2021年11月8日
大阪府大阪市此花区 ユニバーサル・スタジオ・ジャパン
秋晴れの空の下、二人は朝からそわそわしていた。
向かった先は――ユニバーサル・スタジオ・ジャパン。
萌実とエトラ、束の間のオフ。
最近は界隈の騒動や炎上が続き、どこか張り詰めた空気が漂っていた。
だからこそ、この日は“何も考えない日”。
ゲートをくぐった瞬間、萌実が声を上げる。
「わぁー! テンション上がる!」
エトラは少し微笑みながら
「まずは落ち着きなさい。人が多いわ。」
と言いつつも、どこか楽しそうだ。
最初に向かったのは人気アトラクション。
並びながらチュロスを分け合う。
「エトラ、一口いる?」
「……仕方ないわね。」
そのやり取りは、いつもの配信とは違う素の空気。
昼過ぎ。
パーク内のショップでカチューシャを試す萌実。
「これどう? 似合う?」
エトラは少し考えてから、素直に言う。
「……似合ってるわよ。」
萌実は満面の笑み。
「えへへ、写真撮ろ!」
セルフィーに収まる二人。
そこには、炎上も議論もない。
ただの楽しい時間。
夕暮れ。
パークの街並みがオレンジ色に染まる。
ベンチに座り、少し静かになる二人。
萌実がぽつり。
「いろいろあるけどさ……こうやって笑ってられる時間、大事だよね。」
エトラは頷く。
「ええ。外の世界が騒がしくても、私たちは私たち。」
夜のライトアップが始まり、パークは幻想的な雰囲気に包まれる。
萌実が最後に言った。
「また来ようね!」
エトラは小さく笑った。
「その時は、もっと静かな日にしましょう。」
騒がしい世界の中で、
二人だけの静かな一日。
11月8日。
それは、少しだけ心が軽くなった日だった。
2021年11月9日
イギリス・ロンドン――カークランド公爵邸
霧のかかる朝。
ロンドン郊外に佇む格式ある屋敷――カークランド公爵邸。
その主であり、次期当主であるドロテア・カークランドは、執務室で静かに書類へ目を通していた。
ドイツ・ベルリン生まれのイギリス人。
名門カークランド公爵家の一人娘。
“上に立つ者の責務”を何よりも重んじる、本物の貴族。
その机上には、支援会社の名が並ぶ。
NEOENTUM
クリエイトリング
ドロテアは静かにペンを置いた。
「送金は完了しました。」
隣で控えていたメイド、リュシー・ムーアクロフトが目を伏せる。
「お嬢……NEOENTUMに支援金を?」
孤児として過酷な幼少期を過ごし、かつて川で溺れかけたドロテアを救った少女。
今では彼女の右腕であり、姉のような存在でもある。
ドロテアは窓の外を見つめた。
「ミライアカリさんの件が大事になっているのに、放っておけないわ。」
その声に迷いはない。
控え室では、他のメイド見習いたちが小声で話していた。
ハリエット・ミルズが不安そうに言う。
「#SaveAkari……ですよね、ドロテア様は。」
内向的だが、主への忠誠は誰よりも強い。
ケイト・フルニエが頷く。
「世界中に広がってるよね、ハリィちゃん。」
ミリアム・ヘイワードが腕を組む。
「ボクもアカリちゃん助けたいけど、やれることは限られてるし……」
三人とも、過去の出来事を通じてドロテアを心から尊敬している。
やがてドロテアが静かに言った。
「わたくしたちが出来ることは、アカリさんが無事に解放されることを願い、必要な支援を行うことだけ。余計な手出しは不要よ。リュシー。」
リュシーはわずかに笑う。
「ああ、分かってる。お嬢。」
支援はする。
だが表に出て混乱を拡大させることはしない。
