ENTUM23   作:マブラマ

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第288話 後日談:移りゆく季節

2025年初夏

 

風が変わった、と誰かが言った。

 

それは比喩でも詩でもなく、本当に空気の匂いが変わったのだ。

桜の残滓は消え、アスファルトの熱がゆっくりと街に戻り始める。

湿り気を帯びた初夏の風が、東京の高層ビルの隙間を抜けていく。

 

2025年5月。

 

パスタ王国は静かだった。

 

1.静寂の王国

 

「……今日も静かじゃな」

 

ぺぺち――かつての名を ミライアカリ と言った少女は、

非公開アカウントの配信用テストルームで小さく呟いた。

 

活動休止から一か月。

 

公式チャンネルは止まり、タイムラインはファンアートと待機メッセージで満ちている。

 

「ソースを練り直すのじゃ」

 

あの日、そう言った。

 

本当に、練り直している。

 

歌。

世界観。

ゲーム『ENTUM23』の脚本改稿。

自分自身。

 

「焦らなくていいのじゃ……」

 

そう言い聞かせるが、

ステージの光は簡単には忘れられない。

 

あの一周年ライブ。

最後に歌った『眠れぬ森の美女』。

 

眠るのは、王女か、それとも自分か。

 

ぺぺちは、まだ答えを出していなかった。

 

2.それぞれの現在地

 

一方――

 

株式会社viviON

 

あおぎり高校の会議室。

 

音霊魂子が机に肘をつき、資料を睨んでいる。

 

「夏の大型企画、どうする?」

 

石狩あかりが静かに言う。

 

「ぺぺちさん、戻ってくる時に何か一緒にやれたらいいですね」

 

栗駒こまるは頷く。

 

「待つのも応援だよ」

 

席が一つ、空いている。

 

そこはかつて

大代真白が座っていた場所だ。

 

卒業から三か月。

 

SNSには時折、体調が回復していることを知らせる近況が投稿される。

 

彼女の不在は、穴ではない。

 

記憶だ。

 

3.謝罪のあと

 

5月10日。

 

あの日、頭を下げた男。

 

鳴神。

 

彼は今もツイキャス とnoteで言葉を発信している。

 

かつてのような断罪者の声ではない。

 

分析者でも、暴露者でもない。

 

「記録者」になろうとしている。

 

ミライアカリの時代。

 

ENTUMの終焉。

 

ぺぺちの転生。

 

彼は距離を保ちながら書く。

 

炎上は減った。

同時に、熱狂も減った。

 

それでもいい。

 

静かな言葉は、長く残る。

 

4.ニューヨークの影

 

海の向こう。

 

バンナム・ニューヨーク支社。

 

シロッコは新規VTuberプロジェクトの企画書を閉じた。

 

打算的。合理的。冷静。

 

だが一つだけ、彼は認めている。

 

「……彼女は、本物だった」

 

成功は数字で測れる。

 

だが「時代」は数字では測れない。

 

それを知ったのはミライアカリという現象を見たからだ。

 

5.ENTUM23

 

初夏の某日。

 

小さな開発スタジオ。

 

『ENTUM23』のデバッグ画面が光る。

 

ヒイロ・ネコミヤの最終シーン。

 

SYSTEM中枢の崩壊。

 

そして、アカリの消失。

 

西園チグサがボイス確認をする。

 

「ここ、もう少し抑えた方がいいかも」

 

もちひよこが笑う。

 

「泣かせにきてるよね、この脚本」

 

猫宮ひなたは静かに言う。

 

「でも希望はある」

 

物語は喪失で終わらない。

 

継承で終わる。

 

それがENTUM23の核だ。

 

6.初夏の東京

 

ぺぺちは、外を歩く。

 

帽子。マスク。

 

誰も気づかない。

 

それでいい。

 

信号待ちの交差点。

 

一年前、絶望と再会が交錯した場所。

 

今は、ただの街。

 

「変わるのじゃな……」

 

季節も、立場も、人も。

 

だが一つだけ変わらない。

 

「歌いたい」

 

それは義務ではない。

 

欲望でもない。

 

衝動だ。

 

7.メッセージ

 

夜。

 

非公開アカウントに下書き。

 

「もう少しだけ待っててほしいのじゃ」

 

送らない。

 

まだ早い。

 

だが心は決まりつつある。

 

8.移りゆくもの、残るもの

 

初夏の風が吹く。

 

魂子は新企画の準備を進め。

あかりは後輩を育て。

こまるは明るさを絶やさない。

 

真白は療養を続け、鳴神は記録を書き、シロッコは数字を追う。

 

そしてぺぺちは――ソースを煮込む。

 

焦らず、弱火で。

 

 

9.兆し

 

6月末。

 

公式サイトのサーバーが更新される。

 

小さな変更。

 

だが気づく者は気づく。

 

アイコンの色が、わずかに明るい。

 

ファンは騒がない。

 

ただ、待つ。

 

待つことが信頼だと知っているから。

 

10.未来へ

 

季節は移る。

 

終わった物語は多い。

 

消えた名もある。

 

だが。

 

ミライアカリは終わらなかった。

 

ぺぺちは眠っていない。

 

ただ、呼吸を整えているだけだ。

 

初夏の空は高い。

 

雲がゆっくり流れる。

 

「次は、もっと遠くへ行くのじゃ」

 

誰にも聞こえない声。

 

だが確かに、世界はそれを待っている。

 

移りゆく季節の中で。

 

終わらない物語は静かに、確実に、次のページをめくろうとしていた。

 

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