実力が身に付くにつれ、周りは付いて来るようになった。
直哉は直毘人から当主としての引き継ぎを進められているが、正直言って目の前の呪いを祓いたいので、当主として悪い方向に個性的な一族の術師達を纏めたり、呪術界の妖怪達を相手に腹芸をするのは直哉にとっては余分な時間で出来れば誰かに任せたい。
自分にはそんな大層な役割は向いてないとも分かっていた。
だが立場がなければ付いてこない奴らがいることも事実だった。
目の前の呪いを祓うだけではこの世から呪いを祓いきる事が難しいことも分かっていた。
守りたい者を守るためには自分のやりたい事をやっているだけではダメなのだ。
故に直哉は当主として、身の振り方を模索するのだった。
傍から見れば直哉は呪術の天才であり、禪院家次期当主として現当主からの信頼も絶大で、幼くして全てを手に入れようとしている存在だった。
猛者揃いの一族の中でも尊敬と畏怖の感情を集めていた。
誰もが羨む存在だった。
それは今日の朝も早くから道場の掃除をしている禪院蘭太も同じだった。
蘭太がどれだけ早起きしてもいつも直哉は道場にいて掃除をしている。
毎日ちゃんとやっている。
先日禪院扇が完膚なきまでに直哉にボコボコにされたのを蘭太も見ており、元々小さな頃から高い実力があることは知っていたがそれ以来は完全に直哉のファンになっていた。
直哉はあれだけ実力があって、家での立場も大きいのに蘭太が小さい頃から道場の掃除や、鍛錬を欠かすことはない。
食事の挨拶も女中への感謝の言葉も忘れた事などなかった。
環境や自分が変わろうともいつまでも謙虚なその人柄の良さは、生真面目な蘭太にとって心の底から尊敬出来る点だった。
だからこそ思わず出た言葉だった。
「直哉さんはもうそれだけ強いのに何故そんなに頑張れるんですか?」
そんなこと分かりきっている。
直哉が強さにひたむきで謙虚な性格だからだ。
だが蘭太は直哉を憧れの対象として見ており、どこか遠い存在のように感じていた。
故に直哉の口から直接聞いてみたいと思ってしまったのだ。
それに対して直哉は道場の掃除をする手を止め、道場の外のある方向を眺めながら答えた。
その時の直哉の表情を蘭太は忘れることが出来ない。
質問したことを後悔するほど泣きそうな顔があった。
「どれだけ強くなっても足らへんわ、守れんかったモンの顔が焼き付いて離れんのや。いっつも思い出すのはその事ばっかりやねん」
(大事な女中を死なせた呪詛師の足取りは全く掴めてへん、少なくとも女中を操った奴とそれを指示した奴がおったはずや。仇も討ってやれん情けない男の何が羨ましいんやろな……)
そこにあったのは謙虚さなどではなかった。
この人は、本気で自分の実力が足りない、そう思っているのだと蘭太は理解した。
蘭太は幼いながらも思った。
この人はきっと、この先
【どれだけ沢山の人を救ったとしても救えなかった人の事を思い出して涙を流すのだ】
と。
自分はこの人のようにはなれない。
でも同じ一族の術師としてこの人を支えることなら出来る。
その為に自分の力を使おう、と決意するのであった。
この数年後、禪院蘭太は視界に収めたものを問答無用で押し潰し、捩じ切る強力な術式であらゆる呪いを祓い、禪院家の魔眼の術師として名を馳せることになる。
その後鍛錬を終え、蘭太は直哉に水を渡しに向かった。
「どうぞ、直哉さん。そういえばこの後は五条家の方に行くんですよね?」
「おおきに、せやね。ガラやないけどこういう事もやっていかんとな」
「五条家…五条悟さんってどんな人なんでしょうかね」
「……どうやろ、噂も聞こえてこんから。会ってみんとわからんけど」
(多分誰にも理解されんような思いを抱えとる人やわ…)
呪術界のパワーバランスを変えた六眼と無下限呪術の抱き合わせ。
比肩する者など存在せず、当の五条家もその強さを持て余しているという。
その少年がどんな思いを抱えているのかは分からない。
ただ誰にも理解されない思いを抱えていることは想像に難くなかった。
そんな存在の理解者になれるとは思えないが、支え合うことは出来るはずだ。
数百年前の因縁も理解は出来る、でもそんなつまらん面子はこの世から呪いを祓うことに比べれば些細なことだと直哉は思わずにはいられない。
直哉は直毘人、紅蘭、その他数名の女中と共に五条家の屋敷を訪れていた。
扇は最後まで
「向こうがこちらに挨拶に来るべきだ!」
と怒鳴っていたが、直哉が一言
「この前のこと忘れたん?」
と言えば額に青筋を浮かべ歯を食いしばることしか出来なかった。
五条家は五条悟の存在がある以上禪院家との関係修復など興味はないだろう。
それをこちらがお願いしている立場なのだから向こうに赴くのは当然だ。
ただ扇が懸念していることも分かる。