それが貴族としての矜持。
ロンドンの曇天の下、遠く離れた日本の騒動へ、静かな支援が送られた。
ドロテアは最後に小さく呟く。
「世界が騒がしくとも、品位は失わない。それがカークランドの名に相応しい振る舞いです。」
霧はゆっくりと晴れ始めていた。
2021年11月10日
東京都――NEOENTUM本社
秋の澄んだ空気に包まれた東京。
かつてDUO(現・ZIZAI)が運営していたENTUMの流れを汲むVTuber支援事務所、
NEOENTUM本社ビルでは、普段とは少し違う空気が漂っていた。
大会議室の中央。
長いテーブルの先に座るのは――会長、ベアトリクス・ブレーメ。
黒髪ロングヘアーをきっちりまとめ、静かに資料へ目を通している。
今日は経営会議ではない。
“誕生日パレード”準備会議だ。
シュタージ時代の部下であり側近でもあるニコラ・ミヒャルケ、カタリーナ・ディーゲルマン、ファルカ・ミューレンカンプ。
そして女性幹部と主要社員たちが席に着いている。
ニコラが最初に口を開いた。
「会長の誕生日は、NEOENTUMのブランドイメージを高める重要な機会だ。」
カタリーナがタブレットを操作する。
「オンライン配信とリアルイベントを連動させる案を提案します。」
ファルカは淡々と付け加えた。
「警備体制は強化を。最近の界隈情勢を考慮すべきです。」
ベアトリクスは静かに微笑む。
「過度な演出はは必要ないわ。NEOENTUMらしい品格を大切に。」
その一言で、室内の空気が引き締まる。
彼女にとって誕生日は私的な祝祭ではない。
組織の結束を示す象徴的な場だ。
社員の一人が遠慮がちに尋ねた。
「#SaveAkariの動きもありますが、配信内で触れますか?」
一瞬の沈黙。
ベアトリクスは首を横に振った。
「直接的な政治的メッセージは不要よ。我々はあくまでも“支える側”。感情を煽らないことが重要よ。」
冷静で、戦略的。
NEOENTUMは表に立つよりも、基盤を整える存在。
会議は進み、パレードのテーマは“未来への継承”に決まった。
ENTUMの歴史を受け継ぎ、次世代へつなぐ。
それがNEOENTUMの理念。
窓の外では、東京の街が夕暮れに染まり始めていた。
ベアトリクスは最後に言った。
「華やかさよりも、信頼を。それが我々の強さだ。」
会議室に、静かな拍手が広がる。
11月10日。
NEOENTUMは、内側から結束を固めていた。が、それは建前で過ぎなかった。
2021年11月11日
NEOENTUM本社・会長室
高層階に位置する会長室。
静まり返った空間に、都心の景色が広がっている。
執務机の前に立つのは、ベアトリクス・ブレーメ。
その背後に控えるのは、側近のニコラ・ミヒャルケ。
さらに少し離れて、カタリーナ・ディーゲルマンがタブレットを抱えている。
ベアトリクスは窓の外を見たまま問いかけた。
「ニコラ、トラバントとバルカス、ヴァルトブルクを出す準備は?」
ニコラは即答する。
「既に準備済みです。いつでも稼働可能です。」
短い報告。無駄のない声。
ベアトリクスはゆっくり振り返った。
「鳴神が好き勝手に暴れないようにしないと……カタリーナ。」
カタリーナは端末を確認する。
「現在も動向を監視していますが、目立った行動はありません。」
「そう……」
一瞬の沈黙。
そして、ベアトリクスは穏やかに告げた。
「なら、泳がせなさい。」
カタリーナがわずかに目を見開く。
「泳がせるのですか?」
ベアトリクスは微笑んだ。
「ええ。過度な干渉は逆効果。自らの言動で信用を削るなら、それに任せればいい。」
