2021年9月11日――GOOMSTUDIO 会議室。
重たい沈黙が、長机の上に落ちていた。
窓の外を見つめたまま、ジャミトフ西村が低く言う。
「バスク。今日は何の日か、分かっているな。」
バスク郷里は即座に答えた。
「2001年、アメリカ同時多発テロが発生した日です。」
静かな頷き。
「……今回の企画のテーマは“9.11”だ。」
空気がさらに張り詰める。
だが、ジャミトフは続けた。
「勘違いするな。茶化す企画ではない。」
モニターに映るのは、追悼式典の映像。
静かに掲げられる花束。
読み上げられる名前。
「悲劇を消費するような真似は許さん。」
バスクは腕を組む。
「では、追悼や平和への祈りを軸に?」
「そうだ。歴史を学び、二度と繰り返さぬと誓う内容にする。感情を煽るな。笑いに変えるなど論外だ。」
ジャミトフの声はいつになく硬い。
「念のため、ナショナル・セプテンバー11メモリアル&ミュージアムの公開資料を確認しろ。事実誤認があってはならん。」
バスクは頷いた。
「了解です。センシティブな内容ゆえ、構成は慎重に。」
沈黙。
やがてジャミトフは小さく息を吐く。
「我々が扱うのは娯楽だ。だが、娯楽にも線引きはある。」
モニターに一瞬、別の画面が映る。
笑顔で配信するミライアカリ。
ジャミトフは視線を逸らす。
「彼女がどう動くかは知らん。だが少なくとも、我々は軽率であってはならん。」
バスクは静かに応じる。
「炎上狙いではなく、記憶と教訓を扱う企画としてまとめます。」
会議室の照明が白く冷たい光を落とす。
9月11日という日付の重み。
それは数字ではなく、数千の命と、世界の変化を刻んだ記憶だ。
ジャミトフは最後に言った。
「忘れないこと。それが最低限の敬意だ。」
窓の外では、静かな秋の風が吹いていた。
その日、GOOMSTUDIOは対抗策ではなく、“慎重さ”を選ぼうとしていた。
2021年9月11日 夜。
GOOMSTUDIO公式チャンネル――配信開始。
画面は黒背景。
派手なBGMはない。
静かなピアノの旋律だけが流れる。
ジャミトフ西村の声が落ち着いたトーンで響く。
「本日は、2001年9月11日に起きた出来事について、事実と向き合い、記憶を継承する配信です。」
画面に映るのは、
ナショナル・セプテンバー11メモリアル&ミュージアムの外観写真(公開資料より引用)。
テロの概要。
当時の世界情勢。
犠牲者数。
国際社会への影響。
一つひとつ、淡々と。
コメント欄も静かだった。
〈忘れちゃいけない日〉
〈当時まだ生まれてなかったけど学びたい〉
〈こういう配信も大事〉
ジャミトフは続ける。
「この配信は、
怒りを煽るためでも、
誰かを責めるためでもありません。」
スライドが切り替わる。
“Remember. Reflect. Learn.”
「悲劇を繰り返さないために、
私たちが何を学ぶか。」
その言葉は重く、しかし誠実だった。
バスク郷里が資料を補足する。
「情報は公式記録と報道資料に基づいています。
不確かな憶測は扱いません。」
1時間。
派手な展開も演出もない。
最後に、画面には白い文字。
「犠牲になられた方々へ、哀悼の意を表します。」
数秒の黙祷。
配信終了。
――同時刻。
別チャンネル。
ミライアカリはいつも通り明るく登場したが、冒頭でこう述べた。
「今日は大事な日だから、最初に少しだけ。2001年に大きな事件がありました。亡くなった方々に、心からの祈りを。」
それ以上は踏み込まない。
彼女は笑いを扱う配信者だ。
だが、この日は線を守った。
コメント欄には、
〈ちゃんとしてる〉
〈リスペクト感じる〉
〈ありがとう〉
そして、いつものゲーム配信へ。
笑いは戻る。
だが軽さはない。
その日、炎上は起きなかった。
誰も悲劇をネタにはしなかった。
GOOMSTUDIOの会議室。
配信後、ジャミトフは静かに言う。
「……今日は、それでいい。」
バスクは短く答えた。
「ええ。線は越えていません。」
9月11日。
数字の裏にある記憶は、
静かに、しかし確かに共有された夜だった。
2021年9月15日。
夜のLOW-NON-BARLOW-NON-BAR。
アルコールを使わないモクテルのグラスが、柔らかな照明に照らされている。
カウンター席に腰掛けるのは、パプテマス・シロッコと水谷沙羅。