上下関係を作るつもりは無い、五条家が五条悟のワンマンならこちらは炳を中心にした総合力で勝負すればいい。
五条家にもこちらに協力すれば旨みがあると思わせればいい。
(まずは生八つ橋と伏見の日本酒で心を掴みに行くで)
とりあえず今日はそういう関係を作るための顔合わせだ。
変に気負うこともあるまい、というのが禪院直毘人以下五条家へ向かう禪院家の総意であった。
使用人に案内され、直哉達は五条家の屋敷の廊下を歩いていた。
(綺麗にされとる…ここの使用人さんらもちゃんとしてるわ)
すれ違う五条家の使用人と思われる者たちは自分達を見て恭しく頭を垂れる。
直哉はその度に
「そんな大層な者やないで、気を遣わんといてや」
と軽く手を振って挨拶を返した。
中庭に差し掛かったところで直哉は息を呑んだ。
五条家の庭にはそれは見事な桜が咲いていたからだ。
(今年は……忙し過ぎて桜を見る暇もあらへんかったから余計に綺麗に見えるわ)
桜の陰には五条家の使用人であろう者が周りの雑草でも抜いているのだろうか、屈んで作業をしているのが目に入った。
直哉は思わず駆け寄って五条家の使用人の前に跪きその視線を合わせた。
着物が土で汚れることも厭わない。
しかし禪院家の者達に
「お召し物が汚れます」
なんて野暮な事を言う者はいなかった。
「俺のためにやってるワケやないことは百も承知やけど、ありがとなぁ」
「こんなに綺麗なものを見せて貰って礼を言わずにはおれんかったわ」
そう言った直哉に、美しい銀髪を短く切りそろえた使用人は頭を下げ、まるで自らを卑下するように
「褒めていただけるようなことではございません。使用人として当たり前のことをしたまでです」
と答えた。
直哉はその様子が記憶の中の人物に重なった。
「何言うとるんや、こんな見事な桜中々見れるもんやないで。もっと自分の仕事に誇りを持つべきや」
「いえ、このくらいのこと……それに私のような下賎な者など、皆様の前に姿を見せることも失礼です」
そう言って使用人は土で汚れた服と指を隠そうとする。
しかし直哉はそれを許さなかった。
「そんなことない。こんな綺麗な桜の下で言うことやないで。
せっかく美味しい料理食べてるのに、その横でそれを作った料理人がこの料理美味しくないでしょう、って聞かされてる気分やわ」
そうやって直哉は使用人の土で汚れた手を両手で掴んだ。
「な、何を!?御手が土で汚れてしまいます!」
使用人は慌てるが振り払う事など出来ずどうすればいいか分からない。
使用人の手は肌が荒れ、指先は爪に土が入り黒くなっており、所々ヒビが入っていた。
「そんなことはどうでもええねん。お姉さんが自分を卑下することに比べたら」
「わ、私など……そんな」
「お姉さんは指がこんなになるまで頑張ってるやんか。例え自分のことだとしてもそんな言い方したらあかん」
「こ、こんなもの⋯人様に見せられるものでは」
直哉は、尚も譲らない使用人の手を優しく包み込んだ。
「何言ってんねん頑張ってる人の綺麗な指やんか。うちの女中もみんな似たような指しとんねや、俺らのために頑張ってくれとんねん。お姉さんも同じや」
「だから俺な、この指が大好きやねん。」
そう言って直哉は少し照れながらはにかんだ。
「…………」
使用人はとうとう俯いてしまいその表情は伺いしれない。
「だからそんなん言われたら悲しいわ…なんぼウチの人やない言うても」
「…………」
思わず声を掛けてしまったが、これ以上は作業の邪魔をしてしまうと直哉はその場を離れることにした。
「あかん邪魔したわ、でも忘れんといてな、ええ行いは必ず誰かが見てくれとるもんや」
「……貴方様のように⋯ですか?」
顔を上げた使用人の顔は先程よりもずっと明るい表情だった。
「当然や、これから俺もここによう来ることになるはずやから。楽しみにしとるで」
そう言って直哉は後ろ手をヒラヒラと振りその場を離れた。
使用人は直哉の姿が見えなくなるまで礼の姿勢を崩さないまま見送った。
その後自分の手のひらを眺めながら少年の手の暖かさを思い出して笑みを零すのだった。
「すまん、堪忍な。あまりにも綺麗な桜やったからどうしても礼が言いとうなってな」
しかし誰も直哉を咎めようとするものはいなかった。
直毘人はそれこそが息子の美徳だと思っているし、直哉のソレは今に始まったことではなく、女中の中では桜の下で作業をしている使用人を見た瞬間「あぁ…多分直哉様行っちゃうだろうな」と予想している者もいた。
こういう事をちゃんとしているからこそ、自分達はこの人に着いていくのだ。
紅蘭だけは複雑な表情でモゴモゴ言っていたが。
「なんや紅蘭、ヤキモチか?当然お前のこともちゃんと見とる。変な心配すな」
直哉は紅蘭の頭をポンと叩く。
((((……パーフェクトコミュニケーション!!!!!))))