机の上に指を軽く置く。
「それに――」
その声音は柔らかいが、確信に満ちている。
「萌実とエトラが上手くやってくれるわ。」
名前が出た瞬間、空気が少し変わる。
直接的な圧力ではなく、
流れを読む戦略。
ニコラは小さく頷いた。
「了解しました。静観体制を維持します。」
カタリーナも姿勢を正す。
「監視は継続します。」
ベアトリクスは再び窓の外へ視線を戻した。
東京の街はいつも通り動いている。
「力は振るうものではなく、示すもの。NEOENTUMは、慌てない。」
会長室に、静かな決断が落ちた。
2021年11月12日
富士スピードウェイ
晩秋の空気が張りつめるサーキット。
エンジン音が遠くで唸り、観客席にはまばらな人影。
ピット脇に立つ鈴蘭は、腕を組んで隣の男を見た。
「ここに来た理由は、単に観戦しにきたわけじゃないでしょ?」
オリオンは口元を歪める。
「流石に分かっちゃうか……あの娘が面白いんだ。」
「面白い? 確かエトラってVTuberなの?」
「ああ。」
オリオンはコースを見つめたまま続ける。
「俺さ、エルペタスに入ってから何年も経つけど、今までこんなワクワクしたことはなかったぜ。」
鈴蘭はふっと笑う。
「ふ~ん……あの娘は、いつかあおぎり高校に入るわ。」
「ん?」
「分かるのよ。あそこに行っても、もっと面白くなる。」
その時だった。
一台のスイフトスポーツ(ZC33S)がホームストレートから滑り込む。
鋭くブレーキをかけ、オリオンの前でぴたりと停止した。
ドアが開く。
降り立ったのは――エトラ。
紫がかかったダークブルーのロングストレートを揺らし、静かな目でオリオンを見据える。
オリオンが笑った。
「よく来たな。逃げたかと思ったぜ。」
エトラは淡々と答える。
「勝負事は、逃げちゃダメなので。」
その声音に迷いはない。
オリオンはヘルメットを持ち上げる。
「……じゃ、早速始めようか。鈴蘭、観客席にいてくれ。」
鈴蘭は軽く手を振った。
「ふふ、言われなくてもそうするわ。」
サーキットに緊張が走る。
エンジンが再び唸りを上げる。
配信者、組織、思惑――
様々な舞台が交差する中。
この瞬間だけは、
ただ純粋な“勝負”。
エンジンが一斉に唸りを上げる。
乾いた排気音が、秋の澄んだ空へ突き抜けた。
オリオンはヘルメットを被りながら笑う。
「ルールはシンプルだ。3周。先に前に出た方が勝ち。」
エトラは頷き、グローブをはめる。
「了解。安全第一でいきましょう。」
「余裕だな。」
「冷静なだけです。」
スタート位置へ並ぶ二台。
鈴蘭は観客席の最前列に腰掛け、頬杖をついた。
「さて……本物かどうか、見せてもらいましょうか。」
シグナルが赤から青へ変わる。
――発進。
スイフトスポーツが鋭く加速し、タイヤがアスファルトを掴む。
エトラの操作は無駄がない。ライン取りは正確で、ブレーキングも丁寧。
オリオンが無線で呟く。
「ほぉ……配信者の走りじゃねぇな。」
第一コーナー。
エトラはアウトから綺麗に回り込み、スムーズに立ち上がる。
「勝負事は、感情でやるものじゃないので。」
静かな声。
2周目。
オリオンが内側へ仕掛ける。
タイヤが悲鳴を上げ、僅差で並ぶ。
鈴蘭が立ち上がる。
「いいわ……その目よ、エトラ。」
最終周。
ストレートでオリオンが僅かに前へ出る。
だが最終コーナーでエトラが理想的なラインを描き、加速。
チェッカー。
僅差。
二台はピットへ戻る。
ヘルメットを外したオリオンは、しばらく黙った後、笑った。