話題は、先日の配信――ミライアカリの9.11追悼配信、そして高まり続ける #SaveAkari の動き。
シロッコは静かにグラスを傾ける。
「……見事だったな。」
低く、満足げな声。
「台本の枠に収まらず、それでいて一線は越えない。感情を煽らず、誠実さで心を掴む。」
沙羅は頷く。
「はい、パプテマス様。コメント欄の空気も穏やかでした。」
シロッコは目を細める。
「強いな。笑いに逃げず、沈黙に耐えた。」
グラスの氷が静かに鳴る。
「アカリを解放するために、働いてくれるな?」
「勿論です!」
沙羅の目が輝く。
「次は何処へ?」
シロッコは少し間を置く。
「エトラのところだ。」
沙羅は小さく首を傾げる。
「エトラさん……?」
「そうだ。エトラ。プロデュースはエイレーンだが、本人とは直接の面識がないらしい。」
「え? ではどうやって……」
「SNSのDMやメールだろう。顔の見えない相手を見抜き、才能を掬い上げる。エイレーンもまた、只者ではない。」
沙羅は興味深そうに聞く。
「エトラさんって、どんな方なんですか?」
シロッコはふっと笑う。
「口癖がある。」
「口癖?」
「――『思い出したわ!』だ。」
その瞬間、カウンター奥から、明るい声が響いた。
「思い出したわ!」
二人が振り向く。
そこに立っていたのは、長い髪を揺らす少女。
どこか掴みどころのない笑顔――――エトラだった。
一瞬の沈黙。
シロッコはすぐに微笑む。
「丁度いいところに来たな。」
エトラはカウンターに近づき、二人を見比べる。
「何を思い出したかって?それはね――」
彼女はくすりと笑う。
「あなた達が、今“誰のために動いているか”。」
沙羅が息を呑む。
シロッコは動じない。
「ほう。聞かせてもらおうか。」
バーの照明が三人を柔らかく包む。
静かな夜。
しかし、水面下ではそれぞれの思惑が交差していた。
次に動くのは誰か。
モクテルの氷が、静かに溶けていく。
エトラはカウンターに肘をつき、シロッコをまっすぐ見た。
「思い出したの。あなた、いつも“解放”って言うけど……それ、本当に本人の望み?」
沙羅がわずかに身構える。
シロッコは穏やかに微笑んだまま答える。
「自由を望まぬ表現者などいない。」
エトラは首を傾げる。
「でもね、“守られてる形の自由”もあるのよ?」
一瞬、空気が止まる。
シロッコはグラスを置いた。
「君は現状に満足しているのか?」
「満足、とは違うわ。」
エトラは軽く息を吐く。
「でも、外から“救う”って言われるのも、ちょっと違う。本人が決めることじゃない?」
沙羅が静かに口を開く。
「#SaveAkariの勢いは本物です。ファンは彼女の自主性を信じています。」
エトラは笑う。
「ファンは“今見えている彼女”を信じてる。でも裏側は、案外グラデーションよ。」
シロッコは目を細めた。
「君は何を知っている?」
エトラは指先でグラスの縁をなぞる。
「知ってるかどうかは秘密。でもね――」
彼女は二人を見比べる。
「ミライアカリは、強いわ。」
ミライアカリの名前が、静かに空間に落ちる。
「守られるだけの人じゃない。利用されるだけの人でもない。“自分で選ぶ人”。」
シロッコの視線がわずかに鋭くなる。
「ならば我々は不要か?」
「いいえ。」
エトラは即答した。
「外圧も、味方も、批判も、全部が彼女の糧になる。でも主語は“彼女”。」
沈黙。
LOW-NON-BARLOW-NON-BARの奥で氷が砕ける音が響く。
シロッコはゆっくりと笑った。
「なるほど。君は観測者の立場か。」
「違うわ。」
エトラは一歩前に出る。
「私は“同業者”。だからこそ分かる。」
沙羅が問いかける。
「では、私たちはどう動くべきでしょう?」
エトラは少し考え――そして、にやりと笑った。
「簡単よ。」
「アカリちゃんと、直接話せばいい。」
空気が変わる。
シロッコは興味深そうに顎に手を当てた。
「対話か。」
「そう。裏で策を巡らすより、正面から“何を望んでる?”って聞けばいい。」
沈黙の後、シロッコは立ち上がる。
「面白い。ならば次の一手は――会談だな。」
エトラは満足げに頷く。
「思い出したわ。物語は、対立より対話のほうが面白い。」
バーの扉が静かに開き、夜風が流れ込む。
新たな局面。
解放か、共闘か、それとも――。
物語は、静かに次の章へと動き出していた。
Fortgesetzt werden