禪院家の女中達はもはや戦慄するのだった。
もう一度直哉は桜に振り返る、その横顔はどこまでも晴れやかだった。
「春は色んな事を思い出す季節や。楽しかったことも、辛いことも悲しいことも。でも、なんでやろなぁ桜を見ると暖かい気持ちで一杯になんねん。優しい記憶ばっかり蘇んねん」
「だから春も、春に咲く桜も大好きや泣きたいくらいに。」
季節は変わり、移ろいゆく。
しかしそれでもこの美しさは永劫変わらず思い出は回帰するのだ。
「うっ、グスっ⋯妬まれるくらい幸せになりましょうね直哉様⋯」
「語るようになったものだ直哉よ」
涙を流す紅蘭と女中、息子の情緒の成長に満足気に髭を撫でる直毘人。
暖かい時間が流れていった。
そうして案内された五条家当主の部屋。
(当然の様に五条悟はおらんか…やっぱり自由やね)
自分達がここに来ることは知っているはずだが当たり前のように五条家次期当主様は席を外しており、現当主とその妻、数名の術師が臨席していた。
(やっぱり五条家はワンマン……全員炳には入れんレベルやね。)
直哉は五条家の五条悟以外の戦力を確認して、この場の全員と戦闘になっても問題なく打倒出来るレベルだと評した。
(五条悟はやっぱり別格…向こう側の人やいうことか。会ってみたかったわ)
1人で呪術界のパワーバランスを変える存在、自分の目的の為にも是非会ってみたかったがまた次の機会にしようと、直哉は切り替えるのだった。
「あの様子やと何とかなるかもなぁ…」
直哉は今尚話し合いが続けられている部屋から、用を足すため一旦退出していた。
紅蘭や女中は引き連れず、用を済ませ部屋へ戻ろうとしたところ直哉は見た。
向こう側の景色を。
会ったことは無い、写真も見たことはない。
だが分かる。
五条家の特徴である銀髪、この世のモノとは思えない程美しく輝く蒼い両眼、そして纏う空気。
間違いない目の前にいるこの存在が五条悟だと。
五条悟は自分のもつモノをそれなりに正しく理解していた。
故に他者に興味は薄れ、だから今日の会合もどうでも良いとすっぽかしたのであった。
適当に屋敷内をほっつき歩いている時に出会った同年代の黒髪つり目の少年、その姿を見た時悟は何となく、この人間は周りのヤツらとは違うと感じた。
「五条悟クンやね?どうも、禪院直哉言います。よろしゅう」
「…何だお前、縛りだらけじゃねえか」
「…縛り?」
悟は六眼で直哉を見た結果、直哉を縛るいくつもの鎖に気付いた。
1番太い鎖は心臓に巻き付いている
(縛りの内容は分からねぇけど命に関わる縛り…か。)
直哉の背後には不思議な呪力の存在も確認出来る。
(着物を着た女…?呪ってるわけでも呪われてるわけでもねぇ。霊体が呪いを介さずにここまで定着が安定するものなのか…)
しかし目の前の黒髪は縛りの存在に心当たりが無さそうにしている。
(まさか自分に課した縛りを忘れることで更に効果を底上げしてんのか…?)
「…?」
直哉はいきなり悟が考え込み始めるので状況が掴めてない。
すると勢いよく顔を上げた悟が口を開いた。
「お前、名前は?」
「いや、だから禪院直哉言うてるやんけ…」
「ふーん、まぁ暫くは覚えててやるよ」
そう言って悟は話は終わったとばかりに直哉の前から離れていった。
終始直哉は振り回されるばかりだった。
(あれが五条悟…色々と凄いわホンマ)
これが、これから先の未来に呪術界を牽引する存在になる2人のファーストインプレッションとなった。
TIPS
ある女性の墓
少年が毎日一日を始める前に必ず立寄る場所。
彼はそこに立寄り、呪いによって齎された過去の悲しい出来事や屈辱を何度も思い出す。
しかしこの場所に呪いが発生することは無い。
彼が呪っているのは自分自身であり、この墓石に刻まれた女性との思い出はいつも暖かい想いで一杯なのだから。
━━━━━━━━━━どれだけ強くなっても、ここに来るまでの道を忘れるような事があればそれは、人として呪術師として終わりや。