「……面白ぇ。久しぶりに本気出した。」
エトラは息を整えながら言う。
「勝敗は?」
「僅差で俺だ。だが――」
オリオンは指を立てる。
「次は分からん。」
鈴蘭が歩み寄る。
「だから言ったでしょ。あの娘は“化ける”。」
エトラは二人を見て、少しだけ微笑んだ。
「今日は楽しかったです。」
その言葉に、嘘はない。
富士の空は高く澄んでいる。
勝負は終わった。
だが、何かが始まった。
オリオンは空を見上げて呟いた。
「面白くなってきたな……本当に。」
2021年11月13日
赤城山
夜霧が山道を覆う。
ヘッドライトがカーブを切り裂き、冷たい空気を震わせる。
峠の待避所に、二台の車が対峙していた。
一台はスイフトスポーツ。
運転席には――エトラ。
もう一台は、重低音を響かせるフォード・マスタングGT(5代目)。
そのボンネットにもたれかかる女。
露出度の高い和風の装い。
アシンメトリーのズボン。
妖しく笑う瞳。
彼女の名は――嫉子。
“口破らせ”の異名を持つ、暗殺組織『CODE-EL』諜報部の工作員。
電撃を放つムチを操る拷問の達人。
サディスティックで高飛車。
だが、その戦闘経験は決して無限ではない。
嫉子がエトラを見て、鼻で笑った。
「ん? アンタ、見かけない顔ね。誰?」
「私はエイレーンファミリーのエトラです。」
「え? VTuber? へぇー……可愛い顔して。少しムカつくわね。」
沈黙。
嫉子は唇を歪める。
「口破らせの嫉子……それが私の名前。」
「しっこ……? プッ。ネーミング、ダサいね。」
空気が凍る。
嫉子の目が細くなる。
「……一応言っておくけど、私はアンタを拷問したり直接殺すことはないわ。」
「納得すると思う? アンタ、ただの走り屋じゃないよね。」
一瞬の静寂。
そして嫉子は楽しげに言った。
「納得できないなら――私と勝負する?アンタが勝ったら、“ミライアカリ”って小娘の救出に協力するわ。」
その名に、エトラの視線が鋭くなる。
「いいわよ。」
即答。
嫉子はマスタングのドアを開ける。
「……クルマを並べなさい。始めるわよ。」
赤城のダウンヒル。
パワーで圧倒するマスタング。
軽量とライン取りで勝負するスイフト。
カウントも合図もない。
マスタングが咆哮と共に飛び出す。
エトラも遅れず発進。
嫉子の笑い声が無線越しに響く。
「峠は拷問と同じよ。ジワジワ追い詰めるのが楽しいの。」
「私は効率重視なので。」
第一コーナー。
重量差が響く。
だがエトラはブレーキングを最小限に抑え、インへ滑り込む。
嫉子が舌打ち。
「チッ……生意気。」
直線ではマスタングが一気に前へ出る。
圧倒的トルク。
だが連続ヘアピン。
エトラは恐れない。
タイヤが鳴く。
車体を最短ラインへねじ込む。
「勝負は力じゃない。」
最終区間。
二台はほぼ並走。
嫉子の目が細くなる。
「面白いじゃない。」
ゴールライン。
僅差――
スイフトスポーツが、半車身前へ出た。
ブレーキ音が夜に響く。
嫉子はしばらく黙り、やがて笑った。
「……ふふ。いいわ。」
ドアを開け、夜風に髪を揺らす。
「約束は守る。“協力”はしてあげる。」
エトラは静かに言う。
「言質、取ったから。」
赤城山の闇の中。
敵か味方か分からない協力者が、一人増えた。
そして峠には、まだタイヤの熱が残っていた。
2021年11月14日
東京のオフィス街に構えるGOOMSTUDIO本社。
受付に現れたのは、黒縁メガネに地味なスーツ姿の女。
名乗った名前は――末次順子。
だがその正体は。
