかった財政状況は格段と良くなり生活環境が改善された。
直哉が口を酸っぱくして、
「お互いが支え合っとる自覚を持たなあかん、当たり前のこともやって貰って当たり前やないねん」
と言い続けた影響もあり、女中も術師もお互いに感謝の気持ちを言葉にすることが増えだした。
まだまだ術師側の歩み寄りは全くと言っていいほど足りてないが。
時にはお互いの日常の業務を見学させたり体験させたりした。
術師は女中が朝早くから夜遅くまで必死に働いていることを本当の意味で知ることになった。
術師は自分達の生活を整えてくれる女中達の為に。女中達は自分たちの生活費を稼いでくれている術師達の為に。
どちらかが引け目を感じ、どちらかが一方的に威張る関係は少しずつ変わっていった。
(ある程度歳がいった奴らは受け入れられんかも知れんが、若い術師は変わり始めとる。これが新しい禪院家の形になる。禪院家が変われば御三家が変わる。御三家が変われば呪術界が変わるはずや。力ある者はそうでない者の3歩前を歩けばええんや。)
これにより禪院家の女中の待遇は少しずつ改善されることになった。
この頃から女中の間では
【禪院家の女は皆、禪院直哉に恋をする】
という格言が囁かれるようになった。
自分達を庇い、自分達の為に必死で働いてくれている直哉に対し女中達は返しきれない程の恩がある。
直哉は禪院家に生まれ虐げられることが日常だった女中達からすれば理想の姿であり、年齢を重ね男ぶりが益々ぶち上がる直哉に恋をしてしまうのは当然のことだった。
若い禪院家の女の初恋は大体が直哉だった。
歳を重ねた女中も気付けば直哉を目で追ってしまい熱っぽい吐息を零す。
今日も控えめな視線で直哉の事を追いかけ、自分は釣り合わないとため息を零す女中を他の女中が生暖かい目で見守る、という光景が起きるのであった。
元々扇の存在は直哉の中でもトップランクに嫌いだったので感情をぶつけてしまいました。