前夜、赤城山でエトラと峠を駆けた
“口破らせ”の異名を持つ女――嫉子。
CODE-EL諜報部の工作員であり、拷問と心理操作を得意とする諜報のプロ。
今日はムチも露出衣装もない。
代わりに持つのは、偽造書類と完璧な経歴データ。
「本日より業務補佐として着任いたします、末次です。」
柔らかい声。
低姿勢。
非の打ちどころのない受け答え。
受付担当は疑いもしない。
内部フロア。
嫉子は一歩足を踏み入れ、周囲を観察する。
監視カメラの位置。
社員の動線。
セキュリティカードの運用。
「(……甘い。)」
心の中でほくそ笑む。
彼女の本来の任務は情報抽出。
だが今回はそれだけではない。
“協力”という約束。
それは、ミライアカリに関する内部資料への接近を意味していた。
昼休憩。
社員同士の何気ない雑談に耳を傾ける。
「#SaveAkari、まだ尾を引いてるらしいよ。」
「会議で上がってたな。」
嫉子は微笑を浮かべる。
「(口は、自然と割れるものよ。)」
無理に脅す必要はない。
人間は不安と不満があれば、勝手に喋る。
夕方。
空きデスクに腰を下ろし、PCへログイン。
キーボードを叩く指は迷いがない。
アクセス権限の隙間。
共有サーバーの甘いパスワード管理。
「(……見つけた。)」
内部メモ。
管理方針変更の草案。
監視強化の計画。
嫉子の目が細くなる。
「ふふ……面白いわね。」
彼女はデータを静かにコピーし、痕跡を消した。
帰り際、ビルを出る。
夜風が頬を撫でる。
携帯を取り出し、短いメッセージを送る。
《潜入成功。材料は揃いつつある。》
赤城山で交わした約束は、まだ有効だ。
嫉子は小さく呟く。
「拷問より、盗み見る方が楽しい時もあるのよ。」
11月14日。
GOOMSTUDIO内部に、静かに牙が入り込んだ。
深夜
東京某所――
ビルの屋上。冷たい夜風。
スマートフォンの暗い画面を見つめる嫉子。
昼間、GOOMSTUDIO内部から吸い上げたデータはすでに整理済み。
社内通達草案。
監視強化リスト。
外部圧力への対処方針メモ。
嫉子は小さく笑う。
「……随分と焦ってるじゃない。」
彼女が次に取った行動は、少し意外だった。
送信先は――鈴蘭。
赤城山でエトラの横にいた女。
峠の観客席で意味深に微笑んでいた存在。
だが。
嫉子と鈴蘭は一切面識がない。
直接会話も、紹介も、接触もない。
それでも、嫉子は情報を共有した。
理由は単純。
“利害が一致している”から。
数分後。
鈴蘭の端末に暗号化データが届く。
差出人は匿名。
だが中身を開いた瞬間、彼女は目を細めた。
「……へぇ。」
内部資料。
GOOMSTUDIOの動き。
対外戦略の裏側。
「こんなもの、普通は取れないわね。」
送信元のIPは痕跡を残していない。
プロの仕事。
鈴蘭は静かに呟く。
「赤城の夜の“雌狸”かしら。」
確証はない。
だが、直感が告げている。
一方、嫉子はビルの縁に立ちながら夜景を眺めていた。
「名前も知らない相手と手を組む……悪くないわ。」
彼女にとって協力とは信頼ではない。
利用価値。
それだけ。
だが今回は違う。
エトラとの勝負。
交わした約束。
それが、ほんの少しだけ行動原理を変えていた。
鈴蘭は端末を閉じる。
「面白くなってきたわね。」
嫉子は携帯をポケットへしまう。
「さぁ、次は誰の口を割らせようかしら。」
直接会うことのない二人。
しかし水面下で、線が繋がった。
11月14日深夜。
静かな情報戦が、さらに深く潜っていった。
2021年11月15日
NEOENTUM本社 会議室
重厚な扉が閉じられ、会議室には静かな緊張が漂っていた。
長机の一角に座るのは、中国公安部から協力という形で動いている人物――姜小花。
北京出身。
濃い紫――ダークパープルの長いストレートヘアは腰から太ももに届くほど。
右側を赤い紐で低くまとめ、左側は流れるままに垂らしている。
そこには大きな青い蝶の髪飾り。
光を受けてわずかに艶めく髪。
ぱっつん気味の前髪の奥にある瞳は、静かで澄んでいる。
書物を好み、健康体操を日課とする穏やかな女性。
だがその本質は、冷静沈着な観察者。
壁面スクリーンには内部解析ログ。
GOOMSTUDIOのアクセス痕。
偽名“末次順子”。
潜入の痕跡。
姜小花はゆっくりと資料を閉じた。
「……嫉子。」
名を小さく呟く。
CODE-EL諜報部の工作員。
危険性は高い。
同席していたNEOENTUM幹部が口を開く。
「排除、あるいは牽制しますか?」
姜小花は首を横に振る。
「いいえ。」
静かな声。
「危険な女ですが、味方のようですね。」
会議室に沈黙が落ちる。
彼女は続ける。
「彼女の動きはGOOMSTUDIO内部の攪乱。目的は一致しています。」
「では監視のみ?」
「ええ。泳がせましょう。」
紫の長髪がわずかに揺れる。
「本当に敵であれば、もっと荒い動きをするはずです。」
冷静な分析。
姜小花は窓の外を見た。
東京の空は薄曇り。
「情報は流れ。流れを止めれば濁る。今は……流させる方が良い。」
その言葉に、誰も異論を挟まない。
NEOENTUMとクリエイトリングの水面下の連携は、さらに複雑さを増していく。
姜小花は最後に小さく微笑んだ。
「本は最後まで読まなければ、結末は分かりません。」
11月15日。
嫉子は監視されながらも、あえて自由を与えられた。
静かな駆け引きが、次の局面を待っている。
NEOENTUM本社 会長室
重厚な扉が閉まり、外界の音が遮断される。
室内にいるのは、ベアトリクス・ブレーメと側近ニコラ・ミヒャルケのみ。
ニコラが静かに報告書を差し出す。
「GOOMSTUDIOに、何者かが潜入しています。」
ベアトリクスの指が止まる。
「……何者か、ですって?」
「はい。偽名を使用。身元は完全に偽装されていますが、解析の結果――暗殺組織のメンバーの可能性が高いかと。」
一瞬、空気が張り詰める。
「……殺し屋か?」
「恐らくは。」
短い沈黙。
だが、次の瞬間。
ベアトリクスは、ふっと笑った。
「ふふふ……面白くなってきたわね。」
ニコラは表情を変えない。
「排除命令を出しますか?」
「いいえ。」
即答。
「動機が分からないうちに動くのは三流よ。」
窓際に歩み寄るベアトリクス。
東京の街を見下ろしながら続ける。
「GOOMSTUDIOに刃を向ける者がいる。それが偶然とは思えない。」
彼女の瞳がわずかに細まる。
「私たちにとって敵か味方か――それを見極めるまで、静観。」
ニコラが頷く。
「監視は継続します。」
「ええ。泳がせなさい。」
その言葉は、まるで昨日の姜小花の判断と重なる。
水面下で、複数の勢力が同じ選択をしている。
ベアトリクスは最後に小さく呟いた。
「駒が増えるほど、盤面は美しくなる。」
会長室の空気は冷静そのもの。
だが確実に、物語は加速していた。
Fortgesetzt werden
ヒューマンバグ大学の口破らせの嫉子をゲスト出演しました。
バグ大本編では一話限りで退場ですが、物語の構成上仕方ないですね。今思えばもっと活躍して欲しかったキャラだし勿体ないなぁ。